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第十二章 家族の形 1

 ――家族の形、家はこれが普通なんだから、それでいいじゃないか。




 塩入は、理想的な彼氏だと思う。申し分のない子だと思う。

 親御さんは実直な公務員で、彼自身も真面目な子だ。親同伴でない限り、店に立ち寄ることは殆どない。まあそこそこツラもいいし、何より今どきの子にしては紳士的で上品だ。

「……なのに、なんでこんなに面白くないんだ」

 ここ数日、辰巳はそんなことでうだうだとしている。勿論、克也にそんな素振りを微塵も見せはしないが。


 先週末の朝一番、客の少ない時間を狙って塩入が店にやって来た。

『いらっしゃい、お好きな席にどうぞ』

 辰巳がいつものように促すと、彼は真面目そうな黒縁眼鏡がずり落ちるほど勢いよく馬鹿丁寧なお辞儀をして、

『営業中にすみません! マスター、三分だけ克美ちゃんを貸してもらえませんか!』

 と克也を指名して来た。

『……は?』

 その間抜けな声の主は、問われた辰巳のものではなく、借り物にされた克也のものだった。

『なんだよ、貸すって。ボクはレンタル商品じゃないぞ。物扱いすんじゃねーよ』

 昔のトラウマから来るのか、妙なところで自意識が強い。不快感を剥き出しにした克也の言動に、辰巳は心の中で冷や汗をかいた。勿論、昔のように自己否定感が強いよりは遥かによいが。

 こんな高校生の普通の子が克也のことを本当に商品や物扱いをする訳がないのに。もう少し年相応に客観視出来ないものかと、彼女の年齢と言動のギャップをこんな風に感じると、先々が心配になって来る。

 辰巳が助け舟を出そうとしたが、なかなかどうして、塩入の方が克也に比べてよほど冷静に状況を把握していた。

『あ、いやあのそういうんじゃなくって、お店の方もあるのに、時間をとってもらうのもどうなのかと気になった、という意味で』

『そう思うんなら最初からそんなこと言わなきゃいいじゃんか。っていうか、用は何?』

(克也の馬鹿たれ)

 言葉尻を取るのではなく、もう少し相手の表情を見てやれ、と言いたい。二人のそんなやり取りを見て、辰巳は段々塩入が気の毒になって来た。

 真っ赤な顔。しどろもどろな口調。それらから、彼が克也に好意を寄せているのではないかと推察された。さしずめ今日はコクりにでも来た、というところか。

 少しだけチクリとした痛みを感じながらも

『克也、そんな喧嘩腰に言わないで、話を聞いてやりなさいな』

 と、手を振り外出の許可を暗に示した。


 その後、塩入が店に顔を出して

『ありがとうございましたっ!』

 という挨拶だけして帰って行ったが、克也が機嫌よく鼻歌交じりでいたことから、どこか違和感を覚えていった。お帰り、と声を掛けても

『たっだいま~んっ』

 と上機嫌に挨拶を返すだけで、何も報告しては来ない。店を閉めて自宅へ戻ってからも

『あ、そだっ。ねえねえ、久し振りにさ、稽古つけてくれよ、空手の』

 とごまかすように話題を変えられてしまった。

『空手って……お前さん、前に極真は実践的過ぎてボロボロになるから嫌だって言ったじゃん。なんでまたやる気になったの?』

 そもそも、もう必要のない環境ではないか。東京にいたあの頃は、少しでも護身術になれば、と叩き込んだものだったが。

『ひーみつだよ~お、っと!』

 と言いながら、ブランクが長い割には切れのよい蹴りを入れて来た。うやむやにされた気がしないでもないが、仕掛けられたら受けてしまう性分が、辰巳に受け身の構えを取らせた。

 中途半端な克也の体力とスキル。彼女がまだ九歳の頃は、こちらが手加減して稽古をつけていたが、克也にはそれで丁度よかった。だが十八歳ともなると、例え女でもスキルがあればそこそこの戦闘力になっている。力加減の程度が掴めない内に、あっさり一本取られてしまった。

『手加減してんじゃねーよ。あ、お前つき合ってらんない、とか思ってわざと負けたろ。明日から当分つき合わせるからなっ』

 と怒りながらリビングを出て行き、ごく自然に辰巳の追及から逃れていった。

『あ、逃げた……』

 辰巳のその呟きに答える声はまったくなかった。


 あんなに願っていた『女の子の自覚』なのに、こうもあからさまに上機嫌でいられると、塩入に対し、妙なマイナス感情が芽生えてしまう――変な意味ではなく。

 家族では成しえなかったことをいとも容易く出来てしまうのが、異性として意識する人なのだろうか、という意味合いで。家族の無力さが露呈する寂しさ、という意味で。




 相談したくても、もうひかるはいない。

 介護と称した話し相手の依頼で克也が出ている間に、報告を聞きに訪れたその案件の依頼主、城ヶ崎久美子に少しだけ愚痴を零してみた。

『店のお客さんの話なんですけどね。お兄さんから相談を受けまして、どうも妹に彼氏が出来たみたいなんですよ。相手の男の子はとてもいい子らしいんですが、お兄さんとしてはどうもそれらしい理由もないのに、なんとなく気に食わないらしいんです。どんなアドバイスをしてあげたらいいんでしょうかね』

 さも他人事のような話し方で打ち明けた。久美子は初日に出して以来気に入ってくれたマンデリンを口に運びながら辰巳の話を聞いていたが、やがてにっこりと微笑んで

『海藤さんにご相談なさるくらいだから、とっても仲の良いご兄妹なんでしょうね。きっとお兄さまは、妹さんが可愛らし過ぎて、妬きもちを妬いてらっしゃるだけではないかしら』

 とさらりと言ってのけた。『妬きもち』という想定外の言葉に、思わず間の抜けた声が出てしまう。

『は……? 妬きもち、ですか? 兄妹で?』

『兄妹だから、でしょう?』

 久美子はそう言ってすぐ、自分の言葉を訂正した。

『いえ、というよりも仲の良い家族だから、と言い替えた方がいいでしょうね』

 そう言い直してから、再びコーヒーを口に運んだ。

『私もね、息子が女の子と歩いているのをたまたま見かけた時、最初に持った気持ちがあまりよくない感情だったんですよ。今思うと、あれが嫉妬だったんでしょうね』

 久美子があとで思ったのは、これまで息子にとって自分が一番の理解者だと思っていたのに、いつの間にか自分から息子の手が離れ、自分よりも大事な存在を見つけて歩んでいく、置いていかれるような気持ちとともに、血の繋がりがない故に、人並み以上の疎外感を覚えたということだった。


 自分のこのやきもきとした心境も、そうなのかも知れない。久美子の言葉には、辰巳にそう思わせる説得力があった。これから自分はどう受け止め考えていけばいいのだろう。そんな疑問が辰巳に次の質問を紡がせた。

『今はどう感じていらっしゃるんですか』

『そうですわねえ。まだ気が早いんですけれど、お嫁さんに来てくれたらいいのに、というくらい、彼女が可愛らしくてしょうがないわ』

 久美子はくすくす笑いながらそう答えた。

『娘が欲しかったから、娘が出来たようで嬉しくて。時折買い物にもつき合ってくれるんですよ』

 と、嬉しそうに教えてくれた。

『私にとっての息子って、きっと母よりも気を遣わない存在なのかも知れませんわね。だから、思っていたままを息子に伝えられたと思うんですよ』

 と久美子はその後の出来事も語ってくれた。


 ざわついた感情をどう言葉で表したらいいのか久美子自身でも解らないまま、息子に『話がある』と切り出し始めたら、勝手に想いが言の葉を紡ぎ出していたそうだ。勝手に寂しい、とか、彼女が嫌いな訳じゃなく、家族と認めてもらえていないと感じてしまった、といったような言葉が出て来ていた、と。

 驚いた息子は、『何言ってるんだか』と呆れ顔をしたらしい。やがて、照れ臭そうにぶっきら棒な声で、簡単に一言

『今度家に連れて来てやるから、仕事のシフトを教えておけよ』

 と言ったそうだ。それを聞いた途端、久美子のどろどろした気持ちは和らいでしまったと言う。

『一概には申せませんけれどね、家の場合はそうでしたよ。お若いお兄さまなのかしら。恋人と家族とは、そもそも土俵が違うから優劣は決めがたいものですわ』

 久美子にそう言われ、辰巳は

『なるほど、そうですか』

 と平静を装う一方で、心の中では自分の顔色が情けない色に変わっていないかと気になって仕方がなかった。

(……全然若い兄貴じゃないんだがな)

 自分が狭量過ぎるのだろうか。そんな自分の不甲斐なさから来る自己嫌悪が顔に出て、久美子にばれていないかと気になった。

 気になるくらい、久美子はまっすぐ辰巳を見つめ、その口調は柔らかで直接当事者に諭すようなものだった。




 今日も克也は夕方になってからウキウキと楽しげに出掛ける用意をしている。

 辰巳はあれからなんの進展もないまま、夕方になると必ずどこかへと出掛ける義妹を送り出す日々を繰り返していた。

『勝手に言葉が想いを紡ぎ出す』

 久美子の言葉が蘇る。

「克也、ちょっと、出掛ける前に、話があるんだけど、いいかな」

 思い切りぎこちなく台詞を読むような辰巳の言葉に、克也は少しだけ胡散臭い物を見るような顔をして

「ムリー、塩入を待たせてるもん。帰ってから聞くよ」

 と、釣れない態度で義兄の返事も待たずに出掛けてしまった。

「ちょっと前まではなんでも素直にきいたのに」

 既に淹れてしまった二人分のコーヒー。店に取り残された辰巳は、それを一人虚しく飲みながら、誰にともなくそううぼやいた。


 時計が夜中の十時を回っても克也は帰って来なかった。

「あの馬鹿たれは……っ。下手に警察に補導でもされたら、素性がばれてえらいことになるっていうのに」

 探しに出ようと玄関のドアノブに手を掛けた瞬間、こちら側に大きくドアが開いた。必然的に、辰巳は顔面強打の仕打ちを受ける。

「はぅっ!」

「たっだいまー……って、あれ? 辰巳、何してんの?」

 ドアを閉めた克也が、その向こうの壁にもたれてうずくまっている辰巳を目にすると、のん気な声でそう呟いた。鼻を押さえながら彼女を見上げた瞬間、辰巳の腹の底が一瞬にして冷えた。

 克也が肩に担いでいたのは、唇を切って血を流し、へし曲がった眼鏡をぶら下げボロ雑巾状態になった塩入の腕。克也自身も殴られた跡と泥まみれの姿になっている。鼻の痛みどころではない。

「何があった!? 誰にこんな怪我」

「い……ったいってばっ、辰巳っ!」

 気がつけば、力加減もせず克也の両腕を掴んで絞めつけていた。塩入は辰巳の勢いで克也に支えられていた腕を放られ、そのまま玄関の土間にへたり込んで尻餅をついている。

 克也の落ち着きを見て、海藤関係の不審人物からの襲撃では、という自分の心配が杞憂であると解った。

「あ……塩入君、ごめん。二人とも、まずは手当てからで大丈夫なんだな?」

 辰巳は塩入に詫び、克也に問題がないことを再確認した。

「うん、へーき。決闘だよ、ケットー。こいつといじめっこのね」

 ぼろぼろになりながらも誇らしげにそういう克也と、照れ臭そうに笑って「いてて……」と唇に手を当てる塩入を見て、辰巳もようやく落ち着いた。

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