禁域
蒼空の下でアリアは目を覚ました。
地べたから起き上がり、周囲を見回す。がらんとした荒れ地だ。
エリゼやポケトの姿はない。
「……? どこですの、ここ……」
振り返ると後ろ側は切り立った崖になっていた。
崖下をのぞく――そこにも空があった。果てしなく続く青空が。
「これは、もしかして……この地面、浮いてますの?」
だとしても眼下に地表がまったく見えないのは妙だ。そのくせ雲だけは浮いている。いや、雲以外にも何か浮いていた。
縦長の岩のようだ。
底部はでこぼこしているが、先端は刃ですっぱり斬られたように平坦になっていた。
「ふーむ。コルク栓みたいですわね」
よく見ればコルク岩はあちこちに点在してた。
恐らくはアリアがいる場所も似たような形状をした岩塊なのだろう。
間違いなく、ここは迷宮の内部ではない。
恐らくはウララカ王国ですらないだろう。
(というか、どう考えても普通の場所じゃありませんわね)
ひとまず崖の縁に沿って歩いてみよう、とアリアは思った。
ところが反対側の地面の端が見えていることに気付く。
「せっまっ!! 石を投げれば端から端まで届くじゃありませんの!!」
ちょうど中心辺りに小さな石積みがあった。
石積みの向こうには湧き水が出ていた。ありがたいことに水は澄み、冷たかった。アリアは喉をうるおし、顔を洗った。
とりあえず頭はしゃっきりした。
しかしながら、状況に変化はない。
改めてぐるりと見回すが、視界に入るのは荒涼とした大地とその縁だけだった。
「はあ。狭いし何もないし、しょっぼいところですわねー」
途方にくれていた。行動しようにも取っかかりがないのだ。
アリアはすとんと石積みに腰を下ろす。
『おんどりゃ、どこ座っとるんじゃ、こんボケーっ!!!!』
「うひゃっ!? な、なんですのっ!?」
驚いて飛び上がる――と、目前に魔物が出現していた。
玉のような胴体に翼と尻尾。サイズは掌に乗る程度しかない。
アリアはぽんと手を打つ。
「あー、迷宮で似た奴を見たことありますわ。下級の魔物ですわね」
「誰が魔物じゃ、ド腐れアマぁっ!!」
「まあ、喋れますのね! かしこい、かしこい」
「や、やめぇ! なでくりまわすなっ!!」
「あら、生意気ちゃんですわねー。ほーら、ここはどうですのー?」
ほぼ球体に近い体型ではあるが、アリアは顎の下っぽいところを指先で掻いてやる。とたん、魔物は心地よさそうに目を細めた。
「お、おお……や、やめぇって、あかん、そこはあかーん!」
「なるほど、ここですわね。では、こっちはどうかしら? ほーれほーれ」
「あ、ああああああ……やめて、やめて、ダメになるうぅぅぅぅ……」
魔物はぐったり脱力し、アリアの掌の上で平べったくなった。もはやされるがままである。
「おほほほほ、たわいもない。指先一つでダウンですわ」
「ミィヤをあっさり籠絡するなんてやるねぇ!」
「へー、この子の名前はミィヤ――って、えっ?」
小柄な少年がアリアを見つめていた。
背は低いが、頭が小さくすらりとしている。アリアより四、五歳は年少のようだ。
「――はっ!? ナ、ナルアー様ぁっ!?」
慌ててアリアの掌から飛び立つミィヤ。
「ちゃうんですぅ、これは、ウチはそうやなくてぇーっ!」
ナルアーと呼ばれた少年はミィヤを一顧だにしない。
アリアは彼に視線を奪われてしまった。
ナルアーは人間離れした美貌の持ち主だったのだ。
壊れそうに繊細な顔の造作。
きめ細やかな肌は抜けるように白く、漆黒の髪を引き立たせている。
「はじめまして、アリアントージュ。我が禁域へようこそ」
切れ長の双眸を細め、ナルアーは柔らかく微笑む。
「聞こえていたとは思うけど、僕はナルアー。こっちはミィヤだよ」
「……わたくしのことをご存知ですのね?」
「ああ、そりゃもちろん。君をここへ招来したのは僕だからね。迷宮の核からエーテルの力も借りちゃったけど、上手く行ってよかった!」
ナルアーは嬉しそうに笑った。
「君のように優秀な人をしもべにできて嬉しいよ。これからよろしくね!!」
爽やかな笑顔だった。
しかしアリアはうなじの毛が逆立つような感覚に襲われていた。
彼女の身体が警告を発していたのだ。
これはヤバい相手だ。恐らく自分はこの少年に勝てない――と。
警戒しつつ、アリアは慎重に口を開く。
「喜んで頂けて光栄ですわ。ですが、あいにく何が何やらさっぱりですの」
「うん、だろうね。じゃあ、順番に行こうか」
ナルアーはあっさりと告げた。
「ここは天界で、僕は神だ」
「――は?」
「っても、まだ本当に駆け出しでね。神としては下の下、最底辺のFランクだ。だから地上から信仰心を集めてランクアップしたいんだよ。他の神々に負けないようにね!」
上空に点在する他のコルク岩をナルアーは指し示す。
コルク岩は他の神の禁域――つまり固有領域であり、浮いている高度が神本人のランクを表しているらしい。
ちなみに最上位はSランク、以降AからFまで七段階のランクがあるようだ。
「信仰心を集めるには人々の願いをかなえてやらなくちゃいけない。その為に御使い、いわゆる天使を地上に派遣するのさ。つまり、それが君ってわけ。わかった?」
「いえ、全然ですわね。ほぼほぼ、何もわかりませんわ」
微笑みを浮かべつつ、かぶりを振ってみせる。
ナルアー側には事情があるようだが、アリアとは無関係のはずだ。
「そっかー。アリアは脳筋だもんね。毎日、がばがば飯食ってガハハハ笑いながら人殴って、豪快に屁こいて寝るタイプだよね。女子としてそれはいかがなものかと思うけど」
「確かに誰か殴りたくなってきましたわねぇ、猛烈に」
「まぁいいよ、僕は寛容さが売りなんだ。天使役さえやってくれば頭が多少アレでもオッケーさ!」
びしっと親指を立てるナルアー。
アリアは生ゴミを見るような眼差しで応じた。
「きっぱりとご遠慮申し上げますわ、お坊ちゃん。一昨日来やがれ、すっとどっこいですの」
「ががーん! どうしてさ? 簡潔に理由を述べよ!」
「わたくし、あなたが気に入りませんの」
「本当に簡潔だ!?」
一見愛想はいいが腹の底では何を考えているのか、わからない。
ナルアーは王宮に巣くう魑魅魍魎の類い――すなわち重臣や高級官僚と同類だとアリアは判断した。まったく信用ならない輩だ。
「神どころか詐欺師のようですわ。あなたとはこれ以上お話ししたくありません」
「なんぼなんでも、口の利き方に気ぃつけぇや! ナルアー様に失礼やろ、下僕の分際で!!」
ミィヤが割って入ると、ナルアーは得たりとばかりにうなずく。
「そう、それ! アリアは僕のしもべなんだから、命令には従ってよ」
「下僕だのしもべだの、意味がわかりませんわ。わたくしがいつ――」
「アリア、喋らないで」
とたん、声が出せなくなった。
「――っ!?」
頑張っても、うめき声以上のものは喉から絞り出せない。
「アリア、動かないで」
とたん、全身が凍り付く。
かろうじて呼吸はできるものの、もはや瞬きすらままならない。
(何ですの、これ……っ!? ちゃんと警戒していましたのに、何をされていますのっ!?)
魔法や呪詛の類いではない。そうであれば術が発動した際に察知できる。
困惑するアリアをナルアーは楽しげに眺めた。
「あっははははは! いいね、その表情! マヌケそのものだよ、アリアントージュ!」
「……!!」
「君は僕の下僕だ。だから僕の命令には絶対服従ってわけ。今度こそ理解――」
「ぐ……ぐ、ぎぎぎぎ……っ!!」
アリアは全身全霊の力を振り絞った。
心身を縛る枷は恐ろしく頑丈で、びくともしない。
「いやいや、無駄だって。精神の第二層まで僕が干渉しているんだから、どう頑張っても」
「がががっ! ぬ、ぐああああああーっ!!」
だが、そんなことは関係ない。
あらゆる障害は叩いて潰す。それがザイドリィの家訓なのだ。
「無理、なはずなんだけど……」
「ごぉんの……っ! ぐぞ、がぎぃぃぃぃっ!!!!」
怒りがほとばしり、アリアの両拳が炎をまとった。
不可思議な拘束が緩み、少しずつ体の自由が戻ってくる。
「うわっ、火ぃ吹きよった!? ナルアー様、こいつ――」
「……なるほど。これが彼女の血筋に伝わる力か。確かにちょっとしたものだね」
「あ、あああっ!! ぬぐがああああーっ!!」
「ねぇ、わめくにしても、もうちょっと雌っぽい声にした方がよくない? ってか、このままじゃ君の肉体が先に壊れるよ?」
皮膚の焦げる嫌な臭いが漂う。
過剰な力の放出により、アリアの手首から先が焼け爛れだしたのだ。
「おぉぉ、だぁぁぁ、まぁぁぁ、りぃぃぃっ!!」
「――聞く耳もたずか。うーん、本当は秘密なんだけど……この際仕方がないね」
ナルアーはにやりと笑う。
「ねぇ、アリア。僕は神だ。神は人の願いをかなえるものさ」
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