姉弟峠、山道ドライブ
十二月六日は姉の日です。
事の発端は、帰省の予定が潰れたことだった。
「えぇ、九州まで旅行!?」
沙依が声を荒立てると、電話越しに母が呆れ声で言う。
『女の子なんだから、そんな大きな声出すんじゃないの』
そんなこと言われたって。
「だって、来年の秋は帰るって、去年言ったじゃん。わかってくれてるもんだと思ってたんだけど」
毎年一回は帰省しようと思っていた。実家と確執があるわけでもないし、特別遠方に住んでいるわけでもないので、律儀に毎年帰って親の顔を見よう……と、柊と取り決めたのだ。
盆は混んだり暑かったりでかったるいので、今年は秋に帰ることにしていた。
しかし今年、明日から帰る旨を連絡したところ、両親は九州まで旅行に行くと言い出したのだ。
『まあそうだけど、忘れてたのよ。いいでしょ別に一年ぐらい会わなくたって』
むしろ普通の親は、子供が帰ってくるのを待ち望んでいるものではないのだろうか?
「いいでしょって……。それに、もう予定空けちゃったんだけど……」
そして重要なのがこれ。
帰省のために連休に合わせてとった有給。それが丸々宙に浮くことになる。
『若いんだから、予定なんていくらでも埋まるでしょ。それじゃあね』
ガチャリと電話が切られてしまう。困った。明日から実家に帰って、料理当番をサボる予定だったのに。
柊も同じことを考えているのだろう。冷蔵庫は、数日間の未使用を見越して中身を極力減らしてある。買い物に行かない限り、明日の昼食もままならない。
勝手に帰省して勝手に休むことも考えたが、合鍵は引っ越すときに親に返してしまった。
帰省のためにわざわざとった有給だ、今更家でのんびり過ごすという気分にもなれない。
それに、レンタカーの予約もしてしまった。
「姉ちゃん、荷物まとめておいたぞ」
荷物整理を押し付けていた柊が、自室から顔をだす。どうやら先程の会話は聞こえていなかったらしい。
「……実家、帰れなくなった」
「は?」
沙依の言葉の意味を、柊は理解していないようだった。
「だから……帰れなくなったんだって。母さん達、明日から旅行に行くから」
「はぁ? ……えっ、マジかよ」
少し遅れて、柊も理解したらしい。
「どうすんだよ……明日から……」
どうしようもない事実を叩きつけられた姉弟は、しばしの間揃って沈黙していたのだった。
「じゃあ俺達も出かけよう」
そう言い出したのは、柊だった。
「出かけるって、どこへ」
「どこがいい?」
「あのね……」
言い出しっぺのくせに何も考えていなかったので、沙依は呆れてため息を吐いた。
「いや、でも、仕方ないだろ。レンタカーも確保しちゃったし。取消手数料払うのは癪だ」
慌てて取り繕う柊。取消手数料、そういうのもあるのか。
「そんなの掛かるの?」
「当たり前だろ」
レンタカーの確保は全て柊がやっていたので、沙依は知らなかった。だが、確かに、予約のキャンセル料が必要なものは多い。モノを確保する業種なら、予約のキャンセルはそれなりの痛手になるのだろう。
「うーん……でもねえ……」
いきなり出かけると言ったって、別に行きたい場所もない。
それに。
「旅館の予約もしてないし……。連休だから、多分もういいところは取れないよ」
旅行にいくなら、宿泊先の確保は急務だ。当日でもなんとかならないわけではないだろうが……みすぼらしい安宿で寝るなど、沙依はお断りだ。車中泊なんて、論外である。
「日帰りで毎日出かければいいだろ。駐車場は、大家さんに頼んで貸してもらう」
「それなんか疲れない?」
「いいじゃん別に」
「うーん……」
確かに、家でゴロゴロうだうだして連休と有給を無駄にするよりは、何倍も有意義だろう。
しばし悩んでから、沙依は頷く。
「……ま、いっか」
「決まりだな」
かくして、二人の連休が始まったのだった。
連休一日目は、県北の観光名所を訪ねることにした。寺社仏閣なんかは世界遺産だったりして激混みでムカつくので、あんまり混んで無さそうな騙し絵の美術館を選ぶ。
『まもなく、右折です』
カーナビが若い女性の声で言うと、ピロリンと、注意を促すような効果音が鳴る。
それに従って、柊がハンドルをきった。ガラガラの交差点を、車体が大きな四半円を描いて曲がる。
「ああ、やっぱりカーナビは最高だぜ」
柊が言うと、すかさず沙依がツッコミを入れる。
「カーナビに頼る男の人ってかっこ悪くない?」
どんなところにもナビ無しでスイスイと行ける男の人というのは、実際かっこいい。豊富な知識を感じるというか、走り方を心得ているというか……とにかくかっこいい。
まあ、そんな男は見たことがないのだが。ナビ無しで迷ったら更にカッコ悪いし。
「うるせえよ。別に姉ちゃん相手にカッコつけても仕方ねえだろ」
柊は沙依の言葉に少しだけ気を悪くしたようだが、運転が荒くなったかといえばそんなことはなかった。こういうところは、少しかっこいいと思う。職場に、居るのだ。機嫌が悪いと露骨に運転が荒くなる奴が。
それに、柊の運転は……なかなか、丁寧だ。加速や停止が丁寧なのはもちろんのこと、横揺れも少ないし、ブレーキも早めに踏んでいる。かと言って、別にトロトロゆっくり走っているわけではない。
もしかして、気を遣われているのだろうか?
沙依が乗っているから、丁寧に運転しているのだろうか?
迷うことなくカーナビを使ったのも、迷って無駄な時間を食って沙依にストレスを与えないため……というのは、流石に考えすぎだろうか。
どちらにせよ……悪い気分ではなかった。
たとえ弟であっても、大事にされて気分が悪くなるわけがない。別に押し付けがましい優しさじゃないし、対価も求められない。気楽な優しさ、とでも言うのだろうか。
周囲に広がるいい感じの紅葉も相まって、今日はとても気分が良かった。
たまには、こういうのもいいかもしれない。弟と二人で、気楽な日帰り旅行。
「柊って、意外と運転上手いよね」
気分がいいので、褒めてやる。
「大したことねえよ、これぐらい。普通だって」
姉が折角褒めてやったというのに、この弟は謙遜しやがった。生意気だ。ここは素直に喜んでおけばいいものを。
「なにそれ、それじゃああたしが下手くそってこと?」
ドライビングテクニックでは、どうしても柊に及ばない。それはお互いに認めていることだ。それ故、柊が普通なら沙依は下手くそということになる。
まあ、下手のなのだが。
「そうは言ってないだろ、別に姉ちゃんの運転だって……」
そこまで言ってから、彼は少しだけ躊躇した。沙依の運転を思い返しているのだろう。
そして、とても言いづらそうに、口を開く。
「……まあ、そうだな……上手いか下手かだけで言えば、下手なんだろうな……」
とても回りくどい言い回しなのは、ストレートに下手くそと言うと沙依に何をされるかわからないからだろう。殊勝な心がけだが、若干ムカつく。こいつは、姉をなんだと思っているのだろうか。
「生意気な奴。運転代わろうか?」
少し低めの声で言ってやると、柊は即答した。
「遠慮しときます」
「どうしてー」
「酔うから」
やっぱり下手ってことじゃん。わかってるからいいけど。
そんな感じで雑な会話をしばらく繰り広げていると、カーナビが目的地に近いことを告げた。
「そろそろ着くぞ」
「うん」
始まりはハプニングだったが、やってみると案外楽しいものだ。
柊とどこかに出かけるのも、悪くないかもしれない。
十二月六日は姉の日です。