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本日1話目です。
両親に売られた故郷の村からは随分と離された。知らない土地の知らない森で、今晩は野営にするという。
作業のため枷から外されて、薪を拾ってくるよう命じられて森へ入り、衝動的に僕は森の奥に逃げた。
ある程度の距離を離れてしまえば、そして夜になってしまえば、視界も効かない暗闇の中で奴隷にした売れるか分からない子供を探して連れ戻すより、自分の身を守る方が高くつく。
だから気付かれる前にできるだけ遠くまで、早く夜が訪れるのを願いながら何度も枝葉に引っかかれながら走った。
明るくなってしばらくして、ついに一歩も足が前に出なくなって派手に転んだ。下が軟らかい土だったから大きく擦り剥いたり痣になったりすることはなさそうだったが、遠くを目指す心が折れてしまった。
あと少し行けば、大きな青い果物が生った木があった。急に湧き出た疲れにふらふらした足取りで根本まで進む。しかし木に登ってまで何か食うのも面倒で、一休みしてからにしようと思い直した。幹にもたれると、気がつけば眠ってしまった。
誰かに肩を揺すられて目が覚めた。そういえば人の声が聞こえた気がする。
今、どこに居るのか、何が起こったのかすぐには思い出せない。何故自分はうっそうとした森の中で寝ていたのだろうか?
何故、自分の目の前に怖い顔をした悪魔が居るのか? 髪の毛のほとんど無い頭の横からは、恐ろしい角が二本も伸びている。
「ごめんなさいごめんなさい殺さないで……いや僕を殺してください」
喉が引き攣って、普通にしゃべったつもりだったのにその声はかすれて、蚊の鳴くような震える早口だった。お腹の下が温かくなり、尻の辺りが冷たく濡れた。
「何言ってんだお前、大丈夫か。俺が手出ししなくてもそのままなら死ぬだろうよ」
「……え?」
悪魔と会話が出来るなんて思っていなかった。あいつらはお互いに生まれたときから敵で、話など通じないと言われていたからだ。
それなのに、目の前の悪魔は僕にも分かる言葉で、しかも僕のことを気遣った。
「生きたいなら着いてこい。死にたいなら、うっかり白骨化したお前を踏み砕いたら目覚めが悪いから俺の目の届くところから去ってくれ」
何を言っているのか分からない。
いや、言葉は分かる。だけど、なんで悪魔が敵である人間を、それもこれから成長して自分たちを脅かすかもしれない子供を、どういう考えで助けようとするのかが分からない。
同じ村に住んでいた人たちも、僕のことを買ったり奴隷商人も、同じ人間である僕を助けてくれなかったのに。
ずっと移動ばかりで考える余裕もなかったし、思い出さないようにしていた悲しみが、きっと命の危険がずっと近づいただろう今になって蓋をこじ開けてあふれ出す。
しばらく僕のことをじっと見ていた悪魔は、僕に構うことなくもたれかかっていた木に登り始めたようだった。
そうだよね。まさか、悪魔が人間の子供を助けようとするわけないよね。でももう、何もかもがどうでも良くなって、奴隷商人から逃げた後に悪魔から逃げるのも、結局より悪い物に捕まるだけだ。
悪魔はするすると木に登り、成っている実を採っては背負っている見慣れない形のカバンに入れていく。怖くて顔は見られなかったけど、後ろ姿だったら別になんともない。
手際よく収穫し、足だけで枝にまっすぐ立って少しの間だけじっと地面を見ていると思ったら、そのまま飛び降りた。あの高さから飛び降りるなんて普通はしない。良くて大怪我、運が悪ければそのまま死んでしまう。しかし、体全体を使って着地し、何事もなかったように立ち上がった。
「あ、あのっ」
「なんだ、心は決まったのか」
「おじさん……お兄さん? は、悪魔じゃないの……悪魔ではないのですか?」
ど田舎では滅多に使わない丁寧な言い方は慣れない。
「違えよ。ただの人間だ」
他にも何か呟いたようだったが、僕には聞き取れなかった。
どっちにしろ、悪魔は人間を騙して親切にしてから裏切るって村の長老達が言っていた。
「怖い顔してて角が生えてたから、食べられちゃうのかと思ったんだけど、そうじゃないんですか」
怖い顔、と言った途端により怖い顔になった。
「角が生えてたら悪魔なのか」
「悪魔は人間の子供を好んで食べるって、言い伝えがあって。あれ、でも今は角が無いですね」
「この尻尾もそうだが、魔法の訓練で出してただけさ。思いのほか邪魔だったから引っ込めた。元々は角も尻尾もない、こっちも消して見せようか」
怖い顔のおじさんは牛のような尻尾を器用に振り回した。
「なんでそんなことしてるの……してるんですか」
「訓練のためだ。ため口で良いぞ、俺に無理して丁寧な言葉を使う必要は無い。それより、付いてくるのか、まだ死にたいのか、決まったか」
改めて聞かれると、自分がどうしたいのかと、どうすべきなのかのどっちに従えば良いのか分からなかった。
「どうした、言うだけタダだ、言ってみろよ」
「妹が……病気で。薬を買うために売られたけど、奴隷商人から逃げ出してきたんだ。俺が死ねばちょっとでも魔力が世界に増えるから、その分だけ魔力が妹を元気にするかもしれないと思って」
おじさんは眉を寄せる。顔がどんどん怖くなる。
「世界の魔力の、そんなに大きい割合をお前が持っている? 違うなら、誤差の範囲だ。それにお前を売って薬を買う金は出来たんだろう。きっともう治ってるんじゃないか」
「知らない。奴隷でいる間は、売られた場所を離れたら戻ってはいけない決まりだから」
主人の命令だったり、もしくは自分で自分を買い戻して奴隷でなくなったりしないと、故郷には帰れない。
「逃げ出したんだろ、それは何のためだ。自由になるためじゃないのか。お前のしたいようにすればいい」
奴隷商人から逃げたのは、自分が自分の物でないのが嫌だったからだ。
「逃げた奴隷をかくまうと、おじさんが犯罪者になるんだ。だから付いてはいけない」
でも、そのせいで他人に迷惑を掛けるのは話が違う。
これでいいんだ。今なら、どう藻掻いて力尽きて死んでも、自分の好きに出来る。奴隷商人の元にいたままだったら、空腹で死ぬことさえ自分ではどうにもならない。
「分かった。俺はお前を勝手に掠ってやることにする」
「……は?」
僕が勝手をする決心を固めたつもりだったのに。
「選ばせてやるよ。首に縄をかけてひきづられるのと、自分の足で歩くのと。どっちがいい」
「いや、犯罪に……鉱山で終身……」
結局、誰かの言いなりにならなければいけないのか?
「つべこべうるせえ。さっさと選べ」
反抗とは違うけれど、普通の人なら躊躇しそうなことを言ってみたのに、おじさんは取り合わずに俺を睨み付けた。
「ひっ、こ、殺さないで……言うことを聞くから、どうか」
さっき漏らしていたからもう出るものもなかったが、今のは死ぬより怖かった。
「悪かった、やり過ぎた。うちまで着いてこい、な? 梨しかないが好きなだけ食わせてやるし、風呂にも入れてやるから」
もう、本当に何もかもがどうでも良かった。
抱えた頭を急に触られて殴られるのかと身構えたが、一向に拳や平手は飛んでこなかった。
でも優しいことを言ったって、どうせ今のように脅されて言うことを聞かせられるのだろう。悔しくて涙が溢れる。




