77.サリアさんは寝相が悪い
「くあ~……あ」
光のまだ差し込まない冒険者の道にでて、僕は一人あくびをする。
「静かだ」
町は至って平穏無事、明日へと控えたロバート王聖誕祭の活気は早朝には残っていないらしく、人々は明日の大騒ぎに備えて力を蓄えるかのように深い眠りへと落ちている。
今日に至っては騒がしくさえずる鳥の声さえもまばらであり、僕は珍しいそんな静かな朝を楽しみながら、朝食の用意をするために井戸に水を汲みにいく。
いつもと変わらない日常に、いつもと変わらないルーチンワーク。
今日も今日とて迷宮へと潜るために、僕は居候三人のための朝食作りの準備を始める。
「明日は生誕祭かぁ」
ロバート王の聖誕祭。 今年からこの街にやってきた僕にとっては始めてのこの町の一大イベントであるが、日を負うごとに町が姿を変えていく様は流石は王都といった所であり、
所構わずロバート王の旗が掲げられ、家々の壁には所狭しと聖誕祭の出し物の張り紙が張られている。
昨日の夜は泥酔していたため確認しなかったが、我が家の壁にも大量に張り紙が貼られており、僕はとりあえずクリハバタイ商店の張り紙――このスタンプ代わりに押されている肉球の形はきっとリリムさんだ――だけを残して他のものは剥がして捨てておく。
町はすっかりお祭りムード。
元々活気付いた街ではあったが、思えば聖誕祭が近づくにつれて、街はまた一風変わった活気のつき方を見せている。
そう、言ってしまえば皆が皆浮かれているのだ。
だが、それは決して呑気というわけではない、平和と調和を望む英雄王に皆が皆手を取り合って幸せに生きている、その姿をこの街は無意識のうちに王へと捧げているのだ。
それが、英雄王ロバートへの最大の貢物になるとみんな知っているから。
本当にここは優しい場所だ。
そんな感想を心の中で抱きながら、僕は一人朝食の準備をするために自宅へと入る。
と。
「おや、マスター、おはようございます」
そこには、既に冒険用の聖衣を身に纏ったサリアがいた。
「おはようサリア、早いね」
「いいえ、従者たるもの主よりも遅く寝ているわけにはいかないのですが、今日もマスターに負けてしまいました……やはり朝は苦手です……むにゃ」
どうやらいつも早起きなのは少し無理をしていたらしく、サリアはまだ眠そうだ。
「朝が苦手なら無理は禁物だよサリア、朝ごはんの準備のために早く起きているだけなんだから」
「しかひ……」
昨日のハッピーラビット戦、サリアには大きな負担をかけた。
腕の傷は回復呪文程度でなんとかなったようだが、それでも疲労はそう簡単にはぬぐえない。
これから先、サリアは同じように僕達をかばいながら戦い、疲労を蓄積させていくことになるのだろう。
そう考えると僕は、少しばかりサリアの体を心配してしまう。
今日眠そうなのも、昨日の疲れが完全に取れきっていない証拠だ。
「マスター? いかがいたしました?」
「サリア……」
「はい?」
僕はサリアの手を取る。
「体の調子は大丈夫? 今何か体に異常はない?」
「……! 現在進行形で自分の心拍数が上昇しているのを感じます」
「やっぱり、昨日のダメージがまだ残っているんだね」
「そんなはずは、傷は治療しました」
「それでも、ハッピーラビットを真正面から三度も受け止めたんだ、疲労は隠せていないんだろう?」
「確かに……この動悸と息切れは、はぁ……それが原因でしょう」
僕はサリアの手を離し、近くにおいてあったケープをかけてあげる。
「今日は無茶はしちゃだめだよサリア……」
「分かりました、約束します……」
笑顔を見せるサリアに、僕は微笑みかけて頷く。
「昨日のご褒美、サリアの好きなものを作ってあげるよ。 あぁ勿論僕の作れる範囲でお願いね」
「本当ですか! では……またあのフレンチトーストが食べたいです」
「そんなのでいいの?」
「ええ、とても美味しかった」
「わかった、じゃあ少し待ってて、フレンチトーストくらいならすぐに作れちゃうから」
そんなに僕のフレンチトーストを気に入ってくれていたとは、僕は少しだけ頬を緩めて、食パンとミルク、そして卵を探す。
あぁそうだ。 ハッピーラビットのお肉もまだ残っているし、今日のお弁当に入れてしまおう。
朝はフレンチトーストと軽食になり、たんぱく質も卵しかないので、力が出るように兎の肉を中心にしたお弁当にする。
ガドックにに兎の肉は東の国の調味料ソイソースを砂糖と混ぜたソースが美味しいと聞いたので――照り焼きというらしい――今日は其れをお弁当に入れてみよう。
僕はそう思案すると、頭の中で完成図を思い描き、調理を開始する。
先ずはこれから起きて騒ぎ出すであろう仲間達のための朝食だ。
こなれた手つきで朝食を作ること数分。
フレンチトーストは簡単に作れる料理のため、まだ日が差し込まないうちにできてしまう。
そのため、焼くのはサリア一人分であり、仲間の分は焼かずに卵とミルクにつけておく。
「おまたせーサリア……ってあら?」
「……くー……くー」
フレンチトーストを持って僕はサリアの下に向かうと、そこには可愛らしい寝息を立てて眠るサリアの姿があった。
「あらら、やっぱり疲れてたんだね……しかし」
僕は眼のやり場に困る。
「サリアって、寝像悪いんだね」
ケープをかけて眠っているのかと思いきや、サリアはかけてあげたケープを蹴り飛ばして、ソファの上でおなかを出して眠っている。
一体この数分でどんな眠り方をしたらこうなるのか……。
まぁ、美人のためどんな寝相であっても様になってしまうのがこのサリアという聖騎士の恐ろしい所だ……。 寝相が悪い所もかわいい。
ティズだったらそれはもう眼も当てられないことになっていただろう。
僕は少し眼のやり場に困りながらも、フレンチトーストをテーブルの上において、
衣服を正してケープをかけてあげようとする。
と。
見るつもりはなかったのだが、その時サリアのおなかに書かれた刻印が眼に入る。
初めて出会ったときは気が動転していて気にかけていなかったが……。
まぁ、エルフの人は魔法の力を増幅させるために子どもの頃から色々な儀式を行うって来たこともあるし、これもその類なんだろうか?
僕はそんなことを思いながらも、衣服を直してケープをかけてあげる。
と。
「んっ……」
「えっ!? さ、サリア?」
不意にサリアはケープをかけた僕の手を握る。
その真意が読み取れず僕は頬を赤くして心臓が恐ろしい勢いで高鳴るが。
「いけませんマスター……その先は、迷宮の終わりむにゃ……サリアにお任せぇ……すぴー」
寝ぼけているようだ。 しかも夢の中のサリア随分とお茶目だ。
「……っもう……夢の中でも戦っているなんて……」
呆れるやら感心するやら、僕は苦笑を漏らしながらそっと手を外してお弁当の準備を始めようとするも。
「ん?」
少し力を入れているも、サリアの握力はすさまじくびくともしない。
「さてどうしようか」
無理に引っ張ったとしても結果は同じで会ろうと僕は考え、仕方なく僕はその場に座り込み、ソファの上で眠るサリアを見上げるようにしながら寝顔を拝むことにする。
手を離してくれないんだから仕方ないね。
「くー……私の魔法で~……すぴ~」
可愛らしい寝顔から発せられるサリアのどたばた冒険活劇に耳を傾け、僕は微笑みながらこっそりサリアの頭を撫でる。
絹よりも優しい肌触りが僕の手に伝わり、撫でるとサリアは微笑んだ。
しかし……夢の中でのサリアは魔法使いになっているらしく、よっぽど魔法使いになりたかったことが伺える。
生まれながらにして魔力が存在しなかったサリア……。 聖騎士のスキルとしてアイテムの力を借りて神聖魔法はかろうじて使えるが、マスタークラスの冒険者になった今でも魔法は使うことは出来ないでいる。
エルフに生まれた少女は……幼少の時代をどのようにして過ごしたのか。
人生の殆どを、魔法へのコンプレックスを抱いたままに生きてきた少女の過去は計り知れず、彼女は僕をその呪縛から解き放ってくれたと言った。
何をしたわけでもないが、彼女は僕に感謝をしてくれている。
だが、彼女は克服したと言っているが、まだ魔法の使えない自分に自信を持てていない。
それは、サリアの足元にも及ばない冒険者である僕から見ても明らかであり、サリアも薄々と気付いておりそれを克服しようと努力をしている。
……刀を欲しいといったのも、その努力の一つなのだろう。
ありのままの自分を受け入れて、コンプレックスを克服するための。
「でもやっぱり、克服しても憧れは消えないよねぇ」
僕は夢の中で魔法使いとなって大活躍をするサリアの手を取り、祈る。
なんでもいい……借り物ではない、彼女の魔法を与えてくださいと。
奪うことしか出来ない僕のスキルでは何も出来ないから、僕は祈るしかない。
どうせなら敵を一撃で消滅させるスキルなんかよりも、誰かを一発で笑顔にするスキルの方が欲しかった。
そんなことを考えていると。
「……あれ、私眠って……て、ええぇ!?」
「あ、おはようサリア、ごはん出来たよ」
サリアは眼を覚まし、顔を真っ赤にする。
まぁ、誰だって自分の寝顔を見つめられていたら赤面もするだろうし、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、こればっかりは勘弁していただきたい。
「えと、サリアが手を離してくれなかったから」
「ふあっ!? あっあわわわわ! も、申し訳ございませんマスター!
ゆ、夢の中でマスターの手をとってグレーターデーモンから逃げていたんです! って何をいってるんだ私は!」
「夢の中のサリア、結構お茶目だったよね」
「あっあっあっ!?」
もはや色んなものが頭の中で渦巻いて情報処理が追いつかないらしく、茹蛸のように顔を赤く染めてサリアは口を魚のようにぱくつかせて、ようやっと手を離してくれる。
「とりあえず、朝ごはんにしよっか」
コクリと、サリアは頷き、僕はサリアと共に朝食を取る運びとなった。
◇