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騙された……。
寝室に入るなりそう思ってしまったのは、想像以上に陛下の様子が酷かったからだ。これを“ただの胃もたれ”とぶった切るのか、あの宰相様は。
「陛、下……?」
ベッドにぐったりと横たわり、ぴくりとも動かない陛下に恐る恐る声を掛ける。すると、陛下はゆっくりと顔を上げ、わたしの姿に顔を歪めた。
「お前、何故ここに……」
再び枕に顔を沈め、地を這うような声で呻く。なんとか聴き取れたけど、話すのも大変そうなのでわたしは枕元まで歩み寄って膝を折った。
「あの、陛下が、床に臥せっていると聞きまして……。大丈夫ですか?」
「……大丈夫に見えるのか?」
「……残念ながら見えません」
「……分かっているなら聞くな」
「はい、申し訳ございません」
「ん?」
今回ばかりは憎まれ口も言う気になれず、しおしおと謝罪の言葉を述べる。素直なわたしに陛下の方がギョッとしていたけど、その反応も今日は大目に見てあげよう。
ベッドサイドにあったタオルを水に浸して絞り、額に浮かぶ脂汗を拭う。触れようとした時、一瞬だけビクッと避けようとした陛下であったが、そんな元気もないのだろう。結局は黙って身を任せてくれる。
「あんまり、無茶ばっかりしないで下さい。何食べたのか知りませんが、食べない日々が長かったんです。急に沢山食べたらこうなるに決まっているでしょう」
「……す、すまない」
「……昨日、何かあったんですか?」
昨日、あれだけ悲しげな顔をしていたのだ。何かあったのだろうとは思っている。わたしには言いたくないことかもしれないけどね。
案の定、陛下は顔を背けて黙り込んだ。
やっぱり……。まぁ、わたしも無理にでも聞きたいわけではなかったのでタオルをベッドサイドに戻して立ち上がった。そして、宰相様を振り返って一言。
「先生、お願いがあるんですけど……」
数十分後、一度陛下の寝室を辞したわたしは、再び宰相様に案内されて戻って来た。
「陛下、起きていらっしゃいますか?」
「……その手に持っているもの、もしかして食い物か?」
わたしが手に持つ小鍋に顔をしかめる。そんな陛下に苦笑して、わたしはベッドサイドでそれを見せた。小鍋の中に半分ほど、どろりとした白い液体が湯気を立てている。
「なんだこれは?」
「お粥です」わたしは答えた。
「おかゆ?」
「はい。まぁ、平たく言えば、お米をたくさんの水で焚いたもの、ですね。わたしのいた世界では、弱った胃を慣らすためにまずこういうものを食べます。……ご自分で召し上がられますか?」
スプーンでお粥をかき回しながら尋ねれば、陛下はサンドイッチの時のように物珍しそうにお粥を眺めてわたしからスプーンを奪い取った。そして、一匙掬い上げて何度か息を吹きかけ冷ますと−−−−
「……味がしないな」
パクリと口に入れて文句を仰った。
病人のくせにいちいち言うことが太々しいな、この人。まぁ、毒味役もつけずに食べてくれたから良いけどさ。
「そりゃ、味つけていませんからね。少しくらいならスパイス入れても良いですけど、陛下の今の体調にはそれくらいの食べ物が適当だと言うことは分かって下さい」
「……わかった」
もはや比重から言えば重湯というくらい緩いお粥に塩を振りかけながら、陛下はぼそりと呟いた。いつになく素直だ。
「……もしかして、気に入りました?」
もくもくとお粥を頬張る陛下に尋ねれば、一瞬だけ手が止まる。小鍋にだけ集中していた視線もゆっくりと上がり、オレンジの瞳が上目遣いにわたしを見た。
「何と言うか……」気まずそうに口籠る陛下。「特別、『美味い』とは思わないのだが……身体は嫌がらない、な」
身体が嫌がらない。陛下の状態を鑑みれば、それは最大限の褒め言葉だ。陛下もきっとそういう意味で仰ってくれているだろう。でも、それを悟られるのは本意ではなさそうだから−−−−気付かなかったふりをしてあげますよ。
「そういう食べ物ですから」
いつも通りを意識してさらりと言えば、再び陛下と視線が交わる。それに「何か?」と首を傾げれば、陛下はまた口籠ってから「……いや。ありがとう、な」と小さな声で呟いた。
「えっ……?」
初めて聴こえた感謝の言葉が信じられなくて聞き返そうとしたが、その前に陛下はお粥へと逃げてしまう。カチャカチャと音を立ててお粥を掻き込む陛下。そのあからさまな照れ隠しがなんだか可愛らしくて、わたしは思わず笑みを零してしまった。すると−−−−
『……っ!』
わたしの笑顔に男性二人が息を飲んだ。
「? わたしの顔に何か?」
不自然な反応に二人の顔を見て首を傾げたが、二人とも「いえ」とか「いや」とか言葉を濁して目を逸らす。特に陛下、あなたは何もかも分かりやすすぎますっ!
ふん、どうせわたしは変な顔ですよっ! もう、失礼しちゃうっ!
そんな感じでわたしが二人の反応に拗ねようとした、その瞬間。
「へいかぁ」
ギィッと扉が開いて、小さな女の子が入って来た。年齢はうーん、6歳くらいかなぁ? 陛下とも宰相様とも違うキラキラの金髪をふわふわ靡かせ、少女はこちらに走ってくる。
か、かわいいっ! 天使っ!
突如舞い降りた天使にすっかり目を、心を奪われるわたし。しかし、扉から普通に入って来た天使はわたしを見るや否や。
「だれよ、あなたっ!」
鬼気迫るほどの怒りを露にわたしを睨みつけて来た。彼女に何かをした記憶もないのに、どうやらわたしは早くも敵認定を受けてしまったらしい。
「へっ……?」
「わたちのきょかもなちにへいかのへやにしんにゅうするなんて……このぶれいものっ! あなたみたいなのをどろぼうニャンコっていうのね。おいちゃん、はやくこのひとおいだしてっ!」
わたしを指差して、宰相様を見る天使。しかし−−−−
「お断りします。あなたこそ、今すぐこの部屋から出て行きなさい」
宰相様はにべもない。
あまりにそっけない宰相様の対応に天使は地団駄を踏んだ。
「なんでよ! これからわたちとへいかのらぶらぶたいむ……」
「寝言は寝ている時だけ言いなさい。本日陛下にそんな予定はありません。第一、陛下は体調を崩されています。あなたの作ったサンドイッチのせいで、ね」
「……えっ?」天使のじたばたが止まり、瞳一杯に涙が溜まる。
「うそ……」
「嘘じゃありませんよ。あなたが陛下の体調も考えず、陛下の好物ばかり詰め込んで作ったあのサンドイッチのせいで、陛下は今日この有様なんです。少しは反省しなさい」
「そ、そんなのうそでちょ? へいかぁ……」
見る人が見たら鼻血を出しそうな愛らしい顔で天使が陛下に迫っていく。陛下はそれを否定してあげる、のかと思いきや、黙ったまま視線を逸らしただけだった。
あぁこら、そこは事実だとしてもフォローしてあげなさいよ! 全く、陛下の馬鹿正直!
陛下の態度に悲しい真実を感じ取った天使。わなわなと全身を震わせて−−−−
「うわああああああああんっ! へいかのためにわたちいっしょうけんめいつくったのにぃぃぃぃぃぃ! へいかのばかああああああああっ!」
現れた時とは対称的に嵐のように走り去っていった。
「……えっと、あのコは?」
天使が立ち去り、静寂が落ちた部屋。その気まずい沈黙の中でわたしは訊いた。
すると、押し黙る陛下に代わり宰相様が教えて下さる。
「彼女はこの国の伯爵家の……あっいえ,こう言った方がきっと分かりやすいですね。彼女は、あなたを助けた騎士団長の娘さんです」
……あぁなるほど。それはわたし、恨まれても仕方ないね。
更新時間が不規則で申し訳ございません。時間がある時に更新させて頂いていますので、その点はご理解ください。
ではでは、読んで頂いてありがとうございました!
また次回っ!
可嵐