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元の世界、おやっさん視点です。
俺のことをおやっさんと慕ってくれ、俺も本当の息子のようにかわいがってきたノリの死に目に、立ち会ってやることは出来なかった。
話の合間に水がなくなったからと、ノリが持ってきたのが日本酒だったせいだ。初めて、最期の最期に、俺は倅に酔い潰されてしまった。
朝になって、ノリの次に年かさの、うちの会社に住み込んで働いてくれている若いのが慌てて俺を起こしに来たとき、自分の部屋にきっちりと敷かれた布団に寝かされていた。二日酔いで吐き気はないが頭痛がした。
「ノリさんが、部屋で……」
酔い潰される前に聞いた話が、あんなに酒が入っていたのに、潰れる直前までの記憶が鮮明によみがえった。起こしに来たのに俺から突き飛ばされてよろけるのに気がついても俺は何もせず、隣のノリの部屋に駆け込んだ。
あいつはきちんと布団に入り、目を閉じて幸せそうな顔で寝ているようだったが、でも一目見てもう生きてはいないことが分かった。
――起きたらおやっさんと同じ布団で冷たくなってるなんて、俺がいやだから。ちゃんとおやっさんは自分の布団で寝て、俺も自分の部屋で寝るから。
――いい年した親父が一緒に寝たいとか、駄々こねたって可愛くないよ。
出会ったときから高く中学生には見えなかったが、それでも俺よりは背が低かったのに。いつの間にか俺より身長だって伸びて、肩幅だって盛りを過ぎた俺よりもしっかりしていた。
俺はいつだって酔い潰れた弟子共をお姫様抱っこで布団に押し込む側だったのだ。酒には強いという自負があった。
なのに、昨日の晩は初めて誰かに、よりにもよってノリに、お姫様抱っこで丁寧に布団まで運ばれて、顔に似合わない優しい手つきで掛け布団まで丁寧に掛けてくれた。
昨日の晩を思い出した瞬間に覚悟を決めたつもりだったのに、体の芯から力が抜けていくようだった。
ノリの枕元で、これまた俺とも、そしてノリとも付き合いの長い専務が、正座して泣いていた。この男が泣いているところは初めて見たなと、ぼんやり思った。
誰かが呼んでくれたのだろう救急車のサイレンが、遠くから聞こえてきた。
ノリを引き取る事を決めたあの晩に、悲鳴を上げた後では格好がつかないと焦りながら脅しなだめすかして聞き出した実家の電話番号は、まだ手帳に書いてあった。十数年ぶり2度目の電話をかけた。
「はい、飯田でございます」
出たのはあのときと同じ澄ましたおばさんの、いや記憶の中の声より老けたお婆さんの声だった。
「田辺建設の田辺五郎と申しますが、飯田則行さんのご実家でよろしいでしょうか」
「……もう掛けてこないでくださいと申したかと思いますが。あの子はもう、うちとは関係ありません」
取り澄ましたような声は、俺が名乗ると一瞬で被っていた猫をはぎ捨て、不機嫌そうに応えた。
「覚えております。それでも、亡くなったので、そのご報告は差し上げたく、掛けさせていただきました」
「ああ、そうなの」
「脳梗塞でした」
「だから、なんですか。香典でもせびろうと? あの子がついていくのも分かる性根の卑しさですわね」
腹を痛めて産んだ息子の最期を聞いて、すぐに金の話かよ。
卑しいどころか、性根が醜くねじ曲がっているのはどっちだ。
「いえ、結構です。では葬儀にはご欠席ということで」
既に堪忍袋の緒は切れている。知る限りの罵倒を怒鳴りつけたいところだったが、あいつの死に目を汚すようでいやだったから精一杯の我慢をした。
「ええもちろん、わたくしとも我が家とも関係のない方がどこで死のうが私どもには関わりの無いことでございますので」
「左様ですか。お忙しいところ失礼致しました。では」
「はい、失礼致します」
ガチャンと受話器が叩きつけられた音が耳に突き刺さる。
悔しくて泣いた。理由が分からなくて戸惑った。
どうしてあんな家族に育てられたのに、ノリはあんなに良い奴だったのか。
粗野に振る舞ってはいたが、根っこのところで育ちが良く、人が良いことは隠しきれていなかった。見た目が怖いから舐められることはそれほど多くなかったようだが、この業界では苦労しただろう。
本当は中学校に通うべき歳から俺と一緒に土にまみれて働いて、戸惑いながらも一生懸命に仕事を覚えていた。
16歳になる年に、中学校の卒業証明がなくても入学できる通信課程の高校に入れた。本当は全日課程の、普通の高校を薦めたのだ。だがそれはどうしても嫌だと、俺と一緒に働きたいと強情に主張した。必要な資格を取るのに高卒は持っていると便利なのだとこんこんと説き伏せ、最後には言質を取って承諾させた。
通信制の高校は、卒業するのが難しい。どうしても勉強が疎かになり、外せない仕事のせいで出席しなければならない日に出席できなくなって留年したり、年限が切れて退学したりしやすい。
偶然にも、俺は自分の親方から独立の話をされている時期だったから、自分の裁量だけで出席日に休暇をやれるように、独立することにした。本人が知ったらまた怒るだろうと思ったからこっそりやったが、聡いあいつは気付いていたに違いない。あるときから黙って仕事終わりや休日に勉強をしているのは知っていたが、最短の3年で卒業したのには心底驚いた。
独立して仕事が軌道に乗り自社で受注できるようになり、結果的に脛に傷のある若者を1人ずつ増やしていくことになったときにも、誰彼構わず反発する彼らに心を開かせて仕事を教えてくれた。
簡単な物になってしまったが、しっかり葬儀を上げてやり、書類の手続きも終わって昨日は四十九日の納骨まで終わってしまった。あいつの本意は今更もう分からないが、実家の墓には入りたくないだろうし、入れさせてももらえないだろう。俺の家に一緒に入ってもらうことにさせてもらった。
もう、やることがない。
写真を撮られるのを嫌がり、上棟式などの集合写真すらほとんどの撮り手がノリだったせいで、遺影を探すのには骨が折れた。
なんとか見つけた一枚は、普段の怖い顔からはなかなか想像しづらい、笑ったときのかわいい顔をしたものにした。仏壇に増えてしまったノリの写真を見上げながら、俺は呆然と座り込んでいた。
「おい、田辺社長。いい加減に立ち直ってやれ」
「……誰かと思えば馬淵か。もうちょっと、ひとりにしてくれんか」
親方の元で意気投合し、独立するときに声を掛けて、俺について専務をしてくれた。俺の次に、俺と同じくらいノリを知っている1人だ。だからこそ、まだ少し放って置いて欲しい気持ちを分かってくれなくて腹が立った。
「いや、もうだめだ。この一月半、俺が会社を回してみて思った。お前が社長なんだ、俺には出来なかった。しかも目端が利いて痒いところに手が届く、ノリの助けもないんだぞ?」
「お前はあいつをただの便利なヤツとしか思ってなかったのか!」
「断じて違う。……ああ、失敗したな。要するにだ。ノリがいつまでも自分のせいで、自分の大切な人がしぼんでいるのを喜ぶと思うかって言いたかったんだ」
「…………」
「何も要らない、持ちたがらないくせに、一度手にしたものには執着して離さないあいつだぜ? 今の田辺の様子を見て、その原因が自分にあると分かって、あいつはどう思うかな」
分かっちゃいるんだ。でもまだ。
「整理がつかないんだよ!」
俺の人生の半分以上はあいつが隣にいたんだ。俺より若いのに、何で俺より先に逝くんだ。
馬淵は俺の隣にあぐらを掻くと、煙草を咥えた。いつの間にか燃え尽きていた蝋燭立てに新品を出すと、マッチを擦って真っ白い蝋燭に火を灯す。
線香を2本手に取って、蝋燭で先端に火を移し、それで更に自分の煙草に火を点けた。口の端から煙を出しながら、手首を振って炎を消した線香を香炉に立てる。
「行儀悪いな」
「俺たちと同じくらいのヘビースモーカーだったノリなら笑って許してくれるさ」
「……違えねえ」
俺も同じように線香に火を点け、煙草を吸う。
「ちゃんと、ハイライトを供えてやろうな」
「日本酒は秩父錦だったか」
「さっすが親父、好みをよく知ってるな」
「秩父での仕事へ行った帰りに、焼きモツと一緒に教えてやったらえらい食いついてな」
二人でポツポツと思い出話をしていたら、すぐそこに、まだ若かった俺が中坊のあいつを拾ったばかりの、中坊だったあいつが、居る気がした。
いや、若かった俺ではなく、大人になったノリが、俺の知らないガキを拾って困っているところかもしれない。
「悪かった。明日から、ちゃんと切り替えて働く。長い間、すまなかった」
「男に二言はねえからな」
笑って馬淵が腰を上げた。
「あたぼうよ」
俺も長時間同じ姿勢で固まった腰をバキバキ鳴らしながら立ち上がった。
元気でやれよ。
明後日も主人公ではない人物の視点の話です。




