28.クレイドル寺院陥落
呪いの本騒動からしばらくシオンの歓迎会は続き、呪いの本のことなどほんの些末事の様に感じるほど感覚がマヒしてきたころ。
「一つ疑問があるのですが、よろしいですかシオン?」
ふと、サリアが頬を赤く染めた状態でシオンへと質問をする。
「なぁに? 何でも聞いて!」
すっかり出来上がったシオンは、服も乱れた状態のまま―ーもう少し酔わせれば、見えるかもしれないー―頭をふらふらとさせてサリアの方に向き直る。
「あなたは確か、レベル10アークメイジだと聞きましたが」
「そうだよ!」
「なぜメルトウエイブが使用できるのですか?」
「確かに、それは気になってたのよねぇ」
ティズはワイングラスのふちに顎を乗せて会話に無理やり参加してくる。
しかしそれは僕も同じことを思っていた。 通常メルトウエイブは、レベル13のマスタークラスの魔法使いにしか使用できないアルティメットスペルだ。
アークメイジとはいえまだレベル10の、しかも年齢的に転職もしていないだろうシオンがどうしてアルティメットスペルを使えるのか……。
確かに、魔法のランクとはあくまで迷宮攻略に必要になる魔法の指標であり、習得難易度はさほど関係がないとサリアが言っていたが、その指標はレベルによる魔力量や技術力も含めて勘案されているはず。
「あぁ、それは私が炎武のスキル保有者だからだよぉ」
「炎武?」
聞いたことがないスキルの名前である。
「スキルに炎武っていうのがあると思うんだけど」
「あぁ、確かにあったわねぇ」
ステータスの魔法を使えるサリアはいち早くチェックをしていたらしく、思い出したかのようにそう呟く。
「そう、私たちの部族には代々その炎武っていう特別なスキルが備わっていてね、この炎武っていうスキルは結構すごいスキルで、炎熱系の魔法であればだいたい三つ上のランクの魔法まで習得ができるって優れものなのだー! しかも、炎熱系の魔法の場合は魔力反動もなくなるし、威力は少し落ちるけど詠唱破棄・遅延呪文も使えるんだよ!! すごいでしょ!」
要は炎熱系の魔法を操ることに長けた部族……そういうことの様だ。
「なるほど、魔法の早期習得に特殊ボーナスもありとは……破格のスキルですね。にわかには信じられませんが、この眼で見てしまったのですから信じるしかありません」
サリアは納得したようにうなずき、少しだけ僕はシオンを見直す。
「どうどう!? 私役に立つんだよ! もちろん他の魔法も、普通の魔法使いと同じことしかできないけど使えるし! なかなかの優良物件なんだよ!」
「性格を除けばね」
「酷い!?」
「あれ? じゃあ何で今日の作戦のときに、その炎武のスキルを使わなかったのですか?」
「作戦には遠距離から魔法をぶっ放すっていう条件があったからね、炎武のスキルは読んで字のごとく炎を武器として扱うスキルだから、接近戦か中距離戦でしか使えないの」
「なるほど、まあ離れた敵に魔法を扱う場合は詠唱破棄も遅延魔法もさほど重要じゃありませんからね……接近戦もできるアークメイジ。 やりますねシオン」
成り行きで仲間になったシオンだが、思ったよりも頼りになるのかも。
今のところ追いすがって懇願する姿しか見ていないような気もするが、きっと迷宮では大活躍してくれるはずだ……。
「あぁっ!? 蜂蜜酒零した!?」
そう思いたい。
そう新たな仲間に対して不安と期待がごちゃ混ぜになった感想を抱いていると。
「っ助けてください!?」
穏やかとは程遠いエルキドゥの酒場であるが、そんな中でも異常を感じるほど切迫した様子の助けを求める声が、強引に扉を開ける音と共に酒場全体に響き渡る。
無粋な突然の来訪者に、夢見心地な者たちは現実に引きもどされ、夢を壊された少年よろしく怒りの表情を向けて来訪者へと視線を送る。
そこにいたのは僧侶の服を着たボロボロの僧侶。
服に刺繍された文様はトネリコの木で作られたゆりかごを描いた黒と白の文様と、これ見よがしに描かれた十字。
クレイドル寺院の人間であることは一目瞭然であったが、それがなぜこの時間に、こんな場所に助けを求めるのか?
そんな疑問を持つよりも早く、息を切らせながら僧侶は言葉を続ける。
「アンデットの大群に、寺院が襲われているんです! 誰か! 誰か助けてください!」
◇
「ふぅ……本日も美しき労働の対価を得られましたねぇ。 神に感謝です」
この街に存在する唯一の寺院 クレイドル寺院。
生命の神クレイドルを信仰するこの寺院は、この国で唯一人々を蘇生させることができる施設である。
確実ではないが、死という逃れられないものから逃げ出すことの出来るこの施設には、いくらお金を要求しても客足が減ることはない。
それほど死とは恐怖であり、そして生とは何物にも代えがたいものなのだ。
そんな何物にも代えがたい商品を唯一扱えることに神父は一人感謝をし、今日もお金を倉庫に保管する。
御伽噺に出てくる迷宮奥深く、龍の守りし金銀財宝の宝物庫でさえも、このクレイドル寺院の宝物庫にはかなうまい。
伝説の宝珠に、名刀。 魔王が装備していたと言われる鎧でさえもこの宝物庫には眠っている。
かつて、アンドリューが迷宮へと変貌させた黄金と宝石の街。 栄華の都……。
その巨万の富が、冒険者を通じてこのクレイドル寺院には流れ込んでくる。
冒険者達は迷宮で宝を集め、神父はその冒険者から栄華の都の富を得る。
なんとも良く出来たシステムであり、神父は口元を緩めて愉快そうに笑みを漏らす。
「ふふっ……本当、美味しい仕事だ」
命の価値に貴賎はない。
ゆえに蘇生魔法に使用する魔力はこじきであろうが王であろうが代わりはない。
だが、人間はその人間の命に値段を知らず知らずのうちに付ける。
ゆえに、教会もその幻影でしかない命の価値に応じて、生の値段を吊り上げる。
労力は同じでありながら、収益は青天井。
これが美味しくなくて何が美味しいといえるのだろう。
「さて、と。 もう一つの仕事を終わらせなくては」
宝物庫を眺めることに満足したのか、神父は宝物庫の頑丈な扉を閉め、鍵をかける。
「神父様、準備は出来ております」
一人の僧侶が日課を終えて機嫌のよい神父のところに駆け寄り、もう一つの神父の仕事の準備が出来たことを告げる。
「そうですか。 では私もすぐに向かいますので、物を運び出せるようにしておいてください」
「はい」
僧侶達は指示に従い、荷台を地下へと続くエレベーターの元まで運んでいく。
大の大人三人がかりで引いていくその荷台は、物があふれんばかりに乗せられており、中身が見えないように白い布が大げさに余裕を持ってかぶせられている。
「ほらほら、早く下に運び出すぞ!」
監督官のような人間がそう怒号を飛ばし、エレベーターに神父と共に全員が乗り込む
「やれやれ、いつものことだが臭いが酷いな」
神父はため息混じりに一つ息を吐きながら横目で荷台の上のものをにらみつけ、
もう一度ため息を漏らし。
けちな背教者どもめ。
そう呟いた。
大きな音が響き渡り、落下していくような軽い浮遊感が消えることを合図に
エレベーターの扉が開く。
クレイドル教会の地下室。 建物の栄華とは裏腹に、まるで迷宮の中に居るかのように錯覚してしまうほど暗く―明かりはたいまつがちらほらとあるが― 壁のタイルなどもはがれ、あちこちに汚れが目立つ洞窟のような場所。
血のようなものが壁一面にこびりつき、足元には骨のようなものが、そして天上部にはこうもりのような生物がぶら下がっており、一歩踏み出した瞬間に醜悪な臭いが鼻をつく。
上が栄華を極めた神のお膝元であるならば、ここは地獄への入り口だ。
「臭い」
神父はもう一度不満を漏らし、先へと進む。
エレベーターから降りて少し歩いた所で、石畳は途切れ、荷台はガタガタと大きな音を立てる。
僧侶達は乗っているものが崩れ落ちないように手で抑える羽目になるのだが、誰もが顔をゆがめている。
出来ることならば運ぶことも触れることすらも嫌なので、僧侶達はこの数年間でこの道の舗装を神父に頼み込んでいるのだが、神父は首を縦に振ることは無かった。
金にならない事には金は出さない。
このクレイドル寺院の唯一にして絶対のおきてであり、全てである。
だからこそ、神父は今から行うことなどしたくは無い……したくはないが教会としてやらなければならない義務のため、こうやって渋々足を運んでいる。
「一文にもならず、臭いし汚いし疲れるし……。 他の教会の神父たちはこれを正式な手続きでしかも一人ひとり行うというのだから信じられん……正直アホとしか思えない」
「まーた神父が愚痴こぼしてるよ。 毎度毎度よくもあきねーな」
「しゃーないさ、金の亡者だもん……慈善事業みたいなもんだからなこればっかりは」
「あれだけ稼いでんだからそれぐらい目をつぶってもいいもんだがな」
「ケチの考えることを理解しようったって無駄さ無駄」
前方と後方でそれぞれ愚痴を言い合いながら、僧侶と神父は洞窟の最深部へと到達する。
そこは、大穴であり、死体処理場であった。
お金が払えず見捨てられた冒険者や、老衰で死亡したもの、復活に失敗したものや、迷宮で全滅し、回収者たちに回収されてきた者たち……それが全てここに集められていた。
「あぁあぁあぁ」
「ああえあえあわあさあ」
打ち捨てられて放置された死体たち。その数は百や二百ではなく、白骨化したものを含めれば五千は優に超えている。
新しい死体もあれば、肉が腐り溶け出し始めた死体、肉がこびりついた骨もあれば綺麗な真っ白な白骨死体もある。
男性の死体もあれば女性の死体もあり、当然判別不明なほどぐちゃぐちゃになった死体もある。
種族も、性別も何もかもがばらばらではあるが、そこにあるのは死体だけ……という一点だけでは皆が皆平等であった。
「また何匹かゾンビになってますね」
そんな死体の山と、山の中で蠢く魔物に向かって僧侶が一人呟く。
「まぁ、埋葬も祝福も何もしないでこんな所に捨て置いてんだ、ゾンビ化くらいするって」
荷台に積み上げられた袋を取り払い、僧侶達は新たな仲間を死体の上に積み上げる。
「死体は全部入れましたか?」
表情を歪ませながら奥で見守っていた神父は、僧侶達に確認をする。
「ええ、終わりました。 神父様お願いします」
その言葉に僧侶達もいつもどおり返答し、神父に最後の仕上げをしてもらう。
「分かりました……では……ターンアンデット!」
僧侶が使用できる特殊な魔法 ターンアンデット。 これはアンデット系モンスターに取り付いた魂を成仏させ、アンデットモンスターを戦闘不能にする魔法であり、僧侶にしか使用できないが、この魔法があればどのような上級アンデットでさえも始末をすることが可能である。
上層階層冒険者には無くてはならない必須魔法にして僧侶の基本魔法であるが、経験値を手に入れることが出来ないことと、迷宮ではアンデットモンスターは下層では出てこなくなるという双方の問題から、下層冒険者達の間ではあまり使用されない魔法でもある。
しかし、このクレイドル教会の地下に溜まっているゾンビを一斉に浄化する……という役割においては抜群の性能を誇っており、僧侶の魔法行使により、先程まで大穴に響き渡っていたうめき声は一瞬にして消え去ってしまった。
「さすが神父様。 一度でこの大穴全体にターンアンデットを放てるなんて」
「当たり間だろ、神父はああ見えて、昔レベル7の冒険者だったらしいぞ」
「マジか!? そらアンデットごときじゃ太刀打ちできないわ」
僧侶達の噂話に神父は一つ鼻を鳴らし、さっさとその場を後にする。
小言を言うことも一瞬考えはしたが、そんなことよりもさっさとこんな気持ちの悪く無意味で吐き気を催すような醜悪な空間から脱出がしたいと考えたのだ。
こうして神父たちの一日は終了する。 死体の埋葬とアンデット化防止のための魔法行使は教会に生きるものの義務であり、神父に与えられた使命でもあるが、神父はアンデットが人を襲わないようにすれば大丈夫だと解釈をしていた。 ゆえに、彼に罪悪感も悪いことをしているという認識も無い……まじめに埋葬をする人間は、ただ言うことを鵜呑みにすることしか出来ない馬鹿なのだ……そう彼は思っていた。
いつもの光景にいつもの死体処理……埋葬という丁寧な祝福を捨てるおかげで、今日もまた経費の削減に成功をした神父たち。
「あああああああああああああああああああ」
特段特別なことをしたわけでもないし、何かおかしな予兆があったわけでもない。
だが、だというのに。
今日に限っては何かが違っていた。
「ん?」
「あれ?」
ゾンビの声が再度大穴から響き渡る。
「おや? ターンアンデットを防がれましたか?」
僧侶と神父は突然の出来ごとにいぶかしげに大穴を見つめ、引き返す。
「面倒くさいですがお金が掛かるわけでもありませんし……もう一度……ターンアンデット!」
「あああああああああああああああああああああ」
魔法は確実に発動をした、それは熟練の僧侶が見ても、一流の魔法使いがみても同じ発言をするだろう。
レベル7の僧侶が、ターンアンデットを失敗することなどありえない。
そして、アンデットがターンアンデットを克服することなど尚ありえない。
しかし、目前の大穴に眠るアンデットたちは、ターンアンデットを受けながらなおも声を上げている。 それどころか声が大きくなっているようにも感じる。
神父は心の中でようやく焦りを感じる。
神の神罰などを信じることの無い彼であっても、その日だけはこれが取り越し苦労であれば神に寄付金の一部を捧げてもよいなんて考えも頭によぎった。
「お、お前ら! あの死体どもを眠らせろ! 一斉にだ!」
次々に動き出す死体を前にした神父の声に、呑気をしていた僧侶達はようやく目前で起きている出来事がイレギュラーであり不測の事態であり、己の命に関わる事態であることに。
「う、うわあああ! ターンアンデット! ターンアンデット! ターンアンデットおお!!」
僧侶は攻撃魔法をあまり覚えず、魔法使いの魔法にくらべると数段威力が劣り、効力も範囲が狭く、その効果も相手の生命力に干渉する技が多い。
その為、集団で現れるアンデットにはターンアンデット以外に有効打は存在しない。
「あああああああああ」
そのため。
「ぎゃああああああああああああああああああ!」
ターンアンデットが効かないアンデットが現れた場合
僧侶には彼等の仲間になる道以外の選択肢は残されていない。
「う、うわあああああああああああああ!」
一人の僧侶が持っていたメイスでゾンビの頭を叩く。
ゾンビの弱点は頭だ。 頭を潰し、脳を破壊したら動きは止まる。
だが。
「あぁ」
折れた腕と反対側の腕を振り上げて、ゾンビは僧侶の頭をつかみ。
「あああ!? 嫌だ! 嫌だああああああああああ!」
のど笛を喰らう。
「ぎゃああああああああ!?」
ぶちりという音が響き、悲鳴は喉からあいた穴から空気が通り抜ける音に変わり、
口と喉から赤いものが噴出する。
それでも尚生きようとするのか、僧侶は涙を流しながら弱弱しくメイスを振り上げるが、
穴から湧き出すように現れるゾンビたちに押し倒され、反撃の余地も無くその身を肉塊へと変貌させる。
「ひっ!?」
仲間の死に、僧侶達は一斉に後ずさり、一番後ろにいたものはその場からの逃走を開始する。
「馬鹿な……なぜ」
神父は動けない。
目前には自らが捨てた冒険者達の死体。
己の欲のまま、眠ることも許されなかった彼等の怒り、そして義務を果たさず己の私腹を肥やしたことへの神の怒り。
「命を、金銭を得るための道具として軽んじたことの天罰が今ここに……形となったのか」
この絶望的な状況で、男は初めて神父に成れた。
仲間が馬鹿だったのではなく、自らが愚かだったのだと……ようやく理解する。
「あぁ……」
押し寄せるゾンビの波はまるで死の塊、臭いも、うめき声もまるで嵐のように
神父へと押し寄せる。
神父はその天罰に何か言葉を残そうかと思ったが、当然のように何も残せなかった。