6 審判編 ~Were ya born in a burning?~
◇◆◇
プライドは誇れなかった。
女性らしくなれない自分の身体を。
男のような低い声は耳障りだ。丸みの帯びない肉体の輪郭を削り取りたい。
どんどん伸びる背丈は、父親を追い抜いた。誰よりも早く走り、喧嘩に強くになっていく。
だから10を過ぎた頃からか、女性の恰好をしなくなっていた。
「お前は男である方が、生きやすい」
新しく街に配属された刑務官が、街で見かけた私を部下に欲しいと言った。
腕っぷしがあり、住民のことに精通する相方が欲しいのだと。
それを聞いた両親は、私が女であることを隠して推薦した。
「確かにその通りだ」
その時頷いてしまったことを、私は生涯悔いることになった。
刑務官としての仕事は順調だった。
服を着こめばまず男性としてバレない。言葉も小さく、端的に。
誰かに脱ぐよう言われれば、醜い古傷を見せたくないだの、襲われたときに少しでも身を守るためと言って誤魔化せば、納得された。
何より、処刑人に関わりたいと思う人間など殆どいない。
遠くから見惚れる女性はいようと、血の匂いに近づきたがる者となれば限られていた。
それで良い。私にとってはそれが生きやすい世界だった。
薬屋の女を、魔女として捕らえたときも、私はただ粛々と仕事を行っていた。
神父の尋問時にも、万一の護衛として壁際に立って話を聞いていた。
魔女の話し声は透き通るようで、しかしゆったりと捉えどころがなく、海のさざ波の音を聞いているかのようだった。
質問にはしっかり答える。反抗的な態度もない。己を魔女と認めている。
だというのに、私は眠気が湧くほどの疲れが貯まり、神父もただ話しているだけなのに疲れが貯まったらしい。
「おい、私は一旦外に出る。すぐ戻るから、こいつを見張っていろ」
そういって扉を乱暴に開けて、出て行ってしまった。
部屋には私と魔女の二人だけが残る。
気をつけろ。相手は穏やかな女性とはいえ、魔女だ。
極力目を合わせないようにしていた私だが、つい彼女の瞳に吸い込まれていた。
「あなた、すごい秘密をお持ちなのね。男装し続けるのは疲れません?」
「なにを……」
「隠さなくても良いんです。誰にも言いませんし、私の知り合いにも、似た方がいますから。彼女のほうは、むしろ隠すのではなく自分の心をさらけ出していますけどね。とても楽しそうに生きていますよ」
そう言って魔女は笑った。
衝撃的だった。私の秘密が暴かれたことではない。私と似た存在がいることだ。
それが誰なのか知りたかったが、魔女は時間がないと言った。
「私にできるのは、未来への布石を打つことだけなのです」
「なんのことだ」
「さあ、何のことでしょう。でも、お話して頂いたお礼に、これを差し上げますね」
そう言って魔女は、小さな瓶を私に渡した。
受け取るわけにはいかないはずなのに、それは私の手に渡り、懐へしまい込まれた。
「指先で一掬い、それを肌にこすり付けるだけです」
「おい、何を話している?」
横を向けると、丁度神父が返ってきたところだった。
魔女は驚くこともなく、微笑んでこう言った。
「私の好きなことについてですよ。私、美しいものが好きなのです。それがいつか、更に輝いて欲しい。私が死んだ後にも」
「ふん、意味が分からん」
それが魔女と交わした唯一の会話。
魔女はそのまま裁判で有罪となり、炎に炙られ処刑された。
私の懐に、贈り物が入ったままだった。
その日の夜、私は左手にそれを少しだけ塗った。
毒かもしれないと恐れる気持ちはなかった。魔女の言葉が何を意味するのかが知りたくて。
「……これは」
一分にも満たなうちに、剣を握り、力仕事ばかりでゴツゴツとしていた掌が、丸く小さくなっていく。
ひび割れが消え、筋肉は縮小し、表面に艶が出てくる。
「魔法薬とは、本当にあったのか……」
驚きが口に出た。
指先にはまだ薬が残っていた。
腕へと塗る。肩へと塗り、その高価を確かめる。
手鏡を持ってきて左右を見比べると、左右で別人のようだった。
右側には、まるで淑女のようなすらりと長く細く、きめ細やかな女の手。
女の、手。
どきりとした。
むかし捨てたはずのある感情が、高鳴った。
馬鹿な、私はもう女性であることをやめたのだ。今更、今更この程度のことで。
けれど、試さずにはいられなかった。
この小瓶だけでは足りない。翌日、協会の押収した魔女の遺品を漁り、同じ色と匂いの薬を探し当てた。そして夜になると、それを全身に塗る。
身体が厚い。全身の姿が大きく変わっているのがわかる。見た目は? 震える手で、姿見にかけていた布を外す。ばさりと音がして、目の前には。
幼い頃成りたかった理想の姿があった。
このときからだ。私の中に狂おしい感情が生まれた。
今迄は着たこともない女性らしい服を密かに買った。
短く切った髪の長さは薬でも変わらなかったため、特別に長いウィッグを買った。
そして毎晩、姿見を眺める。そこには満面の笑みが映っていた。
けれど、密かな幸せはそう長くは続かない。
魔法薬の効果は、一夜にして切れ、元の太くゴツゴツとした体に戻ってしまう。
加えて、空の薬瓶も増えてきた。私は、何度夢を見れるのだろうか。
あの魔女が住んでいた薬屋の部屋へ行き、まだ薬の残りがどこかに隠してはないか探したこともあった。当然、床下までひっくり返したところで見つかりはしなかったが。
最後が近いのなら、一度だけ。
この姿のまま、街を出歩いてみたい。
狭い部屋で怯えながらこの姿を楽しむのではなく、堂々と外を歩いて、この美を体感したい。
自分の正体がばれる恐れはなかった。普段の私とは、あまりにも姿が違う。
仕事の終わった夕方から夜、そのときに出歩いてみよう。悪漢に襲われるかもしれないが、何、身体は乙女だろうと武器の技術は依然変わらない。そうして私は、初めて外へ出た。
すごい、道を歩くことが、こんなにも楽しいことなのか。
体型が変わったために、歩幅は小さく、服もひらひらとして歩きにくい。
だというのに、足取りが浮つき、そのまま蝶となって空へ飛んで行ってしまいそうだ。
私は窓ガラスに映る姿を何度も覗き込み、その度に頬を緩ませる。けれど、夜の道では全身をはっきり見れる鏡はない。
……そうだ。湖へいこう。
あそこは水面という天然の鏡がある。
そして一人、この思いを味わい、心を落ち着けるのにふさわしい場所だ。
そして私は、そこで星々に照らされた自分の姿を見た。
迂闊だった。かつて、水面に映る自分自身の姿に見惚れて、湖に飛び込んだ人間の御伽噺を聞いたことがある。
そのときの私は、まさしくそれだった。
ぞくぞくとした興奮が抑えきれなくなり、周りに誰もいないことを確認して、その場で服を脱ぎ捨てた。草木やその影に邪魔されず、もっと、私の姿を味わいたい。
ああ、水に移る私の姿!!
美しい私の姿が、求めていた私が、私の四方で、何重にも水に反射して映り込んでいる。
歓喜の涙を流すその姿さえ、愛おしい。それは私が生まれてきた中で、一番の快楽だった。
それからは何度も、夜の湖を訪れた。
色の違うウィッグで髪型を変え、様々な服装を着ては、道を歩いた。
だが、何度目かのとき
暫くその感動を味わった後、私は岸に上がり、服を着ようとした。
が、夜闇に慣れた目は、奥にジッと座る人間を見逃さなかった。
幸い、武器はすぐ側。相手が何者であれ、すぐ捕まえて、押さえつけることはできる。
が、私がナイフを握ったとき、相手はこちらへ飛び掛かってきた。
「!?」
それは、こちらが武器を持ったからにより、殺されないようにという抵抗だったのかもしれない。あるいは、私の裸を見て欲情したせいなのかもしれない。
どちらでも関係なかった。そのときの私にとっては。
生まれて初めて女となった私が、初めて肌に手を伸ばした男を前にどうなったか。
そのときの私は、生娘よりも女性であることに不慣れで、つまりは男に対する耐性がなかった。
悲鳴を上げたかもしれないし、羞恥で耳まで顔を赤く染めたかもしれない。
ともかく記憶が吹き飛ぶほどに私の心は飛び跳ね、身体は暴れまわった。
そして……目を覚ますと、男が死んでいた。
(どうする……?)
私は考えた。
魔法薬を使ったこの姿で、彼を抱えて医者や教会に飛び込むわけにはいかない。
では、このまま捨て去るしかない。罪を背負うことに顔が青ざめたが、何度考えても、これは仕方のないことだったという結論に至った。
私は一旦家に帰り、朝まで自分の姿を鏡で眺め続けた。
そしてふと、思い出した。今夜が最後の薬だったのだと。
このまま鏡の中の私は、元の自分に戻ってしまうのだろうか。
それならそれで良い。私は、今夜のことを夢として忘れられる。
そう思った。
だというのに。
人を殺してさえいながら、私はあの夢を諦めることはできなかった。
あの薬を再現すべく、無花果を買いこんでその果汁を肌に塗った。
しかし、もう二度とあの姿には戻れない。今の私はみじめな姿のままだ。
それを、私の自負心が許さなかった。
なぜ、元の姿に戻りたいと思ってしまったのか。
あの魔女と親しかったアイツのせいだ。
街中でリィンと言う女を見つけた。そう、あれは確か魔女と仲が良かった奴だ。なぜあいつは、あんなに可憐な衣装とそれに似合うだけの美貌を持っている? それはきっと、魔法薬を持っているからに違いない。そうに違いない。魔法で己の美貌を偽るとは、罪深い。私がこんなに苦しんでいるというのに、なぜアイツだけ女らしい美貌を誇って街を歩ける。私が裁かねば。アイツに罪を着せ、魔女として有罪にしなくては。魔法薬も奪わねば。だってそうだろう。
私は美しい。
美しいからこそ、何をしても許されるのだ。
◇◆◇
「プライド、貴方が女性であれば、この街に出没した謎の女性の正体だと推測がつきます。エヴィの証言によれば、この街の女性の誰とも違った。ですが、貴方と比べた場合はどうでしょう」
「……そう、私が見たのは、こんな感じの女性だった……」
嫉妬を忘れ、半開きにしたままのエヴィが答えた。
プライドはその場に膝から崩れ落ちる。
「では聴衆の皆さん。宜しければ、これからプライドの家へ行ってみましょうか。もし彼が犯人であれば、目撃談にあった三つ編みで緑髪のウィッグ、あるいは殺人の際に血が付着したままの服が見つかるかもしれません。ウィッグが複数あるのなら、目撃談や現場に落ちていた毛とも裏付けが取れますね。それでもまだ違うというのなら、私たちはまた犯人を一から捜さねばなりませんが……その場合にしろ、ここにいる嘘をつき続けた女性を、教会はどう裁くべきかについて考えなくてはならないですね」
私は、プライドの前でこう言った。
「それでは、被告。罪をお認めになりますか」
女は、顔をあげ、躊躇し、顔を下に向ける。
目を伏せ、唇を震わせ、歯ぎしりの音がする。
やがて
「はい……」
小さな声がした。
「と、言うわけです。これにて裁判を終了いたします」
私は台の上に再び歩き、深々とお辞儀をする。
既に周囲を覆う炎は消え、街は正常に戻っていた。
「まてよ、まだ終わっていないぞ」
聴衆から声が上がる。
そうだ、そうだと声が上がる。
「あら、私何か忘れていましたか」
「そいつは有罪なんだろう。だったら罰を与えなくちゃいけない」
「そうだ、判決がまだだ。そいつにどんな罰を与えるんだ!」
「首吊りか、火あぶりか」「いや、アイツは俺たちを騙し続けてきた上に、二人も殺したんだ。もっと重い罪を!」
「「「罰を下せ、罰を下せ!!」」」
人々の罵声が沸き上がり、やがて一つの掛け声となる。
このまま何も言わなければ、彼らの不満は収まらない。
決着をつけねば、この事件は終わらない。
「そうですね、ではプライド」
私はそのぐったりとした肩に手を当てた。
「一緒に来てもらいましょうか」
「……どこへだ?」
小さく声が返ってきた。
うーん、どこがいいだろうか。普通に考えると処刑台の上だろうけど。
「行先は悪魔次第です。ねぇ、バトラー」
(ハ、お呼びでしょうか)
「魔力はまだ残っている?」
(ええ、僅かばかり)
耳元でした声に私は答えた。
プライドは虚ろな目ながら、何と話しているのかと眉を潜める。
この騒ぎを収める方法はただ一つ。
「私と彼女を、遠くへ逃がして」
(承知しました)
私とプライドが、この場所からいなくなることだ。
次の瞬間、この街から私たちの姿は消えていた。
サブタイトルの意味は古い英語の慣用句"Were you born in a barn?"のもじりです。意味は「ドアを閉めろ」だそうです。