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「上がって。荷物はそこに置いてくれていいから。ちょっと散らかってるけど、そこは目をつぶってね。」
「ああ。お邪魔する。」
結局私は、椎名に連れられるまま、家まで来てしまった。途中寄ったコンビニで買った弁当を、リビングのテーブルの上に置き、荷物を肩に掛けたまま、椅子に腰掛ける。
椎名は台所で軽く手を洗ったあと、コップを2つテーブルに置き、扉が上下に2つついた白い冷蔵庫の扉を開けて、お茶を取り出した。
その際、椎名の体勢が前屈みになり、スカートが揺れて、こちらから太腿の裏側が見えて、私は目を逸らした。
そしたら今度は目線の先に、奥の部屋の二つ折りに畳まれた布団が見えて、ドキリドキリと心臓の鼓動が頭に響き始めた。
「じゃあ、食べよっか。」
振り向いた椎名と目が合い、むせるような溜飲を味わいながら、
「そ、そうだな。」
と声を絞り出す。
向かい合って椅子に座りながら、しばらく無言で弁当を口に運んでいく。まるでこの動作しか今は許されていないかのように。
割り箸がプラスチックのトレーに当たり、食べ物を咀嚼する音と重なってそれだけが私の鼓膜を揺さぶってくる。
妙に口の中が渇いてお茶を3杯飲みほしてしまった。
やがて食事も終わり、コンビニの袋の中に弁当の残骸を放り込む。
「はあ。お腹いっぱいだね。」
「そうだな。」
先程から2人とも機械的な会話しかしていない。私はいつの間にか椎名の方を見れなくなってしまっていた。気がつくと視線が椎名の胸回りや首回りの方にばかりいっていて、ハッとして壁や部屋の隅に視線を走らせる。そんなことを繰り返していた。
時計を見ると9時近くなっていた。ここに来たのが何時かも覚えていない、どれくらいの時間をここで過ごしたのか、30分?1時間?それ以上?実は15分くらいだったりするのだろうか。
「じゃあ私、シャワーでも浴びようかな。けっこう汗かいちゃってるし。」
そう言って椎名は立ち上がった。
私は今度こそこれはだめだと思った。
これ以上、ここにいてはいけない。もう限界だと。
「そ、そうか、じゃあご飯も食べたしそろそろ私は帰ることにするのだ。」
私も立ち上がり、鞄を左手で掴み、右後ろに位置する玄関へと移動する。
「待って!」
椎名の声が、あまりにも鋭くて、私の肩がびくんと跳ね上がったのが自分でもわかった。
立ち止まっただけなのにこれでもかと心臓がバクバクと血液を身体中に送り込む。
背中越しにパサッと乾いた布が落ちるような音が聞こえて、プチ、プチ、プチと言う音が回を重ねる毎に近づいてきて、私の真後ろで止まった。
次の瞬間椎名の柔らかい感触が背中いっぱいに広がった。
私の両手に椎名の両手が重ねられて、完全に身動きができなくなった。
「君島くんは、私のことが好きなの?」
椎名の声が、背中越しに聞こえて、椎名の感触がミリ単位で動くことすら感じられる。
「・・・。」
私は金縛りに合ったように、体の全ての機関が言うことをきいてくれない。椎名が放った問いかけに、答えることができない。
やがて椎名の両手に力が込められ、私は椎名の方を振り向かされる。
ドサッと鞄が足元に落ちて、私と椎名の視線が絡まった。
椎名の潤んだ目を見ていないと、椎名の白い肌や、胸元に覗く白い布や、露になっているおへそや太腿や、椎名の色々な部分に視線を這わせてしまいそうで、目が離せなかった。
だが、そうすることによって、椎名に私の心の全てを見透かされてしまいそうで、恐ろしくなった。
「もしそうなら、私のこと、好きにしてもいいよ?」
潤んだ椎名の目から、一筋涙がこぼれた。
それを見た瞬間、私は金縛りが解かれたように、体の全ての機関がその性能を取り戻したように、力を込めた。
「違う!違うのだ!私はっ!そうじゃない!椎名!」
私は椎名の手を振りほどいて力いっぱい叫んだ。
そして椎名の見開かれた目を見て更に伝える。
「私は、こんなことを望んではいない!椎名!やめてくれ!」
椎名から目を逸らさずに、椎名に私の瞳の全てを見せつけるように。
しばらく私たちは動きを止めていた。
「・・・わかんない。」
先に目を逸らしたのは椎名の方だった。
「わかんないよ。君島くん。あなたがどうしたいのか。私には全然わかんない。」
私が・・・どうしたいのか?
椎名はそう言うと後ろを向いて、熱が冷めたように制服を正し始めた。
「もう、帰っていいよ。」
制服を正した椎名は、そのまま振り返らずに、顔だけを横に向けて、最後にそれだけを言った。
私は何も言葉を発することのないまま、椎名の家を後にした。