涙見のカゴ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶつぶは、最後に泣いたのっていつ?
男はめったなことで泣くなとか、世の中しんどいことを言い渡すわよねえ。
弱みを見せると、狩りもつがいの確保もままならない、自然に生きた大昔から伝わる風習? 本能? 的なものだと思っているけれど。
その点、女の涙は武器と認識されることが多いわね。うま〜いところで泣くと、相手をしどろもどろさせて、言うことを聞いてもらいやすくなる。さらには相手を悪者扱いすることで、こちらの味方も増やす……と。
まあ、そうもクリティカルに心臓を一刺しできるのは、美人とか愛嬌ある子に許されたもの。
私なんか全身武器庫の令和の火薬庫。泣いたら最後、この崩壊した顔面で、周囲に無差別絨毯爆撃ってわけよ。骨も同情も残さないわよ〜、あっはっは……。
ほらここ、あんたも笑うとこよ! 自虐ネタがみじめになるじゃない。うう、思い返すとついつい涙が……。
しか〜し、涙のコントロールは私の十八番。
つぶつぶはさ、泣こうと思った時にちゃんと泣けるかしら? 私なんか今すぐ涙を流せと言われたら、できるわよ。ほ〜ら、ぽろぽろ〜。
――いくらなんでも、自虐に体張りすぎだろ?
ん、失敬な! 自虐はもう彼方の話よ。
話題は山の天気と同じ。好天も下り坂も刻一刻。もたもたしてたらついてけないわよ、つぶつぶ〜。
とまあ、それは置いといて。私の数少ない持ちネタが、この仕掛けのない涙流し。
指や目薬なんて使わない。ただ、思うだけで涙が流せる。
つぶつぶとかには、おすすめしない一発芸だけどね。とはいえ、あたしと同年代の一部の子なら、今でもできる芸当よ。きっと。
なにせ、奇妙な体験をしたスポットがあったからね。
――ん〜? 興味があるの?
今となっては、この目で見ることもかなわない景色だけど……いちおう、聞いとく?
そこは私たちの地元で、大きな城址公園のあるところ。
今でこそお城以外は公園として最低限の機能を有するのみだけど、あたしたちが小さいころは、半分が遊園地を思わせる遊具たちの姿があったわ。
手の指でかぞえられるくらいの歳くらいまでは、親に連れられて遊びに行ったことがあるけれど、中学生になる前後ではもうあたしたちの興味は、他の新しいものへと移っている。
社会科見学の一環で、あらためて訪れたときには遊園地の占める面積は半分ほどに減り、その分をお城の案内と、出し物をするスペースに占拠されていたわ。
すでに市が、お城そのもののクローズアップに力を割いているのは、少し前からの広報誌で報されている。
きっとそのあおりを受けたんだと思いつつも、つい懐かしさから元遊園地周りを私たちが歩いているとき。
ふと、グループの一部の人が足を止めて、見上げ続けているものがある。
観覧車。いまだ稼働を続けている、限られた遊具のひとつだったけれども、カゴの多さに対して乗っているお客さんの数は多くない。平日の昼間だし、仕方ないところでしょうね。
その子たちは声をかけても、しばし動こうとせず。二度目の声掛けで、そろって服の袖で、顔をぬぐうようなしぐさを見せた。
ようやく振り返った瞳も心なしかうるんでいるし、その周りの肌も妙に赤みがさしている。
泣いてた? なんて改めて問いただすこともないくらい、はっきりしたもの。
ノスタルジーを感じたのだとしても、泣き出したのは5名。そのうち2名が男の子よ。
当時のあたしにとっちゃ、そんなことで泣くような男がそうそういるとも思っていないし、それが5人まとめてというのも変な話。
玉ねぎでも目にしみたの〜、とか周りの子たちが茶化す中、私もつい観覧車をてっぺんまで見上げてしまったのね。
先ほどまでは、カゴたちが成す大円のうちの半ばほどまでしか見ていない。だからなんともなく、眺められたのかもしれない。
でも今は、これから頂に手をかけんとする赤いカゴの姿を、まなこに収めている。
先にちらりと見た時には、誰も乗っていなかったカゴ。それを昼下がりの陽が、ちょうどガラスを貫くこのアングルから見上げると。
座っている人の姿があったの。
逆光の影になって黒くなりがちだけれど、こちらへ横顔を向けた二人が、向かい合って腰を下ろしている。
向かって右手は、こう離れていても分かる豊かな髪の持ち主。窓から見える範囲でも、なおその先端を見ることができず、カゴの壁面より下へ隠れる長さ。
今どき、あれだけの髪を持つ人なんて、そうそう多くないはず。けれども私の気をさらに引き付けるのは、その対面に座る人物。
カゴの天井にまで届くかと思う、まとめ上げた髪の毛だった。
茶筅まげ。それこそ現代の人で、このような奇抜な髪をする人など、そうはいない。
演劇関係の人か、よっぽどの目立ちたがり屋。あるいは歴史にまつわる行事の際に、体裁を整える時くらいしか……。
そう思うやいなや、ぎゅっと視界全体を外から押さえつけるようにして、にわかに彼らの姿がゆがんだ。
ゆがみはたちまち広がってカゴを、観覧車全体を、そのそばに見える木々や空の雲たちも、一様にモザイクの中へ落としこんでいく。
泣いていた。
私の両目は涙をなみなみたたえて、目の前の景色をまともにとらえられなくしていた。
無性に湧き出るそれらは、ぐっと拭っても、また観覧車のてっぺんを見ようとすれば、おのずからあふれ出す。
ついには塩をまぶされたような、「沁み」まで感じはじめて、ついに顔をそむけちゃったわ。私も先の5人と同じ道をたどり、面白がって後を追った他の班員たちも、二の舞三の舞となってしまう。
その感覚は、あまりに強烈すぎた。たとえもう見上げることをしなくとも、あのカゴと二人の影をまぶたの裏に浮かべれば、眼のほうが自らうるおいを求め始めてしまうほどにね。
体験した班のみんなも、同じような姿を見たらしいの。
歴史に詳しい子だと、あれは昔のお姫様と殿様、あるいはそのような身分の高い武将のかっこうじゃないか、とね。
私は満足に確かめられなかったけれど、涙に濡れるより前に見えた二人の格好は、十二単に紋服の姿だったと、目のいい子は話してくれたのよ。
あらためて見てみようにも、すでにあの赤いカゴはもう下がりにかかっているし、集合の時間も迫っている。もう一度、悠長にカゴが回るのを待ってはいられず、私たちは引き下がるよりなかったわ。
それから、観覧車が撤去されるまでの間。
私たちの近くでは似たような体験をしたという話が、ちょくちょく持ち上がったの。
長くは続かなかった。件の人影を見て、涙がにじんだと話す人もいれば、全然そんなことがないという意見も多くて、さしたる流行にはつながらなかったの。
ならばと条件などを深く検証するより前に、観覧車はなくなってしまい、結論を得るには至らない。
ただあたしを含めた体験組には、その証拠だといえる特技がそなわった。それが先ほども見せた、ひとり涙ぐみ。
あのとき、陽の光つらぬくカゴの中にいた、二人の姿。細部をはっきりとらえたわけでもなく、実際の目前にいるわけでもないのに。
意識に浮かべるだけで、二人の姿を覆いつくさんと涙の幕が下りてくるの。それはあれから、何日経とうと変わることなく。
祖母が話していたわ。
生きている人の涙は、供養のひとつだって。亡くなった人は、その涙の中で生き続けることができる。それが死後の辛さを和らげてくれるんだって。
きっと私たちが見た二人は、生きているときも亡くなってよりのちも、つらい目に遭っている。それを感じた私の神経が、あるいは心が、魂が、自然と労わる動きを発したのだろうとね。
おそらくこの城にゆかりある者だろうけれど、なぜ観覧車のカゴの中に現れたかは分からない。復元されるより前のかつての天守と、ほぼ同じ高さに上るためじゃないか……というのは私の予想。
で、このごろ気づいたんだけど。この一発芸には、どうやらおまけが付随しているみたいなのよね。
ほーら、つぶつぶ。あんたの首元をもう一度、丁寧に触れてみなさいな。
どう? すんごく長い髪の毛が絡んでいるでしょ?
あんたのものでも、あたしのものでもない。たとえあんたの首回り、窒息するほど巻いたところで、なお余ってしまいそうね? フフフ。
そう、あれを思い浮かべて、あたしが涙を流すとき。ときどき、とっても長い髪がそばに現れることがある。
意識しなければ、と思っても、最近は夢とかで見ることが多くなってね。起きるとこういう長髪がベッドのそばに何本も出てきたりしてるのよ。
おそらくは、あの時に見た女の人のものじゃないかと思うのよね。ひょっとすると、彼女らは死後の「おつとめ」を終えて、またこの世に戻ってくるのかもしれないと私は思っている。
かつて彼女らが持っていたものが、こうして現れていく。私が非協力的だとしても、あのときに彼らを見た面々へアプローチしていくかもしれないわ。
髪以外のすべてが、いずれそろう時が来たなら。
私たちはようやく彼らの本当の姿を、目の当たりにすることになるのかしら。