師匠と弟子
200年前───
焚火の音が、寒い寒い雪の中でぱちぱちと響く。
轟轟という暴力的な音の前に、その炎はとても弱弱しく頼りなく聞こえるが。
それでもその頼りない明りが私たちの命を確かに支えていた。
「魔法が使えない?」
そんな中、目の前の男性は私の告白を困ったような表情で聞き返す。
エルフ族という種族は魔法が優れた種族であり、反対にそれ以外のことはほかの種族よりも劣っている。
つまり魔法の使えないエルフ族はそれだけで存在の価値がない。
戦争中に至ってはなおさらだ。
命を救ってくれ、娘のように大切にしてくれる彼であっても、それを告白するのにとても勇気が必要だった。
「ごめんなさい……隠してて」
「捨てられるかと思ったのか?」
怒っているのか、悲しんでいるのか……それとも失望をしているのか。
怖くて私は頼りない炎を見つめることしかできない。
頼りない炎は私の命をつなぐ命綱のようで、寒くないはずなのに体はカタカタと震えが止まらない。
だが。
「そうか……辛かっただろう」
彼は私の頭を一つなでて笑いかける。
優しい瞳はいつもと変わらず、怒りも失望も感じない。
ただ、少し困ったような表情が見て取れた。
「怒らないの?」
「怒らないよ。だって辛かったのはサリア、君でしょう」
「そうだけど……私」
「俺が君を救ったのは、利用するためではない。幸せにするためだ」
「……ルーシー」
涙が零れ落ちそうになるが、私はぐっとそれを堪えた。
彼は涙が嫌いだ。
私が泣けば、きっと彼を困らせてしまう。
それだけは嫌だった。
ルーシーは何かを考えるように押し黙り、私はあふれそうな涙を炎で乾かす。
しばらく私と彼は、吹雪の中で焚火の音を聞いていた。
やがて、叩きつけるような吹雪の音が聞こえなくなったころ。
「……サリア。どうしても魔法が使いたい?」
ルーシーはそんなことを呟いた。
「使えるの?」
「わからない……だけど、どんな形でもよいのであれば。どんな手段を用いてでも使いたいというのであれば、僕はその答えを知っている」
その表情は、決してその道を歩んでほしいとは言い難い……絞り出すような表情。
この言葉に頷けば、きっと私は普通の幸せを手に入れることは出来ないのだろうと子供ながらに理解する。
だけど。
「それでもいい……辛くても、痛くても……死んでしまっても……。私は魔法が使いたい」
私はその場で覚悟を決めた。
痛くても辛くても……蔑まれながら生きるよりもずっといい。
絶望しながら逃げるよりも……傷つきながら、希望に向かって立ち向かったほうがきっと幸せになれると思ったから。
「……そうか、わかった」
彼は短く呟く。
それ以上の言葉はないまま、ルーシーは一つの物語を教えてくれた。
始まりの迷宮。 かつて偉大なる女神とケチな神父が攻略をした最古にして最初の迷宮。
そこに存在すると言われる、伝説の鎧の物語を。
「……ナイトオブラウンドテーブル。そう呼ばれる鎧は、着ているだけで魔法が使えるようになる鎧だ……だけどそれを着るためには……鎧の主たる力を示さなければならない。かつてその鎧を従えた、円卓の騎士のようにね」
「……着るだけで?」
「それだけじゃあない。 魔法の発動には魔力も詠唱も必要ない……それを身に着けた騎士は嘘偽りなく、魔法の世界でも剣の世界においても最強の名を冠することになる」
「すごい……でも」
「そう……魔法を手に入れるためにはねサリア……君は最強の剣士にならなければならないんだ」
ぞくりと背筋に【不可能】という文字がのしかかる。
力も素早さも……戦士としての何もかもが【普通】より劣るエルフ族。
魔法なしに、【剣士】の頂点に立つということは茨の道なんてレベルの苦難ではない。
「……君にその覚悟はあるかい? 随分と遠回りな道のりだ。諦めたって誰も君を責めたりしない。だって紛れもなく、誰一人としてやり遂げたことも、やり遂げようとも考えたことすらないことなのだから」
再度、不可能の文字が背中にのしかかる。
だけど……。
「……やる。 やって見せる……」
私の内に眠る渇望は……その重荷を容易く払いのけた。
「そうか……」
彼は胸にかけてあったネックレスを私の首にかけてくれる。
それが何を意味するのかは分からなかったが、青白く光る宝石はどこか暖かく、父のぬくもりを思い出す。
嬉しさと戸惑いを覚えながら顔を上げると、そこには私の知らないルーシーの顔があった。優しくも厳しい……覚悟を決めた表情だ。
「ルー……シー?」
声をかけても……優しかった彼はどこにもいない。
もう、今までの関係には戻れないことを……私は何となく悟る。
だが不思議と残念な気持ちは存在しない。
なぜならきっと、この表情がルーシーの本当の顔なのだろうから。
「ならば見事私を超えて見せろ……サリア」
その日から、剣聖ルーシーは私の師匠になった。
◇
「懐かしい思い出ですね……」
蘇る思い出に、私は頬を緩める。
ルーピーとまっぴら爺さんの策略か。
それともこの低すぎる運が、私を打倒しうるカードを引き当てたのか。
飛ばされた場所は、おそらくロバートの王城裏手。
裏門前は青い平原の草木ではなく、背の低い薄のような植物が……王城を称えるように黄金色に輝いている。
その平原の中に立つ、一人の男。
容姿も何もかも昔のまま、静かに目を閉じ……門の前で座して待つ最強の剣士がいた。
「師匠」
「来たか……サリア」
開かれた黄金の瞳は、思い出と寸分たがわぬ優しくも厳しい瞳。
剣聖ルーシー。私の師匠であり、私に力を与えてくれた恩人である。
「お久しぶりです」
「あぁ、160年くらいか? 最後にあったのは確か……」
「師匠がエラブラスカの龍に飲み込まれたときです。私がおなかを切って助けました」
「違う、あれは交渉をしてたんだ。腹を割ってな」
「腹を割ったのは私です。 本当、師匠の交渉はいつも失敗に終わるんですから」
「そんなことはない、その前のマーモンとの交渉はうまくいっていた」
「私が裏でマーモンのこと買収していましたからね」
「なんだって?」
「ええ、絶対失敗すると思ったので内緒で。百年たってるのでもう時効ですよね?」
「っまったく……生意気な弟子だ。大体お前は……」
説教を垂れようとため息を漏らす師匠であったが、その言葉は途中で途切れる。
「いや……やめよう。積もる話はあるが、百年分の思い出を語るわけにもいくまい」
「そうですね……語るに言葉はいりませんから」
私はそう短く声を漏らすと姿勢を下げて構えをとる。
鞘を握る手の親指で鯉口を切り、反対の親指は柄に触れるか触れないかの位置で静止をさせる。 この時肩に力を入れてはならず、重心は正中線より後方へ。
あらゆる剣術の中で最速を誇る一閃の構え……そう彼に教わった至高の一閃。
師匠はそれにこたえるように……まったく同じ構えをとった。
一陣の風が吹き……焼ききれそうなほど熱い視線が私へと突き刺さる。
びょうびょうと吹く風は、もう耐えきれないとばかりに風を鳴らし、黄金色の草は祭囃子に沸き立つように右へ左へと頭を揺らす。
いざ尋常に───
そんな掛け声が聞こえてきそうなほど……。
やがて風はやみ、一枚の木の葉が二人の間に舞い落ちる。
ひらひらと舞うしおれた葉は……くるくると回りながら、ゆっくりと地面へとその腰を落ち着かせ。
地面に落ちる。
「「断空」」
重なる二つの声……同時に引き抜かれ、同時に中空で交差する刃。
───はじめ!!
そう、どこかで誰かが叫んだ気がした。




