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No.1  作者: 紗智
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STAGE8.パズルのピース

「君、もしかして、男……だったり、しないよね?」

自分の口でそう言いながら、その言葉の意味を頭でまだよく理解していなかった。

いくら下着が男物だったからって、ちょっとした男装趣味だったりとか、男の下着の方が着心地がいいとかの理由かもしれない。

明らかに胸に仕込む詰め物があったっていっても、平均より小さい胸を気にして大きく見せようとしているのかもしれない。

「ああ、ごめん。そんなわけないよね、あははは」

そう言って、ガラスの片づけを続けようとした。

ガラッと、風呂場の戸の開く音が響いた。

「アンゼルム・ボルツ」

低めの声が、風呂場に反響する。

「ぼくの本名だ」

おれは顔を上げて声の主を見た。

タオルを腰に巻いただけの姿の、『彼』が無表情でこちらを見ていた。

手足は長く、顔は綺麗だが、体格は全くおれと同じくらいの男だった。

「ナオと恋仲になれない理由はこれだ。ぼくは、男だ」

パズルのピースがはまっていく。

低めの声。

脂肪とは縁遠い骨っぽい腕や脚。

サンダルをいつも履いていたが、たぶん大きいサイズの脚。

握って意外と大きかった手。

突き飛ばされて痛かった強い力。

おれに好きだと言われたら断らなくてはならないと、あの発言。

男だと思うとすべて納得がいく。

頭のどこかで納得がいっても、くらくらと眩暈がしていた。

滑らかな肌の、しかしふくらみは一切ない胸に目をやって、顔を逸らした。

棚から自分の新しい下着をとり、用意してあった着替えに加えて彼に渡した。

「着て。……上の下着、濡れちゃってるけど、女装しなくても帰れるのか?」

「タクシーで帰ればいい」

「じゃあ、呼ぶよ」

おれが電話をしてタクシーを呼んで脱衣所に戻って来ると彼はすでに服を着ていた。

「驚いたな、男にしか見えない」

彼は表情なく答えた。

「……男だからな」

「あの、女装趣味とか、心が女とかじゃなく?」

「ただ仕事で女の格好をしているだけで、男だ。学校では男子のブレザーを着ている」

男子のブレザーも目の前の彼を見てしまった今では簡単に想像がついた。

「そっか」

無表情の緑の眼がおれをまっすぐ見つめた。

「悪かった」

「え?」

「もっと早くぼくはナオの前から姿を消すべきだった。今頃になって詫びてもすまされないかもしれないが」

「何を謝ってるんだ?」

「ナオ」

じっと翡翠の瞳に見つめられてやっと気付いた。

「あ、おれ……失恋、したことになるのか……」

「……」

「そうだよな、男同士だな……」

自分の言葉に後ろ頭をガーンと殴られた気がした。

「そうだ。男同士だ、ナオ」

急に悔しさが腹からわいてきて頭に上った。

「でも君は男同士だって初めから知ってたんだな……!」

「ああ」

「知ってて、でも! おれに会いたいって、いつもおれの声を聴いてるって、おれと一緒ならどこでもいいって、おれの母国語がもっと上手くなりたいって、おれの声がいいって、おれが他の誰かと結婚しなくてよかったって、おれを好きだって……! そんな甘いことを言っていたんだな!」

一気に怒鳴りつけるおれを、彼は少しだけ目を見開いてでもやはり無表情で見ていた。

「ナオ……!」

「おれが君に夢中になっているのは面白かったか!?」

「面白いだなんて、そんなこと、ナオ」

おれは彼の唇に目が留まり、勢いのまま喚いた。

「キスまでして、悪かったよ! 気持ち悪かっただろ!」

ずっと無表情だった彼が少しだけ、顔をゆがめた。

「……ナオは、やはり、気持ち悪いか?」

「あのときは女だと思ってたんだから……」

言いかけて、インターホンがピンポーンと鳴って、止めた。

「タクシーが来たんじゃないかな」

「帰る。着替え、ありがとう。ナオ、元気でな」

まるでもう最後のような言葉と表情を残して彼は帰って行った。

故意か、忘れたのか、脱衣場の洗面台の棚におれがプレゼントした鮮やかな青いベルトの腕時計を置き去りにして。






彼が帰った夜はなんだか頭の中がぐちゃぐちゃでうまくものが考えられなくて、夕食も食べずに寝てしまった。

次の朝、起きようと思ったら、体が動かなくて頭がものすごく重くて痛い。

おふくろがやってきて熱を測ったらそうとうな高熱があったらしい。

この年にもなって知恵熱だなんて恥ずかしい。

課題どころじゃなく夏休み最後の日を寝て過ごすことになってしまいそうだ。

粥を何とか腹にいれた後横になり、ぼんやりと天井を眺めながら、割れそうな頭でゆっくりと考える。

彼を責めてしまった。

今落ち着いて考えたら、彼がおれを面白がっている気配なんて欠片もなかった。

多分、全然気づかなかった自分が恥ずかしかっただけなんだ。

枕元に置いた青いベルトの時計の文字盤を撫でた。

アンゼルム・ボルツ。

自分の名を名乗った、いつもより響く彼の声が頭の中でリフレインする。

顔を上げた時に見えた彼の、手足の長いすらりとした、透き通るような色の白い身体。

『ぼく』と自分を言った一人称。

仕草もそれまでとはどことなく違ってて、女の仕草には全く見えなかった。

それなのに顔立ちはやはり綺麗なアンと一緒のまま。

性別は違うけど、大切なところはきっと同じまま。

言ってたじゃないか。

『何者であってもナオを好きなことに変わりはないぞ』って。

嘘は言ってなかった、本音だった、あれは。

そして、少しだけゆがめた表情でおれを見て言っていた。

『……ナオは、やはり、気持ち悪いか?』

幾度あのカプリ島でのキスを思い出してもおれは気持ち悪くなんかなかった。

今思い出したって、全然何ともない。

男の姿の彼が、おれに甘いことを言っているのを想像しても気持ち悪くない。

男の姿の彼と……キスするのを想像したって。

もう一度、キスしたかった。

抱きよせて、もう一度、キスしたかった。

それがきっとおれの答えだろう。

気持ち悪くなんかないんだ。君が何者でもいい、アンゼルム。

午後になると残っている課題に寝てもいられなくなり、冷えピタを張って起きて課題を片付けた。

何とか夜になって終わってまた倒れるように寝る。

明日は学校へは行かないが、仕事だ。






「アンから渡された。お前に借りた着替えだそうだ。すまなかったな」

仕事場に着くなり、レオンに服の入った紙袋を渡された。

「え……どうしてレオンがこれを?」

「わかっているんだろう? もうアンは来ない」

「そんな!」

大きな声を出して、立ちくらみを起こしてしまった。

「ナオ」

「ナオ? ああ、熱が」

「大丈夫。それよりアンに、また会わせてくれないか」

「駄目だ」

「どうしてだよ!?」

「これ以上会ってなんになるというんだ。もう十分楽しんだだろう」

「楽しんだって……! レオン、あんたもそういえば初めからわかってて黙ってたんだよな。だましてたんだよな」

「ナオ、落ち着いて」

「おれが夢中になってるのは滑稽だったか?」

「滑稽とは思わんさ」

「陰で笑ってたんだろ!」

「ただいつか来る今日を憂いていた」

レオンが静かにそう言っておれに向けたのは同情でも憐みの目でもなくもちろん笑っていたわけでもなく、静かな理解の目だった。

気付くとおれの目から涙がぽたぽたとこぼれていた。

「あいつをもう責めるつもりはないんだ、ただ会いたいんだ、会わせてくれ……!」

「向こうが会わんと言ってるんだ。諦めてくれ」

「ナオ、泣くと目が腫れます。冷やして」

ディルクが慌てて氷嚢を持ってきて、おれの頭と目を冷やした。






一週間くらいぼんやりとして暮らした。

学校へも行ったが、女の子たちには大不評だった。

おれは覇気もなければ目も腫れてしまって、ぼろぼろの状態で芸能人のげの字らしさもなかったからだ。

「どうしたの、陛下ぁ」

「ほっといてくれ」

「陛下、アルバム買ったからサインして」

「はいはい」

「陛下ー」

「今日はもう閉店ー……」

「ナオ、あまり学校へは来れないんだからもう少しくらいサービスしてあげなよ」

「数学の課題やんなきゃ、次多分当るし。教えて田村」

「数学教えるのはいいけど、僕まだナオとアンちゃんがどうなったか教えてもらってないなあ。最近の君のグダグダからすると……」

「うん、そう、ふられたんだよ」

「やっぱり、そうなんだ!? アンちゃんは君に明らかに気がありそうだったのにね」

「まあね。でも、こっちが向こうの連絡先知らないんじゃ、向こうがもう訪ねてきてくれないと会うのも無理だよ。せめて会えたら何とか口説くんだけど」

「レオンは?」

「断られた」

「なんだっけ、あと何とか言ってなかった? 連絡取りたいとき、レオンか……」

「え?」

「ああ! 事務所だ。事務所が一緒だから、事務所の人に連絡すればいいって」

「!! 田村、さすが!」

「ディルクに頼んでつなぎを取るんだよ。がんばれ、ナオ」

おれはその日は仕事が休みだったので、突然ディルクのマンションまで訪ねて行った。






インターホンを押すと、直接ドアが開いた。

「ナオ。どうしました?」

「あの、ディルク。頼みがあるんだ。大事な」

「長くなりそうな話ですか?」

ふと足元を見ると、ディルクのものより小さな男物の靴があった。

「あ、ごめん、来客か。今日のところは手短に用件だけ話していいかな」

「はい。すみませんね」

「アンに会いたいんだ。何とかつないでもらえないかな。向こうはもう会えないって思ってると思うんだけど、おれの方は会いたいって思ってるんだ」

「ナオ」

「おれの携帯番号をメッセージと一緒に向こうへ伝えてもらうだけでもいいし」

「しかし……」

「Dirk!」

聞き覚えのある声が部屋の奥から聞こえた。

「え……」

「Dirk,Can I eat another icecream?」

ひょこっと『彼』は顔を出してきた。

「Anselm!」

ディルクはドイツ語発音と思われる喋り方で彼を呼んだ。

おれを見つけた彼はこっちに2、3歩近付いてきた。

男の格好だ。

「! ナオ……!」

おれは彼の名を呼んだ。

「アンゼルム」

すると、アンゼルムは少しだけ、顔をほころばせた。

おれは疑問をぶつけた。きつい声になった。

「待てよ。どうしてディルクのマンションに、こんな遅い時間にアンゼルムがいるんだよ? あんたたち、どういう関係だよ!?」

「ナオ、これは、その……」

「家まで送らせないって、アンゼルム、こういう理由かよ。ディルク、おれがアンゼルムに近付くのよく嫌な顔してたの、こんな事情だったのか」

「ナオ、違う!」

アンゼルムがおれの方に近付いてきた。

「おれには女装しか見せてくれなかったのに、こうやってディルクにはいつも自然な格好で接してるのか!」

「あ……」

「ナオ」

おれはマンションを走って飛び出した。

「ナオ!」

小さくアンゼルムの声が聞こえた。

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