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最も近いところにいた一頭へ向かっていくと、ただの牛ではないことが分かった。
巨大なのだ。
まだこの世界で牛を見たことはなかったが、クマやイノシシの大きさは変わらなかった。それらに比べて、この牛は少しかがんだだけで下をくぐれてしまうくらい大きかった。
体の大きさとはバランスが合わない、普通の背丈しかない下草を食んでいたが、俺たちが近づいていくと頭を上げてこちらを注視し始めた。
「こっち見てるよ」
「近づいてきた俺たちを警戒しているんだろう。まだ迷宮の中のはずだ、注意して進むぞ」
「分かった」
視線を逸らさないようにしてゆっくり牛へ向かって歩みを進める。どこに境界があったのか、あるところまで行くと少し首を下げ、うなりだした。
「よし、仕留めるぞ。牛を食ったことはあるか」
「村で食べられる牛は、老いて乳を出さなくなったヤツだけなんだ。だから食べたことはあるけど、滅多にない」
「旨かったか」
「……あの大きさなら、食いでがありそうだよね」
「その意気だ、食える部分が減らないように、やるぞ」
構える武器など持っていないが、闘志を滾らせていると、牛が一つ鳴いて向かってきた。
小山くらいある大きさの牛が鼻息荒く正面から掛けてくるのはなかなか迫力があった。
「ひっ」
ヒデにはありすぎたようだ。つい今までやる気満々だったのに、あっという間に腰が引けている。
俺もびびりそうになりながらも、牛ではなく牛が踏み込もうとした地面に対して魔法を行使した。
軟らかそうな土の地面が、急にぬかるむ。巨大な牛はその体重のせいで、ぬかるんだ地面に両の前足の蹄が全部埋まった。
コンクリートを使う時のように、土に水を足して練られた状態を想像したのだ。
「ブモーっ」
急に出現した沼から牛が足を抜こうとするが、それより前に自然ではあり得ない速さで沼を乾かす。固まった沼が重しとなって地面から離さない。
念のため、後ろ足も同様にぬかるませると、前足を抜こうと踏ん張っていたのかより深くまで埋まった状態で固まった。
「よし、いつまでも呆けていないで、お前も働け」
様子を窺っていた近くの牛の一頭が、俺によって動けなくされた仲間を見て闘牛のごとく土煙を上げながら駆けてくる。
「いやいやいやいや、無理無理無理無理! いつもみたいにノリさんが仕留めてよ! 僕はその後で解体するから! お願い助けて!」
「狩りだって自分でやらねえと、度胸もつかねえし慣れねえぞ」
「今度やるから、今日はやって!」
ヒデが泣き言を喚いているうちに、巨体により地面の揺れまで伝わる距離までやってきた。
「全く。よっく見てろよ」
先ほどと同様に地面をぬかるませる。同じように前足がはまった牛は、転びかけて踏ん張りの利かなくなった足をぬかるみから抜こうとするが、その直前にぬかるませた地面にもう一度魔法をかけ、固めてしまった。突進の勢いのまま、前足が動かなくなって崩れ落ちる。まだ十数メートルくらいは距離があったが、ボキリと太い骨の折れる音がここまで聞こえた。
腹や後ろ足が接している地面も魔法でぬかるませ、すぐに固める。
痛みによるものか、混乱のせいか。牛は甲高く鳴いた。遠巻きにしていた他の牛は一頭、また一頭と俺たちに背を向けて逃げ出すのが見えた。
「同じような尻尾を付けてる癖に、何というか……残酷だね」
俺が出しっぱなしにしている尻尾を見てヒデは言った。
「今回は、俺たちが食う側で、こいつらが食われる側だったってだけだ。約束通り、解体は任せたからな」
「えっ、僕が1人でこんなに大きいのを二頭もやるの!? ちょっとは手伝ってよ!」
「足止めは俺が1人でやってやっただろ」
敢えて冷たく言い放ち、俺は胸ポケットから引き抜いた煙草に火を点け地面に座り込んだ。その様子から、手を出すつもりが無いことを悟ったヒデは絶望したように空へ向かって叫んだ。
「無茶だってー!」
吊り下げる木が無いから魔法を駆使して血抜きをし、まだ出来上がっていない子供の小さい体で解体をしている。
俺は後ろからニヤニヤしながら、もつ煮が食いたい、ステーキも捨てがたいなどと料理法を並べながら、切り分けられた肉を順番にリュックに入れていく。
一頭目の半分くらいまでやったところで、返り血で作業着をドロドロにしたヒデが泣きを入れた。
「もう無理です、疲れました」
「何か言ってるなあ、大変そうだなあ?」
水筒に詰めてきた水を飲みながら、煙草をふかして俺は含み笑いで言ってやった。
「これ以上は勘弁してください、手伝ってください」
「しょうがねえなあ、やってやるかあ」
「……最初から1人じゃ無理だって事くらい分かってたくせに」
「そういうこと言うんだ、ふーん。やっぱり見てるだけにしようかな」
「あああごめんなさいごめんなさい、助けてください!」
割と本気でべそを掻いている。
「まったく」
俺は最後に深く煙を吸い込むと、吸い殻を灰皿に放り込んだ。
「そういや、さっきの魔法ってどうやったの?」
手を動かしながらヒデが聞いてきた。
「さっきのって、これのことか?」
まだ蹄の周りに固まっている石になった土をつま先で小突いた。
「うん、それ。動けないようにするだけとか性格悪いなって……いやなんでもない」
気を許してくれるのは嬉しいが、失言が多くなりすぎだと思う。あと、どうせ慣れてくれるのなら軽く睨むくらいでビビらないで欲しい。
「俺が元いたところでは、水を加えてよく混ぜてから乾かすと石になる、特殊な砂があるんだよ。それで柱や家の土台を拵えるんだ。それを想像しただけだ」
本物のセメントなら、分量を量った砂や水と丁寧に混ぜて流し込んでなどと手間がかかる。しかし魔法でやるなら、強度がどれくらいあるかは知らないが、単に土をぬかるませて固めるだけとお手軽だ。
「倒すときに殺さなかったおかげで、血抜きを丁寧に出来たから助かったんだ。他の獣を狩るときにも便利そうだから、今度教えてよ」
「見て覚えろ、技術は勝手に盗むもんだ。使う頻度は上げてやるから、分からないことがあれば聞け」
「いつもそういうよね。ケチで言ってるんじゃないとは分かるけどさ」
魔法は特に個人の感覚が物を言うようだし、結果と過程の両方の想像が細かいほど威力と効率が上がるらしい。元の世界で職人技を先達から学ぶときと同じく、何でもかんでも聞くだけで覚えられるとは思えなかった。
空がある時点で意味が分からなかったが、迷宮の中にいるはずなのに日が暮れていく。洞窟そのままの通路では一定だった気温が下がっていくように感じられた。
一頭の解体がようやく終わったところで、作業を続けるには暗くなりすぎてしまった。
「ふと思ったんだけどさ」
「なんだ」
「ノリさんのリュックなら、この大きさの牛でもまるごと入っちゃうんじゃないの」
洞窟の外の森で採っておいた大きい葉で切り分けた肉を包んでリュックに入れていた。言われて初めて、明らかにリュックより大きかった敷き布団さえ、リュックに収められたことを思い出した。
「試してみるか」
血抜きだけ済んで横倒しにしてあったもう一頭に、リュックの口を近づける。チャックに触れた途端に、あり得ないゆがみ方をして、巨大な牛がリュックに吸い込まれていく。
「うわ、すげえ」
すぐに一頭全部が入ってしまった。中身の一覧を念じてみる。
……
迷宮の牛肉
迷宮の牛肉
迷宮の牛肉
迷宮の牛肉
迷宮の牛肉
……
迷宮の巨牛
……
解体した方は部位ごとに、そして最後に巨牛と書かれた項目があった。
「部位を見ているだけで腹が減ってくるな」
「入れると中の時間も止まって腐らなくなるみたいだし、早いとこ帰って食べようよ」
「そうだな……ん? 時間が止まる?」
俺も知らないことを言い出した。
「うん、ついこないだ梨が残ってたから食べてみたけど、全然しなびてなくて、採れたてみたいに瑞々しかったよ」
梨なんて、こいつと出会ったころに入れたものだ。もう二ヶ月……いや、三ヶ月くらいは経っていたのではないだろうか。防腐処理のしていないただの果物が数ヶ月も日持ちすることはないだろうから、このリュックはヒデの言ったとおり、入れた物の時間経過が止まるか、もしくは無視できるくらいゆっくりと進むのだろう。
とはいえ、暦の数え方を知っていたところで、基準になる日付が分からないから日数を数えるのを止めてしまっていたので、具体的にどれくらい経ったかは分からない。
「腐らないなら、もう一頭の解体は帰ってから、解体が済んだ分を食い切るまでにやれば良いか」
どうせ冬は長いのだ。
いい暇つぶしになるだろう。生物の教科書を作って、それを見ながら二人で勉強する教材にしても良いかもしれない。




