2.8 Carnot cycle 熱機関
術理院に出すレポートの作成がひと段落して、ふと、領主様に納めていた乾燥酵母の買い付けが来なくなったことに気付いた。
収益への期待がかなりあった商品なので、店に買い物に来たソフィーさんに何か知らないか聞いてみた。
「え、あんな大ニュース知らないの!?」
「ここのとこ店に籠りきりだったので」
あの後でお嬢様から聴取した情報のまとめや、ダンジョンで回収したサンプルの分析などしていたので、世情は把握していない。
「うちの領主様、なんか知らないけど爵位降格って御触れ出てたよ。あのお嬢様も、王都の貴族様に婚約破棄されて追放されちゃったんだって」
「えぇー?」
それはお嬢様が予知して回避したいと言っていた未来だ。聞いた話では確かまだまだ先のことだったはずなのに、もう破滅していたなんて。
「買い付けが来ないわけだ」
「何か売ってたの?」
「このあいだ試飲してもらったぶどう酒があったじゃないですか。あれ向けの商品で、そろそろ量産化という段階だったんですが…」
「!!!???」
ソフィーさんの顔色が真っ青になり、兎耳の毛が全て逆立っている。
「もう、飲めないの…?」
「お嬢様が他者に引き継ぎしてなければ、無理でしょうね」
「そんな…」
がっくりとカウンターに崩れ落ちた。ところがその姿勢から一転、目を金色に変え、視認できない動きで僕の後ろに回る。
「あっ、駄目ですよ。それは保存用のサンプルなんですから」
「もう分析したんでしょ!」
「再分析とか追加分析の備えに残してあるんです」
「お酒は飲むもの!」
棚に残しておいた未開封の試供品が強奪されてしまった。手を伸ばしても、高身長のソフィーさんが高く掲げると届かない。
どう説得したものか悩んでいると、店のドアベルが鳴った。
「修羅場ですな」
「一体なにやってるのよ…」
渦中のお嬢様とメイドさんだった。
「展開早すぎて笑っちゃうわよ。既読スキップしてるのかってくらい」
「ついでに私も職歴ストップですよぉ」
「メイド服着てるじゃん」
「私服ゥー!」
お嬢様とメイドさんは、クエストに行った時と同じような格好だ。
「予知した破滅はもっと先でしたよね?」
「どこぞの術理院会員な者のおかげでしょうなあ! 精霊さんを根こそぎ集めてきた者のねぇ!」
「多分それでフラグが立ってストーリーが一気に進んだのよ。とんでもない目に遭ったわ」
お嬢様は銀髪をかき上げてため息を吐く。
「よく死ななかったものね、私たち…」
「侯爵様に謁見して間もなく、「では、略式にて斬首刑に処す」 、ではねぇ」
「はー、王都の侯爵様が考えることは分からんわ」
いわれのない罪を着せられて死刑になる寸前、契約していた全属性の精霊の助けと、領主様の爵位降格の申し出で助命されたらしい。
「いやぁ、あれだけ泣きわめいて、歴史に残る取り乱し方でしたねぇ」
「あんたが平然とし過ぎだったの! 何なのよギロチン台で鼻唄って!」
「狂怖のダンジョンを脱したこの首を、あんなナマクラでは、ねぇ?」
相当に追い詰められた様子、生きていてなによりだ。
「今日は何の御用ですか?」
「もちろんお礼参りをぉ…」
「わお、ルークンめっちゃ恨まれてるね」
にこやかにダガーを取り出すメイドさんを、お嬢様がはたく。
「違うでしょ。前にワインイースト作って貰ったじゃない。あれのお礼に来たの」
「お礼って、ぶどう酒は伯爵領じゃないと作れませんよね? 子爵に降格されたのなら、それどころではないんじゃ…」
「ふふ、これ、何だと思う?」
ガラス瓶を机に出すお嬢様。中には少し黄色がかった綺麗な液体が入っている。
「うーん、何だろうな。赤くないからぶどう酒じゃなさそうだし」
「ねぇねぇ、飲んでみれば、わかるんじゃないかな!?」
提案したソフィーさんを見ると兎耳を左右に振りながらメイドさんとアイコンタクトをしている。
どうやら、早めに閉店しないといけないみたいだ。
僕は頭を振ってから机に魔法陣を転写して、その上に瓶を置いた。これは熱機関を表現する魔法陣で、系内から熱を取り出すことで温度を下げるものだ。
「冷やすので少し待ってください」
「ヨイショ…。こちらも、準備しておきますねぇ」
「どっから樽持ってきたの!?」
「おつまみも買っといたんだよね」
「もしかして、うちの貯蔵庫を勝手に使ってます?」
あっという間に簡易酒場になってしまった。
泡の弾ける淡い黄金色で満ちたグラスを傾けるソフィーさん達は、閉じていた目を見開いてひと言。
「うん!」
「やはり量が少ないのが残念ですねぇ」
「見た目からすると、色素化合物の含有量が少なく、味は渋みの少ない方向と考えられます」
「まともな感想はないわけ?」
呆れたようにお嬢様が言う。
「お酒の神様が早く飲みたがって一晩で熟成できたくらいの品なんだけど」
「どーりで美味しいと思った!」
「さすがですお嬢様ですぅ!」
「雑よね」
拍手するふたりに肩を竦める。
「お父様が子爵になってぶどう酒を作る権利はなくなっちゃったわ。でも、赤くなければぶどう酒じゃないんでしょ?」
「え、この色でぶどうのお酒!? …たしかに、言われてみればそうかも」
「さすがですお嬢様のさすがアイディア、さすがすぎですぅ!」
赤を呈する色素のみを分離、抽出している? そこまで高度な知識を持っている様子ではなかったはず。
「ルークンのおかげでできたのよ」
「混合溶液から特定の色素化合物だけを分離する技術は、提供していなかったと思いますが」
「いや、そんなことしてないから」
顔の前で手を横に振るお嬢様。
それなら、どうして赤くないんだろう。色素を分解しているのだろうか。しかし、僕が選んだ酵母ではそんな反応は進まないはずだ。
少し考えてみようとした所、全粒粉クラッカーにフラノルチーズを乗せるメイドさんが意外そうに眉を上げるのが見えた。
「何でも御存じな術理院会員の者が珍しきですねぇ」
「ルークン作り方分かんないの? あたしでも分かるのに」
考えの前提が違うのかもしれない。ひとり取り残された僕に、お嬢様が説明してくれる。
「ぶどう色って言っても、あの色って皮だけでしょ。だから…」
「領地のぶどうって、中身は違う色なんですか?」
「見たことないの!? こんなに栽培してるのに? 食べたことも?」
「必要な栄養分だけ摂取しているので」
僕の回答に顔をひきつらせるお嬢様。
てっきり果肉までふどう色の果物だと思っていた。なるほど、皮や種を除去した果汁だけを酵母で発酵させているのか。
酒の神の規定するぶどう酒の醸造法では、ぶどうの皮についた天然酵母を利用する。皮を取り除いても酵母は果汁の中に残るけれど、恐らく従来は、酒の神の規定から外れて醸造が安定しなかったのだろう。
今回の開発品では、単離培養した酵母を使って安定的な発酵を実現、さらに炭酸ガスを溶け込ませ、新規な飲み口を与えた。これが新しいお酒として神に認定され、酒の神の規定に新たな項目が加わったものと思われる。
「外皮を使わないアイディア、よく実現できましたね」
「で、これ何て名前なの?」
ソフィーさんが僕の頭をぽふぽふ叩きながら聞く。
「エルミートの白、と呼んで頂戴」
「エルミートの白ワインかー」
「ワインとして出したらまたギロチンですからねぇ。あくまでエルミートの白、ですよぉ」
国の規制さえクリアすれば、市場は受け入れるだろう。そして、この新製品が売れるのに伴って僕の酵母も売れる。
大幅な増収増益も夢じゃない。
「酵母をもっと増産できるようにしておきたいな」
「あー、その話ね…」
どうして僕から目を反らして頬を掻くんだろうか。
「イーストもうちで作れるようになったから、ルークンのはもう要らないの」
「精霊さん力の賜物ですな」
「いやいやいや、全属性が居たって、酵母の培養とは関係ないでしょう」
最適な酵母を選定して純粋培養するまで、それなりに高度な技術も使っているので、簡単に真似されては困る。
「そんなこと言われても、精霊達と契約した時の新しいスキルで、作れちゃったんだもの」
「大教会徒に特徴的なやつだ…。まあ、仕方ないか」
何でもなんとなくで実現してしまうのが大教会のやり方だ。理解はできないけれど納得するしかない。
「その代わりといってはなんだけど…」
「追放された元エルミート伯爵令嬢、ルミ・エルミートお嬢様のぉ、感謝のお言葉を差し上げましょう! 今ならこの私、スーパーメイドUの完璧なるお辞儀も随伴しますぅ!」
「よっ、守銭奴!!」
「違うでしょ!」
チームフェニックスは既に酒樽を開け始めていた。
「これ、貰っておいて。少ないけど、死刑にならなかったお礼」
「聞いた感じ、僕は事態をややこしくしてしまっただけなようですが…。ありがたく頂戴します」
ずっしりした袋を手のひらで受けとる。
その様子を見ていたソフィーさんが、向かいのUさんに喋りかける。
「雇い主が出してるのにユゥは無いの? やっぱ守銭奴じゃん。この前も結局割り勘だしさー」
「ソフィー、このメイドUは違う首が切られてんですよぉ。お嬢様に雇われているのではなく、自分の意思でここにいるのですー」
机に肘をついて顔の前で手を組むメイドさんはおとなびた雰囲気を醸している。
「ゆえに、店主にはこちらを進呈ぃ!」
「!?」
机の上を袋が滑ってきて、僕の目の前でジャラリと止まる。
その大きさ、実に先の10倍。
「リメリア白銀貨1023枚、心ばかりの礼ですな」
「1023枚!? どこに溜め込んでたのよ!」
「深い詮索はしてくださるなですぅ」
手に取ってみても、クエストでみた爆発物ではない、本物の貨幣だ。予想外の大盤振る舞いに驚いて顔を上げる。
「流石に、こんなに貰うわけには」
「貰うんですよぉ! このメイドUの銭蓄に見合うだけの成果を、店主は示したのですからねぇ!」
ジョッキを手に取り、勢いよく中身を飲み干すメイドさん。
「店主の薬さえあればぁ、苦痛の二日酔いとはオサラバですぅ!」
「そこ!? 精霊との契約とか酵母のこととか他にもたくさんあるでしょ!」
「そんなものはどうでも宜しい!!」
「!?」
すごい。満面の笑みで言い切った。
「わかるなぁ~! あたしも有り金叩いたもんだよ!!」
「!?」
お嬢様の銀髪が首の動きに振り回されている。
ソフィーさんもやはり、2日酔いの薬を量産化する話をした際に、かなりの金額を投資してくれていた。
「死刑は回避し、二日酔いも回避。これは祝杯ですよぉ!」
「祝杯だぁー!」
「その二つを並べるのはどうなの」
「どんな薬にも作用と副作用があることと、効果に限度があることは認識してくださいね」
加速度的に盛り上がるふたり。お礼をたくさん貰ったことだし、今日くらいは場所を提供しようと思う。
翌朝、起きて居住スペースの様子を確認した僕は、チームフェニックスに我が家での禁酒を言い渡すことを誓った。
王都を追放されたお嬢様とメイドさんは、この街で喫茶店を営むことにしたらしい。
「新しい醤油の試作品、届けに来ましたよ」
「ありがとうルークン。それと、敬語じゃなくていいのよ。もうお嬢様じゃないんだし」
「そうは言っても子爵令嬢ですから」
新しいスキルでも醤油作りはできないらしく、お金を貰って僕が試験生産していた。今のところ、「思っているものと違うけれど、これはこれで有り」という段階で、実験計画に基づいて調製レシピを変えながら完成を目指している。
領営に絡んで大きい収益を上げる構想は途絶えた。しかし、ひとりでやっている僕の店には、こういう地道な商売の方が合っているだろう。
「気安く接して大丈夫ですよぉ。ねぇルミルミぃ、早くまかない作ってぇー」
「あんたは調子にのらない!」
珍しいメニューが評判でそこそこ繁盛しているらしく、羨ましい限りだ。
「はぁ、でも前世の⧉⧉⧉⧉の記憶、思い出してからあっという間に終わっちゃったわ。破滅ルートなのにまだ生きてるし、何だったのかしら」
「短期間で問題が解消したのは良いことだと思いますよ。ああ、そうだ、もし異世界から来てそうなお客さんがいたら、教えてくれると嬉しいです」
「ええ。覚悟するように忠告しておくわ」
帰ろうとする僕の襟をメイドさんが引っ張り呼び止める。
「そういえばぁ、持ち帰ったサンプルとやらはどうなりましたかぁ?」
「それがですね、採掘した鉱石に大きな準結晶があったんですよ」
「そんなどーでも良いのじゃなくてアレですよぉ、あのパニックのやつぅ!」
未知のエラーを吐いていた冒҈̸̷̴̶̲̄̅質҉̸̷̴̶̲̄̅のことだろうか。
「ああ、あれはやっぱり超自然的な挙動を示したので、ひと通り分析した後の残りは元のダンジョンに戻しておきました」
「戻しておきましたぁ!?」
「この世界に置いておきたいものではないですからね。その辺に捨てる訳にもいきませんし」
ダンジョンに戻しておけば踏破に伴って処分できるだろう。
「他の冒険者、大丈夫かしら……」
「私は知りませんよぉ、何も聞いてませんよぉ」
お嬢様が目を反らし、メイドさんが耳を塞ぐ。
心配しなくても、もう精霊もいないし、通常の探索ルートとは全然違うところに置いてきた。踏破されればダンジョンと一緒に消えるから、変なことは起きないはずだ。
今度こそ帰ろうとすると、息を切らしたソフィーさんが喫茶店に入ってきた。
「ふぃー、やっと見つけた。ルークン、カナリアoが呼んでるよ。緊急クエストだって」
「わ、早速来た」
「お勤めご苦労様ですな!」
「きっと別件ですよ。とにかく行ってみます」
ソフィーさんと入れ違いに店を出て、ギルドに向かう。
戻ったら、改めて製品の販売計画を考えるとしよう。
Chapter 2 ある転生者の場合 終了です。
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