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8月3日
夜8時頃、入浴を済ませ、部屋へと戻ったところで、携帯電話のランプが光っていた。
着信を見ると、椎名からだった。
椎名か・・・。
椎名とは私が家に行った時以来会っていない。
正直言ってしまうと今私の知人の中では最も気まずい相手かも知れない。
だが、いつまでも気まずいままにしていてもお互いのためにならない。嫌でも2学期には顔を合わすのだから。
それに電話をしてきたということは、少なくとも私と何らかの話をする気持ちになったということだ。
私は意を決してコールボタンを押した。
思いの外椎名は早く電話に出て、コール音は2回も鳴らなかった。
『もしもし。』
「あ。私だ。君島だが。さっき電話したか?」
『したよ。もう出てくれないかと思っちゃった。』
思っていた以上に椎名の声は普通のトーンで安心した。
「いや。風呂に入っていてな。出れなかったのだ。」
『あー。ごめん。タイミング悪くて。』
いつもの感じだ。
「気にするな。それより、どうしたのだ?わざわざ電話とは。」
『うん。あの・・・さ。この前はごめん。』
最初に謝られるか。椎名のこういうさっぱりしたところには助けられる。
「・・・いや。私の方こそ済まなかったと思っている。椎名は大切な友達だ。こんなことで失いたくはないのだ。」
『・・・友達・・・か。うん。ありがと。』
少し歯切れの悪い椎名の返事。私は今しかないと思った。
「椎名。私の話を聞いてくれるか?」
『・・・何?』
「私は椎名のことが好きだった。」
『・・・うん。』
思いの外冷静に話を聞いてくれている。私はそのまま話を続けていった。
「椎名のことを見ると、胸がドキドキして、緊張してしまって、うまく話せなくて。なのに目で追ってしまったり、制服から覗く太ももやお腹を見てしまったりな。」
『・・・エッチ。』
「ふふ・・・。そうだな。とにかく私は椎名のことを途中までずっと好きなんだと思い込んでいたのだ。」
『・・・うん。・・・知ってた。』
椎名の声はとても穏やかなものだった。
「だが、私の心の中にいる相手は、私がずっと側にいたいと、一緒の時間を過ごしていたいと思える相手は他にいたのだ。」
『・・・うん。』
「私は昔から人を好きになることはなんてわがままな想いなのだろうと、そんな想いは、わがままは相手に伝えるべきではない。そっと心の中にしまい込んで殺してしまうべきだと、そんなことを思っていたのだ。」
『・・・。』
「だから私は椎名への想いも、その子への想いも全て無かったものとしてしまうつもりだった。だが、途中からはその子への想いが大きくなりすぎてしまって、それを誤魔化すように、まぎらわすように、椎名への想いに逃げるような真似をしてしまい、結果こんなことになってしまった。本当にすまない。これこそ私のわがままだったのだ。」
『・・・うん。ほんとバカ。迷惑よ。』
椎名は今、電話越しに泣いているのだろうか。声からはわからなかったが、私はなんとなくそんな気がした。
「椎名。」
『何よ?』
「こんな私でも、これからも友達でいてくれるか?2学期になっても同じように接してくれるか?」
『ふざけんじゃないわよ!どれだけ人の気持ちを弄ぶのよ!この天然ジゴロ!バカ!』
そうだ。こんなことをカミングアウトされて、普通なら怒るのが当たり前だ。しかし実際に言われてみると予想以上に堪えるものだな。
「・・・すまない。」
謝っても許してもらえるようなことではない。だが、今までの自分の行いを考えると、そうせずにはいられなかった。そして私にとって、椎名が大切な存在であることに変わりはないのだから。
『・・・いいわよ。もう許してあげるわよ!』
突然の椎名の申し出。信じられない。一体この女はどこまでお人好しなのだ。
「自分で言っておいてなんだが、・・・本当にいいのか?」
『ただし、条件があるわ。』
「・・・条件とは?」
『ちゃんと君島くんの、あなたのその想いにきっちりケリつけてよね。中途半端にしないで、その気持ちをあなたが本当に伝えたい相手に伝えること!』
そう来たかとは思ったものの、椎名との関係を完全とは言えないまでも、この場を借りて精算できた今の私に迷いなど微塵もなかったのだ。
「・・・ああ。最初からそのつもりだ。」
私は胸を張ってそう答えた。
『・・・あ、そう!言ったわね!じゃあ・・・。』
そうして椎名はこの夏に、再びイベントを提案してきたのだった。