178.傷だらけの聖女
「カルラ……目が覚めたのかい?」
確かシンプソンは麻酔が効いていてあと六時間は眠っているとか言っていたような気がするが。
「ええ、と言うよりも……最初から眠っていません」
カルラは申し訳なさそうな表情をしてそうつぶやくと、それに続けてごめんなさいと小さく漏らす。
「まさか、あのくそ神父……」
麻酔をかけるのを忘れて、痛みを消さずに体を切り裂いたとか。
いや、まさか何度も死んだ腹いせにわざと……。
僕はメイズイーターを全力でぶち込む用意をしてシンプソンのもとに向かおうとするが。
「ちち、違うんです……神父さんはちゃんと麻酔を私に投与してくれました。 ヒュプノスの涙と呼ばれる強力な薬です……普通なら確かにあと六時間はこのまま眠っていたでしょう……」
そんな僕の妄想をカルラは必至な声で引き留め、僕はそんな少し元気そうな声のカルラに少しだけ冷静さを取り戻す。
「じゃあなんで?」
「わ、わ、私……な、慣れちゃって……薬、効かないんです」
その一言で、僕はぞくりと背筋が凍るような思いをし、迷宮教会と初めて出会った時、痛みこそ力と言いながら信徒の背中を切り付け続けるブリューゲルの姿を思いだす。
どうして気が付かなかったのだろう……忍でありながら首から手首まで、しっかりと全てが隠れるような袖も丈も長い忍装束。 よく見れば、ほほや首筋に存在している……うっすらと残る裂傷の様なあと……。
「ブリューゲルは……一体君に何をしたんだ」
なぜ気が付けなかったのか……。
少しだけ考えれば、もう少しだけ彼女のことを見つめていれば簡単に分かったことなのだ。
彼女が全身傷だらけで、それを隠していたことも……。
ラビの呪いで奇跡を頼ることもできず……ただただ痛みと傷を背負い続けているカルラ……。
怒りに震えながら僕はそっとカルラの手を握っていた。
「う、ウイル君……い、いいんです……ちょ、ちょっと痛いです」
「あ、ごめん」
気が付けば僕は、カルラの手を力を込めて握りしめてしまっていたらしく、慌てて手を離す。
「わ、私は迷宮教会の聖女だから……そ、その……ラビの、力を手に入れるため……い、い、いろんな拷問を……ブリューゲル司祭に……受けました……。 や、薬物投与から全身という全身を切り刻まれて……死んだら生き返らせて……。ラビの力を、封印されていた魔鉱石から……取り出せるまで……何度も何度も」
怒りでどうにかなってしまいそうだ……。
シンプソンはカルラが眠っていることを一切と疑っていなかった……それはつまり、カルラは傷口を縫い合わされる痛みを……中をいじられる痛みを平然と、顔色一つ変えずに耐えきったというのだ。
一体……迷宮教会は彼女にどれだけの責め苦を与えたのだろうか……。
僕よりもはるかに小柄なこの少女が……これだけの痛みを平然と耐えられるようになってしまうほど……。
「ブリューゲル……アンダーソン……」
怒りと共に迷宮教会への怒りが爆発しそうになり、拳を強く握りしめると……。
「でもでも、し、シンプソンさんの手術はすごかったんですよ! 体を切り裂かれるから痛いのかなって思ったんですけど……その、もちろん少しは痛かったけど……全然痛くなかったんです……自分でも、麻酔効いたのかなって思うくらいに……」
「……カルラ」
「気にしないでください……わ、私……今とっても嬉しいんです……こんなに、こんなに一生懸命私をウイル君やシンプソンさんが、た、助けようとしてくれて……こんなに優しくされたの、初めてだから」
これだけの不幸に何度も会いながら、彼女は幸せだと語る……。
一体、こんな少女がなぜ、迷宮教会の聖女になっているのか……なぜ、アンドリューなんかの部下となり、さらには彼らに命を狙われているのか……。
「動ける?」
「今はまだやめておいた方がよさそうです……そ、それに……ちょっと、オフトゥン気持ちいい」
カルラはほっこりとした笑顔でそういうと、僕はそんな幸せそうなカルラに釣られて笑顔を漏らす。
「じゃあ、そっとしておいた方がよさそうだね……無事も確認できたし、気になって眠れないなら外に出ているけど」
「……い、いえ……その……ひ、一人だと怖い夢を……見てしまうかもしれないんです……た、助けてもらっておいて差し出がましいんですが……そ、その……眠るまで、お話し相手に、なってもらえませんか?」
背を向けようとした僕の服の袖を、カルラは赤子が引いたのかと錯覚してしまうほど弱弱しく引き……カルラは顔を真っ赤にしてこちらをおずおずと見つめている。
そんな彼女のささやかな願いに、僕はできうる限りの笑顔を向けて……彼女の手を取ったまま椅子に座る。
「ふ、ふあ……て、手ぇ?!」
「怖い夢を見ないおまじないさ……」
「あ、あうあう……」
手を握られて恥ずかしいのか、カルラは顔を真っ赤にする。
恥ずかしいのはもちろん僕とて同じであるが、しかしこうすることでカルラが怖い思いをしなくて済むというのならお安い御用だ。
「ふふ……カルラ、もしよければ教えてほしいんだけど」
手を握りながら、僕は少し考えた後、カルラにそう問う。
「な、なんですか?」
「うん……カルラがどうして迷宮教会の聖女になって……そしてどうしてアンドリューの部下になったのかが知りたいんだけど」
カルラからすれば、死と拷問の日々……ただでさえ弱りかけた心に、重荷を背負わせてしまう可能性がある。
だから抵抗はあったが……僕はどうしても知りたかった。
彼女がなぜこんなにも過酷な運命を背負わなければならなかったのか……。
そして、どうすれば彼女を守り、救うことができるのか……その糸口はカルラの過去にこそあると……そう薄々と感じていたからだ。
だからこそ、僕は少し取り乱されることは覚悟のうえでカルラにそう問う。
が。
「……か、構いませんが……あ、あ、あんまり……面白くも何も……ないですよ?」
カルラは少しだけ考えるそぶりを見せた後……僕の願いを快く聞き届けてくれたのであった。
「ほ、本当? つ、つらいならやめていいんだけど」
あまりの快諾に僕の方がたじたじになってしまい、慌てて彼女の方から自らの提案を拒否できるように逃げ道を使ってみるが
「だ、大丈夫です……そのむしろ、う、ウイル君には……聞いてほしいから」
「そう……」
カルラは少しだけ僕の手を握る力を強めてそういうと。
首だけをこちらに向けて、昔話を開始する。
「……まずは、私が迷宮教会の聖女になった理由ですが……それは、私が迷宮で生まれた女だからです」




