3.1 Stochastic process 確率過程
科学風ファンタジーを目指す本作、いよいよ後半のChapterに入ります。
少しでも雰囲気を感じ取って頂ければ嬉しく思います。
確率という概念がある。
物事の起こりうる割合を指標化したものだ。
例えば、歪みのないコインを投げて裏表のどちらが出るかを考える。
表と裏が出る割合が同じとき、以下のように表現する。
表(裏)の出る確率は1/2。
「いや、コインが垂直に立つこともあり得る」
「空中でコインが消えることもあり得る」
という意見もあるかもしれないので、次のように確率空間を考えて記述してもいい。
Ω={ω | コイントスで起こる事象全て}
F= {∅, {表}, {裏}}
P(∅)=0
P({表})=1/2
P({裏})=1/2
起こりうる事象全ての集合Ωの中から、興味のある行儀の良い事象だけを集めた部分集合Fを作っておき、これを確率Pに対応させる。Fをうまく選べば、色々な確率を考えられる。
今回の例では、歪みのないコインを投げて表(裏)が出る確率は1/2となる。これは、表と裏の回数を数えながらコイントスを繰り返し続けると、表と裏が同じ回数に近づいていくことを意味する。
ただし、同じ回数に近づいていくまでに、表と裏が同じように出てくるとは限らない。実際にやってみると、例えば7回連続で表になる、といった結果は良く得られることに気付く。
詳しい説明は成書に譲るけれど、確率が収束する過程は実際に計算することができて、
コイントスでは下のような均一な区間よりも、
\/\/\/\/\/\…
…/\/\/\/\/\/
どっちかに少し片寄っている区間が多いことが示せる。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\/ ̄ ̄\/…
…\_/\_______
この確率過程は逆正弦法則と呼ばれ、良く知られている。
もちろん、現実の問題はこんな単純に表現することはできない。でも僕たちは確率という概念で、物事の起こりやすさをある程度説明できるようになった。
ところで、コインが表なら勝ちで裏なら負け、という遊びを繰り返してみる。
これまでの議論から、全体の勝ち敗け回数が同じでも、勝ち越している時と負け越している時に分かれやすくなると言える。
この際、勝ち続けていると運が良いと感じ、負け続けていると運が悪いと感じるだろう。例え、その状況が確率的に最も起こり得ると知っていたとしても。
運勢は、物事の起こりやすさではなく、その者の置かれた状況で決まる。
「ルークン様、再三のことですが、冒険規定は守って頂かなくては。クエストの安全管理や賃金規定のために」
「運が悪いんです、運勢が」
冒険者ギルドのカウンターでカナリアoさんに報告する。
僕は、ダンジョン帰還率が著しく低下した原因解明のための、緊急調査クエストを受けていた。現地に行ったところ、僕が元に戻しておいた冒҈̸̷̴̶̲̄̅質҉̸̷̴̶̲̄̅が原因で、たくさんの冒険者が正気を失っているという、良くない状況だった。
僕は魔法と薬をふんだんに使ってやや強引に対応してきた。もちろん赤字だ。
「いくら僕が術理院会員だからといっても、規定外にならざるを得ない状況があまりにも多いと思います」
「それでは、፠፠…失礼、何らかの介入で、運命に影響が?」
「良くわからないので、1度教会に行こうと思います」
「教会に、ですか」
カナリアoさんは珍しく驚いたように眉を上げた。
術理院会員といっても術理院の外で暮らす僕のような会員は、神の庇護下で生活するために、たまには教会にお祈りに行く。庇護下から大きく外れてしまうと、通常では有り得ない運勢に陥る懸念が生じるためだ。
例えば、飲んでいる水が熱湯と氷に分かれたり、寝ていたらベッドをすり抜けて地面にめり込んでしまったり、自分の周囲だけ空気がなくなって窒息したりといった事故に。
あるいは軽いところでは、田舎の草原で神話級モンスターのドラゴンに遭遇したり、入門冒険者の引率中に高位悪魔が復活したあげくパーティメンバーが殺されたり、冒涜的な狂怖が暴走しているダンジョンに送り込まれたりといった事故に。
なけなしのクエスト報酬を貰うと、僕は横の買い取りカウンターで聞き耳を立てていたソフィーさんの方に移動する。
「というわけでソフィーさん、しばらく店を閉めるので、その間はギルドに販売を委託します」
「しばらくって、遠くまで行くの? 街の教会に行けばいいのに」
「僕は信仰をほとんど持たないので、いろいろと都合があるんです」
運勢を良くする方法は僕には分からないため、神の啓示を聞く司祭以上の大教会徒に教えて貰う必要がある。経験上、教えを乞う際には何らかの試練が用意される傾向が強い。
ここで重要なのが、試練の内容が司祭の感性によって全く異なることだ。
試練は教会の雑用とか、モンスター討伐とか、神託を得る司祭の解釈によって色々な形をとる。よって、僕たち術理院会員が達成しやすい試練を出してくれる教会を選ぶことが大切だ。
ソフィーさんは頬杖をつきながら委託品のリストを確認する。
「ギルドに卸したら儲け減るのにもったいないなー。で、どこまで行くの?」
「メリアンスです。あそこの司祭は術理院会員と相性が良いので」
お金を払うという明快な試練からも、術理院会員には評判の教会だ。
旅の支度をしに帰ろうとすると、ふいに両肩を後ろから掴まれた。
「お話......聞かせてもらいました......」
「あ、ロザリィさんおひさー、こっち帰って来てたんだ」
「緊急クエストには...一足......遅かったようですが」
がっしりと僕の両肩を掴んでいるのは、金星等級の魔法使いであるロザリィさんのようだ。以前は高位悪魔の呪いの影響で寝込んでいたものの、今では現役の冒険者として活動している。
ちょっと前に、呪いを受け継いだ娘であるリズィちゃんの入門クエストを引率する機会があった。その際発生したトラブルを解決した際に呪いが解消し、ロザリィさんの調子も戻ったという経緯がある。
リズィちゃんとロザリィさんは元気になって、異世界から召喚されたマヒロ君という男の子と一緒に王都に行ったはずだった。
「転移魔法を使って.........正解でした」
「あの、ロザリィさん。僕は旅の準備が」
掴まれた両肩がびくともせず、全然動けない。
「ルークン......メリアンスの《異端》より良い聖職者が.....ちょうど...この街に来ていますよ......」
「司祭より良いって。もしかして、し、司教? いえ、そんな凄い方でなくても司祭の方で僕は」
「大丈夫......私が紹介します...」
「頑張れルークン」
頬杖をついたまま眠たげに兎耳を振るソフィーさんと、有無を言わさぬ力で僕を先導するロザリィさん。
金髪を緩く編んだ大きな3つ編みが、陽気に揺れていた。
大陸を統べるリメリア王国に50名もいない司教の試練なんて、僕には有り難みが過ぎる。




