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 俺の家でもある建築屋の会社に帰ると、平日にも関わらず社長以下社員7人全員が俺を待っていた。

 まだ日が落ちる前だというのに、共用の炊事室の机の上には所狭しとピザやら惣菜の焼き鳥に唐揚げといった味の濃いつまみと、瓶のビールが並べられている。

「突然ぶっ倒れやがった飯田の出所を祝って!」

「乾杯!」

 社長の音頭で飲み会が始まった。

「あざっす!」

 戸惑いながらも俺はみんなに礼を言う。

「社長、ご迷惑をおかけしました」

「お前が社長だなんて俺を呼ぶのはやめてくれや」

 俺と同じくらい目つきの悪いおやっさんに凄まれると、長い付き合いで冗談だと分かっていても肝が冷える。

「すんません、おやっさん」

「ふん。突然現場から、飯田がぶっ倒れたとか電話が来たときには、本当にビックリしたぜ。もうなんともないのか」

 なんとなく頭痛がするなと思っていたが、珍しく二日酔いにでもなったのだといつも通り働き出したところで、ぷっつり記憶がなくなっていた。

「脳梗塞だったらしいですが、医者からは、ただ再発には気をつけろと。詳しいことは後で」

 俺が臭わせた何かに気がついたらしく、俺以外には分からないくらい微妙に眉間にしわを寄せた。

「まあ今日は金曜日だから、明日と明後日とゆっくり休んで、また月曜からよろしくやってくれや」

「ありがとうございます。こんな会まで開いてくださって」

「いつもケチだ何だって言われるが、たまにはな」

 照れ隠しにそっぽを向いて子供みたいなことを言うのはいつもの癖だ。

「ノリが意識を取り戻すまでの社長は、本当に見ていられなかったんだから」

 専務が悪い顔で笑いながら告げ口した。

「おいそれは、ナイショにしとけってあれほど……」

「あっ、うっかり」

 絶対わざとだと分かるにやけ顔で、会が始まって間もないのに既に赤くなりつつある坊主頭を掻いた。

「ノリさんは知らないと思いますけど、1回心臓が止まったらしくて。それを聞いたときには社長も死にそうな顔してましたからね。復帰できて良かったです」

「退院おめでとうございます」

「飯田さんが居ない間、仕事も回らなくて大変だったんですよ」

「今日は全部社長のおごりらしいんで、ノリさんも好きなだけ飲みまくってください」

「飯田さんが入院してくれたおかげっすよ、ありがとうございます」

 他の面々も口々に退院を祝ってくれる。……祝ってくれているのか?

「何か引っかかるところもあるけど、ありがとう」

「ケチなうちの社長のことだから、こんな祝いの席を設けてくれるのは飯田の兄貴だけっすよ」

「違えねえ!」

 俺とおやっさん以外の6人からでた大爆笑は、正に鬼と見まごうばかりの顔をしたおやっさんを見てすぐに冷や汗と入れ替わった。

「あーっと……そ、そうだ。飯田の兄貴は頭も良いのになんだってここで働いてるんすか? 目つきが悪いから?」

 迎えにも来てくれた新入りが、慌てて話題を変えようとした。

「あんだって、一言多かった気がするなあ」

「す、すみません」

 だが、中途半端が過ぎて鬼を増やしかけただけだった。

「新入りのお前は知らないか」

 それをフォローする専務が何事もなかったように話題を引き取った。

「こいつは色々あって、実家を勘当されてな。まあその……やけくそになっていた場違いなガキを見かねた社長が、独立前でお前達と同じく雇われだったころに、拾ってきたってわけだ」

 それから数年後におやっさんが独立した。

 おやっさんと仲が良く、独立するときに引き抜いてきた元同僚が専務だ。一生社長について行くつもりだった俺と3人から始まったのが、今のこの建築屋である。

「そうだったんすか」

「飯田さんって俺らと違って頭も良いし」

「字ばっかりの本も読んでるし」

「俺と違って前科があるわけでもないし、補導歴もないんすよね?」

「こんなところにいるのが不思議だったんですよね」

「顔は怖いっすけど。いてっ」

 いつも一言多い新入りにはげんこつを落としておく。

「頭が良いかどうかは知らんが、本って言ってもラノベだぜ?」

「適当なページを開いて、字しかない本は漫画しか読まない俺らにとっては一緒っすよ」

「お前らが後先考えないやんちゃなだけだろ」

 社長と専務が何度も頷いた。

「そうなんすよー。夏に現場が遠くても、俺らは銭湯にも寄れないからくっせーまま帰ってこなきゃいけねえし」

 先に帰ってきて風呂まで済ませ、家の中だからTシャツ・短パン姿の彼らの体には、入れ墨が見える。

「帰ってきたら風呂の取り合いになるんで。社長、風呂場を大浴場にしましょうよ。俺らで作るんで」

「ふざけんな、どこにそんな金があるって言うんだ。俺は銭湯に寄れるから要らねえし」

 社長・専務と俺の体には絵がないから、銭湯も温泉も入るのに制限はない。

「多数決っすよ、民主主義? ってやつっす。5対3で大浴場派の勝ちっす」

「この会社は昔から社長の独裁だ、残念だったな」

 専務のあっけない否定に、残る5人は酔った大声で横暴だー! と声を揃えた。

「脛に傷があろうが雇って食わしてくれるおやっさんに感謝しとけよ?」

「今日もそうですけど、一番かわいがられているノリさんがそれを言いますか」

 そこで新入りが思い出したように言った。

「今度、嫁さんと温泉へ泊まりに行くんすけど、ちゃんと貸切風呂のある旅館を選んでくれてたんすよ」

 所帯持ちだから他の7人と違って車で帰宅するため、酒は飲んでいないくせに、酔っ払いも真っ青な爆弾を落とした。

「突然のろけてんじゃねえ」

「新婚さんは良いねえ」

「つーか新入りのくせに俺らより先に結婚した上で、裏切りか? いい度胸してんじゃねえか」

「あっ、その、すみません」

 当然柄の悪い他の4人の先輩にどつき回される。

「お前は本当に……なんというか。頭が足りねえなあ」

 呆れたおやっさんが堪えきれずに呟いた。


 俺は、楽しそうなみんなを見て泣くのを堪えるのに必死だった。


 真夜中になって、新入りは嫁さんの待つ自宅へ帰り、こちらは嫁さんが迎えに来た専務をなんとか興して引き渡した。残るはここに住んでいる面々だが、俺とおやっさんを除いた4人全員が形容しがたい体勢で酔い潰れていた。

「いつも、お前と俺でそれぞれの布団にぶち込む羽目になるな」

 生え際の交代した額は酒で真っ赤になっているが、それでもしっかりした足取りで社員をお姫様抱っこした社長は歳を感じさせない。

「ちゃんとルール通り、飲み会前に寝床を作るようになっただけマシだよ」

 特に雇われ始めた直後は、どいつもこいつもまだ会社に馴染めず突っ張って、無茶な飲み方をするくせに布団まで俺たちに敷かせていた。同じく酔い潰れる組の専務が口を酸っぱくして、自分の布団を敷いてから酒を飲むよう言っていたのが懐かしい。

「それもそうだが、自分の酒量くらい把握しとけってんだ」

「……そうだな」

 建築業の飯場と言えば、2段ベッドで4人部屋というのが多いが、うちの場合は畳敷きの一間に布団を敷いて2人部屋だ。受ける仕事に和風建築が多く、これ以上社員規模を増やすつもりもなかったから、練習のためにあえてそうしたのだ。せっかく建築業をやっているのだから、自分たちの家はもちろん自分たちで建てる。

 酔い潰れた社員をそれぞれの寝床に戻すときにも、床に敷かれた布団に転がす方が高さのあるベッドに寝かせるよりも楽なのは、竣工式の晩に分かった思わぬ利点だった。

「なあ、おやっさん」

「なんだ」

「今日、そっちの部屋で寝て良い?」

「……こんなベロンベロンになって、ヤるのか」

「したい話もあるし」

 おやっさんと俺はそれぞれ個室だが、社長でもあり、大家でもあるおやっさん個人の床面積はもちろん誰よりも大きい。

「たまにはいいか」


「はい、水」

 親子ほどもある年齢差も性別も無視して一戦交えた後、火照った体を冷ますべく、縁側で先に一服しているおやっさんにコップに汲んだ水道水を渡す。

「おう、悪いな」

 その隣に俺もあぐらを掻き、煙草を咥えた。

「ほら、点けてやるよ。こっち向け」

「ん?」

 ライターを想定して咥えた煙草の先を差し出したら、思ったより近くにおやっさんの顔があって反射的にのけぞった。

「逃げるなよ、俺も歳かな。そんなに飲んだつもりもねえが、手が震えて上手くライターが使えなかったんだ」

 顔が赤黒かったのは、暗かったし、酒が残っているし、照れているせいではないと思っておこうと思う。

「そういうことにしとくよ」

「うるせえ」

 火の付いた煙草の先から、まだ火の付いていない煙草に火が移る。

「カップルかよ」

「ついさっきまで、何やっていたか思いだしてもそんなこと言えるのか?」

「…………」

 確かに。

「それで。話ってなんだ」

「ああ、うん」

 言えば本当になる気がして、言いたくなかった。

 自分でもまだ信じられないのに、ただの夢の話だと笑い飛ばすような内容なのに。

 でもそれは事実で、確定した未来なのだと持ちたくもない確信があった。

 でもなかなか口火を切れなくて、二人とも2本目の煙草に火が付いてしばらくしても、おやっさんは黙って待ってくれていた。

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