304. ツナミ
「さてっと……ここらへんかな」
いつもであれば、僕はサリアと共にティズとリリムの救出……もしくはシオンの加勢に向かっているところだろうが。
今日ばかりは、僕は聖王都クークラックスの正門から少し離れた場所に立ち、迫りくるツナミを真正面から見据えていた。
ツナミを止める……。
口で言えば簡単であるが、それを実行するのは容易ではないのは目の前から迫る僕の身長の30倍はあろうかという高さの水の行軍を見れば一目で解る。
以前、レオンハルトたちをドラゴンブレスから守った時とはわけが違う。
あの時は、背後にある街は全て燃えてしまった。
あの時の炎でさえも、20メートルほどの高さしかなかったはずだ……今回はその倍以上……。
つまりは、あの壁よりもはるかに高い壁を生み出さなければ、街は滅んでしまうということだ。
そうなると、さすがに手持ちの迷宮の壁だけでは心もとない……というか絶対に足りない。
だが。
「すべて受け止める必要はございません、ただ、水の流れをそらしていただければそれで」
背後に立つエルダーリッチーは、にこりと僕に笑いかける。
簡単に言ってくれる……と、僕は言いたかったが。
彼の眼には、失敗するという可能性を微塵も感じていないらしく、きらきらとした瞳で僕のことを見つめている。
あぁ、あれだ……この感覚何かに似てると思ったら。
「ご安心をマスター! 吸血鬼が来たら、今度こそ私とカルラで食い止めます! ええ、相手の種は割れました、もはや負けることなどないでしょう! ですので、こちらはお気になさらず!」
「はい!ウイル君はいつも通り気軽にやっちゃってください!」
この後ろにいる二人の過剰な期待のまなざしに似ているのだ。
狂信者の次はアンデッド……。
なんだか気が重くなってきた。
「来ます……準備を!」
「はいはい……」
迫りくるは強大な水の大波に、その背後からゆるりと侵略を仕掛ける巨大な水龍が如き化け物。
まるでこの世の終わりを見ているかのような気分に僕は浸るが、それでもあの背後でシオンが一人で戦っている。
それを思うと、とてもではないが恐怖に飲み込まれている場合ではない。
彼女が僕たちを置いて行ったのは、一人で戦う覚悟があったから……。
そして、僕たちがこの魔物をどうにかしてくれると信じてくれたから。
今までずっと一人で戦ってきた少女が、初めて人を信頼してくれたのだ。
その期待に今応えずに……いつ答えるというのだろう。
「今です!」
「っ! メイズイーター!!」
合図とともに、僕は保有しているありったけの迷宮の壁二枚を、波を分流するように鋭角に作り上げる。
そう、全てを受け止めるのが無理であるなら、角度をつけて横にそらせばいいだけだ……。
高さは余裕をもって七十メートル……街全てを覆うことは出来なくても……街を水が飲みこまないようにそらすくらいならできる。
「……おぉ!」
いかに水と言えども、これだけの質量が衝突すれば走る衝撃はすさまじく……。
壊れることなく、そして動かすことも不可能であるはずの迷宮の壁が、大きく音を立てて振動をし、ほんの少しだけ、壁が後ろに下がったのではないかという錯覚を覚えさせる。
「すごい……振動です」
ぶつかり跳ね上がった水しぶきが、僕たちの頭上から注ぎ、雨よりも激しく僕とエルダーリッチーを叩くが……分流された水が、街の直撃をさけて流れていく。
だが、いかに水の流れを変えたからとはいえ、これだけの量が流れ込み続ければいずれは町は水に沈む……これだけでは不十分なのだ……。
ツナミこそ防ぎはしたが、その次はこの水の……行き場を作らなければならない……。
だからこそ……エルダーリッチーはこの地に潜んだのだ。
「二百年でできる限りの大穴を作れなんて無茶な要求でしたが! やってやりましたよ魔王様!! 今こそ、我が任務完遂するとき!!」
迷宮の罠……落し穴を僕は起動する、塹壕のように連続で作られたその大穴は、次々に水を飲みこんでいき、その下にあるテレポーターの罠より、際限なく水を吸収し続け……。
「まさか、あれだけの洞窟をすべてつなげられるほどの……大穴を一人で作るなんて」
その水を、この辺り一帯に存在する各洞窟の入口へと放出する。
本来、一つ一つが独立していたはずのこの聖王都付近の洞窟……。
大量のアンデッドをそこに収容し、神出鬼没に登場する怪奇を演出したエルダーリッチー。
しかし、その大穴の本来の目的は……アンデッドを収容するためでも、自由に洞窟間を行き来するためでもなく。
街一つ飲み込むほどの大津波を受け入れられるほどの貯水槽を作るために……すべての洞窟をつなげ大空洞を作りあげたのだ。
「後で地盤沈下が起きそう? そんなの知るか!! 大切なのは今なのだ!!」
ツナミは景気よく飲まれて行き、エルダーリッチーの作戦通り聖王都は水に飲まれることなくその場にあり続け。
その成功に先ほどまで物静かであったはずのエルダーリッチーは興奮気味に腕を大きく振るい、任務の完了に打ち震える。
「おぉ……まさかこんなにもうまくいくとは」
「当然だろう! これでも私は軍師なのだから!」
「……ローハン? 軍師?」
なにやらサリアが首を傾げるが。
「それよりも、真祖は現れませんでした……。 そうなれば次はリューキさんたちの加勢に向かいましょう!」
「そうだな……レヴィアタンはもう近くに迫っているからね……すぐに脱出の準備を……」
しないと……と言おうとした瞬間。
ふと聖王都の方より号砲が鳴り響く……。
「な、なんじゃありゃぁ!?」
振り返った瞬間、僕もサリアもカルラも、エルダーリッチーでさえも、その音の正体に舌を巻く。
「なっ、あ、あれ?! 飛んで……」
「あれって……船……ですよねマスター」
そこにあったのは、空飛ぶ船。
轟音を響かせ、降りしきる雨を砕きながら、その船は一つ空を飛び……。
真っ直ぐとレヴィアタンへと進んでいく。
ありえない話だが……まるで、あの怪物を迎撃しようとしているかの如く。
「あれはいったい……」
この事態はエルダーリッチーにとっても想定外だったらしく、目を丸くしてその船を見る。
何が一体どうなっているのかはわからない……だが一つだけわかることがあった。
「ぬあああっはっはっはっはっは! すごいですよー!? 本当に私、やればできるんですねぇ!! あっはっはっは! これ、売ったらいくらになるんでしょう!?」
もはや語るまでもないだろう、あの船にはシンプソンが乗っていた。




