137.盗まれた魔導書
三日前……
「い、いやああああああああああああああああああああああああああ!!?」
王都防衛、魔物の襲撃から一夜明けた朝。
僕たちの勝利の余韻にどっぷりつかった状態で迎えるはずであった穏やかなる朝は、とある少女の悲鳴により騒がしい朝へと変貌する。
「えっうそ!? 今の声……サリア!?」
しかも、おぞましいことに、その声の主は最強の聖騎士サリアのものであり。
僕は慌ててベッドから飛び起き、おそらくみんなが雑魚寝をしているだろうリビングへと飛び込む。
「みんな無事!?」
敵襲であれば、すぐにでもメイズイーターを放てるように準備をし、僕は扉を開けると。
「ま……まずだあああああああああああ、えぐっ……えぐっ」
大粒の涙をボロボロとこぼしながら大号泣をするサリアが僕に飛びついてくる。
本当に何があったのさ!?
「ティズ!」
「……あだまいだい」
「うん、ごめん無理だよね……リリム」
「えっ…その……私も今の叫び声で目が覚めてよく状況を理解していないんだけど……サリアさんの魔導書がなくなっちゃったみたいで」
「え?」
「ちょっとーサリアちゃんどうしたの? すごい声がしたよ?」
ひょこひょことシオンが慌てたような様子で寝室からやってくる。
「せっかく……やっと、魔法が……魔法が手に入るはずだったのに……マスター……私……私」
昨日の痛みで涙目になっているのとはわけが違う。
いつもの凛とした態度のサリアはすでになく、子供のようにサリアはえづきながら泣きじゃくる。
あれほど楽しみにしていたというのに。
さすがに気の毒だ。
「サリア……状況を整理しよう。 大丈夫、きっと見つかるよ」
「うぅ……本当? マスター……本当に私の本見つかる?」
何だろう……不謹慎だし失礼かもしれないんだが、すごいかわいい。
「もちろんだよ……大丈夫、きっと大丈夫だから」
「……はい」
落ち着いたのか、サリアは目を赤く腫らしながらも、僕から一度離れ、ソファに腰を掛け、シオンとリリムも円になるようにソファに腰を掛ける。
「とりあえず、君が朝起きてからのことを教えて、サリア」
そう僕はサリアに説明を求めると、サリアはまた瞳に涙を浮かべながら。
「まだ、朝起きたばかりなのですが……昨夜私は、魔導書を抱きながら寝たのですが……
朝起きたら忽然と……」
「あぁ、確かにサリアちゃん昨日幸せそうに魔導書抱きながら寝てたよね~」
「私も覚えているよ……明日読むんだ―って、すごい嬉しそうだったから」
「ティズは何か覚えていない?」
「水……水がないと死ぬ……てかここどこ? 頭回って……ぐるぐる」
「なんで聞いたんだろうね僕」
「寝相が悪くて放り投げちゃったとか?」
「……結構大きな本です……そうそうなくなることはありません」
そう、酒瓶があちこちに転がっているが、この部屋は汚いわけではないし、あんな大きなものがなくなるなんて考えられない……。
となると考えられることは。
「盗まれたってこと?」
「確かに、あの魔導書は金貨にすれば千……場所によってはその十倍の値段を出す人もいるくらい……サリアさんにはお楽しみってことで黙っていたんだけど、
あの魔導書は、こっちでいう第五階位魔法~水の造形~を覚えることができる魔導書で、エルダンでも結構な価値のあるもの……知っていれば盗もうって考える人もいるはず」
「……でも、いくら泥酔していたからって、サリアとリリムに気づかれずにこの家に侵入して盗みを働くなんてこと出来るのかい?」
「調べてみようか……リリム、僕たち以外の匂いは?」
「ん~……ないよ。 あったら最初に教えてるよ」
「そうだよね」
「ええ、それに私にはスキル~危機察知~があります。 悪意のあるものが私に近づけば反応しますし、ましてや触れなどしたら泥酔状態であろうとも戦闘態勢に移れます」
「となるとー、高度な魔法が使われたってこと?」
サリアは魔法に弱く、そのスペシャリストのシオンはちょうど夜に目を覚まし、自室に戻ってしまった。
サリアは魔法が使えないのと、魔力の感知は生まれつき苦手である。
リリムも、司教ではあるが……。
「ごめんなさい。私は、本当にエンチャントと奇跡と炎耐性だけ取るために魔法勉強してたから……魔力探知とか追跡系のスキルは取っていないの、人が入ってくれば匂いで気づくんだけど」
匂いもなく音もなく敵意もない高位の魔法使い……というのが今回の犯人像であるが。
「しかし、高位の魔法使いが、魔導書をなぜ?」
「高く売れるからかな」
「でも、この家に侵入してグリモワールを盗み出せるような人間はお金に困らないと思うんだけど」
「そうだよねぇ」
「まぁ一応、人の出入りした痕跡はないとすると……身内の犯行という線も考えないといけないよね」
「……マスター」
「僕は魔法を使えないから、盗んでも意味がないよ。戦士は魔法を使えないからね。 それに、精製した魔力もティズにほとんど持ってかれちゃうから」
「シオン?」
「私レベル10のアークメイジだよー? 100年前くらいにとっくに習得したよー」
「リリム」
「お客様の商品に手を出すほど勤勉ではないよサリアさん。 それに、私もシオンと同じで、司祭の時に習得しているし」
「ティズ……はないか」
そもそもティズはあの大きさじゃ運べない。
「よんだ~?」
「何でもないよ、ほら、お水飲んで」
「う~、世話をかけるわねぇ……ところで何の話? シチュー? シチューなら私も食べるわ」
「シチューは後にして、ほらねてて」
「あによう……」
ティズは大惨事の中で一人お水を飲んだらいびきをまたかき始める。
こうしてあえなく身内の線は消える。
まぁ当然か、そもそも全員動機がないのだ……。
分かり切っていたことの再確認でしかない。
だが、最初に身内の犯行の線を消しておけば、変にお互いが疑いあう必要がなくなる。
「一体誰が……私の魔導書を……魔法を」
「サリア、落ち着いて……」
「落ち着いてなどいられません……犯人め、捕まえて八つ裂きにして、そして殺す」
全員の血の気が引いた。
シオンなどあまりの恐怖に手が震えてしまっている。
それも仕方はない、生命力5のシオンにとって、この殺気は暴力的すぎる。
「マスター、ローラー作戦です……容疑者はこの町の人間すべて、一人ひとりじんもっぷぅ!?」
とりあえず暴走しかけるサリアのおでこをぺちんとたたく。
「落ち着けサリア」
「し……しかし……」
「魔導書を君がどれだけ欲していたかも、どれだけ悲しいかも、君の今の姿を見ていたら痛いほど伝わるよ、だからって人に迷惑をかけていい理由にはならない、だろ?」
「あ……あぅ……ご、ごめんなさい……取り乱しました」
サリアはようやく本当に冷静にもどったのか――落ち込んだ様子は相変わらずだが――
沈んだ表情でみんなに謝罪する。
その表情は、自らへの自己嫌悪とショックで、今にもつぶれてしまいそうな表情だった。
いつも冷静でみんなを支えている彼女のこの表情は……正直みんなの心に応えるものがあった。
「……どうしようか、リリム」
何とかしてあげたいけど……
手がかりもなければ、痕跡もない……本当に誰かが盗みに入ったなんて到底思えないほど、この家に侵入の痕跡はないのだ。
「……一応もう一度、この部屋に私たち以外の匂いがないかを入念に調べてみるね」
「私はじゃあ……魔法の痕跡がないか調べてみるよー。 サリアちゃんが何か干渉されるとしたら、高位の魔法くらいだからね」
シオンもそういうと、さっそく作業に取り掛かり、魔力の痕跡を探し始める。
僕は僕で、部屋の片づけを開始し、何か痕跡が残っていないかを確認する。
こうして、ワイングラスの中でいびきをかくティズを除いた全員が午前中をかけて部屋の中を調べたが、ついぞ魔導書につながる手がかりを見つけることはできなかったのであった。
◇
「やっぱり、どこにもない……」
リビングルームをくまなく探し、侵入ルートになりそうな場所の匂い、魔力の痕跡を調べたが、何一つ現れなかった魔導書への手がかり。
僕たちは結局何も見つけることができずに、痕跡なしという結論を導き出す。
「……ここまでくるとちょっとしたホラーだよ」
リリムもそう首をかしげながらため息を漏らし、その犬耳を少し垂らして落ち込む。
「……お手上げだね」
「そう……ですか」
サリアの耳も少し下がり、明らかに元気がない。
まぁ、いつも通りにしろというのが無理な話だ……。
「じゃあ、次は……」
そう、僕は次の行動を提案しようとすると。
「み、皆さん」
不意にサリアは口を開き、僕の言葉を遮る。
「……みなさん、本当に……本当に私のためにありがとうございます。 でももう大丈夫です。 大事なものなのに、抱えて泥酔して……盗人の侵入にも気づけなかったのです……自業自得というものでしょう。 私はもう大丈夫ですから……もう、これ以上皆さんに迷惑をかけるわけにはいかない」
……サリアはそういうと、ぐっと浴衣の裾を握りしめる。
僕はそんなサリアの言葉を否定したかったが……もはや手がかりもなく……僕にはできることがない。
沈黙が生まれる。
当然だ、誰もがサリアの魔導書を見つけてあげたい……だけどもはやどうにもならなそうなのだ……ここで中途半端にサリアの言葉を否定しても……おそらく、余計にサリアを傷つけることになるだろう。
だからこそ……二つの思いの板挟みになって誰しもが口を噤んだのだ。
そんな中……。
「強がっちゃって……サリアちゃんったら」
シオンが、口を開く。
「シオン?」
「一生懸命頑張って、望んで……それでも不幸に邪魔されて……なのにそうやって強がって」
「……シオン? 何を」
「サリアちゃん、魔法っていうのはそんなにいいものじゃないよ? もしかしたら、サリアちゃんの世界が全部反転してしまうかもしれないし、信じていたものに裏切られるかもしれない……それが魔法、覚えてしまえば君の常識というものが、魔法によってすべて覆されてしまうかもしれない。 それでも、サリアちゃんはそんな魔法がほしいの?」
「ちょっとシオン……何言って」
「待ってリリム」
リリムさんが慌ててシオンのことを止めようとするが、僕はシオンの意図を察してリリムを止め、サリアの返答を見守る。
「当たり前です……私の望みであり、この願望は内に潜む獣そのものだ、自らを破滅させてなお……望み続けるくらい私は魔法が欲しい。 今更……世界が反転するくらいでいらなくなったりなんてしないです」
当然のことながら、サリアの答えはイエスであり。
その答えに、シオンはわざとらしく大きなため息をつく。
「は~~~。見ちゃいられないよ本当に……うん……サリアちゃんは本当に見ていられない……だから」
そういうと、シオンは一度僕を見て……小さく何か決心をしたようにうなずいて。
「……魔法なら何でもいいって言ったよね?」
「はい……それが魔法であることに、意味があるのです」
「うん……わかった。 だったら、私が魔法を使えるようにしてあげる」
シオンは友達に、手を差し伸べたのだった。
◇




