1.7 Projective geometry 射影幾何
部屋は闇に満ちていて、戦っている大教会の先生の周辺だけが丸く光って見える。
「今日は運が悪いな」
僕は準備しておいた防衛魔法をあたりかまわず展開した。空中に浮かぶ魔法陣は、僕達を半球で取り囲むような軌道で動き回る。戦闘の余波で飛来する流れの攻撃魔法が、魔法陣の軌道上でただの閃光に変換された。
「うわっ!」
「魔法の範囲外に出たら、命は保証しないよ」
空中に展開された魔法陣たちのそれぞれが青い軌跡を描いている。
「これから僕は先生にポーションを渡してくるから、ふたりはここで逃げ道を確保しておくように」
「わ、私達はここで大丈夫なの?」
「そうだよルークン、あそこで戦ってる先生に加勢しないと! リズィの魔法だってあるだろ。壁をガラスみたいに溶かした魔法が!」
「レベルの差がわかんないの!? リズィの全力の魔法がちっぽけに思えるくらいの魔力なのよ!!」
リズィちゃんが震えた声で叫ぶ。超階の外からでさえ嫌な予兆を感じることのできた彼女は、実感する魔力放射の強大さに怯えているんだ。
僕は空中を動いている魔法陣を指差す。
「これが動いている範囲内にいる限り、君たちに攻撃を加えることはできない。たとえ、今より段違いに強い魔法が直撃してもね」
攻撃魔法には“何かを攻撃する”という強い特徴があって、それを逆手にとった堅牢な対策が確立されている。これについては、また別の機会に述べようと思う。
この攻撃魔法への対策はかなりのお金がかかるけれど、僕は子どもたちを、どんな手を使っても生還させるつもりだった。
「そしてこの魔法は、範囲内の魔力が尽きるまで効果が続くんだ。リズィちゃんの魔力とマヒロ君のポーションがあれば、安全地帯が維持できる」
逃げ道の確保をふたりに頼んだ後、自分用に新しく防衛魔法を1つ展開して走り出した。
戦場に近づくにつれて、熾烈な魔法戦特有の風音が聞こえてくる。魔力放射が非常に強くなると、魔力場を伝播する途中で空気がかき乱される。すると、強風が吹き荒れるのと同じような音が聞こえる。
「ククク、新しイ生け贄がやッて来たか」
「っ救援か!? こいつはレベル200以上の低位悪魔だ!! 君が銅星ならすぐに逃げろ!」
手足が獣のような黒毛に覆われ、山羊のような獣顔をした低位悪魔。赤い2重瞳をこちらに向け、尖った牙を見せながら笑っている。
それに向かうのは白い法衣を羽織った大教会の先生だ。先生は片手に光の魔法剣を構え僕を庇うような立ち位置に下がる。
「逃がすとでも思ッてイるのか? 」
低位悪魔は右手をかざすと、いくつもの黒い弾丸が放たれた。詠唱破棄での魔法攻撃だ。その小手調べは、僕を中心に大きく周回する魔法陣の軌道上で光へと変換される。
僕の目の前で身構えていた先生は、それを見ると1歩下がって僕の横に並び、法衣の袖で額をぬぐった。
「やるじゃないか、創作魔法か?」
「僕は術理院会員です。子どもがふたり、取り残されていると聞いています。状況を教えてください」
「術理院会員…!? まさかダンジョンに潜ってるとはな。教え子たちはそこの結界の中に寝かせてる。ちくしょう、俺が来るのが遅かったせいで魂を抜かれちまったんだ」
僕は預かっていたポーションを先生に渡しながら、質問を重ねる。
「魂を戻す方法は?」
「《祝福》を使いたいところだが、こうも光精が少ないとな…」
光精がどういうものか僕にはよくわからない。術理院と大教会では魔法体系が大きく異なるためだ。とはいえ、何かしらの対応策を講じる必要がある。
「系内の魔力場の対称性を上げてみましょう。できれば、低位悪魔が場に及ぼす影響を弱める切っ掛けが欲しいところです」
「よく分からんが、奴を叩けば良いってことだな」
僕は魔導書から目的の魔法陣を転写する。特別で高価な紙とインクがどんどん減っていくけれど、気にするのは後だ。
「何の相談か知らなイが、脆弱な下等種共が何ヲした所で無意味だ。力の差がどれほどのものか教エてやろウ! 闇法《黒陽滅波》」
「攻撃魔法が無力化できることはわかっている」
低位悪魔が放った黒い波動は、動き続ける魔法陣の軌道上で阻まれた。
「……何故だ、オ前ごとき低レベルの虫けらが何故防げる? 魔法陣ヲ使ウ術師は封印されるにもイたが、全て捩じ伏せられた筈だ!」
「僕たちは進歩している。この魔法陣ひとつだって、長年の研究の上に構築されているんだよ」
今日使っている防衛魔法は僕が術理院を修了するくらいに初めて実用化されたものだ。そう簡単には語り尽くせない理論と技術が詰まっている。封印で停滞していた低位悪魔では突破は難しいだろう。
特にさっきから展開している移動式の魔法陣は、入口に仕掛けた固定式の倍は高価で、それだけ高機能だ。
「では先生、防御は大丈夫なので、攻撃はよろしくお願いします」
「待て。君も共に攻撃するんじゃないのか? 光精が少ない今では、俺は思うように戦えないんだぞ」
「困ったな。僕の攻撃魔法は銅星1相当ですから」
「なんだって!?」
貰っていたポーションを水のように飲みつつ答える。
「ククク、攻め手が無イとは笑わせる。ならば、オ前達の魔力が尽きるまで攻撃するまでよ!」
「きつい試練だ!!!」
先生が光の魔法剣を振りかぶって悪魔に走り出す。すると、先生の横を斬撃が通り抜け、低位悪魔の片腕に傷が走った。
「海越流『飛燕』!!」
「ぐっ! も、もウ一匹居たか…!」
マヒロ君が推参。魔法陣の外に出ないように言っておいたのに。ただ意外なことに、レベル200以上の低位悪魔に攻撃が通っている。
いきなり強くなるなんて、僕の知らない薬で強化でもしたのかな。
「君の仲間か!? まだ子どものようだが、飛ぶ斬撃とはな。俺も負けてられん! 行くぞ!」
「ああ、俺はこっちから!」
ともかく攻撃が通ったなら、光精というものを増加できないかやってみよう。
僕は射影機能を持つ魔法陣を展開した。
魔法陣の幾何学模様が、地面に大きく伸びていく。夕暮れに影が大きくなっていくように、地面を覆い尽くす大きな魔法陣の影が落ちる。
「雑魚どもがア! む、何だ!? 何時の間に魔法陣ヲ描イたのだ!?」
「僕たちは進歩している。毎回ガリガリ魔法陣を描く時代は終わったよ」
射影幾何では長さや角度、面積は変わるけれど、点や直線の位置関係は変わらない。簡単な魔法を表現するにはこれで十分だ。
「先生にマヒロ君、いずれ魔力場の対称性が上がってくると思います」
「術理院式の結界か! 言ってることはよくわからんが、どれくらい待てばいいんだ!」
「時間の計算はここではできないので、詳しいことは分からないですね」
「「おい!」」
息はぴったりみたいなので、前衛は大丈夫そうだ。
「確かにアイツさぁ、時代遅れっていうか、なぁんかザコっぽいよねー? それはボクも同感だなー」
すぐ後ろで妙な声がしたので振り替えると、リズィちゃんがいた。
リズィちゃんがいた?
いや、それはおかしい。
何か、おかしいことが起こっている。
「平和ボケしてる奴らを鏖にしようってのにさぁ、なんでこんなクズ共といい勝負してるわけ?」
「ちょっと待ってリズィちゃん。どうしたの」
無邪気に虫を殺すかのような声色と口調だ。
可愛らしい顔には既に影が落ちていた。
これは……。良くないことが起こっている気がする。リズィちゃんが受け継いだ呪い関係で、良くないことが起こっている気がする。
例えば、リズィちゃんの呪いは実は高位悪魔の封印術式だった、とか。
「オマエの殺意、ボクがもっとうまく使ってやるよ」
「また餓鬼が増エたか!…イや、まさか、その魔力はッ………!!」
先生とマヒロ君が対峙していた低位悪魔は、苦悶の黒い塵と化して、渦を巻くようにリズィちゃんの方に吸い寄せられていった。
「む、魂が戻ってきた! よくわからんが良し!! 祈法《祝福:大いなる救済》」
「ルークン、これどうなってんだ!?」
「先生、マヒロ君。ふたりの子どもを抱え、この超階の外に移動してください。すぐに」
リズィちゃんがこうなったのは、僕が魔法を使えるように介入したせいかも知れない。
入門クエストだから変なことは起きないと思っていた。しかしここは超階もあるような特殊な構造のダンジョンで、おまけに僕は術理院会員だ。冒険神の庇護はあまり期待できない。
「ああ、こいつらを避難させてくる。君も気をつけろよ」
「え、ちょっと、行っちゃうのかよ! ああもう! ルークン、俺は残るぞ!」
「死んでもらうと大変なんだけれど」
僕はパーティリーダーとして入門クエストを成功に導く義務がある。どんな手を使ってでも生還させるつもりはあるものの、あまり無理してほしくないな。
「黒い霧が、晴れていく…!」
「青肌に巻き角、やっぱり高位悪魔か。金星等級だろうな」
子どもサイズの高位悪魔の足元に、リズィちゃんが倒れている。てっきり身体を乗っ取ったまま脅しに使うものだと思っていた。
「ずーっと封印しやがってさぁー。このガキんちょ、あのビッチの血を引いてんだろ? ボクの手でドフグにでもしねーと気が収まらないんだよッッッ」
「マヒロ君、こういうときこそ冷静に、っ…」
「くっ、『飛燕』!!」
リズィちゃんを蹴り潰そうとする青脚に対し、マヒロ君が瞬間で距離を詰めながら斬撃を飛ばす。
薄ら笑いを浮かべた高位悪魔は、リズィちゃんを蹴り上げていた。
意識の無いリズィちゃんは、斬撃をモロに受けてずんばらりと分かれていった。
即死だ。
「あははは!! バ~カ! 仲間殺しちゃったねぇー。ねぇねぇ、どんな気持ち? おらおら、はっきり答えろよぉー」
「…ち、違う。俺はそんなつもりじゃ……」
マヒロ君は斬撃を飛ばす際に距離を詰めたので、高位悪魔と僕の間、魔法陣の軌道外に出てしまっている。
「ちゃんとビッチに伝えろよ、俺がぶった切りましたぁ~ってさぁ!!
「そんな、うあああ゛――――っ」
「んー、ゾクゾクするぅ~」
赤い泡を吹いて倒れ込むマヒロ君。僕が見で追えない動きで、高位悪魔はマヒロ君の心臓を潰していた。
即死だ。
悪魔は亡骸をゴミのように蹴飛ばし、血濡れた手を舐めると、顔をしかめて唾を吐いた。
ふたりとも死んでしまったので、このままではクエストは失敗だ。僕はこれをどうやって報告すればいいのだろう。
青肌の高位悪魔は僕の目の前まで飛んでくると、首を傾けて嘲笑い、斜め下から僕を見上げた。
「これ全部、オマエが封印弱めたおかげだよ。ねぇ、わかってんの?」
「たかが銅星3等級の冒険者が高位悪魔の封印を弱める、それがこのダンジョン内では許されているってことが、わかってる」
そして入門クエスト中の冒険者ふたりが、復活した高位悪魔に殺される。普通ではあり得ないそんな現象が、この超階で許されている
今この世界では、自然には起こらない現象が実現する。
僕は子どもたちを、どんな手を使ってでも生還させるつもりだった。
「悪魔には惡魔。どうか助けに来てほしい」
僕はポケットに入れておいた召喚用の魔法陣に、冷静かつ慎重に魔法を行使した。