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第十二章 家族の形 2

 二人の手当てを済ませてすぐに、克也を伴い塩入をタクシーで送り届けた。

「監理不行届きで申し訳ありませんでした」

 辰巳は塩入の両親が頭ごなしに息子を叱らぬよう、謝罪とともにアパートで治療をしながら聞いた『決闘』までの経緯を彼の両親へ簡潔に伝えた。彼がこれまで高校でいじめや恐喝に遭っていたことや、克也が護身術として極真空手を教え、万が一の場合に助けようと喧嘩の場に同席したこと、喧嘩に負けた相手の子らは、今後の対応の改善と親への報告を確約したこと、それが成されなかった場合は学校に伝える旨を塩入自身が宣言したこと。それらとともに、これまで両親に話せなかったのは心配を掛けたくなかったということと、特に父親に迷惑を掛けたくなかった為だという彼の心情も伝え添えた。

「塩入君は、頭が良いだけではなく、とても勇気のある息子さんですね。克美に彼を見習うようにと、喧嘩っ早いことを厳しく叱ったところです」

 そう言って辰巳は極上の笑顔を彼の両親に向けた。

「笑いごとではないっ。その息子を喧嘩に走らせたのは誰の妹だと思っているんだ!」

 といきり立つ塩入の父親を、母親の方が

「まあまあお父さん、こうして無事に帰って来た上に送り届けてまでいただいたのだから」

 となだめ、深々と頭を下げて、辰巳に礼と詫びを述べていた。

「こちらこそ、女の子ですのに息子が危ないことに巻き込んでしまいまして申し訳ありませんでした。なかなかこの年頃ですと、素直に親には言わないものですから、お恥ずかしい限りです。ありがとうございました」

 彼女のその言葉を受けて渋々父親も苦言を取り下げ、克也にも我が子同様に

「お兄さんに二度とこんな心配を掛けるんじゃないぞ、このたわけがっ」

 と苦言を口にして軽めのゲンコツをお見舞いした。

……ってぇ……。はぁ~い。すんませんでしたっ」

 克也は素直に返し、塩入も顔負けなほど深々と頭を下げた。そして彼女は、下げた頭をなかなか上げられずにいた。そんな神妙な克也を見下ろしていた塩入の父親は、不意にへの字に曲がっていた口角を逆の方へと変えた。

「よし、いい子だ。これからも息子のよい友達でいてやってくれ」

 驚いて顔を上げた克也に彼の手が伸び、その手が彼女の頭を優しく撫でた。




 帰りは経費節減の為、二人で月明かりの下を歩いて帰った。

「辰巳ぃ、あちこち体が痛くて歩けないから、おんぶ」

 と甘える克也の声に、辰巳は顔をわざとしかめてやった。彼女の腫れた両頬を、思い切り引きつまんで言い捨てる。

「お仕置きだ。一人で最後まで歩きなさい」

「ケチー、鬼ー、バカ辰ー」

 不満げな顔で頬をさする克也に背を向け、再び一人で帰路を歩き始めた。

(まったく、人を心配させた癖に、あっけらかんと能天気な子だ)

 安心すると同時に、克也のその悪びれない態度に対し、無性に腹が立って来た。

「でもさ。あいつの親父さんとおふくろさん、……いい人だったね」

 妙な間を空けた途切れ途切れの声が近づいて来る。ちょっと、羨ましかった、と背中越しに聞こえる声は、いつもの克也らしからぬ小さな声で。

「ああいうのが、普通の家族って言うのかな」

 呟く言葉が、いつもより少し低いトーンで紡がれた。

「……」

 歩く足を止めないまま、辰巳は月を仰ぐ。少し頭を冷やして考えてみる。

 克也は決して能天気なのではなく。ただ、ふと感じた寂しさを紛らす為の空元気だったのかも知れない。父がいて、母がいて、人によっては兄弟がいて。なまじ塩入の父親に我が子同様の叱責を受けたことが、彼女の記憶にはない親への思慕を湧かせたのかも知れない。

 普通じゃない自分達が遠い昔から憧れるもの――普通の『家族』。

 親を知らない克也の方が、自分よりもそれに対する憧れが大きいのかも知れない、と思い至った。

 克也の空元気は彼女自身を奮い立たせるのと同時に、自分への気遣いもあるのだろう。彼女はいつもどこか自分に気遣い、落ち込んでいる時ほど明るく振舞うことがある。

 そこに思い至ると、辰巳は足を止めてアスファルトの路面に膝を折った。

「……何?」

「ほら、痛いんでしょ。しょうがないから、今回は特別におんぶしてあげる」

 腹立たしさは跡形もなく消え、ただ心からの笑みを浮かべて欲しいという気持ちが辰巳にそう言わせた。父がいなくても、母がいなくても、自分がいる。

 さすがに母親は無理だろうが、克也が望むなら、父でも兄でも構わない。だから、独りぼっちだと思わないで欲しい。背中で克也にそう訴えた。

 背後で克也が「らっき」と呟く。そして、ずず、と鼻水をすする音。やっぱり、泣いていた。ダッシュで駆け寄る足音がする。思い切り体重を預けて負ぶさって来る彼女の重みを背中に感じ、辰巳はその勢いに負けて倒れ掛けた。

「おーまえさんねえ! そんだけの元気があるなら歩きなさいよ」

 そう言いながらも、克也を背負って軽々と立ち上がる。

「人の数だけ『普通』があるのさ。克也には俺がいるから、いいだろう?」

 辰巳はおどけた口調で克也にそう言いながら、くるりと派手に一回転した。

 克也は何を思ったのだろう。

「辰巳、だいすき」

 と、辰巳の首に強く抱きつき、そっとその耳許に囁いた。かすかに触れる彼女の頭に、コツンと頭を寄せる形で同意を返した。

「あ。そーいや、出しなに言ってた話って、何?」

 ふと思い出したように、克也が明るいトーンに戻って問い掛ける。辰巳は笑って

「もう済んだよ」

 と曖昧に答え、追及する克也を黙らせるように、彼女を背負ったまま全力で走り出した。




 半月後、塩入が一層精悍な面立ちで店に来た。先の決闘で眼鏡が壊れたのを機に、眼鏡からコンタクトに切り替えたらしい。カウンターに近づくと、席にもつかず

「この間はありがとうございました。克美ちゃんにまで迷惑掛けちゃってすみません」

 と礼儀正しく師匠の兄にお辞儀をした。


 あの日から数日経っても、案の定いじめっこ達は親にも学校にも報告をしなかったらしい。業を煮やした塩入の両親が、その後揃って学校へ赴いたそうだ。校長は教育委員会教育長のポストにある彼の父親に平謝りで、早々に調査をすると確約した。元々塩入はいじめられやすいタイプという訳ではなかったらしく、いじめや恐喝の証言がたくさんの生徒から上がったらしい。決闘相手の面々に、塩入のほかにも恐喝をしていたなどの余罪があったことまで判明した。皆は塩入の武勇伝を噂で聞くと、彼に一目置くようになったらしい。

「それもこれも、克美ちゃんのお陰です」

 よろしくお礼を伝えてください、と彼は報告に一段落をつけた。

「お客としてここにいるのはお父さんからお咎めがあるだろうけど、友達待ちなら大丈夫だろ? 克也ならもうすぐ買い出しから戻るから、コーヒーでも飲みながら待ったらどう?」

 辰巳はそう言って、お腹に優しいカフェ・オレを差し出した。


「ところで、どうして克美に空手の指南を頼んだの? よく知ってたね」

 ずっと気になっていたことを、克也待ちの間に訊いてみた。

「実は僕、前に喝上げされているところを助けられたことがあるんです。このビルのすぐ傍で」

 塩入はそう言って、予想外な辰巳との関連について語ってくれた。

「その人はすごく目立って大きな人で、夕陽に金髪が綺麗に輝いて、まるで神さまが助けに来てくれたみたいだったんです。その人が、空手か柔道か僕にはわからなかったんですけど、何かの武術っぽい型で、僕の周りを取り囲んでいた人達をあっという間になぎ倒して行っちゃったんですよ。僕はもうその時、びっくりするやら呆然とするやらですぐには動けなくって。お礼を言いそびれてることに気づいて、慌ててこのビルに入って行ったその人を追い掛けたんだけど、見失っちゃって……」

 そこで彼が、このビルにそういう風貌の人が客として出入りしていないかと、ビルに入っているテナントの店に片っ端から聞き回っていたらしい。克也が

『たまにだけど来るお客で、ボクもそいつに極真空手を教わった』

 などと答えたものだから、今回そのことを思い出し、克也に極真を教えて欲しいと頼み込んだという経緯らしかった。

「あ~ぁ、逆光で顔がわからなかったんだよなぁ。ちゃんとお礼が言いたいのに」

 と、塩入は頬を赤らめ、憧憬の眼差しで宙を見つめながら、うっとりとした瞳で語っていた――克也をレンタルした日と同じ表情で。

「……そう、だったんだ」

(俺の勘違いだったのか。っていうか……そんなこと、あったっけ……)

 辰巳は笑顔を保ちつつ、心の中では必死の思いで過去の記憶を辿っていた。

「今度はいつ来るのか、マスターは知りませんか?」

「はは……どうだろうね。お客さま次第だし」

 曖昧な笑みと返事で、どうにか塩入から自分の動揺と正体を隠し果せた。




「まったく、なんで俺に内緒にしてたんだ。店でどんな顔をしていいのか、ってすごく困ったじゃないか」

 と苦情を言う辰巳に、克也はいたずらな笑みを浮かべて言い返した。

「だって、ばらしたらマズイと思ったしー。何より、正体が辰巳だって知ったら塩入のヤツ、絶対辰巳に頼むと思ったんだもーん」

 一瞬顔を俯かせた彼女が、それまでより小さな声で呟くように言葉を繋げた。

「あいつには親父やおふくろがいるじゃん。辰巳まで取られたら、ボク寂しいもん」

 そう言うと同時に、ジャンプして辰巳の懐に飛び込んで来た。

「いつまでも乳離れ出来ないお子さまだね、お前さんは」

 そんな言葉と裏腹に、苦笑しながら抱き留める。

「でもさっ。辰巳のこと、普段は本当の顔を隠してぽよよんとしてるけどホントはすげーんだぞって、少なくても塩入が認めてくれた気がして嬉しくってさぁ。あいつには、強くなって欲しいと思ったんだ」

 と克也は満面の笑みで辰巳を見上げてそう言った。

(だから、あんなに上機嫌で出掛けていたのか)

 てっきり『女の子の自覚』を持てたのだと思っていたのに。保護者としては、その無自覚な危険さに不安を覚えるべきなのだろうが、どうにもそういう気分になれなかった。まだ幼いという安堵感が、それを上回ってしまっている。

「弟子の修行相手、ご苦労さん。さ、明日も早いから、さっさと風呂に入って寝な」

「ほーいっ」

 克也は上機嫌を体中で示し、スキップをしながらバスルームへ消えていった。


 ――辰巳、だいすき。


 その一言で、辰巳の不安は消えていた。

『人の数だけ普通がある』

 自分の発した言葉を、辰巳は自分にも言い聞かせて微笑んだ。

 家はこれが普通なんだから、それでいいじゃないか、と。

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