一周年記念追憶編 ~剣帝と幼女~
そこはもはやどこであったかも忘れてしまったほど昔で……今もそこにあり続けるのかすら不確かな場所。
そこで男は少女にであった。
「……エルフ?」
ボロボロの服に全身泥まみれ……されどその金色に光る髪は輝きを衰えさせることなく、少女の震えに呼応するかのように、銀世界で金色に輝く。
耳の長さからしてエルフ……きょうび珍しくもないただの行き倒れである。
逃げてきた少女奴隷か、はたまた捨て子か……。
男はそんな少女を雪の中から助け出す。
「……まだ子供か」
雪の中から現れたのは、十もいかぬであろう小さな少女。
その体はやせ細り、瞳の光は消え……半そでの服で一人カタカタ震えている。
その瞳の灯は今にも消えそうで……男はどこか、この少女が自ら息を引き取ろうとしているように感じた。
「おい……大丈夫か?」
雪の中、男は少女にそう問いかけると……少女は思い出したかのように口を小さく開く。
掠れるように……懺悔をするように、小さく、つぶれてしまいそうな声で……しかし何度も何度も……少女は言葉を絞り出す。
「――さい……めんなさい……ごめんなさい……お父さん……お母さん……魔法が使えなくて……ごめんなさい……生まれてきて……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
気が付けば少女は泣いていた。
涙は枯れてもなお泣いていた。
「…………………………はぁ」
男は一人少女を抱き上げ、着ていたマントでくるむ。
涙の理由はわからない……何があったかなど知る由もない。
だが……いや、だからこそ、男は少女を守ることに決めたのだ……。
◇
のどかな風景が広がるリルガルム国南西に位置するウララカ草原。
~竜の鼻先で羊が踊る~……そんなうたい文句が流れるほど、一年中穏やかで豊かなこの草原は、その麗らかさ以外の何も存在しないためか、どの部族もその所有権を主張することはなく、立ち入るものすら稀なこの草原は、水面下での部族間の領土の奪い合いが盛んなこのご時世には珍しい~相手に(マー)されない(クポイ)土地~とされている。
普段であれば、聞こえるのは身を震わせる草花の音と、虫の鳴き声……そして呑気で警戒心ゼロのここの主~居眠り(スリーピング)龍~のあくびの音のみ。
争いもなければ騒がしさもない退屈で素晴らしい日々が延々と続くこの高原は、今日も今日とてそんないつもの一日を過ごすはずだったのだが……。
「……はああああああああああああああああぁ!」
その穏やかな毎日は、一人の少女の怒号と金属と金属がぶつかり合う音により終了を告げ、ここの主である居眠り龍でさえも……その瞼を開ける。
一閃……二閃……。
太陽の光を反射させた白銀の刃が光り、少女はその身の丈ほどもある刀をもって、対面に立つ男へと切りかかる。
その少女はまだ見た目十歳ほどの年齢であり、手にした刃とほぼ変わらない身長。
しかし、その振り下ろされる一閃は、児戯……と呼ぶにはあまりにも激烈可憐であった。
己の腕の長さ、軽さを考慮してか、少女は宙に飛び、一回転を交えて真っ向から男へ切りかかる。
対峙する男はその一閃を剣で受け止めるが。
「おっ?」
一撃の重さに、草原の大地に足が埋まる。
自らの身長の半分以下の少女が繰り出したとは到底思えないその一撃に、男は一瞬驚いたように足元を確認し、引き抜こうとするが。
「させるか!」
少女はそれを好機とばかりに、さらに刃を放つ。
一つ二つ……気づけば十……。
縦横無尽に草原をかけ、一閃一閃が巨竜をも仕留めるほどの鋭さで、エルフの少女は
男に対し白刃を叩き込む。
「お前、本当にエルフなのか?」
対する男も、少女の剣戟に合わせて刃を振り下ろし、見事に一つ一つを丁寧に迎撃しては、返す刃で少女ののど首や腕の筋、足の腱を巧みに狙っていく。
少女の刃が剛であるならば、男の刃は柔……。
だがその変則的な剣技にも少女はその速度で対応しきる。
「ほぉ……ここまで見切るか」
男はまた一つ驚いたような表情をして、攻撃をまた放つも、少女はそれを回避する……。
剣技はほぼ互角。
少女の剣は男の剣にからめとられ、男の剣は少女の速度の前にはその身をとらえることは出来ず、長く長く穏やかなウララカ高原に剣と剣を打ち鳴らす音が鳴り響く。
しかし、剣技自体は互角ではあっても、打ち込む少女の瞳には焦りが、男の表情には余裕がある。
その余裕の表情こそ、少女と男の間に大きな力量差があることを表しており、その証拠に男はこの切り結びの中で一歩たりとも動いてはいなかった。
「くっ」
そんな表情に少女は腹立たし気に一つ言葉を漏らし、さらに強く一撃を叩き込む。
が。
「二十四合か……上出来だ」
焦りが見えた瞬間、男は今まで使用することのなかった右腕を伸ばす。
その腕には白銀に光る籠手が装備されており。
その刃に向かって右腕を振り上げ、刃を弾き飛ばそうとする。
~パリイ~と呼ばれるスキルであり、攻撃を弾くと同時に相手に大きな隙を作りだす技である。
このスキルが決まれば一対一の戦いであれば勝負は決まる……。
男は少女の集中力が切れたと判断し、勝負を決めに来たのだ。
だが。
少女はその行動に笑みをこぼし。
「え?」
「っもらった!」
刃を大きく空振りさせ、蹴りによりその右腕を弾き飛ばす。
「蹴り!?」
攻撃を弾くはずが、逆に弾かれた男は大きくのけぞり、隙を作る。
「剣術一筋の師匠にとっては、予想外だったでしょう!」
嬉しそうに笑みをこぼす少女は、そのやっとできた隙に、全身全霊の一撃を放つ。
右腕を弾かれ、もはや剣での回避は不可能であり、回避をしなければ確実に首を刈り取られる一閃……。
男はそこで初めて大きく後退をして回避をする。
――――――イイィィィン。
大きく空振った一閃による風切り音が響き渡り、刃は名残惜しそうに透き通るような音を鳴り響かせ……やがて諦めるかのように音を止める。
ウララカ高原に、静寂がまた舞い戻る。
少女は刃をからぶったまま動こうとはせず、男もまた、大きく後退し、膝をついた状態で動くことはしない……。
「っやろう……」
不意に小さく男はそうつぶやくと顔をあげ。
「よくやったなサリア! 合格だ!」
今までの余裕な表情を崩し、満面の笑みでそう叫び。
「はい! ルーシーししょー!」
その笑顔に負けない満面の笑みで、少女もそう返した。
【ぐるあぁ~~~ぁ】
結局、あいも変わらず平和で穏やかなウララカ草原に、居眠り龍は一つあくびをこぼして、また安らかな夢の世界へと旅立つのであった。
◇
「いやはやしかし……恐れ入ったぜサリア。まさか俺のパリィを逆に弾くとは」
夕暮れ時、男は、草原のど真ん中に立っている大木に背を預けながらそう少女への称賛の言葉を漏らす。
「剣帝ルーシーのパリイはこの目で二年半も見てきたのです! あれだけ見ればバカだって返し技の一つや二つ思いつきますよ」
それに対し、サリアと呼ばれた少女はあきれる様な言葉とは裏腹に、耳をぴこぴこと動かしながら満面の笑みで夕食であるサンドイッチにかぶりつく。
「やれやれ、分かりやすく浮かれちゃってまぁ」
ルーシーと呼ばれた男も、そんなほほえましい弟子の姿に苦笑を漏らしながらパンを一つ口に放る。
剣帝ルーシー。
剣の道を生き、齢20にして剣士の頂点に立った男。
四年前に行方不明になり、世間を今でも騒がせている彼であったが、現在はそんなことはつゆ知らず、こうして一人の少女の師として平穏な日々を過ごしている。
「……そろそろ、奥義の一つくらい教えてくれてもいいんですよ! 師匠!」
「ちょーしに乗るな。お前には決定的に足りてないものがある」
「なんですか? 技術ですか!? 力ですか! それならすぐに鍛えて!」
「身長」
「どうしようもない所だった!?」
きぃきぃと騒ぎながら、サリアは困ったような声を上げるが、まだ子供のため、ルーシーにからかわれていることに気づけていない。
「まっ、何はともあれ、本当に強くなったな、サリア」
そんな明るく笑うサリアの姿を見ながら、ルーシー初めてサリアと出会った時のことを思い出す。
雪の中で息絶えようとしていたあのか弱いエルフの少女。
魔法が使えず、父と母を失った後里を追われたと聞いた時、男はこの少女に生きる術を与えることに決めた。
そして今、たったの二年で自らに恐ろしい速度で近づく少女が目前にいる。
彼女は魔法に見放された代わりに、誰よりも剣に愛されていたのだ。
あの時の判断は間違っていなかった。
ルーシーは心の中でそう呟き、サンドイッチを食べ終わる。
と。
「ねぇ、ししょー」
ふとサリアはルーシーに向かい一つつぶやき。
「ん?」
「強いって……どういう事なんですか?」
そんな難しい質問を投げかけてくる。
「随分とまぁ哲学的な質問を……」
本当に成長をしたな……と喜ぶ反面、ルーシーはどう答えたものかと思案する。
「ししょーは私に強くなれと言いました……ですが、強くなるとは……どういうことなのでしょう」
「どういうこと……か。 難しいこと聞くなお前」
「すみません……ふと思ったんです。強さって何なんでしょうって」
「何をどう考えたら十二歳の少女がそんな哲学的な疑問にぶち当たるんだ?」
「先ほどししょーと打ち合っている最中です……私は、剣技でいえば自分でもわかるほど成長をしています。 確かにししょーは強くなったとほめてくれますが……でも、剣の腕が上達することが、本当に強くなることなのでしょうか?」
「というと?」
「私は、これからどうやってもししょーにおいつくことは……できない気がするんです」
「……」
茶化すことはしない……なぜならサリアの質問は、子供じみた発言ではなく一人の剣士としての悩みであったから。
「どうしてそう思う?」
だからこそルーシーは、サリアに対して正面からその質問にこたえる。
「剣技、動き、力、……身長……。そのどれもが、鍛えれば伸びるし、研鑽を積めば磨かれます……ですが、ししょーにはそれ以外の何かがある」
「……技術や力以外の何か……か」
ルーシーには理解のできないものであったが……しかし、サリアの発言には心当たりがあった。
「はい……教えてください……一体何を隠しているんですか?」
サリアは隠し事をされているのだと勘違いしているようで、ルーシーはくすりとそんな勘違いにやれやれと言葉を漏らす。
「……サリア、お前は何のために剣を振るう」
「魔法を習得するためです。魔力のない私が魔法を使用するのに一番の近道は、魔法の鎧、ナイトオブラウンドテーブルを手に入れること。その目的の為に、私は剣を振るいます」
サリアの即答に、ルーシーは即答だなと苦笑を漏らす。
その意志の強さに揺るぐことのない魔力への渇望。
その内にいる獣のごとき渇望こそ、サリアが二年でここまでの成長を遂げた要因であり。
サリア自身が感じているルーシーとの違いでもあった。
「お前の剣は己しか映していない。それがお前自身感じている、俺との決定的な差だろう」
「己しか映していない?」
「そうだ……人は、誰かを守ろうと剣を振るうとき、本当に強くなれるもの……。
お前にはまだそれがない……そこが俺とお前の決定的な差だ」
「そんな……魔法の為に剣を振るうのはいけないという事なのですか? 目的のために剣を取る……それは……剣士として恥ずべきことなのでしょうか?」
サリアは焦るようにルーシーに食い掛る。 それは、自らの振るってきた剣が、知らないとはいえ剣の道を生きるものに対する侮辱になっていたのではないかという不安からだ。
しかし、ルーシーはそう慌てるサリアの頭を一つ撫でて首を横に振るう。
「いけないことでもないし、それは弱さでもない……安心しろ、邪な意志を持つものに、あれだけまっすぐで曇りのない剣閃は生み出せん……お前は立派な剣士だし、誰よりも剣に対して真摯に向き合っている……だが、誰かを守るという意志は、何よりも強い……そういうだけだ。 お前が弱いんじゃい……俺が強すぎるんだ」
「うううぅーー!? 何でですか何でですか!? 狡いです! 私も誰かを守りたいで
す! ししょーに追いつきたいです」
「わっ!? サリアおまっ!?」
難しい答えに、サリアはどうにも納得できないようで、年相応にきぃきぃ声を上げながらルーシーを質問攻めにし、勢い余ってルーシーの胸の中に飛び込む。
「どうやれば人を守りたいって思えるんですか!? どうやったらそんな人ができるんですか! 教えてくれるまで話しませんよ! ししょー!」
「それは俺にだって教えられん。こればっかりは人とのつながりと絆の中で、己の力で見つけるしか方法はないんだ……愛し愛され、その中で……」
「キスすればいいんですか!? でもししょーファーストキスもまだですよね!」
「余計なお世話だマセガキ!」
「そんなー! 教えてくださいよお――――! いじわる! ししょーのいじわる!」
むすっとした顔でルーシーに駄々をこねるサリア。
曇りも濁りもないその瞳に、飛び込んできた胸から伝わる体温に、ルーシーは昔のことを思い出す
氷のように冷たく、ただただ生まれたことを謝罪していたあの頃のサリアはいない……。
本当の強さに気が付かせてくれたのはこの少女だというのに。
ルーシーは苦笑を漏らしながら、優しく、とりあえずはこの子が大きくなるまでは守り抜こうと決めた少女の頭を撫でる。
「お前にもいずれ……わかるときがくる……」
「えへへ……ししょー」
先ほどの駄々っ子はどこへ行ったのか、サリアは頭を撫でられると嬉しそうにはにかむ。
そんな少女の表情を見ながら、ルーシーはあとどれくらいこうして引っ付いて懐いてくれるのだろうか、なんて疑問を浮かべ、そんな父親みたいなことを考えている自分にあきれてため息を漏らす。
「さて、腹ごしらえも済んだし……そろそろ寝るか」
「その前に、先ほどのパリィ返しのおさらいがしたいです! ししょー! 稽古お願いします!」
「まだやんのかよ!? 元気だなお前!」
「若いですから!」
「年寄り扱いすんな! 俺はまだ24だ!」
わいのわいの騒ぎ立てながら、のちに世界を救う英雄となる男と、のちに剣聖と呼ばれるようになる少女は、平穏なウララカ高原にて穏やかかつほほえましい時間を過ごす。
【ぐるあぁ~~あ……】
騒ぎ立てる二人の親子のほほえましい姿に、居眠り龍は今度はあきれたように、大きなあくびを一つ漏らした。
◇
「…あ……リア……サリア」
ふと、私は名前を呼ばれて目を覚ます。
瞳を開けると目前には、私が守ると決めた大切な人がそこにいた。
「……マスター……!! はっ、すみません! つい居眠りを!」
慌てて私は体を起こし、垂れていたよだれをぬぐう。
そうだ……今は迷宮攻略中で……お昼休憩の真っ最中でついおなかいっぱいで眠くなって……。
「うん、気持ちよさそうだったからまだ寝かしといてあげたかったんだけど、そろそろ出発しないと。 今日のノルマが達成できないからね」
マスターはいつもと変わらない素敵な笑顔で私にそう微笑みかけ、私は一つ胸の鼓動が跳ねる感覚を覚え、慌てて剣を取って準備を整える。
どうやらほかのみんなもすでに準備は万端なようだ。
「お寝坊さんだこと……そんなんでこの先の迷宮攻略、大丈夫なのかしら?」
「それを君が言うのかい? ティズ」
「二日酔いのティズちんに比べたら居眠りくらい可愛いもんだよー」
「あんただってさっきまでふらついてたじゃないのよ!」
「私はいざというときも動ける秘策があるから―! ティズちんとは違うのだよティズちんとは」
「あんですってー!」
「はいはい、そこまでにして先に進むよ。 準備はいいかい?」
苦笑を漏らすマスターは、いつも通り騒がしい二人をいさめると迷宮へと一歩踏み出し、それに続くようにシオンとティズも仲良く楽しそうに言い合いをしながらマスターへとついていく。
―――大切なものを守るとき、人は本当に強くなれる。
「やっと、分かりましたよ……師匠」
一度死ぬまで理解はできなかったけど……それでもやっと見つけた守りたい人たち。
私は夢の中で出会えた師匠にそう言葉を贈り。
「待ってください!」
大切な人たちの輪へと加わった。