表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/66

第二十五章 Count Down 1

 肩に軽くかかる長さの髪を、そのままだらしなく下ろす。裏の顔の象徴にして来たグリーンのカラーコンタクトを瞳に仕込む。身につけたのは、白いスーツにワインレッドのシャツ。もし彼女がこのダークブラウンのネクタイを見たら、また「センスがない」と怒りながらも見繕い直してくれるのだろうか。

「……って、またしょうもないIFを考えてるし」

 辰巳はネクタイを締めるのが億劫になって、だらしなく首に下げたままの恰好でホテルを出た。

 あらかじめ連絡しておいた時刻に海藤の事務所を訪れた。父親の前に立ったのは、彼に銃口を突きつけたあの日以来、十六年振りになる。

「私にハーフの息子はいないはずだが、私の記憶違いだったか?」

 金髪にグリーンアイズの辰巳を見て、海藤は開口一番皮肉を吐いた。

「悪い冗談を。あなたが一番優秀な息子を忘れる訳ないでしょう。お帰りなさいのハグくらい、ないんっすか?」

 以前のような、敵意を剥き出しにする青さは捨てて来た。守るべきものはすべて自分から隔絶した。今の辰巳に恐れるものは何もない。それは父親に対する不遜な態度という形で表れた。その変貌は、父である海藤にしてみれば意表をつくものだったらしい。

「随分と手間を掛けさせてくれたな。まさか籐仁会の市原が、あの当時生きていたとは思わなかった。貴様が奴とつうじていた、ということもな」

 父は苦々しい顔で呟いた。

「敵を騙すにはまず味方から、って言うでしょう。親父さんの常套手段じゃん」

 辰巳はふてぶてしさを隠そうともせず、また意図的に敬語も取り外した。

「さて、十六年も沙汰なし。しかも、籐仁会との繋がりという嫌疑もあるお前としては、何を以てして私の信用を勝ち取るつもりだ」

 父はデスクに腰掛けたまま、未だ辰巳のもとに近づこうとはしない。身体検査を終えた辰巳は、ようやくソファに座ることを許された。

「籐仁会も市原の本物も、とっくに消えてるんだから関係ないでしょう」

 両脇に控える若衆の一人に、市原が潜伏していたホストクラブの古い名刺を手渡した。

「そこのオーナーがゲイだったんだよね。市原って実はバイだった――って言えば、親父さんも粗方の察しがつくんじゃないかな?」

 父へその名刺を手渡した若衆の男が、ぎょっとした顔で一瞬こちらを盗み見た。辰巳は挑発するように、妖しげな笑みを返してみせた。

「守備範囲が広いことを自慢しているつもりか?」

 父の蔑む視線に、一瞬だけ顔を顰めた。自ら誘導したとはいえ、屈辱感を抑えるのが予想した以上に難しい。

「あまり追及すると、あなたの恥にもなるんじゃないか、と」

 市原を名乗っている理由に疑いを持たれた様子はない。それで満足しておけと自分自身を諌めることで、どうにか仮面を取り戻すことが出来た。

「ふむ……では、お前が執心していた女の妹、あれの消息が掴めないことについては?」

 そう問う父の悪意を孕んだ口角が、ゆるりと左側だけわずかに上がった。

「お前が関係しているのか、それとも、高木か。さて、どちらだろうな」

 やはり父は、克美を探し続けていた。辰巳を縛る“鈴”として。

 一度だけ、瞳を閉じる。一切の感情を封じ込む。内ポケットから一枚の写真を取り出し、もう一方の男へ手渡すと、彼は一瞬目を見開いたものの、無言でそれを海藤に手渡した。

「ほう。処分とは意外な答えだな」

「人間、最初の八、九年で決まるんですかねえ。五年も掛けて“女”に仕込もうと頑張ってみたんだけど、男として育って来ていたのがどうにもならなくて使えなかったから、面倒くさくなっちゃった」

 手渡した写真は、九年前に撮影した翠の事件に関する写真の一枚だった。

『DOL、DOLLARとするには難しいレイアウトだな。“人形”にし損ねたと言ったところか。皮肉な遊びをしたものだ。……まあ、いいだろう」

 長い沈黙のあとに告げられたそれが、辰巳の前髪の下に浮いた汗を密かに退かせた。

「過去は水に流すとして、だ。なぜ今更になって戻る気になった? しかも、手ぶらで」

 克美に触れる話から離れてしまえば、あとは平常心を保つ自信がある。ようやく本題に入れたことで、辰巳の舌が滑らかになった。

「手ぶらとは心外だな。来るなりいきなり昔話を振って来たのはあなたでしょ?」

「……それは悪かったな。で?」

「お役立ちアイテムを土産に持って来た」

 ジュラルミンケースからディスクを取り出す。

「戻った理由は一つに決まってる」

 高木がしつこい。そう語りながらもパソコンを起動させる手を休めることはしない。

「高木を狩るには力が必要。藤澤会長がいよいよらしい、という噂も聞きました。次期会長はあなたでほぼ決まりなんでしょう? 藤澤会の若頭席も海藤組が保持出来るとすれば、あなたにとっても悪い話じゃないはずだ」

 辰巳は組の幹部が勢揃いする中、警視庁本庁からクラッキングしたデータを公開した。そこには、警察が把握している海藤組を含んだ藤澤会所属各組に関するリーク情報から、構成員の個人情報に至るまで、ありとあらゆるデータが記されていた。

「高木を消さない限り、堅気に戻っても逃げ隠れする毎日じゃ面倒くさいだけだってことを、この十六年で痛感した。足を洗ったところで罪が消えるわけじゃない。俺はこっちの世界の人間でしかいられない」

 これでこれまでの反抗期と相殺に出来ないか。そんな慇懃無礼な物言いで、海藤に取引を持ち掛けた。

「真贋を確かめる方法は?」

 海藤が二つの意味で問い質す。疑い深く辰巳を睨む。

「第三者に過去データと現状の照合でもして確認すれば判るかと。それまで拘束されといてやってもいい」

 呆れたように煙草を咥え、火をともす。小馬鹿にした態度で嘲笑する。父が疑えば疑うほど、見下した眼で父を見る。同じ血を分けた似た者同士だからこそ分かる。そうすることで彼のプライドを傷つけ、少しでも彼の心眼が鈍ることを切に願った。

 彼は「ふん」と鼻を鳴らし、

「愛息子を拘束など、私に出来る訳がなかろう」

 と、幹部の一人に視線を投げ、事前に打ち合わせていたと思われる人物の入室を促した。

 訝る辰巳の前に現れたのは、見覚えのある風貌をした二十歳代と思しき青年だった。

「辰(にい)、ご無沙汰してます。お帰りなさい」

 赤木を思わせる細く下がった目尻が、一層下がる。みるみる彼の目が潤んでいった。「辰兄」という親しみをこめた呼び名を聞くのは、赤木が死ぬ直前以来、実に十九年振りだった。

「総司……お前もこの道に入ったのか……」

 それは、赤木が死んだ当時まだ五歳だった、赤木総司。数少ない気心の知れた存在の中でも、特に辰巳が弟のように可愛がって来た人物だ。

「さすがに家族ぐるみのつき合いをしていただけある。すぐに判るとはな。父親の仇を討ちたいとお前を訪ねて来たのが六年ほど前だ。母親も病死して行き場がないというので、家でいい働きをしてもらっている」

 海藤の得意げな声で我に返る。刹那浮かんだ眉間の皺を、紫煙が眼に染みた所為のようにごまかした。

「志を同じくする者の方が都合がいいだろう。この子は機転が働くぞ。赤木の息子というだけのことはある」

 海藤は愉快そうに、喉の奥で笑って言った。

 それは、克美を探し出せなかった彼が辰巳を飼い慣らす為の“鈴”として彼に白羽の矢を立てたことを意味していた。辰巳はつけたばかりの煙草を揉み消すことで、辛うじて沸き立つものをやり過ごした。

「ご配慮どうも。独断で使っていいんですね?」

 辰巳は内心の葛藤を微塵も出さず、海藤へ不敵な笑みを返して確認した。


 数日後データが本物と断定され、辰巳は海藤組に「市原雄三」として復帰した。それから『Xデー』の日まで、辰巳は海藤の指示に従い鮮血で手を染め続けた。

 クラックしたデータから敵対する組の動きの先を読み、海藤組が藤澤会幹部の席に就くのを芳しく思わない同会他組織の主だった面々を次々と間引いていった。海藤の望むままに敵を狩り、かつての敵を手駒へと変えていく。藤澤会内部抗争は辰巳の参画によってその均衡を崩し、異様な速さで収束へと向かっていった。

 辰巳に対する海藤の信頼が確固たるものへ変わっていったと、次第に周囲が囁き始めるようになっていた。




 五月、ゴールデンウィークで若者達が集う繁華街の、ファミリーレストラン。その入口の自動扉が一人の男の為に開いた。オールバックのヘアスタイルに地味なスーツ。場にそぐわない出で立ちをした中年の男が、姿勢正しく店内の奥を目指して歩いてゆく。彼は指定した席に腰掛けてウェイトレスを呼び止めた。だが店員に何やら言われると、渋々という顔でドリンクバーへ足を向けた。

「こういう店は初めてで勝手がわからん」

 彼が一人ごちながらコーヒーをセルフで淹れている姿を見とめると、自分もカップを片手に席を立ち、彼の隣で紅茶を淹れた。スーツ男が胡散臭そうなモノを見る目で自分を窺う気配を感じた。

 俯瞰で見る自分の姿を言葉に置き換えて考えてみる。肩を覆う金髪は、いかにも脱色だと判るほど毛先の傷みが目立つようになった。奇抜な柄模様のシャツをだらしなく着ているのを併せ考えると、どう見ても堅気には見えない恰好だ。

(ま、確かに普通はそういうリアクションだわな)

 自分の風貌を客観視して、心密かに苦笑した。

 スーツ男がカップの底を拭こうとポケットからハンカチを取り出した時、そこから一枚の紙切れがはらりと舞い落ちた。

「落ちましたよー」

 見た目に反した丁寧な言葉で、それを拾い上げて手渡そうとしたが。

「へえ。真面目そうな顔して、くじなんか買ってるの?」

 落ちたそれを見て、落とし主とのギャップに皮肉をこめた引き攣る笑みを浮かべてそう言った。スーツ男は眉間に不快そうな皺を寄せ、無言でそれを取り返した。

「これじゃどうせハズレだよ。俺、結構いい勘してるのよ」

 彼がポケットへ納める前にその用紙を奪い返すと、レジから勝手にペンを拝借してそれへ勝手に書き込んだ。

『六 十八 十八 三十 四十八』

「失敬な。返したまえ」

 スーツ男はそう言って申込用紙を奪い返すと「不愉快だ」と吐き捨て、ドリンクも飲まずにその場を去った。

「日本帝都ホテルの裏口にある売り場がオススメだよー」

 一口も飲んでいないのに会計をしているスーツの男にそう声を掛けた。だが彼はこちらをちらりとも見ず、そのまま店から出て行ってしまった。

「何あれ、人がせっかく親切に教えてあげたのに」

 と大袈裟にがくりとうな垂れる。お替わりの紅茶を手に、連れのいる席へと戻って行った。

「辰兄、今の、知り合い?」

 と彼が興味深そうに訊いて来た。

「いんにゃ。くじの申込書落としてさ、親切に記入してやったら睨まれちった。なあ、総ちゃん、俺ってそんなに見た目怖い?」

 総司は、辰巳の奇天烈な行動をいつものように苦笑した。

「怖いっつーより、変なおっさん。大丈夫かよ、またそんな変わったことして。気やすく一般人に声なんか掛けたら、また親父さんから睨まれるよ」

「総ちゃんのそういう世話女房なトコ、赤木とそっくり。俺と結婚しよっか」

「キモいからやめろって。そんなことばっか言ってると、本当に親父さんにチクるぞ」

 かつて兄貴分だった男の息子に釘を刺され、そいつは困るな、と辰巳も苦笑した。

 総司が高木の容貌を知らないことが幸いした。また、彼が海藤組の言葉ではなく母親の告げた真実を信じ続けていたことも辰巳を安心させた。確かに海藤の言うとおり、総司は「機転が働く赤木の再来」と言える存在に成長していた。

「辰兄、高木の話に戻すけどさ」

 総司は、辰巳が席を立つ前の話題に話を戻した。一瞬勘づかれたかと密かに冷や汗を掻く。つい先ほどまで辰巳が話し掛けていたスーツ姿の男こそ、総司が今問うている高木徹だ。目端の利く総司にそれを気取られないかと心中穏やかではなかったが、その懸念も次の問いが杞憂だと知らせてくれた。

「なんで俺は高木に会っちゃいけないんだ?」

 それは問うというよりも、辰巳に対する不満だった。

「親父の最期を聞きたいだけじゃなくて、ちゃんと自分の口から礼を伝えたいんだ。あの頃はガキ過ぎて知らなかったから」

 総司の「親父の最期を聞きたい」という理由は何度も聞いたが、礼というのは初耳だ。

「礼って、赤木の遺体を組じゃなくておふくろさんに引き渡してくれたこと? それならおふくろさんがちゃんと」

「それだけじゃない」

 総司が珍しく、辰巳の言葉を遮ってまで主張した。その気迫に辰巳の方も思わず言葉を呑み込んだ。

「おふくろが言ってたんだ。親父は本当は自殺なんかじゃないって。親父さんが嵌めたんだ、って。それを証明出来なくてすまない、って高木が頭を下げたってことも、そのあとずっと供養を送り続けてくれていた名無しの正体が高木だったんだ、ってことも」

 悔しげに彼が話したことは、辰巳が初めて知る事実も含まれていた。

「親父が赤木を嵌めたってことは、俺も殺られる前日の消印だった赤木からの手紙で知った。けど、高木の奴、俺が消えたあともずっと、ってこと?」

 彼は無言でこくりと頷き、強い意思を孕んだ瞳で辰巳を睨んだかと思うと、もう一度「高木と繋いでくれ」と頭を下げた。

「俺も手伝いたいんだ。高木が許可をくれれば、辰兄ももう反対出来ないだろう?」

 固い意思をアピールする総司の頭を、子供へするかのように掻き混ぜる。

「お前さんが組に潜り込んだ気持ちは解らないでもないけどね」

 迷うことなく先走る若さを少しだけ羨みながら、苦笑混じりで私見を零す。

「おふくろさんは、お前さんに仇討ちをして欲しくて話した訳じゃあないと思うぞ。この世界にだけは近づくな、という願いを込めて事実をお前さんに話したはずだ」

 返事の代わりに手を払い除けられた。辰巳は弾かれた手の甲をさすりながら、きっと彼の母親が伝えたかったであろう言葉を代弁した。

「なんで高木やおふくろさんが総ちゃんに黙っていたかを考えてみな」

 しばらくはごまかせるから、東京を離れて堅気に戻れ。辰巳は総司と再会してから繰り返して来た自分の意向を、やんわりと、だが命令形で口にした。

「やだ。自分の力量くらい解ってらあ。辰兄に託すしかないから、せめて手伝うことで仇を討ちたいんだ、俺は」

 繰り返される同じやり取りに溜息が漏れる。辰巳は話を逸らすことで終止符を打とうと試みた。

「総ちゃん、女いないの?」

「あ? なんだそりゃ、いきなり」

「新しい生き甲斐を見つけろってこと。自分の家庭を持ったら、こんな世界にいるのが自然と嫌になるって、絶対」

 途端に総司の視線が泳ぎ出す。それなりの存在はあるらしい。判りやすいその反応に、辰巳の口許もほころんだ。総司は突然早口になり、辰巳へたたみ掛ける形で逆突っ込みを入れて来た。

「辰兄が言うなよ。俺、辰兄の固定の女なんか見たことないし! 大体それ、独りもんの台詞じゃない。自分のことを棚に上げて、親父臭い説教なんかするなよなっ」

 むきになると子供の頃と変わらない。さっきまでの話題をすっかり忘れてまくし立てる総司の剣幕を見ると、大笑いを堪え切れなかった。

「いつまでもガキ扱いしやがって。ったく、辰兄こそ、もういいおっさんなんだから落ち着けっつうの」

「独りもんじゃありまっせーん。ちゃんとガキ、いますよ。多分」

 吹っ切ったつもりでいたのに、答える声がくぐもった。

 まだ二月も経っていない。思い出すだけで、もう帰りたくなる。まだ何も始まっていないのに、帰れるはずもない場所へ、心だけがとんでゆく。

「……なあ、置いて来てまで、辰兄がしなきゃいけないことなのか、これ」

 総司の言葉で我に返った。話を逸らした方向がまずかった所為で、下手な苦笑が零れ出る。

「親父にカミさんの身バレしてるからね。俺の場合は消えることが守ることなの。お前さんは違うんだから、ちゃんと地に足つけて守んなさい」

 そう言って、その話を終わりにするつもりだった。総司が追求さえしなければ。

「なあ、名前、なんて言うの? どこ住み?」

「……なんで」

「俺、伝えて来てやるよ」

「何を」

「う~ん、なんて言ったらいいかな。辰兄、親父と同じ目なんかするからさ。なんていうか、ガキの方のことを考えちまう。ほら、俺ってば、親父が俺に何を望んでいたかわからないまま亡くしちゃったじゃん」

 それがいつまでも父親の死に拘らせる、どう生きていいのか訊きたいのだ、と総司は言った。

「だから、会えないんならせめて伝えて来てやるよ。辰兄がガキにどう生きて欲しいのか、って」

(そういう……ものなのか)

 愛されて育って来ると、そういうものが欲しいのか。考えも及ばなかった総司の打診を受けて、初めて“子”というものに具体的なイメージが湧いた。

(俺が、息子に願うこと……)

「親父を超えろ、ってとこかな。親父は黒いから、息子は白く生きていけ、みたいな?」

「息子なんだ」

「知らん。いるかも解らん」

「なんだそれ?」

「ヤり逃げに近い形で来ちゃったもん。勘」

「ヤり逃……な……っ」

 総司の潤み始めたつぶらな瞳が、怒りを含んだ驚きで少しだけ大きくなった。

「あ、でも自信はあるんだー。ほら、俺って女大好きだしー。タンパク滅茶苦茶濃いから、絶対息子」

 年の割に生真面目なのか、総司の顔全体がみるみる真っ赤に染まっていった。

「どこからがネタなんだよっ! ガチで言ってるのにからかうなっ」

芳音(かのん)って名前のはずなんだ。もし本当に生まれてくれるなら」

 そう言った時、自分がどんな顔をしていたのかは解らない。ただ、総司の膨れた顔が、殊勝な表情に変わったのは確かだった。

「変わった、覚えやすい名前だな。カミさんの方は?」

「内緒。総ちゃんは顔に出やすいから、知らない方が得策」

 自分の代わりに泣いてくれる総司が愛おしかった。

「……なんで辰兄があいつの息子じゃなきゃなんなかったんだよ」

「俺が何かしらから“お役”を仰せつかった、ってことだろ」

 伝えるべきことだとしたら、きっとそういう機会が来るさ。辰巳はそう言って話を締め括り、総司の頭をくしゃりと撫でた。

「だから、探さなくていいからな」

 未だ燻る未練を振り切るつもりで、総司に対しても強い口調で釘を刺す。同時に自分にも楔を打った。

 Xデーの一ヶ月ほど前にあった、ささやかな安らぎのひとときだった。


 先ほど高木へ渡したナンバー、『六 十八 十八 三十 四十八』の意味を、彼なら容易に推理するだろう。

『六月十八日十八時三十分 四十八階』。数字の羅列は、その日時と日本帝都ホテル四十八階高千穂の間を暗示していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ