289.醜悪なるこの世界
「あっ……つ……」
生きている。
最初に私が抱いた感想はそんな陳腐なものであり……次に私は自分が何かに包まれていることに気が付く。
ブラドに投げ飛ばされ、死ぬはずだった私。
痛みはあれど……致命傷ではないその状態に私は疑問符を浮かべながらも……ゆっくりと立ち上がると。
「よかった……無事で……」
凛とした、懐かしいジャンヌの声が響き、私はジャンヌに助けられたことに気が付き、顔を挙げてその声の方を見やり……。
「うそ……そんな……」
そこには……昔のジャンヌが立っていた。
とがった耳に、角の生えた青い神の少女……青く光るその瞳は、光り輝き……そしてその背には片翼の羽が一つ……。
ジャンヌは、魔族に戻っていたのだ。
「……そんな……そんな……」
「大丈夫よ、落ち着いて」
もし誰かに見つかったら、もしこの場所で、聖騎士に見つかったら、ジャンヌの夢が、希望が、私のせいで、私のせいで!?」
「今は誰もいないわ……それに、貴方が無事ならそれで大丈夫だから」
「ふっふふふ……素晴らしいな……」
その姿に、ヴラドは手を叩いて勝算をする。
「驚かないのですね?」
その行動に、不思議そうにジャンヌは問いかけると。
「知っていて求婚をしたのだ……」
「おかしな人……」
「アンデッドに種族は関係ないといったであろう。 死せれば皆ただの屍よ……それに、おかしいのは他の人間たちであろう」
「なに?」
「……美しき青き髪に、小ぶりなれど猛々しき角……精霊というものがいれば、恐らくそなたのことを言うのであろう。 それほどまでに、そなたは美しい」
「……………………貴方は、本当に誰も差別をしないのですね」
「嘘などついて、己の品格を落としてどうする」
「……そう……もう少し、違う形で出会うべきだったのかもしれませんね……私達」
そう言うと、ジャンヌは杖を構えて水を作りだす。
だが。
「まだ遅くはあるまい、夜はまだ長い……だがその前に……」
「えっ?」
ぎろりと……ヴラドは背後に視線を送る。
そこには……。
「ひっ!?」
小さな悲鳴と共に、街の人間か……若い女性が一人腰を抜かしてその場に倒れた。
「人除けに、防音の魔法を張ってはいたのだがな……まぁ、どの世界にも運の悪いやつはいるということか」
その言葉から、ヴラドが何をするのかは分かった。
懐から取り出したのは数本のナイフ。
恐らくその一つでも刺されば……あの女の人は絶命し……彼の眷属となる。
分かっていたし、止めようと思えば止められた。
だけど……体が動かなかった。
なぜなら、あの少女は見てしまったから。
ジャンヌの姿を……。
魔族である彼女の姿を……。
息が苦しく、呼吸ができない。
「はっ……はっ……はっ」
助けなきゃ――動いちゃダメ……ジャンヌの為に――あの人の為に……。
ノイズが頭の中に響き、私は動けずに瞳から涙が零れ落ちる。
助けなきゃいけないのに。
動け……動け動け動け動け動け!!
思い出されるのは昔の話……大好きだった友人も家族も……私のせいでみんなみんな死んでいった。
私も死んで……そして、心臓が止まる最後の最後まで……嬉しそうに笑うこの街の人たちの姿を私はずっとみつめていて。
結局二百年間……この街は何一つ変わっていなかった。
私達が滅んだら、次は他の人たちを迫害して……。
そして今度は、私の大切な人を殺してしまう。
「ダメ……そんなこと考えちゃ」
言葉にするが……それでも私の思考は……答えを出してしまう。
こんなやつら……死んでもいいじゃないか……。
そんな最低の答えが出ると同時に……私は杖を取り落とし……。
血の刃が、無慈悲にもその民間人の命をたやすく狩りとる……。
はずだった。
「あうっ!?」
響き渡る肉の裂ける音と、女性の嗚咽のような声。
しかし、腰を抜かし震える少女には傷一つなく。
その代わりに、身を挺してその刃を守った体からは、ぽたりぽたりと緋色の滴が零れ落ちていた。
「ジャンヌ……」
「一体何を……」
驚愕に声を漏らすヴラド……当然だ、ここでこの少女を助ければ、ジャンヌはこの街にいられなくなるのだ。
だというのに、彼女は少女を守った……自分の希望を信じたのだ。
「……話せば……分かるはずなんです……みんな、本当はいい人なんです……今はただ、今はただ互いを知らないから、自分を守ろうとしているだけ……いつかきっと、いつかきっと分かり合えるはずなんです」
深く肩口に刺さった傷は深く、ジャンヌは右腕をだらんと下げたままそうヴラドに語る。
「その声、まさか聖女様?」
そんなジャンヌに対し、驚愕の表情を浮かべたまま助けられた少女はジャンヌにそう問いかけると、ジャンヌは口元を緩め、少女に対して微笑んで返す。
「……いいのか? その先に待つのは絶望だぞ?」
「……そうなれば……それは私の運命なのでしょう」
「……ジャンヌ?」
「冗談よ……私はきっと大丈夫よ……だからお願い吸血鬼さん、今日はもう戦うのはやめて欲しいの……彼女はニーナさん……毎日お花の水やりをやりながら、おじいさんとおばあさんを支える善良な人なんです……だからお願い、巻き込まないでください」
腕を怪我したジャンヌはもはや戦える状態ではなく、誰かをかばっている状態ではなおさらブラドにとって都合の良い状態だ……だが。
しかし。
「……分かった……ならば今夜は爪を引こう」
おもったよりもあっさり、ヴラドは爪を引いた。
「ありがとう」
「礼には及ばん……お前の未来はもはや決した……なれば、我はお前の助けの声をまつだけだ」
「アンタなんかに、助けを求めるわけないでしょー!」
「どうであろうな」
ヴラドはそう含みのある笑いを零すと、踵を返して夜闇に霧のように消えていく。
私は完全に気配がなくなったことを確認し、安堵のため息を漏らす。
毎度毎度のことながら、あのストーカー男の行動は理解が追いつかない。
「ジャンヌ!」
そんなことよりも、早くジャンヌの腕を治療しなければならない。
シンプソンがいればすぐに治るだろうが、それでも止血はしておかないと……。
そう思い立ち、私は慌ててジャンヌのもとまで駆け寄ると、ジャンヌは自分も怪我だらけなのに、一足早く腰を抜かしたその少女を介抱しているところであった。
「無事ですか……けがは?」
魔族の状態はすでに解かれており、ジャンヌは優しく少女に語りかけ、自分も怪我をしているというのに微笑みかけて倒れた少女に魔法をかけてあげている。
こんな優しいジャンヌなのだ……きっと神様だって、彼女のことを守ってくれるはず。
これだけ人々の為に尽くし、慈しんできた彼女が……救われないはずがない。
そう私は思い、微笑みながらジャンヌの元へと向かう……と。
ザクリ……。
何かが刺さる音がする。
それと同時に。
「え?」
ジャンヌの戸惑うような声が響き……。
ジャンヌの真っ白な服の腹部から……赤いものがにじみ……。
少女はまるで操り人形の糸が切れたかのように、ぐしゃりと倒れる。
「え? なんで……え?」
その腹部には、先ほど少女を襲ったナイフが刺さっており。
「騙していたのね……裏切者……魔族が異端が……人間のふりをして……」
助けてもらったはずの少女は、ナイフを手にジャンヌへと罵倒の言葉を述べている。
私は、幻覚でも見ているのだろうか……。
「違っ……違います……私は……」
「うるさい!! 黙れ異端が! くずが!」
再度少女はナイフを手に取り、ジャンヌの傷口にナイフを突き立てた。




