神の愛
スキルが終了し、キンドレィは消え去った。
アリアは固めた拳を振り上げ、明るく雄々しく勝ちどきを上げた。
「っしゃあーっ、わたくし大勝利っ! 因果地平の彼方へ強制送還してやりましたわっ!!」
「姫様……姫様ーっ!!」
小走りに駆け寄り、フェリナはアリアに抱きつく。
「凄いです! やっぱり姫様は凄いっ!!」
「おほほほほ、まあわたくしにかかればざっとこんなものですわ」
「はー……マジでびっくりしたわ!! あんた、めっちゃごっついスキルあるやん。もったいぶらんと最初からかましときぃや」
「あれはなるべく使いたくありませんのよ。疲れますし、お肌が荒れますから」
アリアは苦笑して両手を差し出す。
肌荒れどころではない。肘から先は無残に焼け爛れ、血まみれになっていた。
「きゃあああっ、ひ、姫様の手がっ!!」
「心配いりませんわ。唾付けて包帯でも巻いとけばすぐに治りますわよ」
――脳筋もほどほどにしておきなよ。労働災害だし、雇用主側で負担するよ。
瞬く間に火傷が消え失せた。キンドレィのお株を奪うような異様な治癒力だ。
もちろん、これは呪詛ではない。正真正銘の神の奇跡であった。
「あら、助かりましたわ。あり――」
言葉を呑み、瞼を閉じる。ふわりと髪が揺れ、全身に柔らかな光が生じた。
ほんの数瞬でアリアは別人のような風貌になっていた。性別の印象が薄れ、表情は不思議な威圧感を帯びている。
「我が神のご降臨や! 全員、耳の穴かっぽじってよう聞くんやでーっ!!」
すうっと目を開き、アリア――いや、アリアに憑依したナルアーは居並ぶ避難民達へ視線を向けた。
『我が名はナルアー。至高の神、ナルアーである……』
「あれ? ミィヤちゃんは、さいていへんの神様だって」
「しっ! ええから黙って聞いとき!」
『最底辺、違う。我は至高神ナルアー。一番偉い神なのである!』
避難民達はざわめく。
「神様……じゃあ、この娘は本物の御使いだったのか!?」
「……いや、でも……本当なのか?」
「聞いたことないぞ、ナルアーなんて神様は」
「というか、あの毛玉みたいな魔物の主なんだろ? 魔物を従えているなら悪魔じゃないのか?」
『うっ!? いや、本当だよ? 本物の神なんだってば!!』
釈明しても避難民達は半信半疑のままだ。
ミィヤはため息をつく。
「こらあかんわ。知名度のなさが信用度のなさになってしもてる」
『いや、半分くらいはお前の見た目のせいなんだけど!?』
「――待ちなさい、みな」
ワイス司祭が神妙な表情で前に進み出た。
「確かに初めて耳にする名だが、この聖なる波動……ナルアー様が神に連なる方であることは間違いない」
ワイスはうやうやしく頭を垂れた。戸惑いながらも避難民達も従う。
ほっとした顔でナルアーはうなずく。
『う、うむ。我が使いにより、この地の苦難は去った。古城の悪魔は二度と再びそなた達を苦しめることはないだろう』
「ありがとうございます、ナルアー様!」
『礼には及ばぬ。生き残った者達で力を合わせ、街を復興させるがいい』
「は……」
承諾したものの、ワイスはどこかすっきりしない様子だった。
『どうした、ワイスよ? 迷いがあるようだな』
「ナルアー様。我が神は……聖堂の神は、私達をお見捨てになられたのでしょうか?」
老司祭はすがるようにたずねる。
死の街で誰よりも真摯に救済を願ったのは、ワイスであった。
ナルアーはゆっくりとかぶりを振った。
『――いや、そうではあるまい。聖堂の神はお前達を信じたのだ』
「信じた……私達をですか?」
『そうだ。人が神を信じるように、神も人を信じる。人がよりよく生きようと努力することを信じる。自らの手で試練を乗り越えられるだろう、と信じるのだよ』
すべてを受け入れるようにナルアーは大きく両腕を広げた。
『人を慈しみ、成長を信じる。それが神の愛だ』
「おお……!」
感動に打ち震えるワイス。
ナルアーは満足気に首肯すると、がらりと口調を変えた。
『だが、それはそれとして……まあ、ちょっと早かったというか、試練が厳しすぎた面もなきにしもあらずかな』
「え? ええ、まあ……」
『だよね!? 死ぬまで追い込まれてもさ、さすがに困るよね? 人間はさ、生きてこそだから!』
「それは……そうですな」
ワイスも認めざるを得なかった。実際、街は全滅しかけたのだ。
あと半日、アリア達の到来が遅れていたら手遅れになっていただろう。
『聖堂の神ってヴァレティノだよね。んー、まあ、ちょっとあの方もキツいとこあるんだよね。いや別に悪口じゃないよ? もともと厳しい性格だし、所帯も大きいし、細かい案件は下にお任せになりがちなんだろうね、うん』
「な、なるほど」
『今回の件は僕も偶然、小耳に挟んでさ。ちょっとこの試練は人類にはムリ目じゃない? ヤバくない? って思ってたところに、助けを求める祈りが届いてね。これは一肌脱ごうかな、って』
「あ、ありがとうございます! ナルアー様のご温情、誠に感謝の極みでございます!」
平伏するワイス。
いやいや余計なことしちゃったかなー、とナルアーは鷹揚に笑ってみせた。
『ともかく少しでも生き残れてよかった。ただ、人の世には色々あるからさ。また災難に遭うかもね』
「何ですと! また……また、このような試練にむち打たれる時が来ると!?」
ワイスは表情を引きつらせた。
九死に一生を得たと気をゆるめたとたん、次の試練を示唆されたのだ。
動揺と恐れがさざ波のように避難民達の間に広がっていく。
「我々はもう十分に苦しんだはずです! こ、これ以上は本当に全滅してしまいます!!」
『いや絶対じゃないよ? 僕、絶対試練があるとは言ってないからね。しかし、もし……万が一、同じようなことが起きた時、聖堂の神の対応は同じじゃないかな』
「そ、それは……」
否定する言葉は出なかった。
ナルアーは困ったような声で、追い打ちした。
『悪いけどその時、僕に祈りは届かない。今回は偶然なんだよ。僕は君達の神じゃないからさ、宛先が違うだろ?』
「そ、そんな……っ!!」
『おや、ひょっとして困るかな?』
「困りますっ!!」
『そうか。それなら――ワイス司祭、実はお得な乗り換えプランがあるんだが、興味はあるかい?』
慈悲深い微笑みをたたえ、ナルアーはすらすらと説明を始める。
二年縛りが気になるものの、乗り換えにともなう費用や違約金、神罰はナルアー側が全面負担、お布施最大二十四ヶ月間二割引、ついでに足も治してくれるなど、確かにお得そうである。
最終的にワイスは改宗に同意した。
後に彼はナルアー教 ワイス派の開祖と呼ばれることになる。
□
曙光が差し、生き延びた人々は動き始めた。
食料の確保、死体の埋葬、生存者の救助など急ぎの案件だけでも仕事は山積みだ。ワイスが中心となり、話をまとめてすべきことを割り当てていく。
皆の表情には力強さが戻っていた。
疲労や悲痛はあるにせよ、絶望に手を止める者はいない。
恐怖の夜は明けたのだ。
『僕らがすべきことは終わった。後はこの地に生きる人々の奮闘に任せよう』
満足そうなナルアーに対し、アリアは少々不機嫌だった。
「ふん。至高神だのお乗り換えだの、あんなペテンにわたくしの身体を使われては困りますわ!」
『仕方がないじゃないか、僕は直接来られないんだもの。この身体で勧誘するわけにもいかないだろ?』
輝く毛玉がアリアの目の前をふわふわ飛んでいた。
ナルアーに憑依されるとミィヤですら神々しさを帯びてしまうのだ。
ただ、確かに人を説得するのに適した姿ではない。
『まあ、そんな話より君の願い事は何にするのか、教えて欲しいな』
「もしかしてそれを確認する為にミィヤの身体を借りましたの?」
ナルアーはうなずく。
無事フェリナは助かり、信仰心の獲得にも成功。
アリアは御使いの任務を完遂した。
次はナルアーが約束を果たす番であった。
「せっかちですのね。別に帰ってからでもいいんじゃありませんの」
『禁域へ人を招来すると結構な神通力を消耗するんだよ。君が御使いを辞めてウララカ王国へ戻るなら、ここから送る方がずっと楽なんだよね』
半壊した教会の周囲で立ち働く人々の中には、フェリナの姿もあった。
アリアと視線が合うが、フェリナは表情を曇らせ、仕事に戻ってしまう。
『君達ケンカでもしたの?』
「違いますわよ。さっきフェリナからちょっとしたお願い事をされましたの。返事を保留にしましたから、わたくしに断られると思っているのでしょう」
『ふーん? よくわからないけど君、何か迷っているのかな?』
「――まさか」
爽やかな風が吹き抜け、長い髪を踊らせる。
アリアントージュは快活に笑った。
「何事も一直線に己の意思を貫徹する。それがわたくしの生き方ですもの」
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次回更新は6/26(金)の予定です。