61.呪いの本と THE GATE
「はぁ……私の呪い」
「だから悪かったって、機嫌直してよシオン……」
いまだにぶつぶつと文句を垂れるシオンをなだめつつ、僕はシオンの組み立て終わった本棚を持ち上げる。
クレイドル寺院での調査は結局召喚の魔法陣しか手掛かりはなく、誰かがあそこでマリオネッターを召喚したという事実しかわからなかったため、僕は体の傷を治して引き上げ、予定通り繁栄者の道で購入したサリアとシオンの家具を受け取り、今に至る。
女性二人分の日用品ともなればそれは相当の量であり、机に椅子をすべて僕の部屋に放り込んでもなお玄関からサリアのベッドがはみ出している状態。
放置して遊びに出かけるわけにもいかないので、必然的に僕たちの午後はこの大量のものを何とかすることで終了することになる。
サリアのものを勝手にいじくるわけにもいかないので、呪いを消してしまったお詫びとして、シオンの部屋の家具のセッティング――もとい呪いの本の整理――を手伝うことになった。
「シオン、じゃあ荷物運ぶから手伝って」
「は~い」
思えばシオンの部屋に入るのは初めてであり、僕はサリアの部屋よりも少し奥、この家の最奥に位置する部屋へと向かう。
「ん?」
その違和感は、サリアがこの家に住み始めてから一度も踏むことのなかった最奥へと続く廊下を踏みしめたときに感じる。
呪い。 というものが何かを発するのであるならば、間違いなくこれのことだろう。
重く、胃にたまるような空気、そしてどこからか聞こえてくるすすり泣くような声。
正直、行きたくない。
「……シオン」
「大丈夫だよ、ちゃんと呪い解除できるから」
つまりはしていないということだな。
そんな突っ込みを入れるよりも早く、シオンは行儀悪く足で器用にドアノブのコックを落とすと、部屋の扉を開けて僕を招き入れる。
「!?」
そこにあるのは叡智。 一歩進めば狂気。
入ると同時に僕を覆いつくすは、異形なる神への讃美歌。
理解しがたく名状しがたいその歌は、聞こえなくとも確かに響き、そこに見えずとも確かに存在する。
その音はいずこからなどという野暮な質問は必要なく、床に広がる叡智一つ一つが僕をその存在へと引き寄せる。
恐ろしくも抗いがたし、そこにあるものを理解し深みに落ちていく。
ぼやけた視界はより鮮明に見えないものを映し出し、ふさがれた愚かな耳は静かに開かれその声を受け入れる。
「見える、偉大なる狂気の神へと続く道が ああ、部屋に! 部屋にぃ!」
『ディスペル』
僕は、正気に戻った。
「あれ? 今僕は何を」
「呪われてたね」
「まだ部屋に入ってもいないのに!?」
「うん、ばっちし呪われてた」
こんな恐ろしいスポットが僕の家に出来ていたとは・・・・・・これははっきり言って危険すぎる。
「シオン、たしか君言ったよね、ちゃんと保管してれば呪われないって」
「普通の人は部屋に入ったくらいじゃ呪われないはずなんだけど……ウイル君素直すぎ」
「まったく……勘弁してよ」
特に体に害はなかったみたいだが、理解してしまった多元宇宙の情報や邪教の神の声が頭から離れない……。
いかにディスペルであろうとも、一度理解してしまったものを忘却することはできないようだ。
呪いって恐ろしい。
「ごめんごめん……先にかけちゃえばよかったね。 ものに触れないのに呪われるとは思わなかったから~」
「のんきなこと言ってるけど、ばっちり呪われるような産物が置いてあるんじゃ手伝えないじゃないか」
触るたびに呪われてしまうんじゃおちおち整理もできないし……何よりも近づくだけで呪われてしまうようなものを自宅に置いておくわけにもいかない。
「その点は大丈夫! この本棚は特殊でね、呪いを完全にシャットアウトするの。
うちに溜まって開いたときにすごい重い呪いが降りかかるから、とっても素敵なんだ!」
いちいちおそろしいことを口走るシオンに、僕は本気で呪いの本の全冊焼却処分命令を下そうかを考える。
「それに、いまウイル君には呪いや魔法を全部無効にする、ヘキサプルーフの魔法をかけるから! 明日までは呪われたり魔法を受けたりしないよ~。 だから本棚の整理もできるのです!」
「それなら早くかけてシオン、またあの光景を見るのはごめんだよ」
「ごめんごめんー」
そういうとシオンは一度本棚を置き、部屋に置いてあった杖を持って詠唱を開始する。
『ささやかれる悪魔の戯言も、響き渡る天使の忠告も、みんなはじけて泡になれ!
ヘキサプルーフ』
「かけ終わった?」
カームの魔法と同じで、特に体に変調はないが……
「ばっちりばっちりー、なんか世界で一人ぼっちになった感覚するでしょー? 」
「そう言われてみれば、確かに世界から隔絶されているような……」
魔法の掛かった感触を確かめながら僕は改めてシオンの部屋へと入り、
試しに近くに落ちていた本に恐る恐る触れてみるが、なんともないようだ。
「ふふーん! 呪われて仕方ないウイル君もこれで安心なんだよー!」
偉そうに胸を張っているが、全部君が原因なんだからね。
そんな不満の声を飲み込み、僕はシオンの部屋の片づけを再開する。
「本棚はどこに置けばいいかな?」
「日の当たらないところがいいから、ベッドの隣に置いて~」
「了解」
僕は足の踏み場もないほど本で敷き詰められた部屋に侵入し、足元に気を付けながらベッドの奥まで進み、本棚を設置する。
歩くたびに本から浮かび上がる顔が僕のほうを向いてくるのが気色悪く夢に出てきそうだったが、ヘキサプルーフの効果か、いつもならすぐに逃げ出してしまうところを、ちょっとした不快感程度で耐えている。
「よいしょっと」
「ありがとー!」
シオンは僕にお礼を言うと、何の分類かわからないがとりあえず分類された本たちを僕に渡してくる。
とりあえずこの順番に本棚に入れてほしいという意思表示らしく、僕は言われたとおりに本を本棚にしまっていく。
柔らかい表紙の感覚に、いちいち目が合う浮き上がる顔。
僕が本棚にその顔を並べようとするたびに、何かを声なき声で――正確にはサイレンスで消された声――で僕に何かを訴えてくる。
今夜はうなされそうだ。
僕はそんな今夜の不安を抱きつつ、この本棚の呪い遮断効果がいい加減なものでないことを祈る。
こんなのが部屋から漏れ出していたとなったらいつかこの家全体が呪われてしまうなんて事態になりそうだ。
「しかし、集めに集めたり、普通の本もあるみたいだけど、呪われた本だけでいくつあるの?」
「二千は超えてるかな、ちゃんと数えたことないけど」
二千もの呪いが今目の前に集結しているのだと考えると背筋が凍る。
昔の人本を呪いすぎだろ。
「一体この叡智が何の役に立っているのやら」
僕は少し呆れながらそう呟くと。
「魔界へのいき方は、呪われた本にしか書いてないだろうからねぇ」
シオンはふとそんなことを言ってきた。
「魔界?」
「うん、ウイル君はしらない? この世界には三つの世界があるらしいの。 天界・人界・そして魔界。この世界を作ったクレイドル神は天界から、魔物は魔界からやってきたっていわれてるんだよー」
「へぇー。 そんな簡単に行き来できるものだったの? 天界と魔界は」
ただの御伽噺だが、僕はついつい本の整理を続けながらそんな質問を投げかける。
「ううん、三つの世界は分かれていて、行き来することは普通は出来ないの、……出来るのはたった一人だけ、その三つの世界の門、次元の三門を開くことが出来る唯一の魔法使い」
「? たった一人?」
「うん。 ザ・ゲートってみんな呼んでいるね」
「ゲート?」
「そう、天界・魔界・人間界の全ての行き来が可能で、三つの世界の調和を司る者であり、次元の超越者……。 私はいつか、それになりたいの」
本を片付ける手を止めて、僕はシオンを見る。
その表情は輝いているかのごとく微笑んでおり、冗談でもなんでもなく、本気でそんな存在になろうと心に決めていることが窺えた。
「すごいものになろうとしているんだね、シオンは」
「うん、ザ・ゲートはこの世でもっとも偉大な魔法使い。いつか絶対なって私は絶対に魔界に行くの」
しかし随分と行き先は穏やかではない所だ。
「魔界って・・・・・・どうして魔界に?」
「それは決まってるよー。 魔界に存在する魔法を知るためだよー」
「魔界の魔法?」
「うん! 魔界にはなんでもメルトウエイブを越える炎熱魔法があるみたいでね! いつか私はそれを絶対習得するの!」
うん、微笑ましく、偉大で魔法使いらしい夢かと思ったが、やっぱりシオンはシオンだ。
決してぶれず、己を見失わない・・・・・・きっと最も偉大なことというのは、こんな人間だからこそ成し遂げることが出来るのだろう。
「シオンなら、あっさりなっちゃいそうだね・・・・・・」
「ウイル君は、絶対に人の夢を笑わないし、かなうって信じてくれるね」
シオンはとても嬉しそうな表情をして僕を見て、そう笑う。
「どれだけ難しいかわからないから、適当なことを言っているだけさ」
「ううん、たったそれだけでも、たくさんの人を幸せにしていると思うよウイル君。とっても素敵」
「え、えへへ、ありがとうシオン」
なぜか手放しで褒められて僕は恥ずかしい気持ちになり、ごまかすようにとめていた手を動かして作業を再開するのであった。