222. 狂愛
「……なっ……えっ!? そんな」
驚愕の表情を浮かべながらも、カルラはブリューゲルを見やると、確かに呪いは死んだはずのブリューゲルから伸びており、しかしブリューゲルはゆっくりと立ち上がると首をあらぬ方向へまげて満面の笑みを浮かべる。
「いいいいいいぃい一撃でした。 苦痛の伴わない停止による殺害……私を殺害するのであれば百点満点の答えですよ……ですがねぇ、貴方、来るタイミングがわるかったですね」
「タイミング……」
「言ったはずです、呪いとは人の憎悪・怒り・負の感情全ての塊だと……ですが、愛にまみれる私が、誰かにここまでおぞましい負の感情を抱いているとでもお思いですか?」
立ち上がるブリューゲルは、にこやかにそう笑うと口元から流れる血を拭う。
「血? 馬鹿な……なんで血が」
六花無傷殺は文字通り怪我一つ残さず、練気により敵のすべての機能を停止させる技……臓器に傷もつかなければ、中を傷つけることなどありえない……。
ましてや、カルラの技量をもってして、ミスをするということなど尚あり得ないだろう。
「ええええ、貴方の技の所為ではありません……私にかけられた魔法のせいです」
「魔法?」
「ええ、たとえばあなたの様に、痛みを感じさせることなく人を殺せる人間と出会ってしまった時の為に備えてですね……私が致死のダメージを受けた瞬間に、自分の心臓が破裂するように仕掛けてあります……クラミスの羊皮紙なんかとかがそうですねぇ……あれは自らを生かしている部分だけを吸い取って殺しますからね、こういったギミックを用意しないと死んでしまうのですよ」
「そんな……だけど……呪いは自傷行為では……発動しないはずじゃ」
そう、呪いとは思いの力であり、人への恨みなどの感情に呼応して反応する。
痛苦の残留は痛みによる恨みから発動する呪いのはずであり……自ら傷つけるだけでは、その痛みが相手に起因しないため、理論上は呪いは発動はしない。
「くっくくく、そうですね、私がこの呪いを自分にかけたのだとしたら、聖女カルラのおっしゃる通り、今の一撃は防げません」
「じゃあ、なぜ」
その質問に、ブリューゲルは心底愉快そうな表情を浮かべ。
カルラへと近づく。
「この痛苦の残留はですね、ラビの呪いの一つでしかありません……そしてラビの呪い、これは私を守るためのものではありません、私に永遠の痛みを、苦しみを与えるために、悪意のある人間によって作られた呪いなのです……そしてその呪いは、その人間つまり私を恨む人間がいればいるほど……強大に凶悪になる」
「……強大にって……まさか」
「ええ……そのまさかです……なぜ私が王国騎士団が動かざるを得ない状況を作りだしたか……私とずうううっと一緒にいた聖女さまならもうお判りでしょう? そして、私ならどういう手を使うかも」
ゾクリとカルラに悪寒が走る。
そのまさかである。
普段穏やかなリルガルムの国民がなぜあれほどまでに怒りに身をゆだねているのか……。
なぜ、ブリューゲルはクリハバタイ商店襲撃から、無差別殺人などという凶行に走ったのか。
それは全て簡単な答えであり。
「ラビの伝説の幕開けに……伝説の騎士はまぶしすぎる」
ブリューゲルアンダーソンは……この場所で、最大の呪いをもって伝説の騎士と対峙するつもりなのだ。
「貴方……伝説の騎士に勝てるとでも?」
「ええ……力はどうあれ、私の中に宿るはこの国に住まう人々すべての憎悪……一人の伝説程度で人々の感情をどう塗り替えられましょう……伝説の騎士にはここで退場を願い、新たな救世主・ラビがここに誕生するのです!! そしてそしてそして!! 大きな怒り、敵対心は! 圧倒的な力の前には恐怖となりやがて崇拝と転換される!! これぞ私の望む世界! 力と恐怖によるラビの在り方! あああああぁラビ万歳!ラビ万歳!ラビ万歳!」
「くるってる」
「狂わずしてどおおおおして理想を求められましょうか!」
先ほどとは比べ物にならないほどの触手がブリューゲルから放たれ、迷宮教会を覆いつくす。
「っ――――――――!
国中の憎悪を一身に背負ったその触手は、先端に口の様なものが現れ怨嗟の言葉を延々と語り続ける。
当然、その怨嗟の言葉は全てブリューゲルへと向けられており……。
その怨嗟の声を、ブリューゲル・アンダーソンはさも愉快そうに、そして幸せそうにうっとりとした表情で聞いている。
「そうですか」
おぞましいほど狂った光景。
名状しがたく・許容しがたく・理解しがたい。
その人々の狂気と憎悪で作られた世界にカルラは一人立ち、ブリューゲルはその世界の中心にてひた笑う。
常人であるならばその拳を引き、逃走を図る。
屈強な戦士であれば逃げられないと悟り、自害を選ぶだろう。
だが。
忍のカルラは、拳を構えてさらにブリューゲル・アンダーソンへと疾走をする。
「まだ向かいますか!! カルラ!」
ブリューゲルはそう笑うと、全触手をカルラへと一斉掃射する。
速度・威力・密度……そのすべてが以前までとは比べ物にならない力であり。
カルラはそれを回避することなく真正面からすべての触手を見据えたまま拳を構え。
【六花】
その触手へ、ただの正拳突きを放つ。
【覇王撃】
舞い散る六枚の花弁……。
「一撃……」
全ての触手はその一撃により粉砕され、花弁が砕け、雪のような魔力の残滓の中を……。
カルラは無防備になったブリューゲルに向かい走り出す。
「自らの弱点をさらしたのは、間違いでしたね司祭」
その速度は逃げることはかなわず。
ブリューゲルは触手を砕かれた反動で身動きもできず、ただただその目前に迫る暗殺者の拳を見つめ続け、カルラが唱える魔法を聞き続けることしかできないでいる。
【押し黙らない者には、針と糸をもってわからせる…】
詠唱をするのは、沈黙の口縫い……。
魔法により、自らの呪いを自発的に発動させるのであれば……魔法の行使を不能にする状態異状をかけたまま殺せばいい。
まずはブリューゲルの体へ触れて沈黙の口縫いをかけ、そのまま背後に周り、六花無傷殺を叩き込む……。
カルラのイメージはよどみなく、その動作はまず間違いなく達成されるはずであった。
ただ一つ。
たった一つ……ブリューゲルが仕込んだ策が存在しなければ。
【神への階段を上る……あなたはまだまだ、灰被り】
「!?」
魔力も動かせず、体も満足に動かせない状態で……ブリューゲルはその言葉をつぶやく。
それは。
詠唱ではい、始動の言葉。
魔力の流動は見られず、魔法の行使もしていない。
行使したのは、仕掛けてあった魔法を……解放する……たったそれだけのことである。
「あっ……」
瞬間、カルラは全身を呪いによりからめとられる。
その呪いは、ブリューゲルからでも信徒からでもない。
紛れもなく……カルラの体の中から出てきた。
不可視のものではない……明確な、黒い、ブリューゲルが操る触手がカルラの傷口からあふれでて、カルラの腕、胸、首、そして顔を縛り上げる。
「くっ!?」
その技は、まぎれもなく、クレイドル寺院襲撃時に、サリアを捉えた際にブリューゲルが使用したものであり、カルラはもがくも触手は次々と体を貫き侵食していく。
いつの間に……そうカルラは思案をし、すぐに答えは出る。
ブリューゲルが操るリキッドリオールに連れ去られたとあの時……リオールがつぶやいたカルラを気絶させた魔法……【神への階段】あれは、意識を混濁させる魔法ではなかったのだと……。
カルラはそうあの時の魔法を理解したがもう遅い……。
魔法の効果か、その触手は脳を侵す。
【憎め……恨め……ほしいものは奪え、お前はラビだ……すべてを手に入れるラビなんだ】
「い、いや……入って……こないで!? 私は……私はカルラ!! ラビじゃ……」
「くっくっく……むだですよぉ、聖女カルラ」
「ブリューゲル……!」
ぎりっと触手を嚙みちぎりながら、カルラはそうブリューゲルをにらみつける。
もはや四肢も動くことはなく、もがき続けるカルラに対し、ブリューゲルはさも愉快そうにゆっくりと近づき、カルラの頬を撫でる。
「いい表情になりましたねぇ……えぇ、貴方こそラビにふさわしい」
「ッ誰が!!」
「くっくっく、そういっていられるのも今のうちですよぉ……その神への階段は、貴方も今体験しておられるように精神を侵食し、ラビの人格を形成する!ラビの人格が貴方の自我を埋め尽くせば埋め尽くすほど……あなたは呪いの制御権を奪われていきます、傷口にしか埋め込めないことが、私の魔法の難点ですが……運が悪かったと諦めてください。
まぁ、脳が破壊されて体に障害が残ったりする恐れもあるので忌避していましたが……そうも言っていられなくなったので……強制的にあなたをラビにすることにしましたよ……ラビの力を得てから、貴方を消すことにしていましたが……今の貴方ではラビの力を持ち逃げする恐れもありますからね……あなたをラビにしてから、ゆっくりと封印を解除します……」
ブリューゲルのいう通り、カルラが体験しているのは今までラビの人格が行っていた乗っ取りとは比にならない……人格の再形成であり……体を覆うカルラの使用している不可視の呪いではなく、普通のラビの呪いである。
「ラビラビラビって……このラビも……アンタの妄想でしかないくせに!」
カルラは苦し紛れにそう神父に対し言葉を吐き捨てる。
しかし。
「ええ、それが何か?」
ブリューゲルはきょとんとした顔でそうカルラの言葉に問いかける。
「え?」
カルラは理解できないといったように、目を丸くする。
当然だ……今この男は、自らが信仰するラビという存在が、自らの妄想であると認めたのだから。
「え……あなた……」
「ふっふふふ、いいことを教えてあげましょう……この呪い……触手はねぇ、全て、スロウリーオールスターズの一人……ラビが私に与えたものなのです……憎みました、死ねない呪いを私にかけて、あまつさえ私の愛を否定し、私が説いたあるべき姿をも否定した!!……許せなかった……えええぇ……ですからねぇ、ですからですから……私は、自分の理想のラビを作り上げることにしたんですよぉ!! 理想のラビを作って、そして……現実のラビに最大の辱めを与える。正しいラビを正しい在り方を……前回のラビが間違えてしまったことを、私はあなたを使って正すのです!ラビは狂気にまみれた……憎悪と怒りを一身に受ける対象でなければならない……すべてのこの世の罪を……その身に引き受ける存在こそがラビなのだと……これがラビの本当の姿であると……世界に記憶されたすべてのラビを……恐怖と絶望と憎しみによって塗り替え正しい在り方へといざなう……。 ラビこそ最悪な存在であり、ラビこそ最も畏怖すべき神なのだと、ラビを彼が愛したもの全てに呪いを振りまく存在へと変貌させる。 ふっふふふ、最高だと思いませんか!! 死してなお、ラビが間違えてしまった行いを正そうとする! この私こそ! 真に、真に真に真にラビを愛しているのです!」
「あなた……狂ってるわ」
カルラはもはや、そんな言葉しか思い浮かばない。
結局ブリューゲルは、ラビが自分の想像していた人間とは違ったから……理想のラビを作ろうとしているだけなのだ。
「ふっふふふふ……いったでしょう? 狂わずしてどうして理想など追い求められますか」
ブリューゲルはそっとカルラの頬から手を放す。
更に触手はカルラを包みこみ、しかしそれでもカルラは諦めずに触手を引きちぎり脱出を試みる。
「耐えますねぇ……傷口が開いて死んじゃいますよ?」
「うるさい……私は絶対に……絶対に帰るんです!」
仲間のもとに……そう言おうとしたカルラであったが、ちょうどその時、触手が口をふさぐ。
「帰る? あぁ、もしかして貴方、自らを捨てた両親のもとに帰ろうというわけですかねぇ? ずううううっと頭の中にあった望みですが……まだ望んでいたとはねぇ……帰れるわけなんてないのに」
ブリューゲルの勘違いによる発言であったが……カルラはその言葉に目を見開く……。
だってその言葉はまるで……。
「貴方の両親なんて、とっくに死んでますよ?」
瞬間……カルラのすべては……闇の中へと深く深く沈んでいったのであった。
◇
黒い闇に飲まれ……カルラは姿を変えていく。
「自我は入念に入念に消さなければなりませんからねぇ、しばらくはそのままでいてもらいましょうか……ふっふふ、似合ってますよ? ラビ」
ブリューゲルが望むラビの姿そのままに、角が生え、口が裂け翼の生えたそれは。
「やはり、魔族はそのものの姿であるのがお似合いです」
かつてこの世界を侵略戦と襲撃をした、魔族の姿をかたどっていた。
「この世で最も忌むべき存在であり、人々に災厄をまき散らし、魔物をこの世に生み出した……そんな魔族であるあなたが……人に愛される英雄であってはいけないのです。 魔族は魔族らしく振舞うべきだ、嘘はいけないことですからねぇ……」
にこやかに笑うブリューゲルを、その闇は見つめる。
「ふっふふ、頼もしいですよラビ。 あなたには手始めに王国騎士団の相手をしてもらいましょう! 伝説の騎士でもいいのですが……念には念を入れて、です……レオンハルトくらいなら軽い肩慣らしにはなる……おぉ! そうでした私としたことが……手ぶらではさすがに不安ですよねぇ、ですがあなたにぴったりのいいものをクリハバタイ商店から拝借して来ましたよラビ……どうぞ……あなたはもはやカルラではない……ラビですからねぇ、拳で戦うなどという下賤なことはしないはず……こちらをお使いください」
そういうと、ブリューゲルは祭壇から一振りの刃を取り出し、ラビへと渡す。
それは……リリムがクリハバタイ商店に展示をしていた、妖刀・ムラマサであった。
「折れてはいましたがねぇ、鍛冶師に直させました、我が信徒は勤勉ですからね……この刃こそあなたにふさわしい……まぎれもない力の塊です」
その言葉に、ラビは差し出された妖刀ムラマサを受け取り。
ブリューゲルへ刃を引きぬき、胴体から一刀両断をする。
「おや?」
ブリューゲルはきょとんとした表情をして、二つに分かれた自分の胴体をみる。
「あなた、まだカルラでしたか」
そんな納得したような言葉は、闇にとらわれたカルラが振るうムラマサの二振り目にてかき消され……ブリューゲルは細切れになって霧散した。




