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第二章 辰巳と克也の出逢いのきっかけ 1

 ――ほかの奴らには、思っていることを巧く伝えることが出来るのに。

 どうして克也にはそれが巧く出来ないのだろう。

 “克也は俺の宝物”

 それが巧く克也に伝わらない――。




 辰巳は自分の置かれているこの状況が不快でしかたがなかった。梅雨の晴れ間を迎えた今朝はこんな気分ではなかった。雨の所為で客足が遠のくこの時期の『Canon』にとって、晴天は貴重な稼ぎ時なのだから。なのに店を閉めてここにいる。理由は克也に甘えた声で頼まれてしまったからだ。

『一人じゃどうしても心細いから、一緒に来て』

 ここは『Canon』のライバル店とも言える、公園通り沿いで営業している喫茶店『マッターホルン』。幸い客層が違うので、互いにケーキやコーヒー豆が切れた時には相互扶助している協賛店と言えなくもないが。

「なーにが心細い、だ。いつも買い出しを頼んでるところじゃないっすか」

 しらばっくれてアイスコーヒーをすする克也に、嫌味を言いつつジトリと睨む。それを悪びれもなくやり過ごして、いかにもご機嫌という笑みを浮かべる克也が小憎たらしい。辰巳は更に彼女を責め立てた。

「お前さんね、今日は日曜日だよ? 稼ぎ時なんだよ? ただでさえ雨の日が多くて客足が遠のく梅雨時なのに」

「あー、来た来たっ」

「人の話を……え?」

 克也の視線を追って見たものを認識した瞬間、辰巳の言い掛けていた説教がピタリと止んだ。

「たっつん、克美ちゃんはあんたを驚かせたかったんだよ。お説教はそのくらいにしておいてあげな」

 パティシエがそう言いながら、得意げな顔をしてケーキをワンホールの形でテーブルの真ん中に置く。それには大きなロウソクが二本と小さなそれが八本立てられていた。

「二十八歳の誕生日、おっめでとーっ!」

 ひそめた眉根が一気に緩む。

「あ……りがとう、さん、です」

 気付けば組んでいた腕も、はたりと膝へ落ちていた。今日が自分の誕生日だったことなど、辰巳自身が忘れていた。

 デコレートされたチョコプレートの「克美より」という言葉が、何よりも辰巳の表情をほころばせた。いつも加乃からもらった『克也』しか認めない彼女が、辰巳の名付けた『克美』を使ってくれる。辰巳の中から不満の嵐が跡形もなく消し飛んだ。

「ホントは何か形に残るもの、とか思ってたんだけどさぁ……」

 口ごもる克也の頬がほんのりと赤らむ。パティシエがカットし皿へ盛りつけてくれたケーキが、可哀想なくらいフォークでぐさぐさと刺され、惨めな姿にされていた。

「金欠、ですか。ゴールデンウィークに翠ちゃんとデート三昧だったもんね」

 この春から兄貴に連れられ来店するようになった女子中学生の名を口にしてかまを掛けてみた。

「ち、ちがっ、う、あ、あのな、そういうエロい言い回し、勘弁しろよ! 翠にはいつかちゃんと、ボクが女だって話すつもりだしっ」

「女の子同士でもデートとか普通に言うでしょ。何うろたえてんの」

「う……」

 少し複雑な心境、かなり心配な心境。それはもう、いろんな意味で。

「……図星か」

 内心に孕む心配ごと、ケーキを一口放り込む。辰巳の好みに合わせた甘味の少ないシンプルな苺ショートをホールで食べる贅沢は、辰巳の舌を充分に満足させた。

「まあ最初がかなり克也に対してつっけんどんだったからねえ、彼女」

 初めて出来た友達に対してのめりこむのは解らないでもないが。

「あ、最初って言えばさ」

 克也は話を逸らしたかったのか、頬張ったケーキをアイスコーヒーで飲み下すと、辰巳の想定していなかったことを突然尋ねて来た。

「辰巳と加乃姉さんって、どうやって知り合ったの?」

「ごふっ!」

 飲み掛けていたアイスコーヒーが逆流した。

「その好奇心を勉強に向ける気は、ないの?」

 最も訊かれたくない質問をとうとう口にされた。話題を変えようとするが、言ってからこれでは逆効果だと気付いて余計にうろたえ、言葉に窮した。

「向けて来たから年齢相応のトコまで追いつけたんじゃん。ご褒美に教えてよっ」

 そういう克也のにんまりとした笑みが、意地の悪い内心をあらわにしている。一度食いついたらスッポン並に離さないのが、克也だ。辰巳は観念せざるを得なかった。

「ケーベツしない?」

 どこか理不尽さを拭えないのだが。

「しない、しない。だって辰巳だもんっ」

「意味不明だし」

「で?」

「……」

 辰巳の手にしたグラスの中で融け出して揺れた氷が、からん、と辰巳の完敗を告げた。

「俺が二十歳で、加乃が二十二歳の時、なんだけどね」

 語りながら、思い返す。甘酸っぱい感覚が一気に満ちていく。それはショートケーキに飾られていた苺を丸ごと頬張った所為だけではない気がする。

「加乃がね、俺のスーツにコーヒーを零しちゃったんだよ」

 目の前で微笑む少女の中に、亡き想い人の姿が重なった。




 それは、辰巳が二十歳の成人式に出席した帰りのこと。父への挨拶から逃げる為に、遅くまで繁華街をうろついていた。

 父――海藤周一郎。仁侠社会で二大勢力の片翼を担うと目されている、藤澤会系暴力団『海藤組』初代組長。誰よりも辰巳の成人を待っていた男と、この業界の誰もが知っていた。

 妙なところで仁義がまだ活きているこの世界。成人を迎えれば一人前とばかり、辰巳の前には藤澤会若頭の席が待っていた。もちろん、ほかの構成組織がこんな若造の着任を黙認するはずがない。つまり、辰巳の成人を狼煙としてその下地づくりに入るという訳だ。

 すなわち――抗争が、始まる。

『冗談じゃない。勘弁しろよ』

 当てもなくぶらつきながら自分の世界へ入っている内に、ふと口に出てしまっただけなのだが。

『す、すんません! 若頭』

『は?』

 海藤からの指示を受け、成人式会場からずっとへばりついていた舎弟の男が、何故かいきなり怯えた視線をこちらへ向けて謝罪した。

(……うんざりだ)

 意図せず深い溜息が漏れる。海藤の息子というだけで、自分までもが鬼畜のように恐れられる。自分は海藤ほど非道でもなければ、野望の為に手段を選ばないほど鬼畜でもないと思っていた。そして何よりも、辰巳自身が仁侠を疎んでいた。自分の野心を満たす為なら手段を選ばず非道に走る海藤周一郎を憎んでもいた。

『別に、お前さんに言ったんじゃないよ。それにまだ若頭じゃない』

 自分の中に海藤を見る舎弟の恐怖心を少しでも柔らかくしようと、面白くもないのに笑みを浮かべてそう言った。だが彼の怯えた瞳が安堵に戻ることはなかった。辰巳の過去の所業を知っている瞳だった。

『十四のガキの内から人をメッタ刺しに出来るほどの冷酷さを持つ、海藤周一郎の秘蔵っ子』

 知りたくもない陰口の噂が、彼の表情から思い出された。

 今更悔やんでも遅かった。辰巳と母が海藤の正妻に襲われた原因は、海藤が辰巳に対する贔屓目をあからさまにした所為だ。あの時、あの女は言っていた。

『あんたさえ出てこなけりゃ、家の子があの人の跡を継げたのに』

 自分を庇った母を見た瞬間に、辰巳は正気を失った。母の胸を貫く包丁を抜き取り、その場でその女の息の根を止め返していた。

 ――血に濡れた手。

 ショーウィンドウに映る純白のスーツに身を包んだ自分の姿が、妙に空々しく感じられた。


 立ち止まってそれを見たのがよくなかった。

『あぢっ』

『ご、ごめんなさい』

 声と同時に、胸元に熱い感覚がじわりと伝わった。見ればジャケットの純白がコーヒー色のまだらに変わり、目の前では軽くひしゃげた紙カップを手にした女が、もう一方の手でハンカチを取り出している最中だった。

『こっちこそごめんね。よそ見してたんで、気づかずに立ち止まっちゃった』

 彼女の右手の甲が少し赤い。火傷の治療費とコーヒー代を渡そうと懐へ手を伸ばした。それで終わるはずだったのに。

『このアマ、どこ向いて歩いとるんじゃコラ!』

(――うざ)

 辰巳の予定がうっとうしい舎弟の声に狂わされた。

『すみません……本当にごめんなさい……』

 ハンカチを取り出した女の手が、辰巳の方へ伸ばしかけていたのにピタリと止まる。その手は酷く震えていた。伸ばされた手が彼女の方へ帰って行く。完全に、自分までが怯えの対象になっていた。

 辰巳は舎弟の男に向かい、意図的に低い声で淡々と告げた。

『たかがコーヒーを零しただけだろう。いちいち吠えるな』

 醒めた目で舎弟を見下ろし、言外で「お前が海藤組の程度が低いと一般人に下らない宣伝をしている」と責める。

『す、すんません。若頭、あの』

『お前、うざい。もう目の前から消えろ。親父には女としけこんだとでも言っておけば、少しは手加減してくれるだろうから』

 うっとうしい監視役の返事を待たず、辰巳は彼女の手を取りその場を立ち去った。


 予定を変更し、組が会議などでひいきにしているホテルに少しばかりの無理を言って、ラウンジでコーヒーを出してもらう。

『怖い思いさせてごめんね。俺がぼぉっとしてたのが悪いのに』

 カップを持つ彼女の手からやっと震えが消えたのを見とめると、ようやく辰巳の口も滑らかになった。

『あと、火傷も。お大事にね。これ、少ないけど』

 やっと用件を伝えることが出来て肩の荷が降りた。これで面倒ごとは終わりだと思うと気楽さから笑みが零れた。

『若頭さんなのに、いい人なんですね』

 女が辰巳の差し出した数枚の紙幣を辰巳の方へついと返しながら微笑んだ。その微笑に心臓がどくんと一つ大きな脈を打ち、辰巳の口を固まらせた。

『受け取れないわ。だって、わざとぶつかったんだもの、私』

 最近指名の数が減って、こんな手を使ってでも稼がないと親の借金を返せない、と彼女が言った。彼女は十三の時からこんな生活をしているという。こんな生活とは――。

『いい人ついでに、私を買って。二本でいいから』

 親の都合に振り回されている彼女に同情しただけだと思う。どこか自分と似た境遇に、自分を重ねてしまったのかも知れない。別に女に不自由している訳でもなかった。ただ、時間を買ってやろうと思っただけだ――多分。

『部屋、取って来る。お姉さんの時間を買ってあげる』

 そういう仕事をしているとは思えない、無垢なイメージを抱かせる彼女の儚げな笑みが、辰巳に彼女を助けたいと思わせた。

 もっと彼女のことを知れば、何か支援出来るのではないかと思った。

『なんて呼んだらいいの? 源氏名でいいから、名前を教えてよ』

 辰巳のジャケットを脱がせる彼女の手を掴んで制しながらそう言うと

『加乃。源氏名なんて必要ないもの。この世界にしか住めないから』

 そう言って辰巳の手を振り解いた。

『借りを作るのは、嫌いなの』

 そう言った彼女に半ば無理矢理バスルームへ押し込まれた、というのは男の言い訳みたいでみっともないのかも知れないが、事実だ。

 確かに加乃は美人で色が白くて、好みの年上の女だったが。明るい茶色の長い髪が、どこかノスタルジックな想いにさせられ、少しでも時間をともに出来ればと思わないでもなかったが。下心はなかったのだ――多分。




「……まさか、加乃姉さん……」

「……俺がシャワー浴びてる間に財布を持ち逃げしやがった……」

「枕ドロ!」

 確かに克也は辰巳を軽蔑することはなかったようだが。

「ぶゎっはははははははははは!」

 むしろ軽蔑の沈黙の方がマシだったのではないかと辰巳に思わせるほどの大爆笑が、しばらく店内に響き渡った。

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