とっておき
出現したのは複数の魔物達であった。
十体ほどのゴブリンに続いて巨大な魔物が姿を現す。
「ヒュージ・サラマンダー!?」
緊張をはらんだエリゼの叫び。
ヒュージ・サラマンダーは蜥蜴系の魔物の中でも特に大柄な種であった。
胴体は太く、顎は馬さえ軽く丸飲みにできる。
「ええと、確か書物に載ってましたわ。性格は獰猛、毒の牙をもち、火焔を吐く――で、あっていたかしら?」
「は、はい、お姉様! 表皮が頑丈ですから、剣も槍も通りません!」
「別に問題ありませんわ。わたくし、どちらも使いませんもの」
喉奥からコカカカカ……と威嚇音を鳴らす、ヒュージ・サラマンダー。
巨大な怪物に見据えられ、アリアはにっと笑う。ポケトは感心したように、
「こんな奴、ウララカの辺りにはいないはずだよ。国外から召喚するなんて、すごいねぇ」
「あら、それじゃ不法入国ですわね。せめて楽器ケースに隠れて入るくらいの慎みが――」
『ギャギャッ!! アギャギャーッ!!』
無視されてじれたのか、ゴブリン達が奇声を上げて突撃を開始した。
意外な速さでヒュージ・サラマンダーが後に続く。
普通あり得ない、異種による連携行動。侵入者を排除するダンジョンの意志が刷り込まれているのだ。
「殿下、ご用心を。火焔を浴びると鎧はかえってダメージが大きくなりましてよ」
「そうだねぇ。じゃあ、僕が突出してザコを引きつける。その間に君がトカゲをやっつけてよ」
「大丈夫ですの? ゴブリンが一体でも殿下をスルーしてエリゼを襲ったら……」
もしそうなれば攻撃手段を持たないエリゼには成す術がない。
粗末な武具を身につけた小鬼という風体に反し、ゴブリンはかなり知恵が回る。
ポケトは丸顔にニヒルな笑いを浮かべた。
「ふっ、心配ないさ! こんな時の為に、とっておきを温存しといたからね!!」
きらりと歯を光らせ、サムアップ。
止める間もなく、ポケトは駆け出してしまった。
「えっ、ちょ、殿下っ!?」
目前までポケトが踏み込むと、ゴブリン達はぱっと散開した。
二体だけがポケトを牽制し、ヒュージ・サラマンダーが来るのを待つ。残りはアリア達――いや、エリゼだけに狙いを定め、迫ってくる。まず一番弱いところを叩くのは、当然の戦法だった。
「ああ、もう! 言わんこっちゃないですわ!! エリゼ、わたくしの後ろに――」
「行くよー、僕の新技! フレッシュ・ミィィィト!!」
ぽむ、と間抜けな音がしてポケトの姿がかすむ。
次の瞬間、アリアは驚きに目を見張ることとなった。
ポケトは巨大な生肉に変身していたのだ。
艶やかな赤身を彩る純白のサシ。
柔らかく、滋味に富んだ最上級の霜降り肉であった。
「どう? なってる? ちゃんと見えているかな? 僕、美味しそうな牛肉になっているでしょ?」
効果は劇的だった。
ゴブリン達は雷に打たれたように急停止。一斉に反転すると肉目掛けて飛びかかった。
『ギャギャギャッ!! ニ、ニグッゥゥゥーッ!!』
「うわあああああっ、効き過ぎたーっ!?」
『ニグゥ、グワゼロォォォォーッ!!』
「いたたたたたたっ、鎧の隙間からかじられてるぅーっ!!」
『グワゼロォッ! ニグ、グワゼロ!! ギャギャーッ!!』
ゴブリン達の様子は完全に常軌を逸していた。
全身まんべんなく齧りつかれ、ポケトは悲鳴を上げている。
探索パーティの重装戦士、いわゆる盾役は敵の攻撃を受け止めるのが一番大事な役割だ。その間に他のメンバーが火力を発揮し、敵をせん滅。これが連携の基礎だった。
だから盾役はわざと相手を挑発し、己に攻撃を誘引する。
ポケトのスキルもその一環である。憎悪ではなく食欲をかき立て、自分を狙わせたのである。
であるのだが――
「ぷわはははははっ!! あーはははははっ!! デ、デブが、デブが牛肉になりましたわーっ!!!!」
肝心の火力役は爆笑しまくっているのだった。
「おおい、アリア! 笑ってないで早くどうにかしてよ!!」
「なんで牛!? し、しかも霜降り……あははははは!! 美味しそう! うわはははははーっ!!」
「お姉様、笑ってる場合じゃ……で、殿下が本当に食べられてしまいます!!」
「そ、そこはブタでしょ! ハムとか焼きブタとか、なんで牛肉!? あはははははっ!!!! だ、だめ、苦しいぃーっ!!」
「いいだろ、別に牛でも! 君の笑いのツボ、どうなって――」
ぱくり。
ポケトは群がるゴブリンごと、ヒュージ・サラマンダーに喰われてしまった。
むしゃむしゃと咀嚼し、ごくりと飲み下す。
「あああああっ、でっ、殿下がーっ!?」
もはや卒倒寸前のエリゼ。
ようやく笑いを収め、アリアは目元の涙をぬぐった。
「あー、笑った笑った。最高に面白かったですわ、殿下。オチを含めて」
「……!! ……、……!!」
ヒュージ・サラマンダーの腹から聞こえるポケトのわめき声を、エリゼが通訳する。
「オチてない! まだオチてません、お姉様っ!」
「いいじゃありませんか。しょせん第四王子なんて予備の予備の予備みたいなものなんですから、一つくらいなくなっても代わりはあるもの」
「よくない! お姉様のそういう考え方、本当によくないですぅっ!!」
半泣き状態で激しく首を振るエリゼ。
さすがにふざけ過ぎたかとアリアは苦笑した。
「はいはい、わかりましたわよ。確かに殿下はしっかり盾役を全うしてくださいましたし」
拳を軽く握り、アリアは身構えた。
「わたくし、自分のものを盗られるのは大嫌いですから!!」
風を巻いて突進する。
狂暴な魔物と相対してもアリアには一欠片の怯えもない。
ぞくぞくするような戦いの興奮と綱渡りの緊張感。
みっしりした生の実感が心身を満たす。
あっという間に距離を詰め、アリアは拳を突き放った。
「わたくしの婚約者を返していただきますわっ!!」
どおおん、と重たい打撃音が洞窟内に木霊する。
ヒュージ・サラマンダーの体重は十t近い。
にもかかわらず、ただの一撃で巨大な身体は浮き上がってしまった。
『アガアッ!?』
「はあああああああーっ!!」
一気呵成に連打を叩きこむ。近接戦闘は彼女の独壇場であった。
相手を小柄と侮っていたのか、ヒュージ・サラマンダーは完全に不意を突かれたようだ。
機を逃さず、アリアは下からえぐるように腹を蹴り上げる。
『ゲバハァッ!?』
ヒュージ・サラマンダーは胃に収めたばかりの獲物を吐き出してしまう。
事切れたゴブリン達と一緒に巨大な肉の塊が地に転がった。
「エリゼ、あなたは殿下をお願いしますわっ!」
「は、はいっ!!」
慌ててエリゼは肉、いやポケトに駆け寄る。
お返しとばかりにヒュージ・サラマンダーはアリアに炎のブレスを吹きかけた。
『ゴガアアアアアーッ!!』
強烈な火炎をもろに浴びせられ、足下の岩が煙を吹いて赤熱する。
だが、アリアは毛ほどの火傷も負っていない。服にも焼け焦げ一つ生じない。
「ふむ、二千五、六百℃ってところかしら。ぬるいですわね」
『ガ、ガハアッ!?』
ブレスが途絶え、ヒュージ・サラマンダーは怯えたように後ずさりした。
野外で遭遇したのであれば、この時点で逃走していたはずだ。野生生物には本来意地も見栄も関係ない。
だが、迷宮に召喚され契約に縛られているヒュージ・サラマンダーにはその選択肢はなかった。
ボスモンスターは逃げられないのだ。
『グガガ……ガアアアア……ッ!』
ヒュージ・サラマンダーの全身から炎が噴き出す。
高熱のあまりか、体表が溶岩のようにどろどろと溶け泡立った。
優雅に髪を払ってアリアは迎撃態勢を整える。
「元気がよろしいこと。四千℃くらいにはなりましたわね。では、火力比べを致しましょうか?」
『グガアアアアーッ!!!!』
火だるまと化して突っ込んでくるヒュージ・サラマンダー。
アリアは白い炎を纏った拳で迎え討つ。
「――ふっ!!」
両者がぶつかり合い、強烈な閃光が上がる!!
アリアの拳を通し、数万℃に達する爆炎がヒュージ・サラマンダーの体内を焼き貫いたのだ。
巨躯を真っ二つに両断され、ヒュージ・サラマンダーは絶命した。