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第二十六章 Final Mission 1

 辰巳に部屋を追い出されて行き場を失った総司は、体の勝手に動くまま当て所なくうろついていた。気がつくと、一緒に暮らしている彼女が勤める仕出し弁当屋に辿り着いていた。

「総ちゃん?!」

 彼女が驚くのも無理はない。朝一番で、「当分帰らない」と言って出て来たのに、まだ昼も迎えていない内からのこのこと顔を出したのだから。

「香澄、俺……辰兄に、見限られた」

 総司のこれまでの生い立ちを知る彼女は、恋人としてというよりも家族として、毅然とした態度でぴしゃりと言い放った。

「駅前の喫茶店で待ってて。いい? 独りで勝手に決めつけちゃダメだよ。きっと総ちゃんのことだから、我武者羅になり過ぎて見えていないだけのはず」

 昼で一旦上がれるから、それまで一歩も喫茶店から出ないで待てと言う。自分以上に自分をよく知る香澄を相手に、総司はただ黙って頷くしかなかった。


 総司が喫茶店に腰を落ち着けてから二時間を迎えようとする頃、香澄が弁当屋の制服姿のまま、息を上げて飛び込んで来た。彼女は店主に手早くオーダーを頼むと、きびきびとした足取りで総司に近づき、向かいの席へ腰を下ろした。

「今日は辰兄さんに恩返しをする大事な日って言って出て行ったでしょう? 辰兄さんから引き受けたこととは違った、ということ?」

 日頃から彼女は「男の人ってそういうのをうっとうしがるから」と言って、詳しいことを訊かずにいてくれた。彼女がこんな風に強い口調で問うのは、長いつき合いの中で初めてだった。

「……黙ってて、ごめん。言ったらきっと、香澄に反対されると思ったから」

 店主やほかの客の耳に届かない小さな声で、総司は香澄に“計画”のことを正直に話した。

「総ちゃん、あなた、バカね」

 長い長い話のあとに香澄が最初に言ったのは、そんな呆れた口調の一言だった。

「総ちゃん、私のことを見くびってるでしょう。何年一緒に暮らしてるの? 私がどんな覚悟で家を飛び出したと思ってるの? 親が普通のサラリーマンだから私には理解出来ないって、最初から私の理解なんか諦めていたってこと?」

 一気にそうまくしたてる香澄の手が、弁当屋の帽子を握りしめて震えていた。

「そういう訳じゃ」

「だったらどうして話してくれなかったの。最初から話してくれていたら、私、送り出す時にちゃんと声を掛けてあげられたのに」

 そして彼女はまた「バカなんだから」と、上ずる声で総司を罵った。

「辰兄さんの気持ちが解らないの? 力不足だって言いたい訳じゃない、って私でも解るのに。どうして私のことを喋ってしまったの。私がもし辰兄さんだったら、私の為にきっと同じことを総ちゃんに言うわ」

 始めから知っていたら、何があっても辰兄さんから離れるなと忠告しておけたのに。そう零す言葉が涙で濡れた。

「それで、預かった物って、何?」

 有無を言わせない口調でそう問われると、反射的に書類の入った封書を差し出してしまう。いざという時、結局いつも香澄に判断を委ねてしまう。だが同時にいつもその結果が好転になることも解っていた。

「辰兄の知り合いらしいんだけど、とにかく受付じゃなくて本人に渡せ、って。大事なものだとは思うんだ」

 気になっていた中身を、香澄のあと押しもあって開封した。

「これ……」

 二人は思わず息を呑んだ。中には、信州・松本の住所を記された『Canon』という店の商業登記の写しと、『守谷克美』と書かれた戸籍謄本、むき出しの手紙が一通。そして定型サイズの『克美へ』と記された封筒が入っていた。剥き出しの手紙には、受取人に指名されていた久我貴美子に託す、辰巳の“克美”に対する想いが記されていた。


 ――親愛なる貴美子嬢へ

 同封の書類を克美に渡して欲しい。

 そして、「俺は別の名で生きている。戸籍の俺の死亡を見て泣くな」と伝えて欲しい。

 最期まで貴女を利用したままで本当にすまない。克美が事実を知っても壊れないくらい時が過ぎてくれるまで、彼女をよろしくお願いします。

 貴美子のなんちゃって彼氏より――


 辰巳が再三「彼女のところへ帰れ」と言った意味を知る。遺された者としての想いが総司の胸に蘇り、溢れ返った。目の前の涙を堪える顔が、一度決めたことへの一歩を怯ませる。

「く……そ……っ」

 テーブルを叩いた反動で傾いたグラスのがしゃんという音が、店内に大きく響いた。もしパーテーションで仕切られたこの席でなければ、痛い視線が余計に総司の苛立ちを煽っていただろう。

「総ちゃん」

 香澄のそう諌める声と、不穏を感じた店主が「何か?」と顔を覗かせる声が重なった。

「あ……ごめん」

「すみません、ちょっと体調が悪くてふらついただけです」

 香澄が総司以上に当たり障りのない答えを店主に返すと、彼はほっとした顔つきで「大丈夫ですか」という社交辞令を口にした。早々に答えて彼に退場を願い、二人は迫る時間を気にしながら本題へ話を戻した。

「……総ちゃん、明日のお夕飯、肉じゃがね」

 香澄がぽつりとそう零した。

「は?」

「総ちゃん、私の肉じゃががイチオシって言ってくれたでしょう? ちゃんと恩返しして、辰兄さんと高木さんと一緒ならたくさん作って、帰って来るのを待ってるから。もし警察(あちら)のお世話になるようなら、そっちへ差し入れに行くから。だから……行って?」

 あとで悔いのないように。彼女が俯いたままそう言った。口角は上がっているが、その横に伝うものが本当の気持ちを嫌というほど総司に伝えて来る。

「香澄」

「勘違いしないでね」

 呼んだところで何を言えばいいのか解らない総司の困惑を救うように、香澄が総司の言葉を遮った。

「私、欲張りなの。その二つ以外の結果なんか思いつかない。だって総ちゃんにはお父さんがついてるもの。辰兄さんの許へ行くんだもの。ただ、もしあちらのお世話になるのだとしたら、毎日ご飯を食べてもらえないんだなあ、って。それがちょっと寂しいだけだよ」

 彼女は一気にそれだけ言うと、子供の頃と同じ仕草で目許を乱暴に袖で拭って顔を上げた。

「もう、総ちゃんはすぐ諦める。私のことの時も、今も、そうやってすぐ悪い方にばかり考えて止まっちゃう。総ちゃんももっと欲張りになろうよ」

 満面の笑みに、亡き母を見た。幼い頃、最後に父を見送った時の、若い頃の母。

『いってらっしゃい、お父ちゃん。明日は総司の誕生日なんだから、早く帰って来てちょうだいね』

 いつものように満面の笑みで見送るのに、妙に目がキラキラ光っていた。不思議に思った幼い頃の記憶。同時に思い出された父の顔。

『おう。留守の間は、総司、お前は男なんだから、お母ちゃんを頼んだぞ』

 いつものようにすぐ帰って来るものと思って、誕生日プレゼントをねだったあの日。それが出来たのは、いつもと変わらない朝だったからだと初めて意識した。

 遺す家族がその後も自分を思い出す時の顔が笑顔であるように。最後まで笑った顔を見ていたいから、ずっと笑って過ごしていて欲しいから。

「必ず……」

 鼻に掛かった情けない声だったが、それでもやっと言葉が出て来てくれた。

「必ず」

 顔をしっかり香澄に向けて、二度目に告げたその言葉は自然と語尾が強くなった。同時に揺らいでいた彼女の顔がクリアになる。総司は慌てて零れ落ちたものを手で拭った。

「ちゃんと、帰るから」

 区切って伝えたその声は、総司自身にも明るい可能性を芽吹かせた。

 死んで堪るか。辰兄も、自分も、そして高木も、皆生きて帰ってやる。ポジティブなイメージを描きながら、総司はいつもの自分を取り戻していった。

「当たり前だよ。総ちゃんとつき合える人なんて私くらいしかいないんだから。よその女の人のところへなんか帰ったら、見つけ出してその女の人と喧嘩してやる」

「あっは」

 彼女の頬に張りついた髪を指先でそっと払いながら、思わず笑い声が飛び出した。いつもこうして救われる。笑わせて迷う自分を導いてくれる。

「いつもどおりに、いって?」

 立ち上がった総司に香澄が言う。「言って」とも「行って」とも取れるそれに、総司はいつもどおりの挨拶をした。

「んじゃ、行って来る。明日の飯、何?」

 そっと彼女に顔を近づけ、触れるだけの優しいキスをした。

「行ってらっしゃい。明日は肉じゃがよ」

「終わったら速攻帰る」

 笑う彼女に見送られ、総司は託された書類を手に、喫茶店を飛び出した。




 指定された興研設計という会社に辿り着いたのは、七時をとうに回ってからだった。移動時間の短縮を狙ってタクシーを選んだのが裏目に出た。途中から帰宅ラッシュに巻き込まれ、却って電車よりも無駄に時間が掛かってしまった。

 一秒が数十分にも感じられる長さの中で久我を待つ。ようやく応接室に現れた女性の顔は、尋常ではないほど蒼ざめていた。

「辰巳の使い、ですって?」

 いかにもキャリアウーマンという雰囲気を持つ負けん気の強そうな切れ長の瞳が、それとは不似合いに潤んでいた。叫びに近い声で、「海藤辰巳の使い」と名乗った総司に掴み掛かって問い質した。

「あいつはどこ!? すぐ連絡を取らせなさい!」

「む、無理です。もう……六時半から会合で。俺はこれを久我さんへ届けるようにと預かって来ただけなんです」

 辛うじてそう答えると、彼女は総司の手から封筒をもぎ取りもどかしそうに中を確認した。件の手紙を読んで、堪えていたのであろう涙が彼女の瞳から零れ落ちる。かと思うといきなりこちらの方へ向き直り、会場へ案内しろと命じて来た。

「あんたはこれを預かったくらいだから、計画のことを知ってるはずね?」

 一瞬答えに詰まって息を呑む。一般人である彼女が何故それを知っている?

「どうして貴女が知ってるんですか」

「そんなのあと回しよ、どうでもいいわ。高木さんの部下から、ついさっき電話があったのよ。辰巳はどこ」

「え……高木……って」

 意外な人物の名が飛び出し、総司は自分の耳を疑った。何故この計画に刑事が、という問いも、頭の中をぐるぐる回る。

「この件、彼は捜査本部の総括を外されたのよ。彼はSITの指揮を任されて現場に向かってる――狂ったのよ、計画が!」

 彼女の悲鳴が総司の時間を一瞬止めた。総司の中で、点と点が線で繋がった。何故わざわざ人目につくというリスクを背負ってまで、会合の日を計画の決行日に選んだのか。辰巳が言っていた「協力者」の正体。何故辰巳が高木に接触することを徹底的に禁じていたのか――。

「協力者って、高木刑事だったんですか」

 海藤組を憎み、暴力団壊滅に心血を注いで来た高木。仁侠の腐敗を唾棄し、この世界から逃げ続けていた辰巳。あの二人が組んでいたのだとすれば、これは辰巳による海藤組の乗っ取り計画などという次元の話ではなく。

「まさか……藤澤会そのものを……」

 それであれば、合点がいく。仁侠の片翼を担う藤澤会が脆弱化すれば、対する東龍会が内部抗争を起こすだろう。警察は東龍会のみに焦点を絞ればいい。これまでのように一方の内部抗争の鎮圧に奔走させられている隙にもう一方が好き放題することなどなくなるのだから。それは、総司でも暴力団そのものの脆弱化を予見出来るシナリオだった。

 久我の頷きと次いだ独語が、総司の推測を確信に変えた。

「早く辰巳に知らせないと……待って、克美にこれを早く渡さないと。あの子がもしニュースを見たら……でも事件自体の報道は免れないわ。どうしたら」

 混乱する彼女の姿が、総司に自分の採るべき決断を下させた。

「辰兄には、俺が知らせます」

 なだめるように笑みを返す。亡き両親の笑みを思い出した。初めて両親の気持ちを解れた気がした。こんな世界とは無縁で生きていて欲しい。久我に対する自分の想いと、両親の抱いていたであろう想いが重なった。

「あんた、あいつの何?」

 顔を上げた彼女が近づく前に、一歩退き扉を開けた。

「あの人の兄貴分の息子です。貴女は一般人なんだから、巻き込んだら俺が辰兄に叱られます。必ず助け出しますから」

「まさかあんた、赤木さんの」

 彼女は自分の父親のことまで知っていた。それだけ辰巳が信頼している人ということだ。それだけ解れば充分だった。

「辰兄の頼みごと、お願いします」

 総司はそれだけ言うと、彼女の返事を待たずにその場を飛び出した。




 流しのタクシーを拾って日本帝都ホテルを目指したが、結果的にそこまでタクシーを使うことが出来なかった。

 転がるようにタクシーを降りて、出来るだけ現場に近づいた。ホテルの周辺は緊急配備がなされており、そのすぐ脇を報道陣が埋め尽くしていた。

「ちくしょ……うっ。もう始まってやがる」

 焦る心を制して状況を窺い、身の振り方をシミュレートする。あまり時間が残されていない。報道陣を装い警官達の話を盗み聞いて、交代のタイミングを推し測った。

 一人になった警官を襲撃して制服と拳銃を奪い、上からそのまま身につけた。エレベーターを使うのは、目立ってしまうので避けるしかない。総司は苛立ちを抑えて、非常階段を全力で駆け上った。上がった息を整えてから非常扉をそっと開けて中を窺うと、SITが突入するところだった。どさくさに紛れてトイレへ逃げ込む。総司は初めて手にするベレッタを握りしめた。息を潜めて銃撃戦の始まるタイミングを待つ。乱闘に乗じて潜り込めば、少しでも辰巳に近づけるはずだ。必ず海藤を仕留め、辰巳も自分も生き延びてやる。


 ――パ――……ンッ!


 銃声とともに、事態が動いた。

 会場の出入り口が無防備になる。総司に行くべき道を開放する。そこに向かって駆け出した総司は、そこで一旦足が止まってしまった。

「う……ぁ……」

 目に飛び込んで来た光景は、想像を遥かに上回る惨状だった。

 見たこともないおびただしい血流量。鮮血を吸い込んだ部分とそうでない部分の、雲泥の差を示すカーペットの色。自分よりも遥かに屈強そうな組関係の用心棒が次々と倒れていくその光景。流れ弾に当たらぬよう、SITと組員の入り乱れる中を匍匐前進で進んでいく程度の度胸しかなかった。辰巳が自分を連れて行かなかった理由を、嫌というほど痛感した。

(ちくしょう……っ)

 どう考えても、今の自分は足手まといにしかならなかった。それほどこの世界を知らない“ど素人”だった。

 総司の全身を汚しまくった他人の血が、自分を死体とカモフラージュさせる。どうにか場内から見て死角になる柱の影まで辿り着いた。あとは辰巳を探し出し、この場を抜け出すタイミングを待つしかない。総司は震える手を無理やり握って押さえ込み、警戒の目をぐるりと巡らした。

(……辰、兄……?)

 瞳に映ったものを疑う目が、大きく見開いた。距離にして、五メートル内外。辰巳はいつも純白のスーツしか着ないはずなのに。身に纏っていたのは、どす赤黒い斑模様の醜い柄のものだった。

(違う……あれは……)

 ぞくりと背筋が凍る感覚に襲われる。辰巳は純白だったはずのスーツを真紅に染め、何かを語りながら銃弾を次々と浴びせていた。

 総司が一瞬別人かと見紛うほどの鬼神に見せたそれは、総司にとっては初めて見る、辰巳のアルカイック・スマイルだった。

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