293.ブラッディブライド
「はっ……はっ……はっ……」
「どっちに行った!」
「こっちだ! 必ず魔族を殺せえぇ!」
遠くでそんな声が聞こえ、空洞であるアクエリアスの洞窟内に反響をする。
ぼやけたような声は、私の眠りを妨げるのには十分すぎるほど不快であり……私は焼ける様な痛みを全身に覚えながらも、本当に苦痛で無駄であると分かっていながら、目を覚ます。
「今のが、走馬燈って奴……なのね」
幸いにも、流血により意識を失っていたのはほんの一瞬だけであったようで、私は再度足に力を込めて立ち上がり……洞窟内を一人でふらふらと歩く。
逃げ込んだのは、アクエリアスの洞窟。
魔人を封印したなんて触れ込みがあるこの場所であるが……実際に行われていたのは、魔人の召喚と、体のいい奴隷の確保のための洞窟。
私とシオンはここでこの世界に召喚され、魔王によって助けられた。
仲間と共に脱出をし、その後みんな散り散りになったが……恐らく、この場所に戻ってこようなどと思ったのは私だけであろう。
だが、ここは私たちにとって、一番故郷に近い場所……シオンは、未だに帰る方法を模索しているみたいだけど……それはもはや叶わぬ夢であろう。
召喚術は一方通行であり……ザ・ゲートはすでに姿を消した。
シオンがザ・ゲートに成れば叶わない事ではないのかもしれないが……いかんせん、私にはもはや時間がなさすぎる。
ならばせめて、一番近い場所で終わるのが……私は望ましいと思った。
「こふっ」
口から血が零れ落ちるが……もはやぬぐう気力もない、何故なら白かった僧衣は自分の血で真っ赤に染まっていて、ぬぐったとしても体中からあふれる血はどうやっても止まることはないだろうから。
「あと少し……」
壁に手を当てながら醜く歩く。
結局、誰も私を助けてくれることはなかった。
時代は変わったと思ったが、この街は何も変わらない……魔族である私たちを召喚し、奴隷として扱い、そして兵器として利用しては……つごうよく魔族の侵略と称していたクレイドル教会……
異端を殺すために、人間の繁栄を得るために……私たちは利用され続けてきた。
私とシオンが生き残ったのは奇跡と呼ぶしかなく。
部族戦争で、魔族のほとんどは死に絶えてしまった。
誰も知ることはない……。
今の平穏が……今の幸福が、私たちの犠牲の上に成り立っているということを。
だけど、人の優しさを知っているから……私はこの世界を変えて見せようと……この街に帰ってきたのだ。 おぞましくも、醜い人間がはびこるこの街に。
だが、結果は同じである。
あの時助けてくれた魔王は……奇跡でしかなかったのだから。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
息を切らす……結局私は、命を助けてくれたあの人を否定してしまったのかもしれない。
力で私たちを助けてくれた魔王……もう二度と来てはいけないと言われたのに、私はここに戻ってきた。 分かり合えるはずと、うまくやればできるはずと……身の丈に合わない理想を抱いて……私はそれに溺れてしまったのだ。
肩に食い込んだ鉈、腹部に刺さった槍……追われて……傷つけられて……恐らくもう助からない……この一睡から目を覚ましたのも、きっとあの魔王がくれた最後の奇跡なのかもしれない。
一番近い場所、全ての始まりの場所ですべてが終われるように。
そう決めた私の最後のわがままに答えるために、ほんの少しだけ奇跡を彼はくれたのだろう。
「はははっ……悔しいなぁ」
結局、私は一度だって人間に助けてもらうことはなかった。
こちらがいくら手を差し伸べても、聖女と私を崇めるだけで……彼らは何かを返そうと思うことはない……なぜなら、彼等は神に愛されていると信じているから。
そんな彼らを変えたくて……人は平等なんだと伝えたくて……。
そして……魔族も生きているんだって……分かってほしくて……。
「あぁ、なんだ……」
気付いてしまう。
吸血鬼の言った通りだ……。
本当の聖女なら、悔しいなんて言葉は使わない。
この結末に至ったとしても……きっと最後まで微笑んで……全てを受け入れただろう。
だけど私は今、悔しいといった。
何かの見返りを欲しがっている。
なんだ……。
「やっぱり私は、この街に復讐をしたかったんじゃない……」
簡単な事……私たちをここに呼びつけて……勝手に人生をめちゃくちゃにして……。
それでいて私たちを悪とまくし立てる。
そんな勝手を断じたかったのではないか……ただ、私は彼らと同じにはなりたくなかっただけ。
あの醜くごう慢な正義を振りかざす……三人と同じ顔で……笑いたくなかっただけなのだ。
だったら。
「なれば、高らかに笑い飛ばすがよかろう」
そう、私の中で小さな灯がともった瞬間に……洞窟の奥から声が響き渡る。
その声は力強く……その姿は猛々しく……あの時は気付かなかったけど……。
生まれて初めて、全てを理解したうえで……私を一人にしないと約束してくれた人。
かすむ瞳……闇に溶けそうなこの身成れども……闇よりも深いその黒と血よりも赤き紅は、かすむことなく私の前に現れる。
「私を……笑いに来たのですか」
奇しくも、私が初めてこの世界に着た場所の前に吸血鬼は立ち、私の道を阻む。
彼を否定し、踏みにじるとまで宣言したのだ……確かに、腹いせにあざ笑いに来たとしてもうなずける。自分でさえも、笑ってしまいそうなほど滑稽なのだから。
「いいや……あざ笑うにはいささか貴様の信念は高潔すぎる……」
しかし、吸血鬼は首を横に振る……。
「では何を……」
「簡単だ、お前を貰いに来た」
「まだそんなことを……私はもう、死んじゃうんですよ」
冗談を漏らす吸血鬼に、私は苦笑を漏らして自らの姿を披露する。
僧衣は全て赤く染まり、誰がどう見ても長くはないことは明らかである。
「血濡れの花嫁……吸血鬼にはふさわしいではないか」
「またそんなこと……もう、放っておいてください」
彼の言動に飽きれながらも、私はどうあってもあの場をのいてくれないのだなと半ばあきらめる。
「あぁ、そのつもりだった……お前が納得した最後なら、我に止める道理はない……だが、お前は違った」
吸血鬼は、全てを見透かしたようにそんなことをつぶやく。
どうやら、私がついさっき気づいた真実も……この男は出会った時から知り尽くしていたらしい。
「……そうね」
「お前は悔しいといった……復讐をしたいといった……」
「ええ」
「なれば見逃すわけにはいかない……その願いを叶えると誓ったのだからな」
「何も知らないくせに……私の願いなんて知らないで」
偉そうなことを……とつぶやこうと彼の瞳を見るが。
「知っている……」
男はそう、私の深淵を覗く。
「……何を知っているんですか?」
「お前は、ただの人間だ……」
呆れる様な返答……けれどもそれは……まぎれもなく、私が聞きたかった言葉であり。
初めて、人として認められた瞬間であった。
「……なんで……分かるのよ」
こんなふざけた人で吸血鬼なのに……この人は最後に私が一番欲しい言葉をくれた。
「悔しいのだろう? 立ち上がりたいのであろう? 何もまだ成し遂げておらず、その理想ははるか遠くにある……どうして死ねる、どうして諦められる?」
「……………」
「ならば立ち上がるために手を引こう、先が見えぬならば照らして見せよう……悔しければともに憤慨し、悲しければともに涙を流そう。 そして、幸福ならばともに高らかに笑いあおうではないか」
「……貴方は、私に何をしてほしいの?」
「何も……ただ幸福であれ。 戦場を望むならばともに駆け抜けよう。 勝利の美酒に酔い、高らかに笑いながら、互いの英雄譚をリュートの調べと共に歌い合おう。 安らぎを求めるならばともに歩もう喧噪も何もかもを忘れ、静かなる星の降る丘の下で、星の物語を語り合おう……空は青く澄み渡り、貴様の行く手を阻むものは何もなく、縛り付ける者は何もない……ただ我はそんな貴様の隣で、幸せに微笑む姿を見たいのだ……だからこそ、ともに歩もう……」
声は出ない、だけど代わりに涙があふれる。
感謝ではない……彼の考えに賛同したわけでもない……だけど……この人は私を真っ直ぐと見つめてくれている。
彼の言葉に嘘はない……ならば、彼と共に歩む道はどれほど幸福で……夢のようで……。
そんな幸せに……私は涙する以外の方法を知らないのだ。
愛され方を知らないのに……人々に愛を解いていたなんて滑稽もいいところだが。
崩れ落ちそうな私を、ヴラドはそっと私を抱きしめる。
冷たいはずのその体はとても暖かい。
「……貴様の全てを認めよう……その命、我がもらい受ける……ブラッディブライド(血濡れの花嫁)よ」
そんな幸せな死刑宣告に、私は全身の力を抜くことで答える。
本当に困ったことに……どうやら私はその瞬間……吸血鬼に恋をしてしまったようだ。




