87.勤勉な人狼に休息を
「えっ千枚ってえぇえ!?」
クリハバタイ商店内にどよめきが起こり、いつしか増えたギャラリーたちがその幻の素材と金貨千枚を一目見ようと人だかりを作る。
「わっわっ!? みなさんの買い取り場所はこっちですよ~」
ごめんなさいミルクさん。
「ちっ! こぉら野次馬どもぉ! 見せもんじゃないってのよ! ちれっ ちれっ!」
ティズはこの前のローグの襲撃の教訓を生かしてか、冒険者たちを飛び回って騒がしく追い返していく。
「あっという間にお金持ちだねぇウイル君……」
シオンは驚いたような感心したような複雑な表情をしたままそういい、僕もおそらく似たような表情でシオンの言葉にうなずく。
「まさかこんな大金を手にする日が来るとは夢にも思わなかったよ」
「えぇ、私も素材一つでこれだけの値段がする魔物は、初めてですね」
「しかしこんな大金どうやって使おうか」
「とりあえずお酒百本買いましょう!」
「とりあえずそれは却下で」
「なんでよう!」
「じゃあ呪いの本千さ……」
『却下』
「あーん!?」
「ふふふ、楽しそうで何よりだけど、とりあえず高額な商品だから契約書を用意するね」
「え? いつも通りの手渡しじゃないのかしら?」
「金貨千枚なんて怖くて契約書もなしじゃ扱えないよ、とんでもない品物だから、きちんとクラミスの羊皮紙で売買取引があった記録を残すの。 この王都ではこれ以上の証拠はないからね……」
「まぁそういわれればそうね……」
ティズは納得したように一つうなずくと、リリムさんは薄い光を放つ白い羊皮紙、クラミスの羊皮紙を取り出して僕の前にペンと一緒に置く。
「う、じゃあ、書くよ」
緊張する。
ただの羽ペンのはずなのに鉛の塊でも持っているのではないかと思えるほどにそのペンは重く感じる。
名前のスペルとか間違ったらどうしよう……。
そんなくだらない心配が重く僕にのしかかり、一瞬に羽ペンのはねが汗を吸ってしなびた葉っぱのようになる。
震える手を何とか抑えながらゆっくりと名前を書くこと約一分、僕は無事スペルを間違えることなく、契約書を完成させる。
今日一日で一番疲れた作業であったことは間違いないだろう。
「これで契約成立! お金の方は今すぐ手渡してもいいんだけど、準備に時間もかかるから今度まとめて届けるでいいかな?」
「お金は今のところ入用じゃないから、構わないですよ」
「じゃあそういうことで!」
「運んでもらった方が襲われる心配もないですしね」
「でも泥棒さんが心配だね」
「まぁ、それは届いてから考えましょ。 金貨千枚もあれば迷宮の壁位丈夫な金庫だって買えるでしょうしね」
僕たちはあまりの大金に、大金を手にした人間特有の薄気味悪い笑みを浮かべながら金貨千枚に酔いしれる。
「じゃあ、今日の食人植物の種の分の銀貨三枚だけ渡しておくね」
そういうとリリムさんはカルトンの上に銀貨三枚を丁寧において、僕たちはそれと、クラミスの羊皮紙に書かれた金貨千枚の契約書を受け取る。
「また奪われても困るし、サリアが持っていてくれるかい?」
「わかりました、命にかけて、お守りします」
いつもなら大げさだなぁと苦笑をするところだが、今回ばかりは話は別であり、サリアもそのことを理解しているのか、厳重に羊皮紙を補完するため、丸めてひもで結び、瓶の中に詰めて慎重にバッグの奥底に金具のベルトを止めるというおまけ付きで保存する。
これだけ慎重をきしていればサリアならば大丈夫だろう。
そう僕は安堵のため息を一つつき、一つの大きな取引を終了するのであった。
「ふ~私もおっきな取引だったから緊張しちゃったよ」
リリムさんも平常を装っていたが、やはり金貨千枚は大きな取引だったらしく、額に伝う汗を手で拭っている。
「やっぱり金貨千枚なんてそうそうないんですか?」
「そうそうないというか、金貨千枚単位の取引なんて、年間契約だとか、ほかの国との交易くらいでしか取り扱わないよぉ……」
確かにそうか……。 リリムさんの話を聞いてまた僕はが汗ばんでくる。
「見ているこっちまで緊張しちゃったわよ」
なぜかティズも手を震わせながらそんなことを言ってくる。
それだけ緊張する取引であったが、とりあえずは無事に終了することができた。
そう思い、僕は安堵に一つ息をつくと。
「あ、そうだ。 買い取りのせいで切り出せなかったんだけど、ウイル君に頼まれていたものもできたから、渡しておくね」
そういうと、リリムさんは商売机の中に手を入れ、ひとつの鎖帷子を渡してくれる。
「もう直ったの!? 相変わらず仕事が早いわねぇあんた」
それは言うまでもなくミスリルの鎖帷子であり、僕はリリムさんの体調を本気で心配してしまう。
おとといのデートの時に小手が直っていたということは、昨日も仕事終わりに作業をしたということだからだ。
「リリムさんの方こそ、無茶してるんじゃないですか?」
僕はそう心配の意味も込めてリリムさんに言葉をかけると。
「無茶はしてないよ、ただちょっと、頑張っちゃっただけ」
リリムさんは、いつも通り素敵な笑顔で僕にウインクをするのであった。
「うっ」
「あんたの負けよウイル、第一この狼娘を休ませたいんだったら、あんたが体張らないとだめよ」
「え?」
それはどういう意味なのだろうと首をかしげると。
「どうせ今日はトチノキに私たちが来たら休憩するって言って、この時間まで休憩なしで働いてたんでしょう?」
ティズはあきれ気味にため息を漏らしながらそういうと、リリムさんは驚いたような顔をして。
「あれ? なんでわかっちゃったんですか?」
なんていう。
「え、今休憩中だったんですかリリムさん
と言うか休憩取って無いって!?」
どうりで僕達以外の人がいないわけだ。
「うん、ウイル君たちが来たら休憩に入るからそれ以外の人は通さないでってお願いをしたんだ。 よく気付いたね」
「後ろで歩いていた九人の人間が途中で何者かにこっそりとしめだされりゃ誰だって気づくわよ、まぁ荒っぽいことはしてないんでしょうけど、あのあほ親父もリリムのためにやりすぎよ」
「まぁしかし、彼女の働きぶりは目を見張るものがある。 そして何より勤勉だ。 少しぐらい特別扱いしてもばちは当たらないでしょう」
「まぁそうだけどねぇ……あの親父もエロいからねぇ」
「今日は特別だよ、ウイル君にミスリルの鎖帷子を渡さなきゃいけなかったから」
「そんな、あとでもよかったのに」
「少しでも遅れて、ウイル君が怪我したら大変だもん」
リリムさんは笑ってそういうが、僕は本気で体の心配をしてしまう。
文字通り朝から晩まで、しかも装備の修理を夜に行うだなんて、いくら人狼族が体力に優れるといっても無限というわけではない……。
「トチノキさんも、そんな特別扱いするなら休みを上げればいいのに……」
「いや、多分アンタが休み自分でつぶしてんでしょ、ワーカーホリック」
「あれ? ティズさんどうしてそんなに私の事知っているんですか?」
「丸わかりよ」
ティズは再度あきれたようなため息を漏らすと、飛んで行ってリリムの頭の上に止まる。
「やれやれ、リリムの頑張りすぎにも困ったものですね」
サリアはそんなやり取りに苦笑を漏らす。
「そうよ、この狼のことだからきっと五日間飲まず食わずであんたの剣をうつわよ? サリア」
「それは困る、妖刀を持つと聖騎士はステータスにマイナス補正が掛かります! マスター、即刻リリムを説得してください」
「いやいや、飲まず食わずで五日も人間は生き残れないから。 大丈夫だよ、ちゃんとしっかり休んでるから」
「じゃあ、アンタ今日で何日目の徹夜よ」
「えーと今日の夜を含めると3かな」
体休めろって言ってるのにすでに今日の徹夜もする気満々なのか。
ダメだこの狼、早く休ませないと。
「悪いことは言わないわリリム、アンタ明日は休みもらいなさい、トチノキならくれるでしょう? 祭りだし」
あのリリムさんに噛みついてばかりいたティズがこれだけ心配をするのだ、リリムさんの働きすぎはやはり冗談では済まされないレベルの様だ。
「明日は祭りなんだから、クリハバタイ商店だって暇でしょう?」
「まぁおそらくそうでしょうが、祭りに行くという子も多いですし」
「気にするこたないわよ、どうせ客なんて来ないんだから誰がいたって同じよ」
「でも……」
「そう? 今ならウイルを貸し出すんだけど」
渋るリリムに対し、ティズは一瞬考えた後、不敵に笑みをこぼしながらそんなことを言う。
「へ?」
僕は一瞬ティズが何を言ったのかを理解することができずに、もう一度聞き返そうとするが。
「今すぐ休みとってくる!」
それよりも早く、気が付くとカウンターの前にいたリリムさんは消えており、なぜか階段の上から彼女の声が響いていた。
「早い……さすがです」
「恋する乙女はすごいねー」
どうやらシオンとサリアはリリムさんの動きをおえていた様で、感心したような言葉を漏らし。
「しかし、いいんですかティズ?」
サリアはリリムさんからティズに視線を戻して問う。
「いいのよ、どうせ私たちは全員生誕祭に行って、ウイルは家にいるんだから。
色々と世話にもなってるし、倒れられたら困るしね……あぁでも狼なんだよなぁリリムって」
自分でいいだしておきながら早くも後悔し始めている所と僕の意思は完全に無視というところがティズらしいが、リリムさんがお休みをとってくれる気にさせたのは正直ファインプレーとし言わざるを得ない。
ただ一つの問題を除いては。
「でもティズ……僕は生誕祭にはいけないんだけど」
そう、カルラとの約束で僕は生誕祭に出ることはできないのだ。
「本当に律儀だよねーウイル君……祭に行くななんていじめみたいな約束守るなんて」
「まぁ、そこがマスターのいいところですが……しかしそうなると困りましたね」
「どっかの占い女との約束だっけ? だったら関係ない静かなところに行きゃいーのよ。
パレードなんて人ごみに連れてったら余計に疲れちゃうじゃない」
「あぁ、そうか」
「そういえばそうだねー」
僕もシオンもサリアでさえも、ティズの配慮に納得と感心をしてしまう。
「流石はマスターのパートナー。 懐が広いですね! 恋敵であろうとも恩義を忘れないとは……マスター、これで問題はすべて解決です。せっかくなので明日はしっかりとリリムを休ませてあげてください」
「う、うん!」
「ちゃんと今日だけは特別ってリリムに念を押しておくのよウイル! アンタはあくまでわ・た・し・のウイルなんだから」
仲間たちに背中を押されて、いつの間にか僕はリリムさんと明日一日を過ごす流れとなった、それは当然僕にとっては最高のご褒美であり、店の中であれば飛び跳ねて喜ぶイベントであり、僕は早くも明日のことで夢を膨らませる。
まぁ、それはいいのだが、一つ疑問が残る。
「ところでそれはいいとして、どうしてリリムさんは急にお休みを取るきになったのかな?」
さっきまであんなに渋っていたのに……気が付いたら急に休みを取る流れになっていた……ティズが何かしたのかな……。
僕はそんなことを考えていると、気が付けば仲間たちの暖かな目は凍てつく波動へと変貌しており。
『朴念仁』
「ええぇ!?」
同時にそんな辛辣な言葉が僕の胸を刺す。
「お休み取れたよー! ウイルくーん!」
凍てつく波動に串刺しにされた僕に、二階からリリムさんの暖かな言葉が降り注いだ。




