22
迷宮内の牧場から、元来た洞窟に戻る。懐中電灯で照らしながら歩くが、屋外のように明るかった牧場に目が慣れてしまったせいで実に暗く感じた。
「冬の食べ物についてはなんとかなりそうだね」
「ああ、外が雪に閉ざされても、迷宮として警戒していればこの洞窟は年中変わらずに歩いて来られそうだ」
何でもありと言われるが、この通路を含めて迷宮とは一種の植物的な生き物の体の中である。通常の植物と同じく一度出来た中の構造が、ある日突然、大幅に変わってしまうことはないらしい。
何も出てこない、変化に乏しい暗い通路を黙々と歩き続けるのはヒデには辛いらしい。警戒しろと指示しても集中が続かず、結局二人でとりとめも無い話をしながら進むことになってしまった。
行くときにはあんなに長く感じた無味乾燥な通路を思いのほかあっさりと抜けて、無数のコウモリとやり合った空間に出た。結果的に、来たときと同じく何も出てこなかったから良かったが、何かがあってからでは遅いのだと反省する。
迷宮に吸収されたのか、隅に固めておいたコウモリの死骸は見当たらない。天井に懐中電灯を向けてみても、痕跡すら見つけることが出来なかった。
「迷宮を出るまでの通路でも、変な怪物と出くわすことのありませんように」
「おい馬鹿、こんなところでフラグを立てるんじゃねえ」
対処できない事態になったらどうしてくれるんだ。せっかく色々と用意した家に、帰れなくなってしまうじゃないか。
コウモリの空間を抜け、トカゲだのクモだのと戦った通路に入る。宝箱のあった小部屋への分岐を通り過ぎようとして、空気の動きを感じた。
不審に感じて懐中電灯で照らしてみる。宝箱の置かれていた床に、宝箱ではなくぽっかりと四角い穴が空いているのが見えた。
「変な怪物はいなかったけど、変な分岐は見つけちゃったね」
「お前が無造作にフラグを立てたせいだ! どうせ迷宮の魔獣は迷宮から出てくることはない。ここの調査は次回以降にするぞ」
「あの牧場の先も碌に調べられてないのに、次の予定だけはどんどん増えていくね」
平和に生きていきたいだけなのに。
「困ったことにな」
「そのわりには、ノリさん楽しそうな顔してるけど」
暗いところで懐中電灯を人の顔に向けるな。目が眩んで周りが見えなくなるだろう。
「分かるか。不安もあるけど、楽しみでもあるな。だが今日は家に着いたらバーベキューだ。さっさと帰るぞ」
「うん!」
帰り着き、時間だけ確かめようと洞窟の外を見ると、既に月が空の高いところまで上がっていた。
腹も減るわけだ。部位に切り分けただけの肉を一度魔法で凍らせてから、焼きやすくしかし食いでのある大きさに切っていく。ヒデは土鍋にまとめて6合くらいの米を炊く準備をしていた。
米が炊けるのを待つ間に、肉を切って切って切りまくった。今の時間を意識したら、米が炊けるのをただ待つなんて、もう耐えられないと思った。
待ち遠しい米が炊ける良い匂いがしてくる。ヒデが用意したバーベキューに丁度良い塩梅の炭火が赤々と燃えている。
本来なら、牛肉は捌いて数日おいて熟成した方が旨くなるらしい。しかし空腹は調味料とも言うのがよく分かった。
土鍋で炊いた白米に、炭火の焼き肉は実に合う。酒が欲しくなる。
そういや、こっちに来てから煙草はすぐ手に入れたが、酒の類いは全く飲まなかったな。
「なあヒデ。この国では、何歳から酒を飲めるんだ?」
「お酒? 年齢のルールなんてないよ。都の貴族様には成人? 社交デビュー? とかいうパーティーまで飲まないらしいけど、僕は田舎の村で育ったからね。お正月とかお祭りとかだと飲んでたよ」
「あんまり若いうちから飲むのは健康に悪いんだがな」
「どこのど田舎の農民が、健康なんか気にするんだ。ちょっと人より頭が回ったって、運悪く村に降りてきた獣にやられたらおしまいだし。人より力が強くたって、流行病にかかったときにたまたま行商人から薬が買えれば助かるかもしれないけど、死ぬか治るかなんてまぐれなんだよ?」
こちらの世界で一般的な薬は生薬らしい。乾燥させたり燻製にしたりと加工をしても、それほど長くは効力を保ったまま日持ちしない。
「なるほどな、真理ではあるかもしれん」
「人生は生きているうちに無理矢理にでも楽しまなきゃ損しちゃうよ。ノリさん、実は酒も持ってるの?」
「いや、ないけどな。これだけ食うものに困らねえなら、多少魔法を使って作ってもいいかもなって。お前もいるか?」
日本の価値観が抜けきっていないから、毎日沢山食わせて大夫からだが大きくなってきたとはいえ、まだ中学生くらいにしか見えないヒデに酒を飲ませるのには若干の抵抗がある。
自分のことは棚に上げるが。死ぬ直前くらいは大分うるさくなってきたが、俺が一〇代の頃はまだかなり緩かった。おやっさんに連れられて仕事終わりに連れて行かれた飲み屋で、同年代の高校生が制服で、煙草を片手に酒盛りをしているのが普通だった。
「うーん、大人達は旨そうに呑んでたけど、僕はあんまり好きじゃない、かな。あっ、でもノリさんの国のなら、あのすっごい甘いジュースみたいなやつもありそうだよね」
ネクターを思いだしているらしい。
「俺はいつも決まった物しか飲まなかったけど、世の中には色々あったぞ」
食わず嫌いはしなかったから色々舐めてみたことはある。
「美味しいのがありそうだから、くれるなら試してみたい」
ちょうだいちょうだいと酒をねだりながらも、ヒデはしっかり手と口を動かして肉と米と、ごくたまに塩で揉んだキャベツもどきを食べ続けている。
「何にするかなあ」
口ではそう呟くが、頭の中では既にいくつもの酒瓶が浮かんでいる。日本酒と、甲類焼酎に割材、リキュールなどではないビールと、今日は焼かないが今度はステーキにも挑戦してみたいからついでにワインも用意しておくとして、どうせだから焼き肉のタレを数種類も作ってしまおう。
気がつけば、大小様々な大きさと色の瓶が俺の周りに整列していた。ヒデが目を丸くしてみている。
「出し過ぎじゃない? こんなに飲むの?」
「飲めるさ。何から試したい?」
「よく分かんないから、ノリさんと同じヤツからでいい」
一緒に出したガラスのジョッキに、俺のは多めに、ヒデのは半分弱ほどのナカ(焼酎)を入れ、ホッピーを注いで渡してやる。
栓抜きで外した王冠を興味深そうに観察していたヒデは、ジョッキに鼻を近づけるとクンクン嗅いでから、少し舐めた。
「何かちょっと苦いけど、村で飲んだヤツとは違って美味しい気がする」
「色んな果物のジュースも用意したんだから、俺に付き合わずに注文つければ良かったのにな」
「ジュース? 酒じゃないの?」
「そのままだと、ちと強すぎる酒をジュースやお湯で割って飲む酒が俺たちの国にはあるんだよ」
「へー」
久しぶりに飲んだ焼酎は、疲れていたせいか体に染みていく。アルコールには強かったが、別にそれほど酒自体は好きというわけではなかったが、たまに飲む分には良いかもしれない。
「肉もな、口に入れる前にこのタレをちょっと付けてみろ」
「醤油とか言う液体みたいな色だけど、つぶつぶしたのが入ってるね」
「玉ねぎとかニンニクとかだな」
小皿に焼き肉のタレを出してやる。
「他にももっと色々入ってそうな匂いがする」
さっきから出してやった物をいちいち嗅ぐのは習慣だろうか。酒と違って中身が多かったからか、恐る恐る肉を付け、口に運び、入れる前に少し躊躇した。
「いいから食ってみろって、毒じゃねえから」
「そのにやけ顔がすっげえ怖いんだけど」
「うるせえ」
意を決してタレ付きの肉を口に入れると、表情が疑念から驚愕へ変わり、そして恍惚に染まった。
「なにこれー。初めて食べたけど……ちょっと塩辛いけど果物みたいな甘みもある気がする……どうやって作るの? 売ったらもの凄く儲かりそう」
「醤油ですり下ろした色んな野菜や果物をじっくり煮るらしいぜ。それは醤油系のタレだが、味噌系と塩系もあるから試してみな」
「そうする!」
せっかく出してやったのに、酒より肉の速度が上がった。
俺は酒を飲みながらでも普通に食えるし、何なら味噌汁と米が一緒にあっても構わない雑な人間だから、焦らずに端を動かす。
見ていて気持ちの良いほどの食いっぷりを見せるヒデを見ながら、到底つきることのない量がある肉を、のんびりと網に載せて焼いてやった。
焼酎で始めた後は順番が前後するが瓶ビール数本を飲み、さらに日本酒がそろそろ無くなりそうだ。俺に付き合ったわけではないのにいつの間に飲んでいたのか、ヒデはぐでんぐでんになっていた。
そしてあんなに炊いた米はスッカラカンになり、切った肉も少ししか残っていない。二人にしてはよく食ったもんだ。
煙草を吸いながら、酔っぱらったヒデを布団に寝かしつけてやる。
「もう無理ー吐きそうー」
酒のせいか、食い過ぎかは分からないが、既に寝言になっていた。
「ゆっくり寝ろよ」
生まれて初めて迷宮に潜り、更に自分の背丈よりも大きい獲物を解体したのだ。きっと自覚以上に疲れているだろう。節くれだってゴツゴツした手に一瞬だけ躊躇したが、俺は目にかかりそうな髪を払って優しく頭を撫でてやった。




