目の前にあるは動く我が死体也
「あれは……なんだ!?」
ナーガラージャの登場に、レオンハルトはそう怒号を響かせる。
確かに試合前、一瞬だけ伝説の騎士の陣営に蛇のようなペットがいたことをレオンハルトは確認していた。
だが、あれはあくまでペットであり、まさか魔物を率いて王国騎士団へと攻撃を仕掛ける等想像もしていなかった。
だが……レオンハルトにとって、目前にょり迫る魔物は今までレオンハルトが出会った中でも最も最悪な魔物であった。
「あの黒い靄……アブラビーの呪いか!?」
かつて、迷宮教会の主、ブリューゲルアンダーソンが使用していた力。
人間、魔物、神獣でさえも侵食し使役する呪い。 しかもその力は、クレイドルの理から外れるために作られたものであり、神聖魔法による呪い解除が効かず、近くによるだけで精神汚染をされるという恐ろしい呪いだ。
「オベロンの軍勢はあの一匹に制圧されたか」
レオンハルトはそう唇を噛み、状況の悪さに戸惑う。
この部隊の人間に、アブラビーの呪いを防ぐすべはない。
だが。
「アブラビーの呪いと来ましたか……であれば、こちらも奥の手を使うまでです!」
副団長ヒューイはそう声を上げると。
【栄光なる魂よ! その肉体を脱ぎ捨てて己が体を使役せよ! 所詮この世は、サクヒが映す影法師!】
「ヒューイ?」
聞いたことのない呪文、そして、なんとなくだがネクロマンサーの使う魔術に近い髭にピンとくる嫌な魔力に、レオンハルトは少し不安げに部下に問うが。
「団長、ここはお任せを……あなたの脚力なら、この壁ぐらい飛び越えられるでしょう」
「いや、それもそうだが……しかしお前たちを」
「あそこの将は私が責任をもってせん滅をします。なのでお気になさらず」
「いやしかし、お前その魔法」
唱えられた呪文、そして放たれているまがまがしい魔力。
明らかに死霊術である。
当然、ヒューイは魔法に長けてはいたが、死霊術は使えなかったはずであり、王都襲撃戦の初陣の際、敗北を喫したときから何かの研究に没頭していることはレオンハルトは知っていた。
だが、迷宮協会の暴走や、此度のオベロンの襲撃……様々なことに奔走していたレオンハルトに、副団長の研究に対して茶々を入れる余裕はなかったことは仕方がないことだ。
しかし、レオンハルトは自らの剣の柄に手を触れて自らの行動を反省する。
もしかしたら、目前の部下は敗北の責任に押しつぶされ、魔の道に足を踏み入れてしまったのではないか……そう思案した。
当然、死霊術自体はリルガルムでは禁止されているものではない。
しかし、死霊術研究者が悪魔に見初められたというケースはないことではない。
魔に見初められた騎士団の末路はいつも悲惨であり、レオンハルトは不安げに自らの右腕を案じるが。
「……私は、リルガルム王国騎士団副団長 ヒューイ・アルカトラズ……あなたの右腕です」
真っすぐにこちらを見つめてくるその瞳は清らかで、レオンハルトは迷いを断ち切る。
魔に見初められたなどとんでもない……彼女の瞳は忠義に燃え、その禍々しき魔力でさえも自身の力として従えていた。
そしてその瞳は何か熱いものをレオンハルトに向けており―――それが恋心であることもそもそも自分の右腕が同族の女性であることにも気づいていないのだが―――心配ないとレオンハルト自身も判断し、そっとヒューイの肩を肉球でたたく。
「では……任せよう……だが勝てるというならば私もここでお前の勝利を見届ける。さっさと片付けて、ほかの援護に回るぞ」
長くともにある二人の間には、その言葉だけで充分であり、レオンハルトは何も言わずに自らの部下を信じることにする。
「はい……あなたに勝利を……」
ヒューイはそう気づかれないようにほほを染めたのち、髪の毛に隠れていた猫耳をそっと立たせ。
十分にたまった魔力を、自らの部下たち全員に振りまく。
「皆の物! 打ち合わせたとおりだ!! 奴らがこれをゲームだというならば、その通りに歌舞いてやろうではないか!! 突撃陣形をくめ!!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
騎士団の士気は高い。
罠にかかり、閉じ込められているというのに、その声に誰一人として迷いはなく、1000人という少ない人数でありながらも、少しばかり鋭角の鋭い突撃陣形を組み始める。
「なんだこいつら……打合せしてあったのか」
「団長が忙しそうでしたので」
「まったく、かなわないなお前には」
そう呆れたような声を漏らすレオンハルトに、ヒューイはどこか誇らしげに口元を緩めながらも剣を抜き、その魔法を放つ。
【目の前にあるは動く我が死体也!】
同時に、騎士団全員に魔法がかかり、準備完了とばかりにヒューイは背に負った槍を引き抜き構える。
騎士団1000名と魔物3000の集団。
今ここに、その両軍が衝突をする。
「何の策もなく我が呪いに立ち向かうとは愚かなり! このナーガラージャの呪い、安く見られたものよ!!」
ナーガラージャはアタックドックの頭の上でそう吠え、同時に全身より蛇に似た呪いを振りまき先制攻撃を仕掛ける。
その呪いは侵食性であり、神の血を引くアンデッドハントでさえも耐えうることのできない強力かつこの世の理を乱す呪い……突撃陣形は突破力こそ高いが、出鼻をくじかれ速度を失えば簡単に包囲をされてしまう諸刃の剣……と、ローハンにナーガラージャは教わっていた。
しかし。
「なに!?」
呪いを受けた兵士たちは、みな呪いの影響を受けることもなく、その靄に包まれながらも、長槍を構え魔物の群れへと突撃する。
「全軍! 突撃いぃい!」
目前にある戦乙女の掛け声により、最前にいたヒューイは長槍を迫るアタックドックに突き刺し、爆ぜさせる。
「むぅ!? これは、【旋風】……」
槍の切っ先に巻き付けられたものは、第三階位魔法を内包したスクロール。
長槍のひと一突きにより、槍の切っ先から竜巻のような風が巻き上がり、先頭のアタックドッグの軍団は吹き飛ばされ隊列を乱す。
「ぬぅ……」
塊で迫ってきた魔物の群れにできた一つのひずみ……その隙を見逃すはずもなく。
「貫けええええぇ!」
ヒューイの号令と同時に、騎士団はそのひずみを押し広げるように突撃する。
先頭集団……魔物のたいれつを押し広げる役目の人間は、暴風を巻き上げながら魔物たちの群れを押し広げ、側面にいる者たちは大楯により馬を守りながら、槍にてオークやゴブリンの首を断ち切っていく。
オベロンのワールドスキルにより、いくつもの命が失われ、魂が青白い光と共に迷宮の外へと弾き飛ばされていく。その光景はまるで地上から空に上がる流れ星のようであり、ナーガラージャはその光景に一瞬見とれながらも、自らが乗っていたアタックドッグが死亡し、草原に投げ出されたことにより正気に戻る。
「これはいったい……なぜ我が呪いが効かぬ……」
現状、この呪いが効かないのは呪いを浴び続けたカルラに、なんかよくわからないけど効かないサリア、完全に呪いを支配できるシオン、そしてメイズイーターであるウイルだけ。
「……いや、確かに呪いは侵食している……だが、まるで操れん」
そう、まるで人形に呪いをかけたかのような、手ごたえのなさ。
ナーガラージャはそのことに違和感を覚え……己が魔眼にてそのからくりを探り。
気づく。
「……これは……なるほど、ゲームだからこそよな……まさか、自ら魂と肉体を別離させて戦いに挑むとは……なるほどどうして! これならば息絶えたとて肉体が消滅せぬ限り戦い続けられるというわけか!」
そう、ヒューイが死霊術を用いたのは死体を操るためではない。
自らの魂と肉体を切り離し、自らの肉体を死体のように操るためだったのだ。




