70. ハッピーラビット~首切りウサギ~
「うぅ、歩きにくいわね」
木々生い茂り、生命の息吹にあふれる迷宮第二階層。
「なにこれ、こいつも魔物なの? 随分と可愛らしいわね、いる場所間違えてんじゃないの?」
「ティズ、それはポイズンフロッグです、触るとティズだと死にますよ」
「ひえっ!?」
太陽虫という恩恵と吹き抜けのおかげで、迷宮第二階層は迷宮にして唯一生命にあふれており、それでいて食物連鎖の構図が出来上がっている。
それに加えて冒険者の襲撃もあり、迷宮二階層に生息する生物は一階層のそれとは異なり、生まれながらに外敵から身を守る方法を獲得しており、このような小さな魔物の多くが毒をもっているとのことだ。
少しでも生き残る確率を上げるためにあらゆる手を尽くして生存をしなければならない場所、それが迷宮第二階層であり……、そしてそれは僕たちにも言えることだ。
「がああああああ!?」
不意に、茂みの中から野犬が現れてシオンへととびかかる。
「わっわっ!?」
「シオン!!」
完璧なタイミング、完全に虚を突いたアタックドッグの一撃は、シオンへ届く前にサリアの一撃により阻止され、アタックドッグは命を落とす。
「無事ですか?」
「あ、ありがとうサリアちゃん……」
「大丈夫? けがは?」
「ありがとうウイル君、怪我はないけど、ここ歩きにくいし、なんか木の棘が刺さって痛いし……焼き払いたい」
「大火事になりますよシオン……そうなれば大惨事ですシオンも死にます」
「シオン、森は燃やしません!」
「あんた自分に実害が出ることだと途端に聞き分けがよくなるわよね……しっかし、毒持ちに待ち伏せ……なんだか迷宮探索っていうよりも秘境探検っていう方が似合うわね」
ティズはあきれたようにため息をつきながら、シオンの頭の上に座ってそんなことを言う。
「まぁそうですね、しかしその分森による恩恵もあります……例えば」
ガチャン。
「あっ」
サリアが何かを語ろうとした瞬間、何かを踏んだような音が響き、振り返るとシオンが青い顔をして足元を見ている。
そこにはトラップのスイッチがあった。
「ちょっ……あんっ」
木々や草に隠れて見えなかったのだろう、現に僕たちは気づかずに素通りしていたのだ……誰もシオンは責められない、責められないが……。
ピンチである。
不意に壁から串刺しの槍が伸びてきて、僕たちの体を貫こうとする。
「いやああああ!?」
シオンの絶叫が響き生命力5の少女は消失の危機に陥る……が。
「大丈夫ですよ、マスター」
「へ?」
その槍は僕たちに届くことはなく、途中で木の幹に刺さりったり、何かが絡まるような音が響いて動きを止め、ゆるゆると元の位置に戻っていく」
「た、助かった?」
「ええ、ご存知の通り迷宮というのは魔力の壁に覆われた構造で、地面は床に土を積もらせてできたものです。 そのため、罠というのはその土の部分を掘って設置をするのですが、ここは木々が生い茂っており、所狭しと根を張っています。 そのため、迷宮の罠にも根が絡まり、作動を阻害するのですよ。 なので、この迷宮二階層で罠にかかって死ぬ人間はそうそういません」
得意げに説明をするサリアであったが。
「な、何よりも先にその説明を先にしてよサリアちゃん……」
目に涙を浮かべながらシオンはへなへなとその場に座り込む。
迷宮第二階層はいろいろと心臓に悪い。
「ほかには注意しておくことはないの? サリア」
とりあえず、今までの常識はほとんど通用しないということは分かったので、僕はサリアに先に注意点等を聞いておく。
「そうですね、毒消し等は私のディスパラライズ、ディスポイズンで何とかなりますが、問題なのはライカンやアタックドッグ、バイパー、ビッグベアのような大型な肉食獣が出現するようになるということと……魔法を使う敵が現れるようになること……そして何より……」
と、サリアの説明の途中であったが、目前の茂みが揺れ、魔物の到来を告げる
「敵襲だよ! ウイル君!」
警戒を促すシオンの声に僕はホークウインドを構えて敵の到来に備える。
一体何が出てくる……ポイズンフロッグか? それともライカンスロープ……。
「来ます!」
サリアの言葉に僕はホークウインドを握る力を少し強める……が。
「むー……むー」
目前に現れたのは一匹のウサギであった。
「ウサギ?」
「なによ、どうやら毒も爪も牙も持たない動物もしっかりいるみたいね、か、かわいいじゃない」
「かーわいいーー! はぐしたい ぎゅーしたーい! ウイル君! 飼っていい? 飼っていい!?」
冒険者であり、まともに面倒を見ることもできなければいつ死ぬかもわからない僕たちが動物を飼うことは許可することはできないが、それでもその心の中での僕のルールを揺るがしてしまうほどの愛くるしさをそのウサギは有していた。
「むー? むー?」
「は……ハッピーラビット!?」
「ハッピー? 本当にハッピーってものよ!! こ、こんな愛くるしくてきれいな動物が迷宮で出会えるなんて、幸せうさぎ! わたしのもとへ来なさい! ほら! ほらー!」
ウサギは小首をかしげながら、僕たちへとひょこひょこと駆け寄ってくる。
「きゃー! もう辛抱たまらない! ぎゅーする! 私ぎゅーするー!」
女の子のかわいいものへの欲求とは恐ろしいものであり――僕へも多大な効果を及ぼしていることは差し置いて――ふらふらとシオンはそのウサギへと駆け寄っていく。
と。
「い、いけないシオン!!」
「しゃああああああああ!」
サリアの声と同時に、シオンの頭上から巨大な蛇がとびかかる。
「あの模様! ビッグバイパー!?」
隠密。 サリアにも僕にも誰にも気取られるなくその牙は無防備なシオンへと走る。
「よ、よけなさいシオン!!上よ! 死ぬわよあんた!」
「ふえ!?」
不意にシオンは後ろ振り返ると同時に敵を探して上を見上げる……が。
「違う! 下だシオン!!」
「はへええ!?」
上とした、矛盾した二つの怒号。
サリアとティズの声にシオンは混乱したのか、不自然な体勢になり。
その致命の一撃を奇跡的に回避する。
ぼとり……。
そんな擬音がぴったりと合う。
落ちるはずだったのはシオンの首であり、実際に落ちたのはビッグヴァイパーの首。
シオンが青ざめる。
そして僕もティズの顔からも血の気が引く。
理由は二つ。
一つは、その致命の一撃があの小さな愛らしい生物から放たれたという事実に驚いたから。
そしてもう一つは、サリアも含め、その一撃を誰一人として目で追うことができなかったからだ。
落ちるビッグバイパーの胴体……その先の木の幹に立つのは……。
「首はねウサギ、ハッピーラビット」
サリアが剣を抜き、構えをとる。
瞬間……。
「ぐぅ!?」
一閃……。
甲高い剣と何かがぶつかる音に僕たちは振り返ると、サリアがハッピーラビットの一撃を剣で受け止めている姿。
先ほどまでたっていた位置から十メートルほど後方に下がっており、その足元には轍ができている。
「なっ……」
「相も変わらずの速さですね……」
サリアのほほには一筋の汗が伝う。
「な……な……なっ」
声が出ない。
すべてのステータスが上限値のサリアの剣が……押し負けたのだ。
助走があったとはいえ、これだけの距離があったというのに。
「むー? むー?」
とぼけた声を出し、そのウサギは僕たちから距離をとる。
その速度はそこまで早くなかったが、サリアは腕を落とし、肩で息をする。
それは見逃したのではなく、あまりの威力に、手がしびれて追撃を仕掛けることができなかったのだ。
「マスター……気を付けてください、ハッピーラビットは、文字通り出会って生きて帰れることが幸せなウサギ、その速度と牙の威力は、私とて一撃で首をはねられるでしょう。
ぞわりと全員に悪寒が走る。
サリアでさえも死ぬというなら、僕たちはどうなってしまうというのだろう。
想像すらしたくない現実に僕たちは事の重大さを把握し。
「っく! だったら! 火炎の波!」
シオンが杖を振るい、詠唱破棄をして範囲炎熱魔法火炎の波を放つ。
森を焼くことなく、己が敵のみを焼きはらうその炎……いくら速くても避けることかなわないその一撃だったが。
「むー?」
「シオン!!」
甲高い音が響き、その音と同時に炎が掻き消える。
「え、う、うそ!? し、真空波でかき消された!?」
シオンの眼前、ウサギの牙がその首へと触れる数センチ先で、サリアの刃が間に割って入り攻撃を食い止めていた。
「グッ……あっ」
腕の腱が傷ついたのか、サリアは苦悶の表情を浮かべた後。
「あああっらあああああいい!」
怒声とともにハッピーラビットを弾き飛ばす。
「むむー?」
見た目だけなら可愛らしい表情と格好でジャングルの中へと吹き飛ばされていくハッピーラビット……このまま消えてくれればいいのだが、茂みから発せられる音はこちらに確実に近づいてきている。
「っぐ! メイク!」
ならばと、僕はメイズイーターを起動して消失を図るが。
「!?」
壁の形成など間に合うはずもなく、ハッピーラビットは僕の眼前へと走る。
三度目にして初めてその姿を目で追うことができたが、しかしだからと言って回避ができるわけでもなく、僕は死を覚悟するが。
「マスター!」
踏み込みと同時に僕を守るように振るわれる両断の剣。
サリアが僕を守るために無理な態勢からハッピーラビットの攻撃を防いだのだ……ゆえに。
「あっ……あぁっ!」
苦痛の声と同時にサリアの手から剣が弾き飛ばされる。
おそろしき力。 恐ろしき速度……。
これが迷宮第二階層……。
息をのみ、僕は絶望を知る。
ウサギの殺気は途切れていない。
サリアの剣を弾いたウサギは、距離を離すことはせずに、僕を見ているのだ。
まずい……殺される……。
脱兎のごとく。
走馬灯のごとく過去の記憶が僕の脳裏によぎり、同時にハッピーラビットの文献の一ページが思い出される。
その速度は迅雷の如く、その牙はいかなる名刀をも遥かに凌ぐ。
この魔物と出会ったものは幸せである。 何故なら、これと出会った後でそのことを誰かに語れているのだから。
それほど恐ろしく理不尽な迷宮の魔物……そう文献には書いてあり。
同時に確か弱点もあったはずだ……。
その一足は僕の首をとらえ、僕は右腕を首にか構える。
幸せウサギは急には曲がれない――普通のウサギは曲がれるが――この魔物はあまりの速さに、自分でさえもその速度に反応できず……止まることも曲がることもできない……。
最初に一度距離を離してから攻撃を仕掛けてきたというのに、今度はこの至近距離から僕を襲うとしている……その理由は単純だ。
この魔物は、三度も己の攻撃を防がれて焦っているのだ。
だからこそ至近距離で攻撃を仕掛けることにより、勝負を急いだのだ。
だが、いかに速度があるとしても、どこに飛んでくるのかわかっていれば。
「むーー!」
「はああああ!」
カウンターの餌食だ!
飛んできた牙が腕に当たり、僕はその突進を腕で弾く。
ひときわ大きく甲高い音が響き渡り、同時に幸せウサギはとんだ方向とは異なる場所へ弾き飛ばされ……迷宮の壁に激突する。
鈍く、何かが割れるような音が響き渡り、同時にサリアの弾かれた両断の剣がやっと迷宮の床へと落ちて刺さる。
「す、すごいウイル君……」
「マスター……まさかここまで」
シオンとサリアの驚愕の声だったが、僕はそれどころではなく、死の淵に立たされた感覚に肩で息をする……本当に成功するとは思わなかった……少しでもずれていれば、僕の首は確実にはねられていた……。
ハッピーラビットのほうを見てみるとピクリとも動くことはなく、遠目だが絶命していることは見て取れた。
僕は緊張の糸が途切れ、その場に座り込む。
全身から冷や汗が噴き出し、しびれる右腕を押さえて大きく息を吐く。
「これが、迷宮第二階層……だけど、戦える!」
僕は勝利の感覚をしっかりとかみしめ、拳を握った。




