323. 魔王 フォース・オブ・ウイル
「なっ……」
「ふえ!?」
その言葉を、人々は受け入れられず驚愕に目を見開く。
同じように、シオンも顔を真っ赤にして目を見開いている。
「……つ、つま?」
【そうだ……我が妻だ……よくも好き勝手やってくれたな、クレイドル教会よ】
明確な敵意、明確な殺意をもって伝説の騎士は螺旋剣を引き抜く。
……そして人々は遅すぎる後悔と過ちに気が付く。
石を投げたものもいる。適当な証言を述べて彼女を貶めることで悦に浸ったものが数多いる。 数々の罵詈雑言を浴びせた者もいる。 拷問をしようとしたものもいれば……すべての街の人間が、この少女が殺されることを祝っていた。
それが、この世で最も強く、恐ろしい英雄の大事な人であるとも知らずに。
まさに詰み、自業自得……。
平和を愛し……救いを求める女性の為に、迷宮最深部まで助けに向かい。
そして、助けを求める民には全ての財産を惜しむことなくすべて差し出す。
そんな彼を、ここまで激昂させたのだ。
何をされても文句は言えず……たとえ一人ひとり縊り殺されても、恐らくこの街の味方をするものなど誰一人いないだろう。
何故なら、至高の騎士の妻にこの仕打ちをしたのだから。
【では問おう……クレイドル教会よ】
司祭、そして教皇の御前にて……伝説の騎士は問う。
その答えによって、この場の人間は当然、クレイドル教という存在の存続さえも左右されそうなほど重く……そして冷たい一言に、今まで蚊帳の外にいられ安堵をしていた者たち全員の心臓が氷つく。
「……何を問うのですか……伝説の騎士よ」
それでも、トップに立つものとしての意地か、教皇は一人その場に立ち、魔王に言葉を投げる。
【当然、どのように落とし前をつけるかだ……我が不在に、我が妻へのこの仕打ち……あまつさえ、アンデッド討伐の助力の申請を出したのはそちらのはずだ……これは我への宣戦布告と受け取るが……釈明はあるか? クレイドル教会よ!】
びくりと、教皇がピエールを見たのち、周りの司祭を見回すと。
「確かに、その通りですよ……王都リルガルムに正式な書類がありまーす!」
隣で終始にやついていた変わり者シンプソンは、待ってましたと言わんばかりに教皇に自分が持つ書類を教皇へと渡す。
一度目を通し、教皇は青ざめる。
その文書は覚えているからだ……アンデッド討伐の為に、王都リルガルムにいるシンプソンへ討伐の助力を求めると書かれた文章。
動かないだろうシンプソンに、命令という形でリルガルムに書状を出すことを許したのは、何を隠そう自分なのだから。
そして文章に書かれていたのは今までの経緯。
リルガルム王が、シンプソンの護衛に伝説の騎士を雇ったこと。
そして、目前に罪人として立たされているのが……その伝説の騎士の仲間であること。
……そう、アンデッドの大軍を呼べるわけがないのだ。
何故なら、襲撃の後に彼らはリルガルムより来たのだから。
子供でも分かる単純なことに気が付かなかったわけがない、意図的に処刑をしようとしたのだと教皇は理解し、伝説の騎士の怒りを知る。
どこの誰が見ても、仕掛けたのはこちら側、伝説の騎士に対しても……王都リルガルム、冒険者ギルドその全てに対し、クレイドル教会は事実上の宣戦布告をしたことも同義である。
だからこそ現在我々は国を包囲され……クレイドル教は消滅の危機に陥っている。
それは誰がどう見ても、愚かな破滅であり……教皇は怒りと焦燥にピエールを燃え滾る様な目でにらみつける。
と。
その状況を理解したところで、教皇は胃がねじ切れたのではないかと思うほどの激痛が走る。
勝ち目のない敵に……戦争を吹っ掛けたようなものなのだから。
【ないのか? ならば……望み通り】
「お、お待ちください!? 伝説の騎士」
教皇が……その場に頭を垂れ膝まづいた。
それが何を意味するのか……分からないものなどその場にはいない。
【なんだ? 今更おじけづいたのか?】
「いいいいいえ!? これは……そのピエールが!」
戦争の開始は破滅を意味する。
教皇はその場で釈明を考えながらも魔王に対し時間を稼ぐが。
しかし……何をどう考えても……釈明できるようなことは何もない。
命令を出したのも自分であり、【知らなかった】では到底すまされない。
ましてや状況も事情も何も知らされていないこの状況では、何をどうしようが彼を納得させられるだけの説明責任を果たせるわけもないし……下手をすれば更なる怒りを買うことは火を見るよりも明らかである。
故に、頭を垂れるが……それ以上の言葉は続かない。
ほんの数秒……その行為はクレイドル教会という存在の寿命をほんの少しだけ伸ばすだけの無駄な行為である。
だが……。
神への祈りは通じた。
【……なるほど、その様子……ピエールの独断か。 愚かな部下を持つと苦労するな、教皇よ】
怒りに燃えた伝説の騎士が……そうつぶやいたのだ。
「え、いえ!? しかし、知らなかったでは済まされませぬこれだけのことを!」
教皇は心の中で歓喜の言葉を並べながらも、魔王に対し謝意を表明する。
【確かに……知らなかったのなら宣戦布告はなきものとしよう、だが我が妻への仕打ち、裏切り……そしてピエールの我への攻撃……その行動には相応の責任を取ってもらおう】
「おっしゃる通りでございます……そちらの要求をのみましょう」
【では、この街は我が監視下に置かせてもらい、我が部下をこの街に駐留させる】
「監視下……ですか? 恐れながら伝説の騎士……この領土はクレイドル教会の物ではなくてですね」
その言葉に、教皇は困ったような声を上げる。 確かにこの街はクレイドル教会の物であるが、領土自体はこの国の物だ……当然、領土の割譲は国が行うものであり、教皇にその権限は存在しない……。
しかし。
【心得ている。 あくまで監視下に置くだけだ……此度の悲劇を繰り返さないように私が管理する……貴殿らをまだ信用したわけではないからな……】
あくまで正義の為と伝説の騎士は言い放つ。
監視であれば、領土を奪うことはしないということだ……。
此度の件は全面的にクレイドル教会に非があるためこのように言われてしまえば言い返すことも条件を突っぱねることもできない。
「分かりました……して、ピエールはいかがいたしましょう……即刻首をお望みであれば」
「ぴっ!? きょ、教皇様!」
ピエールはそうすぐさま自分専属の近衛二人にピエールを拘束させようと右手を上げるが。
【いらぬ。 引き続き街の運営を行わせよ……】
「お許しになるというのですか?」
もしかしたら、この人間は甘いのかもとピエールは少し希望を見出し、教皇もその発言に少しばかり、交渉による条件の緩和を試みるべきかという考えが脳裏を掠めるが。
【許しはせん……。 ゆえにその者には、この街への罰を背負ってもらおう……ジャンヌ】
「へ?」
合図とともに、前に出たのはどこから現れたのか、この街で聖女と呼ばれる少女であり、ゆっくりとピエールの元まで近づいていく。
「聖女……」
「なぜ、聖女ジャンヌが……」
困惑に沸き立つ司祭……しかしジャンヌは其のどよめきに動じることはせずに。
ピエールの元までやってくると。
そっと頬に触れ。
「これはシオンの分……」
その首筋に噛み付いた。
「ひっ!? ひあああああああああああああああ!!?」
ぞぶりぞぶりと、首筋から血液が抜き取られる音が響き、そして同時にピエールは絶叫を上げながらその体を変質させていく。
「「「う、うわあああぁああ!?」」」
目前の光景に、司祭たちは困惑し、悲鳴を上げながら教会内を走り逃げ惑う。
気が付けば出口は全て石のような何かでふさがれており、外へと逃げ出すこともできない。
救いがあるとすれば、その光景を街の人間が見ること叶わなかったという事だろうが、それでもその悲鳴は……本日誰が処刑をされたのかを理解するには十分なほどに町中に響き渡った。
「きゅ、吸血鬼……しかも真祖……そんな、聖女が」
【あぁ、そしてこの者は真祖ではない】
そう、伝説の騎士はつぶやくと、同時に血を抜かれたピエールは目を覚まし。
「あああああああぁ!? 熱い! 熱い!! ぎっぎゃああああああ!?」
窓から刺した日の光に触れ、悲鳴を上げる……それは完全に吸血鬼と化してしまったことを物語っており、その場にいた者全員が、その処刑に青ざめる。
甘いなどとんでもない……神に仕える者にとって、これほどの断罪は存在しない。
「……騎士殿……」
【命までは取らない……あの者が真に正しき心を取り戻し、この街も同じく正しくなったとき、その呪いは解かれよう……そしてそれまでは私がこの街を監視させてもらう】
ギラリと光る赤い瞳に、教皇はひれ伏しもはや何も返す言葉がない。
【それともう一つ……】
「はっ!? はい!」
【……我はこれから、魔王を名乗ることにする……我の存在を認めてもらうぞ? クレイドル教会】
「ま、魔王?」
【此度の一件で、聖騎士の信用は地に堕ちた……同列と思われたくはない……ゆえに、魔王を名乗る……そちらの方がまだましだ】
「!? い、いけませんしかし! 伝説の騎士、それでは!」
【もう、言い訳は沢山だ!】
「そ……それは……つまり……その」
悲鳴に近い言葉……教皇はその言葉により全てを悟る。
誰も死にはしない……武力では壊されない。
しかし、クレイドル教会はそれを認めてしまえば……存在価値を大きく落としてしまう。
魔王の存在を是とし……あまつさえ街を一つ渡すなど……。
教皇は歯をがちがち鳴らしながら理解する。
甘いなどとはとんでもない……奇跡が起こったなどとんでもない。
今までの言動、行動すべてが……伝説の騎士の地雷を踏みに踏み抜いていたのだ。
教皇でさえも後悔に心臓を握りつぶされるような感覚に陥るが。
しかし、その言葉を発さないわけにはいかない。
今ここで誰かが自らの命を絶ってくれればどれだけ嬉しいか。
いっそのこと、武力により皆殺しにされた方がまだ神のもとにたどり着けたかもしれない。
だが、これを言ってしまえば……確実に皆地獄に堕ちる。
【あぁそう言うことだ……魔王の存在を認めろ、クレイドル教会!】
一喝……。
怒りを込め、憎しみさえも織り交ぜたその一言に、教皇は首を縦に振ることしかできず。
「……わ……我々クレイドル教会は……魔王様の存在を認め正義の名のもとに……ここにこの国の監視を……お願い申し上げます」
そう、魔王を容認し……正義とした。
その言葉に、魔王はうなずくと。
【その心に刻め!! そして我をたたえよクレイドル教会!! 我が名は、フォースオブウイル!!】
その名は、かつて世界を恐怖に陥れ、封印された魔王の名前。
伝説の騎士はその名を名乗ることで……クレイドル教会の完全敗北を……世に知らしめることになる。
町に響く、魔王の言葉……その言葉に心酔するように、剣を抜き人々を包囲していた者たちは剣を空高く掲げ。
「「フォースオブウイル! フォースオブウイル! フォースオブウイル!」」
勝どきの如く歓声を上げ、かぶっていたフードを取り払う。
現れる長い耳……褐色の肌を持つものもいれば、犬や猫の耳の者もいる。
エルフもいれば、ドワーフもいる……ノームも、ハーフリングも剣を掲げ、一斉にフードを取り、勝利を見せつけるかのように、かつて自らを虐げてきた者たち、自らを殺し荒野に打ち捨てた者たちに対し、これ見よがしに勝利を見せつける。
言うまでもない……この街を包囲していたのは、かつてこの街に殺された者たち……黒騎士と……この街に殺されたすべての者たちであった。
今ここに、虐げられ奪われ続けてきた歴史は反転する。
中央街も……何もかも存在しない、この聖都クークラックスにて、彼等は魔王・フォースオブウイルの庇護のもと新しい人生を歩み始めるのだ。
その喜びに感謝を込めるように……アンデッドからその命を救ってくれた魔族・シオンに心よりの感謝を込めて。
精一杯声を張り上げ、虐げられた者たちは新たな人生をくれた恩人の名を世界へととどろかせる。
「「「フォースオブウイル! フォースオブウイル! フォースオブウイル!」」」
その歓声は嵐のようで、クレイドル教会の司祭たちは四面楚歌のその状況に打ち震えながら……反響するその音を前に自然とひざまずく。
もはや……クレイドルはこの街にふりむくことはない。
代わりに、その場に君臨する魔王は……万雷の如き喝采を浴びながらその妻であるシオンの手を取りそっと語りかける。
【……これで、一人じゃないよ……シオン】
その言葉にシオンは涙する。
そう……彼は、ここまでして、シオンを孤独から救い出したのだ。
もはや彼女が魔族であろうがなかろうが、気にするものなどいないだろう。
何故なら今この瞬間に魔王は誕生し……全世界に牙をむいたのだから。
「ありがとう……ウイル君」
喝采に二人の言葉は消え、その会話は二人にしか聞こえることはなく。
シオンは大粒の涙を隠すために、寄り添い……伝説の騎士は声を上げ、魔王の誕生を宣言する。
【我が名をたたえよ! 我はフォースオブウイル! 魔王・フォース オブ ウイルなり!】
怒声は街に響き渡り……万雷の喝采の中魔王は妻の手を取り、ヴァージンロードを歩くかのように悠々とその場を立ち去る。
出口をふさいでいたものはすでになく。
二人は外に出ると、馬車が一台彼らの前に現れる。
「聖馬……」
教皇は息をのむ。
聖馬は決して、正義のなき者には頭を垂れず、運ぶことを是としない。
その聖馬が、自ら現れ二人を運ぼうというのだ。
……その光景は紛れもなく……神は魔王を正義と認めたということにほかならず。
絶望の淵にて……クークラックスは滅びる。
壊されるわけでも……諭されるわけでもなく……自らの愚行によって、神に見放されるという結末をもって。
「「「フォースオブウイル! フォースオブウイル! フォースオブウイル! フォースオブウイル!」」」
聖馬がいななきを上げ、走り去る間も、喝采は止むことなく。
その声は……小一時間四方四里へと鳴り響いたのであった……。




