2.1 Fermentation 発酵
僕が営んでいる薬屋は現在赤字を叩いており、どうにかしないと生活が難しい。
利益が出せない原因は、僕の薬と同じ効果を有する薬が、教会でより安く売られるようになったからだ。安く売られるようになった理由は、近所に出現した花畑から、良い薬草が採れるようになったからだ。
どうして花畑ができたかといえば、僕が天使を召喚したからだ。
赤字を誰かのせいにしたくても、自分に返ってくるのが悲しいところ。
早朝、店で新製品の広告を作っていると、誰かがドアを乱暴にノックする音が響いてきた。
「ルークン、薬ちょうだい、くすり、」
「ソフィーさん、またですか?」
「くすりぃぃ」
真っ青な顔で入ってくるなりカウンターにかじりつくソフィーさん。ライトブラウンの大きい兎耳は元気なく垂れ下がっている。
「これが欲しいんですか?」
「う゛うぅ……っああ゛ぁ」
怪しい薬をキメているようにしか見えない。
「泥酔してからでは遅いんですが、少しは楽になると思います」
実情はたちの悪い酔っぱらいだ。
ソフィーさんは冒険者ギルドの受付職員で、2日酔い向けの薬を買いに来る常連だ。それだけでなく、たまに夜通し飲んだ後のぐでぐでの状態で駆け込んでくることがある。
「……ぅぅ」
「ちょっと、こんなところで寝ちゃ駄目ですよ。ほら、起きて帰りましょう」
「くすりぃぃ…」
「もう飲みましたから、ほら起き上がって」
カウンターの前に倒れこんでしまって起きる様子がない。さすがに邪魔なので、店の奥に運んで寝かせることにした。僕よりも大きいので大変だ。
教会が2日酔いの薬を売らないのにも納得がいく。こういう大教会徒には教訓を与えた方がいいのだろう。
「ソフィーさん、起きたなら早く帰ってくださいね。僕もやることがあるんですから」
「ごめんって。いやー、しこたま飲んだのにこの程度のダメージで済むってすごいよ。ルークン様様だわ」
昼まで寝ていたソフィーさんがようやく目覚めて、おおきくあくびをしながら店舗側に出てきた。
「その薬も買えなくなるかもしれません。早いとこ新製品の売上を伸ばしていかないと、赤字から復帰できなくなります」
「あの花畑から薬草取ってくるんじゃ駄目なの?」
「成分分析の結果から、僕の店ではコスト競争で勝てないことが分かりました。1つでも面白い成分が見つかればよかったんですが」
花畑の薬草は有効成分を多量に含んでおり、不純物も少ない。よって、すりつぶしてマジカルエーテルに溶かすだけで良質な薬が作れる。
薬草が上等過ぎるがために、僕の店の装置で目的成分を分離、濃縮するのと品質がそこまで変わらない。装置のランニングコストが乗る分だけ僕の方が売値が高くなるし、手作業で頑張るにもひとりでは限界がある。
「てことは、新しい売り物は薬じゃないってこと?」
「教会の子ども達とお客さんを奪い合うわけにもいきません。新製品はいくつかあって、例えばこれはふっくらしたパンを作れる素材です」
果物から単離培養した酵母を乾燥させたものだ。
酵母は糖からアルコールとガス分を生成する。出て来るガスで生地が膨らむことで、パンがふわふわになる。要らないアルコールは焼けば飛ぶので仕上がりに影響はない。
「別にパン屋で焼きたて買えばよくない?」
「そのパン屋に売るんです。それに、自分でパンを焼きたい方もいるかもしれません」
とにかく薬以外で収益の柱を立てる必要があるので、いろいろと試供品を作っている段階だ。
「あとは植物から抽出した精油とか、香料染料とかですね。今回作った製品は、他のお店に売りに行くことを想定しています」
「まー、薬屋に来るお客なんてあんまいないもんね。この前みたくダンジョンができたとかじゃないと」
ソフィーさんの言う通り、最終消費者への直売では限界がある。一方で他の店に商品が売れれば、売ったお店が儲かっている限りは僕にも売上が入ってくる。
流通の上流を抑える商売が、僕の目指すところだ。
販路もない中で簡単に売れれば苦労はない。
新製品の売り込みが上手くいかず店で悩んでいたところ、全く想定外のお客さんが来店した。
そう、なんと、領主様のご令嬢がメイドさんに随伴されながら、乾燥酵母を買いに来ている。この街を含む一帯を治める領主様のご息女が来店するなんて、これはすごいことだ。
「お嬢様ぁ、素性がまぁ分からないものに頼らず、パン種はコックに作らせれば良きかなですよぉ」
「パンじゃないの。もしかしたら、うちのぶどう酒の助けになるかもしれないわ」
「はー、こういった粉が?」
「お父様についていった時に見たんだけど、ぶどう酒を作る準備のときに泡が出てくるの。パン種に入れる果実液と同じようにね。まあ、単なる思いつき」
術理院で言えば高等部くらいの年齢だろうに、鋭い目の付け所だ。
ぶどう酒は、酵母がぶどう由来の糖からアルコールとガスを生成することを利用している。
大まかにはお嬢様の仮説の通り、パンが酵母で膨らむのと同じ反応が起こっていると言える。パンではガスを利用し、ぶどう酒ではアルコールの方を利用する。
ちなみに、酵母などを使って便利な成分を生成する反応を、発酵と呼ぶことがある。
酵母は果物の外皮などについているので、密閉容器に漬け込んでおけば自然に培養される。この漬け込み液を酵母として使うのが一般的な手法だ。
「ぶどう酒が良くできたりできなかったりっていうのは、ぶどうの質もそうだけど、あの泡が出るところが大切だって聞いたわ。この酵母を使って何とかできれば良いと思うの」
「さすがですお嬢様ですぅ!」
「雑な感想ありがと」
酵母にも非常にたくさんの種類があって、それぞれ働きが異なる。
自然培養では目的の酵母以外も一緒に培養されるので、仕込みの際に酵母の種類と量が制御できない。これは仕上がりのばらつきに繋がると考えられる。
僕の店の商品は、目的の酵母だけを単離して培養したものだ。これを使っても素晴らしく良いものができることはないけれど、全く駄目になることもないので、品質の安定化に適する。
ただしお酒に関しては、純粋培養のパン酵母を酒の神が許すかによるので、上手くいくかはわからない。
この世界では、神の規定から外れると、いろいろと不都合が起こりやすくなる。例えば冒険神の定める冒険規定から外れた場合に、入門クエストで封印されし高位悪魔が復活したりとか。
「これはパン用の酵母なので、酒造用が欲しいということであればお申し付けください」
「ワインイーストも作れるの!? それならひょっとして、麹も作れ…っ!?」
「作法の向上がまず欲しいですねぇ、お嬢様ぁ」
カウンターに乗り出すお嬢様の襟をメイドさんが抑えた。首を締められたお嬢様は咳き込みながら、メイドさんの頭をカチューシャ越しにはたく。
麹というのは、多糖類を単糖に分解したり、蛋白を分解する反応を促進するもので、酵母の仲間だったと記憶している。
「食品用ですよね。麦の麹なら、前に検討したことがあります」
「小麦と、大豆に向いたものが欲しいんだけど」
「メイドさんの親切な解説。ダイズというのは極東産地の豆のことですな」
ズレたカチューシャを直したメイドさんが補足する。それにしても、極東産地の豆に向いた麹なんて、この地方の領主様のご令嬢が興味を持つものだろうか。
「豆のサンプルを頂ければ、実験によって目的物を発見できるかもしれません。ただし最適種を探すとなると、最終生成物としてどういった味や香りが欲しいかで変わります」
「どういった味や香りって言われても、言葉では難しいわね…」
獣人族の場合、香りと味は密接に関連していると言われている。これは、鼻をつまんで食べ物や飲み物を口に入れることで経験的に確かめられる。
最近、食品関係に強い術理院会員達から、味に関わる香りを分類しようという提案がなされた。味覚には主観の差があるけれど、含有成分を定量すれば少しは客観的に評価できる。
食品中の香気成分は、術理院のライブラリにあるだけでも1万種類以上が知られている。その中から似ている香りをまとめて、数10種類の大枠の組み合わせで整理しようという試みが進められている。
「あとは反応条件、例えばどういう温度で、どういった酸性度で使用するか等も聞きたい所です」
「どうどうと面倒言わずに出せるもん出しときゃ、さすがですお嬢様が探し出しますよぉ」
投げやり調に応えるメイドさんは、商品棚に並んだ小瓶をガチャガチャと物色している。
斜め十字に掛かるエプロンの背を見たお嬢様は眉の端を少し下げ、長い銀髪を指でくるくると撫でた。
いまいちはっきりしないものの、領主様のご令嬢が、領地から遥か遠くで採れる豆と麹に興味を示しているのは事実だ。この事実は、ある種の疑念を僕に抱かせる。
「それにしても、麹なんてよく知っていましたね。小麦と大豆を使うとなると、にほんの、しょうゆでも作るんですか?」
「ぇ…」
「店主もよくご存知でぇ。耳よりなしょうゆの話にお嬢様も興味をお持ち、なのでした」
王都のレポートで得た情報で探りを入れると、お嬢様が口を閉ざし、メイドさんが糸目の片方を薄く開けて僕に振り返る。
「僕は術理院の召喚士で、にほんから来たという召喚者に会ったこともあるんです」
「げげぇ!! 術理員会員な者…! それならお嬢様、この乾燥酵母買ってトンズラしましょ。解剖されないうちに」
「か、かいぼう!?」
両腕で自分を抱き締めるお嬢様。
勝手な情報を植えつけないで欲しい。
「安心してください。解剖学は専門外です」
「専門だったらするの!?」
「お嬢様、こーいう無害そうな優者が一番ヤバなもんなんですよぉ…! 対価に何をされるか…!!」
メイドさんがお嬢様の長い銀髪をかきあげ、耳元で印象操作をする。術理院会員というだけで、初対面なのにひどい扱いだ。お嬢様が青ざめているけれど、ここはどうにか販売につなげたい。
「酵母などの純粋培養ができるのは、当店しかありません。まずはお試し感覚でどうですか? 今なら試供品もサービスしますよ」
「うぅ、笑顔の裏に何かありそうで恐いわ…」
「では店主ゥ! この精油と、香料をくださいな。それからこっちの…」
「切り替え早くない!?」
メイドさんは僕を引っ張りまわして店内を物色し、袋いっぱいに商品を詰め込んだ後で、お嬢様の手を引いて帰っていった。
僕の予想ではあのお嬢様は、この世界で生まれた身体をもちながら、自身が知覚していない情報を参照できる。
慣用的には転生者と呼ばれており、僕たちの住む世界でも稀に見られる。
自信が知覚していないはずの情報を、例えば前世の記憶の欠片のように有するそうだ。それはこの世界だけでなく、異世界の情報の場合もある。
ただし、特に異世界の情報については、ふとした時に何となく浮かぶ程度で、正確な情報を持っていることはまずない。文化の大きく異なる世界の情報については特に。
簡単に行き来できない世界間で情報を保つには、膨大な魔力が必要だからだ。
お嬢様が生まれた時から情報を持っていたか、ある時を境に思い出すように認知したのか、どちらにせよ、どこかの神か何かによる、超自然的魔力の介入があったと考えられる。
僕の仕事は、そういう超然現象の影響を調べて報告することだ。怪しい対象を見つけた場合は、周囲への影響とあわせて調査する責務がある。
「ですから、特にあのお嬢様に危害を加えようとか、そういう意図ではないんです。調査のみが目的です」
「なるほど、どうやら、ラジャったようで。でもですねぇ、選ぶ未来には気をつけてぇー。一度嘘つきになっちゃうと、ともすれば二度と嘘がつけなくなりますな」
「分かったので、首からダガーをどけてもらってもいいですか」
出先でメイドさんに刃物を突き付けられるのにもめげず、粘り強く売り込みを続けた。しかしながら、いまだ常備薬の販売減を補填するまでは至っていない。




