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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

希望という名の戦闘機と原子力爆弾という殺戮爆弾

作者: 鈴夜

8月6日


それは、世界で始めて

原爆が戦争に実践投下された日である


これにより、広島は壊滅し、その9日後の正午に大日本帝国は降伏を全日本国民に宣言した


だが、もし、大日本帝国が、原爆の開発に成功していたら


山口多聞先生主催の

架空戦記創作大会2015夏、参加作品です


沖縄県民のみなさんと被爆者のみなさんには先に深くお詫び申し上げます

昭和20年3月

東京は大空襲で壊滅被害を受けていたが

2月から進めていた防空壕の整備と地方への大規模疎

被害は5万人近くが死亡、6万人が負傷

80万人が被災した



3月

山形県で大日本帝國陸海軍は

ある爆弾の製造実験に成功した

それは原子爆弾である

日本は、ナチスドイツ政府からの要請で独ソ不可侵条約が破棄されるまで、ユダヤ人収容所を樺太に建設 数百人のユダヤ人が独ソ不可侵条約中に日本に収容された(戦況には影響なし)

日本は最初は、ユダヤ人を監視していたが

ミッドウェー、マリアナ、レイテで主力正規空母が事実上壊滅したために

1944年11月あたりから

ユダヤ人の力を借りたらどうかと考え始めた(同時に原爆開発施設も東京から山形に疎開)

そして見返りに南樺太をユダヤ人に譲渡するという話になった

無論反対意見も多数出たが、このままだと連合軍に敗北して樺太と大陸を失うのが確実になってしまうため、認めた

ユダヤ人は歓喜に包まれた

実は、すでにユダヤ人の一部は、イギリスがアラブ人にもイスラエルをあたえると約束していたのを聞いていたためだった

その結果、アメリカでは、ユダヤ人系の原子力物理学者等が日本への原爆投下は断固阻止と言う形を見せたが

大統領は耳を貸さなかった(対独戦争は早く終わると鷹を括っていたため)

ps 2月にuボート234が舞鶴に入港している(史実とは違い、新年早々、隠密に佐世保まで大日本帝国に通達無しに航行 佐世保で無線を入れ、舞鶴まで航行)+1943年5月に大連油田も発見されて早期開発に成功

これによりウランも実験用と実践用の必要量は確保できた


3月23日 帝国陸海軍は、樺太のユダヤ人の力を借りて、新型戦闘機 希望を建造した(U234が運んできたナチスの戦闘機技術も駆使して)

まさに日本の最後の希望という意味ともとられたと思う

航続距離は試験で北海道函館から朝鮮釜山まで往復できたとされている



3月27日

米英軍、沖縄上陸作戦を開始

日本は、第六航空軍に希望を配備 特攻作戦は行われず、昼夜問わずの連合軍への上陸作戦阻止を行った

だが、戦況は変わらず、米英優位に進んだ


4月3日 

日本軍、原爆と富嶽の配備に成功

沖縄に集結しつつある連合軍に原爆を投下し、強引に講和を迫ることにした

もし失敗した場合は、残存艦隊による最終決戦が最後の望みになった

だが、これが後の戦後の沖縄に大きな影響を及ぼすのは、当時の内閣はすでに理解して覚悟した


4月8日

「頼むぞ、石島、沢口、川島、富井、水嶋、柊」

「「「「「「はっ、われら大日本帝国のため、大いなる戦いに挑みます」」」」」」

「水嶋、柊、君達には、大きな十字架を背負ってもらうことになってしまうが、大日本帝国のためによろしく頼む」

「はっ」

6人は、帝国軍航空隊の精鋭であり

石島と沢口は第一航空戦隊の加賀で生き残り、その後一航戦の名を継いだ瑞鶴が沈没しても生き残ったコンビで、本土に帰還した

川島と富井は、台湾航空隊の精鋭であり 2月には米軍機を撃破した経験もあった

水嶋は、帝国を愛していた 試作機のパイロットをしていたが、実践を志願した

柊は、原爆製造に関わった軍人で、原爆の力をアメリカに見せつけるために志願した


「6人とも、帝国に未来と希望を与えてくれ」

その後、三人は10日の未明、鹿児島の基地を飛びだった

見送ったのは県知事と基地の代表ら20名であり

6人の活躍を祈った


菊水作戦は、3機の援護活動のみとされ

四式戦闘機の一部も援護に回った(大和は艦隊決戦のため呉に停留)


そして4月10日午前6時

「ジャップだ」

「急いで迎撃しろ」

米軍は夜間戦闘機による迎撃も行なったが

希望と富嶽はそれを乗り切った

「「大日本帝国に栄光よあれ」」

希望の2機は一気に速度を上げた

中城湾上空にさしかかり

そして富嶽は爆弾槽を開けて 原爆を投下した

「投下」


原爆を投下して爆風に富嶽は耐えきれず崩壊した。希望は空域を一気に離脱したため無事

直下付近にいた米軍第7歩兵師団もこの爆弾被害で壊滅し、

連合軍は極東で士気を大きく落としたが

日本としても、講和して、軍の残存と天皇制の保持を絶対条件とて講和に望むことにした

日本としても原爆は沖縄に投下したあれしかなかったため(上海とドイツから材料を集めたもので試験用で1発、実践用で1発だった)


4月12日

ルーズベルト大統領は日本が原爆を沖縄に投下したという話を聞いて

目眩を起こし、そのまま倒れて、死亡した

史実と同じく脳卒中での死去だった


その後 トルマーン副大統領が就任

日本が新型爆弾を造ったことや、ユダヤ人サイドからの日米講和世論におされたため

日本との講和条件として

奄美諸島から千島列島までの日本列島以外の全放棄と戦争犯罪者引き渡しを条件に日米は即時講和

小笠原諸島と伊豆諸島は北緯29度以南の施政権を数年間アメリカに明け渡す形で講和した


樺太ではユダヤ人が蜂起して樺太南部を占領して国を建国して、ユダヤサハリン共和国を建国した(実際には日本軍も荷担した)


史実通りと比べると20万人の本土の人間が死ななかった計算になるが


5月にはドイツとイタリアが降伏した


アメリカは原爆製造が成功したのはその半年後の11月で

ユダヤ人の原爆製造反対が完成を遅らせたとされている


日本は、英米連合軍から憲法改正命令を出され、憲法を改正

基本的人権、国民主権、最小限の自衛権を明記して

天皇を国家元首と明記した

軍事組織も統帥権は天皇から内閣に一任された

陸軍省、海軍省は解体され、復員省になり

1950年に国防省になった


そして多くの軍事兵器は、すぐに処分はされなかった

駆逐艦響は、ユダヤ政府に譲渡され

戦艦長門と大和も解体されず、復員任務を終えると一時は米軍に没収されたり、ユダヤ共和国に貸し出されたりしたが極東戦争後に返還される


だが、代償は大きかった

米軍占領下にあった沖縄県が1960年頃に住民投票で正式に日本から独立を宣言し、米国の51番目の州として加盟した

日本が沖縄県民を虐殺したと言うことで


沖縄の戦いは戦後10年から5年おきに書籍で出版されており

日本軍の大抵抗

アメリカ軍の火炎放射攻撃

講和のために使われた、日本の沖縄への原爆投下

各地でゲリラ戦をしいられた女学生に

飛び降り自殺をした民間人

など、日米沖縄戦争の皮肉が書かれていくのだった

原爆への見方は、

本土を守るために使われた

ソ連に睨みを利かせるため

等諸説あり

投下は正しかった意見もあれば

投下は間違いで、原爆を保有したと脅し外交で講和ができたという意見もあったが

どちらにしても結果は日本は何かを失う終戦になっていたのには代わりはなかったと思う


その後のアジア情勢は、最初は沿岸部と満州、朝鮮と台湾を中国国民党が掌握したが

他の中国大陸全土はソ連と中国共産党の統治下になった

朝鮮人民党は、すぐに朝鮮を押さえようとしたが

朝鮮は米英の手で中国国民党の支配下になったため、ソ連配下の元の亡命政府となった



昭和25年には、ソ連も原爆製造に成功した

これにより、極東の全ての国が核兵器を使用できる状態になり

極東は日米台樺vs中ソの極東冷戦が中心となり、1994年のソ連崩壊まで、にらみ合いは続くのだった

終わり


戦闘機操縦士のその後

石島  終戦後、復員任務に従事後、航空隊に所属 ベテランパイロットとして、活躍した

沢口  終戦後、復員任務に従事後、軍を除隊 リュウキュウ州で沖縄市民に償いをしながら生活していった

川島  終戦後、水嶋と柊の後を追うかのように病に倒れて息を引き取った

富井  その後、ユダヤサハリン共和国に軍事顧問として派遣され、現地で結婚、サハリンで生涯を終えた



希望のその後

ユダヤ人に製造権が握られ

日本では作られなくなったが 希望を元に新型戦闘機や戦闘攻撃機がつくられていくのだった


原爆のその後

GHQ管理下で山形から福島に原爆工場を移設

ソ連へのにらみを利かせたのだった


沖縄と日本の関係

自国の軍が原爆を沖縄に投下されたことにより

反日運動と独立運動が活発化

その結果、沖縄はリュウキュウと名を変えて独立しアメリカ合衆国に編入された

日本政府も被爆者達への謝罪見舞金を1960年から送っているらしい


樺太のその後

1950年に満州朝鮮戦争に紛れ込み、樺太戦争も行われた

満州朝鮮戦争は一進一退だったにも関わらず、樺太戦争はユダヤサハリン共和国が圧倒的勝利を収め

樺太全土がユダヤサハリン共和国の領土になって講和になった


大陸情勢

終戦時は満州と朝鮮、香港近辺、台湾は中国国民党の支配下だったが

1947年に香港近辺を喪失し

満州朝鮮戦争で満州も失った

その後日本が規定した東アジアでの防衛ラインが発表され

日本は自国全土とユダヤサハリン共和国、中華民国の安全にできる限り努力すると発表したが

満州侵攻は考えていないと表明し

極東でも鉄のカーテンがおろされるのであった


軍事組織のその後

帝国陸海軍は復員省になり、一部の艦艇は復員任務に従事した

その後、多くの艦船は、ユダヤ共和国や中華民国に譲渡されたり貸し出されたが

極東戦争後に一部が返還が返還され、日本の象徴として活躍された

唯一、米軍の原爆実験の犠牲になったのは軽巡の酒匂のみ(長門は海軍に復帰)

陸海軍の連携不足が敗北を招いたとされ

日本軍は、陸海軍はそのまま復員省を経て国防省に一任になった



ドイツは史実通り東西分断国家です

中東ではアラブ人がユダヤ人とトラブルを起こさずに暮らしていった


終わり

これを書いて、作者は再度

言います



やはり、核兵器は危険すぎる武器だと

日本が集団的自衛権などを言うのは勝手だと思うが

あくまで海上での支援に留めるべきだと思う

だが、核にはてを出してはいけない

核は使用後の解決策の無い兵器なのだから

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