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 ラストスパートを掛けて俺は迷宮出口の直前でヒデを追い抜かし、洞窟の広場に出た。急ブレーキを掛けて止まる。

「はあ、はあ、手を抜いてやがったな」

 僅かの差で俺に負けたヒデが悔しそうに荒い息をついている。

 だが、俺はそれどころではなかった。

「黙れ」

 俺が冗談を言っているのではないことが、この数年の付き合いでヒデにもすぐに分かったらしい。真剣な顔をして、出しっぱなしの猫耳でも小さい音や気配を探ろうと集中し始めた。

「いるね。5人くらいかな、ただの人間だと思う。あっちも俺たちの声が聞こえたらしい。警戒しながら近づいてくるよ」

 潜めた声で分かったことをヒデが報告する。彼は何故か気付いていないが、俺には気配は読めてもそれ以上のことは分からず、索敵の精度ではヒデに敵わない。

「ここで待つぞ」

「分かった」

 この先迷宮の看板の前で並び立って待つと、すぐに5人の人間が洞窟入口側の通路から現れた。

「迷宮の外へ魔獣が出てくるなんて。いえ、迷宮の入口は先にあると思わせておいて、本当は洞窟自体が迷宮だっただけかもしれませんね。迂闊でした」

 一番後ろでローブを着た妙齢の女性が俺たちを見てそう言った。ヒデの使っていた言葉と一緒だった。

「リーダー、どうしますか」

 先頭でサブリーダーらしき役割をこなしていそうな全身鎧で装備を固め、腰に剣を穿いた男が、紅一点の女性に向かって聞く。

「私たちでは、勝って突破することは出来なさそうです。他の4人が犠牲になったとしても誰かが生きて逃げ帰り、街へ伝えに行かなければ」

 妙齢の女性が方針を決めると、他の4人も何か覚悟を決めたように武器を構えだした。2人はそれぞれ直剣と長槍を、一人は身長の3分の2ほどの大きさがある大きな盾を構える。もう1人が連絡要員だろうか、手にしていた弓矢を折りたたんで背負っていた背嚢に仕舞う。

「誤解させて悪かったな。俺たちは先に迷宮を見つけて探索していただけの人間だよ」

 決定的な行動が始める前に、俺は静かな声で5人組に話しかけた。

 自分たちにも理解できる言葉だったからか、それともそもそも魔獣だと思っていた相手が話をしたからか、動揺した5人組はもし俺たちが襲いかかるつもりだったら致命的とも言える隙を晒した。対人戦には素人な俺でさえ分かるような、酷い狼狽ぶりだった。

「本当の迷宮の入口は間違いなくここだ。俺が来る前から、この看板がここに置かれていた」

 そう言って、俺は看板を指さし、彼らにも見えるように体をずらした。

 それだけの動作で、彼らは神経質なほど警戒を強める。

「本当に人間なら、……迷宮が擬態した物をどう見分ければ良いのかしら。例えば身分証を見せてもらえないかしら」

「身分証?」

「ええ、迷宮探索をするなら、冒険者ギルドが発行する身分証を持っているはずだわ」

 そういう制度なのか? 街へ行ったことが無いからよく分からない。

「ノリさんってこの国で街に出たことないんだよね? 当然、身分証もないよね」

 ヒデがたった今、初めて気がついたように言った。

「あなたも私たちと同じ言葉がしゃべれるのね」

「うん、だって生まれたときは村の人はみんなこの言葉でしゃべってたし。でもノリさんは……このおっかない顔のおじさんは違うよ。この国の人じゃないし、言葉はしゃべれるけどこの国の街に入ったことがないんだって」

 おじさんは歳を考えると仕方が無いが、おっかない顔は余計だ。

「なら、あなたは?」

「えっと……すっごく小さいときに森で迷子になっちゃって……拾ってもらった」

「親御さんのところへは戻らなかったの?」

「その……小さい頃だったから……あんまりよく覚えてないけど」

「あなたは小さい子供を拾って、この子の親のところに連れて行ってあげなかったの?」

 ヒデが妙な誤魔化し方をしたせいで、俺の方に刺すような視線とともに咎める質問が飛んできた。

「俺は気がついたらこの洞窟にいてな。街からここを目指してたどり着いたわけでもねえし、街へ出たこともねえんだ。あんた達が来た街を含めて、どこに他の人間が暮らす場所があるのか知らなくてな。親元へ帰してやりたいのはやまやまだったが、小さい子どもを連れて街を探して森を彷徨うのも、1人で町を探して森を抜けている間に1人で放置するのもまだ難しい年頃だったからそのままになっちまった」

 実際にヒデを拾ったのは物心もついてからだったが、乳幼児の頃の話にしてやり過ごす。後でヒデとは口裏を合わせておかないと。

 話している本人からしても怪しい説明だった。彼女らはなんとか納得してくれたようだが、俺たちに対する警戒を解いていないのは明らかだった。

「とりあえず、話の続きは家で応じてもいいか。迷宮から出てきたばかりなのに、こんなところでいつまでも立ち話というのも疲れる」

「家というのは、この洞窟の入口の近くにあった扉の先の事かしら」

「そうだ。洞窟の外の畑も俺たちが食うために耕した」

 危険かもしれない人間の領域に入るのは躊躇うだろうか。

「珍しい作物ばかり育てているのが不思議でしたけど、立派な畑ね。……お言葉に甘えてお宅にお呼ばれしますけど、よろしいかしら」

 未だ警戒を解かない4人に対して、確認を取るように女性は話しかけた。

「護衛としてはお引き留めしたいところですが、依頼主の意向とあれば反対は出来ません」

「ありがとう。これは私の意思による行動だと、あなた方の業務報告に記録しておいてちょうだいな」

「了解しました」

 同意が取れたところで、俺たちが先に立って我が家へ向かう。洞窟の分岐点から少し進んだところに設えた自作の木の扉には、鍵は付けていない。日本の常識からすれば甚だ不用心だが、この数年の間で洞窟まで誰かが迷い込んでくることはなかったから、複雑な機構を用意してまで設置する必要性を感じなかったのだ。

「丁寧な作りでまだ新しそうだったから、私たちはこの扉を見つけても先は見ていないの。この建材はどうやって用意されたの?」

 ここで嘘をつく利点は思いつかなかったから、恐らく本当のことなのだろう。女性は扉を開けて押さえている俺に会釈しながら尋ねた。

「そこで靴は脱いで上がってくれ。外の森から良さそうな木を切り倒して、適当に製材した。もともと俺は木で家を建てる仕事をしていたんだ」

「王居や城壁でなければ、大抵の家は木で建てるのではなくて? あなたの育ったところでは他の材料で作られる家が多かったのかしら。靴を脱いで家に入るという習慣もこの辺りでは珍しいわ」

 かなり頭の回転が速そうな人だ。うっかりすると自分でも気がつかないうちに、秘密にしておきたいことがあっという間に丸裸にされそうな危機感を覚える。

「この家は木で立てたわけじゃなく洞窟をそのまま使った物だからな。それに畑仕事や迷宮探索をして帰ってくると、靴の裏が汚れて掃除するのが面倒なんだ」

「そういうこと。でも、凄いわね。扉をくぐったこの先が、本当に洞窟の中とは思えないわ」

 数年を掛けて少しずつ、壁や天井にも木を張って、家の完成度を高めてきた。最初の頃の洞窟そのままや、最低限の仕切りしかなかった頃から比べると居住性や断熱性は格段に高まっている。

「暗い石に囲まれた生活が寒かっただけだ」

 俺たちが普段迷宮に潜るときは畑仕事をするときと同じ、作業服と防水足袋だけの装備だ。しかし、迷宮入口で出くわした5人組は、素材や頑丈さがそれぞれの役割に応じて多少は異なるが、全身を防具で包み、靴も脱ぎ履きの面倒そうな物を履いていた。

 広くない玄関では、三和土に1人ずつ腰掛け、時間をかけて装備を外していくしかない。

「せっかく招かれたのに悪いが、我々にとってはまだこの洞窟は安全だと判断できない。誤解のないように付け加えるが、君たちを警戒しているわけではない。すまないが、3人はここに残して、自分とリーダーだけが上がらせてもらいたい」

 女性が靴を脱いでいる間に、護衛として雇われたらしき4人は素早く相談をしたようだ。護衛組の中でも最年長らしき1人が俺に断りを入れる。

「好きにしてくれていい。ここに人を招くことなど考えていなかったからな。不便を掛ける。因みに、森の動物がこの洞窟に入ってくることはほとんど無い。外で襲われて逃げ帰ってくるときについてくるくらいだ」

「分かった、情報提供に感謝する」

 あえて事務的にやっているようだ。

「ノリさん、俺、先にお茶の用意しとくよ」

「悪いな、頼んだ」

 防水足袋をいつも通りに脱ぎ散らかしかけ、お客さんを見て俺にいつも言われている通りに揃えて端に置き直すと、一声掛けて奥へ駆けていった。

 俺は2人が靴を脱ぎ終えるのを待って、台所へ案内する。

「むしろ、人数を絞ってくれて助かった。それほど坑内が広いわけではないんだ。応接間とかもなくてな」

「押しかけたのはこちらですから、お構いなく」

 彼女は不思議そうに、俺がヒデに教えながら建てた、中から見ただけでは木造建築に見える廊下を進む。

「興味を惹かれるものが何かあっただろうか」

「この木の組み方を見るだけで、色々なことが分かりますし、知らない技法があちこちに見て取れますわ」

 この世界の建築物を見たことのない俺にしてみれば、どう異なるのかも分からない。しかしそれを尋ねるのは今ではないだろう。不用意にこちらの情報を明かすことはない。

 軽率に家へ招いたことを後悔し始めていた。

 もう一つの扉をくぐって台所へ入り、2人暮らしだが荷物置き代わりに4人掛けとして作った食卓の椅子を勧める。

「まだ洞窟の中のはず。でなければ外から光を取り込めば良いのだから、わざわざ魔道具らしき照明を使う必要は無いわ。でも立派な調理用のかまどが二つも……燃料は一般的な薪ね。あの木は洞窟の外にたくさん生えている種類のようだし。換気はどうしているのかしら?」

 彼女のつぶやきを聞いて俺は内心で頭を抱えた。不味いことが始まるような、予感と言うより確信に近い感触を覚える。

「はい、お茶です」

 礼儀作法など全く教えていないヒデが、いつも俺に出すよう湯飲みを机に並べた。

 教えていないのは俺の落ち度だが、この振る舞いはあまりに酷いと感じた。生活科か道徳の教科書を与えるべきか。いや、日本のやり方を前提に書かれた教科書よりは、街に出かけてこの世界のやり方を仕入れた方が良さそうだ。

「汗と土埃でドロドロだろ。ヒデは先に着替えてきな」

 ボロが出る前に隔離しておこう。ただの時間稼ぎにしかならないかもしれないが。

「うん、分かった」

 俺の悩みなど気がつかず、のんきに鼻歌を歌いながらヒデは台所を出て行く。

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