16
明くる朝。
怒ったヒデに一つしかない布団を譲り、俺は地面にそのまま横になったせいでバキバキになった体をほぐしながら、朝日を眺めながらの一服を楽しんでいた。
小さい子供はよく寝る。それに対して、早朝に目が覚めてしまう自分の歳を考えると、実はおじさんと呼ばれていたことが不服に思っていたことが少し恥ずかしくなってしまう。
「おはようございます」
「おう、おはようさん」
ヒデも起きてきたようだった。まだ眠そうに眼が垂れている。
「飯にするか。といっても、梨しかないけどな」
「さて、食い終わったところで、だ。食い物の調達を考えないといけねえ。お前は動物の解体とか、食える山菜を見分けたりとか、出来るのか」
「動物? ウサギとかイノシシとかだったら、村で猟師が捕って来たのを手伝ったことはあるけど」
俺みたいな都会っ子にはない、立派なスキルだな。
イノシシは自信がないが、ウサギならなんとかなるだろう。森の中で何度か見かけたが、やり方がわからないから見逃したのだ。
「ちょうどいい。俺が何とか仕留めてみるから、食えるようにしてくれないか」
「ごしゅ……ノリさんは、解体できないの?」
「今はこんなところに住んじゃあいるが、もともと町育ちなんだ。肉といえばもう部位ごとに分けられてるのを買うばっかりだったからな」
「そうなんだ」
「じゃ、出かけるぞ」
道になりつつある梨の木経由小川行きの踏み後を、俺が前に出てヒデがついてくる。
がさがさと右手側から枝葉のこすれる音が聞こえてきたと思ったら、そこには俺の1.5倍くらいの背丈をしたクマが立っていた。
「く、クマだ……」
ウサギを見つけるつもりで、イノシシなら何とかなると思っていたが、クマが出てきてしまった。ヒデの声が震えている。
俺一人なら逃げることもできそうだったが、ヒデを置いていくわけにもいかない。
どうするか考える暇もなく、クマが襲い掛かってくる。
「お前は逃げろ、もしくは木に登れ!」
クマが相手ではかけっこで勝てるわけもなく、木に登ったところで逃げられないかもしれないが。
殴りかかってくる手を腰からひねって躱す。小学生のころ、毎日どこかへ通わされた習い事の一つとして空手教室に行っていたことが脳裏に浮かぶが、同類と間違われて裏路地でケンカを売られたときくらいしか活用していなかったあれこれが異世界のクマを相手に使えるものかと思い直す。
すぐさま飛んできた反対の手は避けきれず、鋭い爪で左腕をざっくりと引っかかれた。
「痛ってえ……」
「と、父ちゃん!」
治さないと痛くてまともに戦えないと考えた時、この世界には魔法があるのだとひらめいた。
焦りで途切れそうな集中力をかき集め、治すことより倒すことを優先して、大きな岩がクマの頭の上に落ちてくるイメージを現実に叩きつけた。
すると、立ち眩みを起こしたように体から急に力が抜けると同時に、イメージしていたより二回り以上大きい岩がとどめとばかりに腕を大きく振りかぶったクマの真上にどこからともなく現れ、ドスンと地響きを立ててクマを押しつぶした。
「……」
「……」
俺は大きく息をしながら、やっと手近な木の一番下の枝までたどり着いたばかりだったヒデと顔を見合わせる。
「と、獲ったどー?」
「いやいやいやいや、まずは怪我をどうにかしないと! 血が……」
左腕に目を落とすと見るも無残な状態で、見えてしまっている骨まで傷が入っている。ただでさえ痛かったのにはっきり見てしまえばもう我慢できないくらい激しく主張し始めた。
痛くて涙さえにじみそうだ。このところ急に涙もろくなったなあなどと現実逃避をしようにも、忘れてくれるなと脳が焼ききれそうな痛みにかき消される。
何とか集中力を振り絞り、骨から筋肉、そして皮膚と内側から順に元に戻るよう念じる。少しずつ痛みが和らいで、その分だけより細かく想像を膨らませてより念入りに治療する。
気が付けば傷跡さえ残っていなかった。
「えらい目にあったぜ」
「……ねえ、正直に言っていい?」
心配するなとヒデに笑いかけたら、あまり伝わらなかったのか深刻そうな声色が返ってきた。
「なんだ」
「クマが出た時よりも、ノリさんがクマにやられた時よりも、その傷がきれいになくなっていくところを見た驚きのほうが大きいんだけど」
「できちまったもんはしょうがねえだろう」
「すぐに治ったことのほうが信じられないんだよ? しかも破れた服まで元の通りになって、飛び散った血の跡があるから怪我をしたことは確かなんだ、幻を見ていたわけじゃないんだって分かるし」
「作業着に飛び散った血を落とすのは骨が折れるなあ」
折れかけた骨を治したばかりなのに。なんちゃって。
「そんなの、神様の奇跡か、悪魔の所業なんだよ。普通の人間だって噓を吐くなら、人間らしく振舞ってよ!」
だんだんヒートアップしてきた。
「心配かけて悪かったな、なんせクマなんて初めて……」
「なんで父ちゃんがやられたときにいなかったんだよ!」
今度は泣き出した。
「昔に何かあったのか」
そういやさっき、俺のことを父ちゃんとか呼んでたな。
「父ちゃんは猟師だったんだ。でもクマにやられて、仲間に運ばれて村に帰ってきて。母ちゃんが町から慌てて治療術を使える神父様を連れてうちに戻ってきたときにはもう手遅れだって言われた。血が出ないように強く縛ってたから腕が腐り始めてて、腕自体を切らないとダメだって。片腕になっちゃったら仕事もできなくなって、それでも体調がよくならなくて結局……」
「分かった、分かったからもういい」
口をふさぐように抱きしめると、わんわんと声を上げて泣き始めた。




