STAGE5.会いたかったんだ
夏休みに入ってこっち、仕事ばかりで休みはない。
あのデートの翌々日に一回アンは差し入れを持ってきたあと、7月29日にまたスタジオにやってきた。
おれの誕生日だから来たことに間違いない。
「ナオ、誕生日プレゼントだ! おめでとう!」
「……ありがとう」
ほんわりとした嬉しい気分をかみしめた。
包みを開けると、それはシルバーアクセサリーだった。
多分高いブランドものだ。
「いいのか? こんな立派なものを」
「ナオはこれくらいつけた方がいい。今つけている青いアクセサリーは、ライブの時は衣装負けしてしまう」
今ずっとつけている青い石のペンダントは、レコーディングの時にどうしても緊張するとしり込みするおれをあやそうとディルクがお守りだとくれたものだ。
お守りだと言われると外しにくくてあれからずっとつけたままでいる。
「え? そうかな、ありがとう。じゃ、ライブの時つけるよ」
アンはおれの顔から目を逸らしながら言った。
「別に、ライブの時限定じゃなくてもいいんだが」
「え? ん、そうだね。ずっとつけてるよ」
「ほんとうか!?」
アンがうれしそうな表情を見せた。
うわあ、無性にその頭をぐしゃぐしゃと撫でたい感じ。
「うん。高そうで気がひけちゃうけど、君がそう言うのなら、ずっとつけてる。……あ、そうだ」
「なんだ?」
「ものすごく遅くなっちゃったと思うけど、君にも誕生日プレゼント」
「誕生日?」
「18歳なんだろ? いつ誕生日だったんだ?」
「春……」
「春かよ~。間抜けだな、おれ。初めて会ったときは17歳だったよね?」
「あ、ああ、あの翌日が誕生日だったんだ」
「そっか。遅くなっちゃったけど、おめでとう。これ、うけとってよ」
この前アンが来たときはまだ用意できなかった。
スタイリストさんに相談してるうちにやっと用意できたのがおとといだったんだ。
なんて言っても相手は人気モデル、変にカッコ悪いものは上げられない。
趣味に合わないものをあげても使ってもらえないのがオチだ。
スタイリストさんによれば、アンは何でも着こなすというのが売りのモデルだから、ファッションの傾向にはそんなに気を配らなくていいという。
だから、高すぎず安すぎない範囲で特に似合いそうなものを、仕事の合間を縫って探した。
探すって言ってもスタイリストさんのおすすめの店を2,3軒回っただけったんだけど。
「あ……ありがとう」
アンが箱を開ける。
「時計……」
アンは時計をいつもつけてるんだ。
携帯で時間を見るのが主流の昨今、おしゃれだなって思って見てた。
「ごめん、ユニセックスの時計なんだけど、それがどうしても君に似合うと思って」
「ガガミラノって、高いじゃないか。大丈夫なのか?」
「やだな、そんなこと気にしないでよ。でもさすがモデルだね、ブランドもわかっちゃうんだ」
「わからないわけないだろう……」
呆れた顔で見られた。
そういう顔も綺麗なんだよ、本人は解ってないんだろうなあ。
「なあ、着けてみてよ」
「あ、ああ」
鮮やかな青いベルトは彼女の白い手首によく似合うだろう。
思ったとおりだ。
綺麗な形の手首をよく引き立てて、腕時計はまるで彼女のために作られたもののように馴染んだ。
「おい、いつになったら再開するんだ」
レオンがロビーの隅から声をかけた。
「ああ、兄上! すみません、遅くなりました! マドレーヌいかがですか?」
アンがすかさず菓子の入っている箱を持ってレオンのところへすっ飛んで行った。
ディルクがおれのところへ来て言った。
「少し休憩が長すぎたようですよ。ナオ、次はあなた一気にベースもコーラスも続けて録りましょうか。レオンはもう終わってますから」
「今から? いいけど」
普段あまりきついことは言わないディルクがそんなことを言うのでおれは少し違和感を覚えた。
スタジオの隅のレオンの前から、アンが言った。
「ナオ、今から歌うのか!?」
「え? まあ、ベース録ってからだよな」
「聴いていてもいいか!?」
「アン!」
レオンが渋い顔でアンの頭を掴んだ。
ああー、いいなあ、おれもあんな風にアンに触りたい!
「レオン、まあいいでしょう。アン、静かにしていてください」
「ああ」
「甘いんだ、お前は、ディルク」
ずっと学校の課題をやっていた田村が顔を上げてぼそっと言った。
「なんだか、ディルクとレオンって仲がいいよね。それにディルクって……ドイツ語圏の名前だよね。レオンって確かドイツと日本のハーフだしさ。出身が似てるから仲がいいのかな」
「え? 仲いいか? ドイツ……アンもドイツだし、なんかドイツって思ったより身近なのかな」
「ナオさん、入ってください」
「あ、はい。お願いします」
おれはアンにもらったばかりのペンダントをつけてレコーディングブースに入った。
何かレオンに小言を言われている様子のアンが少し気になった。
さすが夏休み、わんだほー、夏休み!
アンもスケジュールにゆとりがあって、おれたちも少し合間で休みがあって、アンが差し入れに来てくれる回数が増えたばかりじゃなく、その後二人でお茶することもできたりしたんだ。
ディルクには学校の課題はしっかりやっておくように釘を刺されちゃったけどね。
スタジオの近くの少ししゃれた喫茶店でケーキセットを頼む。
アンはアールグレイアイスティとブラウニーと他にベリータルトとレアチーズケーキで悩んでいたから、全部頼んだら、と言ってやった。
おれは暑いからアイスカフェオレとバニラアイスクリームを頼んだ。
「いつも何か持ってきてくれるけど、ほんとに来てくれるだけでおれは嬉しいよ」
「でも、兄上が何か持っていかないと機嫌が悪くなるからな」
「気難しい人なんだね」
「そんなことはないぞ。こっちが言うことを聞かないからいけないんだ」
「言うことって?」
「その……あまり男と仲よくするなと……」
「結構古風な家庭なんだね。お兄ちゃん、お母さん、じゃなくて兄上、母上、だし」
「まあ、日本語だから少し扱いづらいということもある」
「あ、喋りにくかったら英語でもいいよ。おれバイリンガルなんだ」
「知っている。でも日本語でいい。ナオの母国語は日本語だろう? もっと上手くなりたいんだ。学校では英語だから」
「十分上手だよ……いつも君はドキッとさせることを言うね」
「何か悪かったか?」
「悪くないよ。意識して言ってないところがまたすごい。おれは期待してもいいのかなあ」
「何の期待だ?」
「あははは、まだしばらくはこのままでもいいかな。今でも十分おれは楽しいし」
家まで彼女を送っていきたかったけど、断られた。
「事務所と兄上に、きつく言われていて……家まで送らせたなんてばれたら会うのも許してもらえなくなってしまう」
「事務所の担当って、モデル課の人? おれ一度話しようかな」
「や、止めてくれ」
「だって18にもなって男に近付くなって……まあ、深い交際はともかく、送るのもないなんてそりゃないじゃん」
「多分、こうして外で逢っているのも本当は事務所的にはまずいんだ。兄上は優しいから黙って許してくれてるけれど」
「黙って、じゃないだろ。なんかいつも言われてるみたいじゃないか」
「そんなことない。たまにだ、たまに」
そう言って、堂々と胸を張ったアンが可愛くて、おれは思わず笑った。
夕焼けの中、彼女は電車に乗って帰って行った。
おれは電話でディルクに連絡を取り田村と合流して、その夜遅めにあるTV番組の撮影に臨んだ。
「PV撮影?」
プロモーション会議でスタッフが言う。
「次はバラードですから綺麗な景色をゆっくり歩く様子でも」
おれは首をかしげた。
「いいけど何処へ行くの?」
「カプリ島とかどうですか」
田村がノリノリで返した。
「いいねえ! カプリ!!」
「カプリ島ってどこ?」
「イタリアだよ、イタリア!」
「イタリア! いろいろ美味そう、いいじゃん。決定!」
「君たちは、簡単でいいですね……」
そんなわけでイタリアのナポリからほど近い、美しいカプリ島に行くことになった。
おれはがっくりして言った。
「って、泳げないんだね……」
ディルクは微笑みを浮かべて言った。
「あまり日焼けしてほしくないので、控えてください」
撮影の合間の半日の休暇だ。
もの凄く澄んだ青い海。
天気も絶好だ。
「そんな、せっかくこんないいところへ来てるのに~」
サングラスをかけた田村があちこち見ながら言う。
「中川くん、ビキニ美女がいっぱいいますよー」
「そんなのいたってさあ。おれ興味ないもん」
見るなら景色の方がいい。
青って好きだし。
アンもきっと青い色が似合う。
「嘘を言うんじゃないよ、さっきDカップの金髪美女に見入ってたでしょ」
あれは。ちょっと髪の色が似てるかなと思っただけで。
あんなに胸が大きくない方が好みだし。
って、下手に言わない方がよさそうなので黙ってDカップの金髪美女に見入ってた罪をかぶっておいた。
「ふうん。ナオはああいうのが好みか」
「えっ!?」
あんまり恋しく思ってたから、幻聴を聞いたのかと思った。
後ろから聞こえてきた少し低めのその声に、おれは慌てて振り返った。
淡い青のワンピースを纏って、白いサンダルを履いて、白い帽子をかぶったアンがついてきていた。
「あれー、アンちゃんじゃないか」
「い、いい、いつからそこに、アン……!?」
「今さっき」
「どうしてここに!?」
「ナオが行くところなら何処だって一緒に行く」
「え」
おれが驚いて言葉を継ぐよりも先にアンはニッと笑った。
「なんてな。たまたま母上の別荘がこの島にあるんだ。ミーハーな家政婦が日本の撮影が入っているというものだから覗いてみたらお前たちだった。偶然だったな」
よく見たら、アンはおれがあげた腕時計をつけていた。
こんなところまで持ってきて使ってくれているんだ。
田村がこそこそっと、でも聞こえる大きさの声で言った。
「そんなこと言ってぇ、ほんとはお兄さんからカプリに行くって聞いて日にち合わせて来たんじゃないのかい?」
カッと、アンの顔が赤くなった。
「そっ、そんなストーカーみたいなこと、するわけがないだろう!?」
おれはアンの言葉が終わるか終らないかのタイミングで言った。
「うれしいよ」
「ナ……」
「会えて、すごくうれしい。むちゃくちゃ、心の底から、会いたかったんだ」
アンは、顔をくしゃっとゆがめた。
と、思ったら、くるっとおれたちから背を向けてしまった。