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いよいよ冬が本格的にやってきた。
朝になり目が覚めて外を眺めに行くと、洞窟の外は一面の銀世界に変わっていた。山肌の白と茶色の境界線は少しずつ下がったり上がったりしていたが、まだ猶予があると思って油断していた。どうやら昨晩はかなり降ったらしい。
「うわー、ついに降り積もっちゃったねえ」
子供は雪が降ると喜ぶ物だと思い込んでいたのに、ヒデはあまり嬉しそうにしていない。
「確かに、もう少し小さかった頃は楽しみにしてたさ。でも、やれ除雪だ、あっちの家では窓塞ぎが終わっていないだのって作業に駆り出されるようになると、ただでさえ冬は寒いのに、重くて無駄に仕事を増やすだけの雪なんて楽しくもなんともないよ」
労働力として当てにされるようになると、様々な作業に支障が出る雪を単純に喜べなくなるらしい。確かに思い返してみれば、俺も現場へ出て仕事をするようになって、それまでほど雪が好きではなくなったような気がする。
「さて、今日も仕事にするぞ」
朝飯も済んだ。飯の後の一服も楽しんだ。
「そうだね。今日は何するの?」
「薪をもう少しばかり増やしておこうと思っていたんだが、この雪じゃあなあ。薪の量は冬を越すのに十分だと思うか?」
「節約すれば足りるとは思うけど、あれば安心ってところかなあ」
薪で暖をとり、料理をする生活なんてやったことのなかった俺には、今ひとつどれくらいの用意が要るかが分からない。この点ではヒデに頼りっぱなしだった。
「なら今日は無理せず、切り倒して運んできただけの木を割っていくか」
「それが良いと思う。この辺りの気候はよく知らないけど、僕の生まれた村だったら初雪はすぐに溶けるんだ。冬本番が来る前に雪がなくなって森に入れる日がまだ何日かあるはずだし」
「よし、じゃあ始めよう」
「うん!」
薪を割る。
迷宮に潜る。
牛を狩り、解体して肉にする。
いろいろな保存食を試しに作ってみる。
迷宮のまだ進んだことのない場所を探索する。
洞窟から出るに出られない冬の間にできることは大抵この5つのどれかだった。積もりに積もった雪は、多いときには一晩で洞窟の入口を半分埋めた。中まで吹き込んで来ることもあった。
「僕の生まれた村よりもこの辺の方がずっと雪が多いよ」
山に囲まれていてピンとこないが、どうやらここは標高が高いらしい。川の太さや植生の違いを聞いていると、少なくとも元の世界と自然の出来方が同じであれば、この洞窟はヒデの育った村より大分山深いところにあるようだ。
取説の地図を見せてみたが、ヒデは生まれ育った村の名前も場所も知らなかった。当然、こここがどこかも分からないままだ。
「ど田舎の農民が旅行に出ることなんてほとんどない。村と言えば一つだし、ごくたまに買い物に出かける街は街で通じるんだよ。余所のことなんて生活するには知らなくたって困らないんだ。領主様は領主様で、国は国だから、それを区別するための名前が何か、気にしたことなかった」
別に知らないことを咎めたり馬鹿にしたりしたつもりは全くなかったのだが、彼は悔しそうにそう主張した。
「それより、僕も日本語が結構読めるようになってきたんだ! すごいでしょ」
取説の地図のページに片仮名で書かれた地名を指さしながら一つずつ読み上げて、自慢げに言った。
ヒデは元々文字の読み書きが出来なかったから、しゃべっている言語がどのような文字体系を持つのかは未だに分からないでいる。それなのに、文字種も文字も複雑で数が多く、どうやら文法構造も違いそうな日本語を、スポンジが水を吸い込むように吸収していく。
日本語(国語)だけではない。算数・理科・社会や保健体育(治療魔法のために体の仕組みを学ぶためだ)の教科書も与えているのに、それらも順調に身に付けつつある。
「おーおー凄い凄い。じゃあ明日からは更にレベルを上げて、日本語で会話しような」
「ちょっ、そんなあ。子供の成長に対する感動が薄くない?」
「そうか?」
だが、最近は特にすぐ調子に乗るヒデを、うっかり褒めたりはしない。
「そうだよ。頑張ってるのになー。何かご褒美をくれてもいいと思うんだけどなー」
「まだまだってことさ。じゃあ俺がいなくなっても良いのか」
「……それは困る」
「ならまだ半人前だな。精進したまえよ、少年」
煙草を出して火を点けた。
「普段から怖い顔をしているノリさんが煙草を吸いながら神父様みたいなことを言うの、凄く似合わない。むしろ不気味」
「何だとこの野郎」
「ごめんなさい、つい思ってることが正直に」
「正直なのは良いことだな。……何て言って誤魔化されるとでも思ったのかおい」
「ひい許して」
褒めなかったのに調子に乗る。全く困ったもんだ。
俺はため息をついて、深く吸い込んだ紫煙を吐き出した。
朝日が上る時間は早く、夕日が沈む時間も遅くなってきた。だが雪の勢いはなかなかどうして緩まない。地面が見えてきたと思ったら翌朝には洞窟から出られないこともしばしばである。
春はまだ遠いらしい。
洞窟奥の迷宮は、巨大な牛がいた牧場の反対側の端は未だにたどり着けていない。歩いても歩いても、ただ牧草畑のような野原が広がっているばかりだった。
洞窟途中から分岐した下りの階段は正に迷宮探検という趣で、2層目からは廊下がほんのり光っていて、その分だけ出てくる魔獣の種類と頻度が多くなった。ファンタジー小説でよくあるように、層をクリアすると転移の魔方陣やエレベータ的な謎技術でたどり着いたところまで一瞬で移動できれば良かったのだが、そういうシステムはどうやら無いようだ。
どちらも無理をせず、日帰りで行って帰ってこられるところまでしか行っていないから、まだ終わりは見えてこない。俺たちにとって迷宮探索は、外へ出られない冬の間の暇つぶしであり、食料調達の手段でしかない。功名心などないし、そもそも2人しかいないで行動を共にしているのに、名誉も何もなかった。
たまに見つける宝箱から出てくるものも特に必要としていない。珍しい薬などが出てくるのであればまだ魅力はあったが、武器や防具ばかりだった。切れば鈍っていく刃物より、食えば回復する魔力を消費して魔法で力押しをすれば大抵の魔獣は撃退できた。俺もヒデも、外傷だろうが毒だろうが精神汚染だろうが、即死さえしなければお互いの治療魔法で充分に対処できるようになってしまった。
こんな有様が、洞窟の外でどれだけ異常なことなのかなんて、全く頭になかった。
春がやってきて洞窟から出られるようになると、入口の脇に魔法で力押しして畑を耕した。そこでは元の世界のトマト・キュウリ・ナス・枝豆にニンジン・ダイコン・ゴボウといった野菜を育てて収穫できる様にした。
魔法は、使えば使うほど、魔力が増えて細かい制御が利くようになり、効率も上がる。回復はたらふく食って一晩ゆっくり寝るだけだ。
2年目はかつてイワナを捕った小川の上流から崖沿いに用水を引いて、米を育てようと水田を2枚ほど作ってみた。元の世界で苦労して開拓したご先祖様達が見たら卒倒すること間違いなしの所業だ。
「いや、普通の人はこんなことに貴重な魔力を使わないし、そもそもこの規模の魔法が使える人なんて既に人じゃないから」
自分でも手伝い以上に作業をしておいて、ヒデは出来上がった畑や田んぼにドン引きしていた。
もう街に降りようなど考えることもなく、ひたすら自分たち二人がここで生活をするために必要だと思うことを、最終的に何のために魔法を訓練しているのかも分からなくなりながら、開拓を進めていた。
ある日の探索の帰りのことだった。
キャンプがしてみたいとヒデが言うので、初めて牧場の片隅にテントを張って野営してみた。俺にとっても、寝床と決めた普通の洞窟の部分以外で夜を過ごしたのは、この世界に来てから初めてのことだった。
手に持つ懐中電灯ではなく、ドローンのように自分の前後を勝手に浮きながら周りを照らす光源魔法を開発して使っていたから、単に競争しようと子供特有の(?)思いつきによって、俺たちは空いた両手を大きく振って迷宮の入口に全力疾走していた。
村での生活と違い、毎日腹一杯になるまで食えるようになったヒデは、タケノコのようにすくすくと大きくなった。今ではほとんど体の大きさは俺と変わらない。俺も元の世界に居たときには歳相応に、腹回りに肉がつくのを気にしていたが、こちらの世界では余った栄養は脂肪になる前に魔力へ変換されるらしい。食い過ぎたと思っても、翌日はいつも以上に魔法を無駄遣いすることを意識するだけで、脂肪が減ってむしろ筋肉が増えた。
お互いに探索で余った魔力を使い切る勢いで、魔法全開で真っ暗な迷宮の廊下を飛ばす。
「あれー、追いつけねえのかよ。煙草の吸いすぎで上がった息が元に戻らないんじゃねえの」
「ほざけ。お前だってちょっと前から俺の煙草をこっそりくすねて吸い始めたくせに。俺が気付いてねえとでも思ってたのかよ」
日本語での会話も難なく出来るようになった。俺のせいで、この世界の言葉で話すよりも口が悪くなってしまったのは、少し申し訳ないような気もする。
「嘘だろ、バレてねえと思ってたのに」
「んなわけあるか。こないだから俺が一箱単位じゃなくカートンで生成するようにしたのは、お前がくすねてるのに気付いたからだぜ?」
「……くっそ、何時になったらノリさんの裏をかけるようになるんだよ」
「百年早えな」




