3.14
あーあ、わくわくした冒険も、またここで終わりか。ぼくはもっと続けてみたかったな。
でも、いつも刻は来る。
ぼくは神が通る門になり、ぼくの神を召喚するのだ。
高々有限の世界に神を喚ぶために、ぼくを門にする。ぼくはまたぼくじゃなくなって、世界は耐えきれずに終わってしまうのだ。
でも、それでもぼくはまた、大切な世界じゃなくて、こっちを選ぶよ。
「みなさんごめんなさい。この世界の終わりは、ぼくが始めました」
そう言ってぼくは、手を空にかざして作った影の中で、お月様みたいに笑う。壊れて亡くなった世界と、罪無き亡者に負う罪責に、負けないように。壊れないように。
だって、後ろ言葉《バックワーズ》を詠唱するのは、ぼくなのだ。
「総然は調変に」
「優儀巡」「廻厳霞」
「由自へ月錐」
「既過に則法は異罵に既皆」
「外迷路性回亜質」
「混惑し共路へ幻沌」
「満ち秘奇につき重翳し」
「待進続ける」
ぼくは、ぼくは、
ぼくは、神を召喚して世界が壊れることを知っていた。
神を召喚して世界が壊れないって、ぼくは知っていた。
世界を壊すのはぼくじゃないって、ぼくは知っていた。
ぼくは、世界を壊すのはぼくであることを知っていた。
ぼくは、ぼくを壊すのがぼくであることを知っていた。
ぼくを守れるのがぼくなんだって、ぼくは知っていた。
ぼくには不可能なことが、ぼくには可能なのだ。
終わりゆく世界で、ぼくのここだけはぬくもりが、ドキドキが感じられる。
手をあてているとぼくはなんだか、あたたかい気持ちになる気がするのだ。
そんなぼくの周りに、いろいろな色の模様が浮かんでいく。
丸や3角や4角の模様が、くるくる回りながら、互いに位置を入れ替えながら、次々と形を作り出していく。
やがて空間は新しい広がりを生み、平面が組み合わさって、立体を作り上げる。2次元ではできなかった3次元の対称性が、ぼくに映るのだ。
そのうちに綺麗な立体が組み合わさって、多胞体を形作る。ぼくが今まで何気なく見てきた4次元模様にも、3次元から広がった綺麗な対称性があった。
そしてその対称性は、群を使って記述できるのだ。
空間はどんどん広がって、それまでできなかった新しい構造が生まれていく。今まで行けなかった方向へ、どこまでも広がっていく。どこまでもどこまでも広がる自由さが、あのとき越えられなかったを超える刻を導く。
ぼくは知っていたけど、描けなかったのだ。
ぼくは描けたんだけど、知らなかったのだ。
ぼくは、ぼくが知らないことを知っているし、ぼくが描けないことが描けるのだ。
「ぼくはもう、ぼくを門にしない。なんたって、召喚士だから」
ぼくは空に手を翳して、宙に浮かぶきらきらした構造を掴んで動かしたり、つなげたりして、神を召喚する魔法陣を描き上げ、魔力を解放した。
いつのまにか、ユウマになんとなく似た貌をした何かがいる。
「ここにテキストを挿入」
のっぺりした音のそれに、首を傾げる。
「ぼくに何か言いたいのか?」
「おっと失敬、不馴れなものでね」
つぎのそれは、雌雄の種族やモンスターまで、色々な響きが混ざっていた。ちょうどいい具合を探しているみたいに。
「ラー♪ ラー♪ ラー♪ ふむ、こんなものかな。いやはや、私が使える器まで用意してくれるなんて、殊の外気が利くじゃあないか、ポータラトロープ」
その名前を知っているということは、ぼくが召喚した神なのだ。
確か、名前は。
「クラムルフォネール、ぼくは進歩している。他の刻ではできなかったことも、できるようになったのだ」
「それは素敵だ。同じことを繰り返していても、飽きてしまうものね」
その神は、貌を色々変えながら何度も頷きを返す。
魔法陣のはしっこに落ちてたユウマの器が気に入ったようだ。きっと、不思議な異世界の存在と親しくできる性質を持っていたから。
「その点、こいつは面白そうだ。キャラ設定…というのだったかな? は、変えさせて貰ったけどね。どうだい?」
「かわいい格好なのだ」
「これは、巫女服というのだそうだよ。期間限定装備、らしい」
黒の髪は降りて腰まで流れ、白いゆったりした上着の襟と袖口には赤いリボンが結ばれ、赤いスカートは腰で大きく結わいてある。
それと、やたらと胸元が大きく膨らんでいるのに気付いた。ぼくと違うのを不思議に思って、なんとなくぼくの胸をぺたぺた触ってみると、その手がぎゅっと握られた。
「くふふ、訝しむことはないさ。本当は私もそっち側になるはずだったみたいだからね。まったく、設定を弄るのにはか、な、り、無理をさせられたよ!」
両手で握られた僕の手がぶんぶん振られる。そこには暗さと明るさが同居しているようなのだ。
ぼくの神は、ぼくから離した手を空にかざして目を細める。
「さてさて、もうこんな時間。折角の御膳立て、無駄になる前にあっちの世界がどんなものか、見てくるとしよう」
ぼくの神は最後に振り替えった。
「そうそう、ポータラトロープ。向こうで逢ったら、私を神と呼ばないでおくれよ。さいしょからはじめるタイプなんだ、私は」
「分かったのだ。それなら呼び名は、 ラム ネ ちゃん、だな」
「くふふ、よしなにね」
ラムネちゃんは赤いリボンが結ばれた袖で口元を隠して妖しく微笑み、ぼくの世界の外に出ていった。
うーん、これからどうしよう。
刻の後にぼくのままでいたことはないから、何も考えていなかったな。
頭の横に指をあててちょっぴり考え、とりあえず後片付けに決めたのだ。
するとぼくは、近くに何かが転がっているのに気づいた。よくわからない、べちゃべちゃした管が撒かれた青い水溜まりに屈んで、それを覗く。
覗いたから。ぼくは。
全身の皮が裏返っていて、足が頭についてたり、お腹から出てる手に青い臓が癒着してたり、青黒い血でぐちゃぐちゃだ。
ぼくは、気付いたのだ。
「こんなとこでどうしたのだ? ねぇ、ルーちゃん…」
ぼくは。
僕は生きてはいるものの、肉体がめちゃくちゃに繋がってしまっているらしい。
慣れない魔法陣の作図作業に、身体がついていなかったためだろう。
このままでは何もできないので、魔法を用いて元に戻ることにする。
「角月の実虚」
「幻呪影を腫翳し」
「幾複網」「廻り柵路に」
「激急は」「螺旋先移」
「待進続ける」
後ろ言葉《バックワーズ》の一節を詠唱すると、僕の身体は獣人族の貌へと、元に戻った。
「ふー、間に合った。なんとか無事だな」
「ルーちゃん、色が違うし、なんか縮んでない? 」
「ラトちゃんも少し背が伸びて、髪も短くなってるな。ぼくと僕の対称性が、まだちょっぴり高いんだと思う。おかげで助かった」
「ふふ、ペアルックなのだ」
同じ高さにある目を覗き込むぼくの瞳の中には、髪が深く深い青に染まった僕が見える。
あの刻、僕とぼくを入れ替えても区別できない、対称性の高い状態になることができた。僕はぼくのできることが、ぼくは僕のできることができるようになったのだ。
僕も初めての経験で、こうして魔法の後まで形質が変わるのは想定していなかったけれど、チャンスには挑戦してみるものだ。
不意にぼくは何かを思い出して、俯いて手をもじもじさせた。
「ルーちゃん、ぼくは、召還してしまったのだ…」
「ラトちゃんを門にしないで召喚できて良かった」
従来の召還魔法では、ぼくは文字通りの門になってしまう。そうなったら、この世界とはお別れしなくちゃいけない。
新しい魔法が、進歩が今を可能にしたのだ。
「でも、召喚は、ルーちゃんたちの住む世界を終わらせるのだ。あの刻、ぼくが、もとの世界に、還らなかったから、」
下を向いたまま小さく震えて、空間を彷徨うまあるい模様の欠片が揺れる。
その光景は、きっと誰にも見つけられることのないもので。何ということもなく、僕はふと、ラトちゃんを抱きしめたくなった。
「僕はラトちゃんのしたい事なら、なんとしても手伝ってあげたいんだ」
同じ高さの背中に腕を回す。
「姿形が変わっても構わないくらいに、世界を終わらせる神を召喚することだって構わないくらいに、それ以上に僕は、」
言い終わる前に、ぼくは僕の口を塞ぎ、頭の上の何かを両手で捕まえた。
「っ、も、もう! そういうのはずるいのだ!」
「ずるいって、そんなこと言われても…」
僕を振りほどいたラトちゃんは、捕まえた何かを袖口から仕舞おうとしている。
「それ、僕の上に浮かんでたのだよね。どういうのだったの?」
「ないしょ! こ、これは…これは、ルーちゃんからのプレゼントとして、ぼくが大切に貰っておくのだ!」
袖を隠す横で、丸みを帯びた文字がてれてれ動いていた。
さしあたり、僕たちは街に帰ってクエスト達成を報告する必要がある。
僕とぼくは手を握って、構築した系の外に出る。そこには、あいも変わらず開けた森の風景が広がっていた。
下を向いていたぼくは恐る恐る顔を上げて、そのまま首を傾げる。
「あれ? 終わってない、のだ?」
「僕たちの住む世界がどんなに終わりそうになっても、世界を守れる誰かがたくさんいるからな」
僕たちだけで全ての問題を解決しなくてもいいのだ。
木漏れ陽の道を並んで歩き、ゆっくり街に戻った。




