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第八章 高木の苦悩 1

 ――あんな出会い方でなければ、互いにとって最良の相棒となれただろうに。

 初めて友と呼ぶに値する人物と巡り会えたのに――。




 辰巳とこんな関係になるとは思わなかった。

 高木は東京へ向かう電車の中で、この二日間をしみじみと振り返った。

 訪ねてみてよかった、と心から思う。八年前に救ったあの少年――否、今回初めて克也が女性だと知ったのだが、彼女の宿した笑顔が何よりも高木を救った。例えわずかながらでも役に立てたと、彼女の笑顔が感じさせてくれた。妻を亡くしてから一層頑なに拘るようになった使命感に対する迷いを、克也の笑顔が間違いないと高木の背中を押していた。

 だが同時にまた迷う。戦友の意外な一面を見た所為で。

 この計画は、克也を犠牲にしてしまうのではないか、という迷い。

 辰巳は即答で「やる」と返して来たが。

「何故お前が海藤の」

 八年振りの苦い想いを口にし掛けたものの、その無意味さに気づいて、やめた。二人との再会が高木を過去へとタイムスリップさせる。彼は疲れた身体をシートへ横たえ、両の瞼を静かに閉じた。




 高木が初めて辰巳と出会ったのは、海藤関連の小さな一事件を追っている時のことだった。その時高木の置かれていた状況は、今思い出しても高木を歯噛みさせるようなものだった。海藤組関連の事件をすべて自ら出向いて追い詰めるのが高木のスタンスだったが、その時は同時に起きた海藤関連の事件が幾つもあった。先に逮捕し拘留中だった海藤組幹部・赤木信司の脱走、守谷加乃拉致事件、そして籐仁会と海藤組というあり得ない組み合わせによる銃と麻薬の密売というリーク情報。

『キャリアのあんたがわざわざ現場をうろちょろするこたあねえ。俺らに任せて、あんたは本部で指示を出してりゃあいいんだ』

 入職当時には先輩として世話になり、今では高木の右腕となった小磯にそう言われたが、それは高木自身が納得出来なかった。

『現場の実情を知らずして、的確な指示を出せる訳がない。それがあなた方所轄の持論でしょう』

 肩をすくめて苦笑する小磯に、高木も形ばかりの笑みを返して先を急いだ。

 拉致事件の情報を聞いたのは、その前に緊急指令を受けた密売リークで現場に向かう途中でのことだった。高木は急行先の住所を聞いて我が耳を疑った。

『それは海藤辰巳のマンションだろう。誤報ではないのか』

 無線相手に当たったところで無意味だと頭では解っているが、問い返さずにはいられなかった。

《所轄がナンバーを確認済みです。間違いありません》

(父親が、息子の女を拉致監禁、だと? そんな馬鹿な)

 親族間のいざこざは、刑事事件として介入出来ない場合がある。判断に迷った一秒にも満たない時間が、海藤と高木の勝敗を分けた。守谷加乃は、寸分の差で拉致された。想定外だった子供の存在も、高木の海藤逮捕に至るまでのシナリオを狂わせた。

 取り急ぎ保護した少年を近場の所轄へ預けようと移動中に、無線から最新情報が入って来た。

《天見埠頭で発砲事件発生。全車輌、至急現場に直行してください》

「天見埠頭……密売リークのあった場所か」

 保護した少年と高木を乗せた覆面車輌が、華麗な弧を描いてドリフトする。最短時間で現場へ直行するには、まず保護したこの子を先に安全な場所へ避難させなくては。WRXのナビシートに座る少年を横目で見ると、彼はカタカタと小さな身体を震わせていた。

『大丈夫だ。現場付近に着いたら、君は婦警のパトカーで先に署へ送り届けてもらうことになる。保護者が戻るまで、大人しくそこで待っているんだよ』

 高木は努めて穏やかな声で彼にそう諭した。いかつい男どもに拉致され掛けた彼の、身内から離された恐怖を思うと、少しでもその恐怖を和らげたかった。だが、それが彼に届くことはなかったらしく、ただ黙って震える自分の肩を抱き寄せていた。


 現地に到着するなり、少年がナビシートから下りて走り出した。

『待つんだっ』

 彼は高木の制止も聞かず、現場とされる制服の人だかりへ駈けて行った。彼の駿足に追いついて止めるには、現場までの距離があまりにも近過ぎた。

 深夜の事件現場に子供がいる――あり得ないその状況に、周囲を囲む警官達も我が目を疑い、一瞬動きを止めてしまった。

『う……』

『見るんじゃない!』

 高木が彼に追いつきその腕を取った時には、既に全身の力が抜けていた。掴んだ腕に彼の体重が一気に掛かり、釣られて高木も中腰に身を崩してしまった。

『ぅ……わあああぁぁぁっっっ!!』

 闇夜をつんざく悲鳴が轟く。高木は咄嗟に彼の身体を抱き寄せた。彼の目からその光景を体全部で覆い隠す。

 少年と高木が見た光景。検証の眩いライトが映し出したそれは、冷たく白いアスファルトを染める、零れた命の鮮やかな紅。白いチョークで囲まれた線の中にあるのは物証となりそうな拳銃だった。

 鑑識が焚くフラッシュで鮮明に浮かぶ、二つの肉塊。ほんの数十分前までは人だったはずのもの。その一つが、凄惨な光景には不似合いな儚い微笑を湛えたままだった。それが少年に絶叫させた。

『返事してぇっ! 加乃姉さん!!』

 射殺された遺体の一つは、拉致当時彼が『加乃姉さん』と呼び叫んでいた、守谷加乃の姿をしていた。

『かえしてっ。ボクを元の場所へ帰してっ! 加乃姉さん……返し……』

 かえして――姉を返せという彼の願いに応える術も、そんな彼に掛ける言葉も見つからない。ただ腕の中でもがき震えるその身を残酷な現実から守るように、より強く抱きとめることしか出来なかった。

『相撃ち……と判断するしかないのか?』

 ぎし、と奥歯が軋む音を立てた。鉄の味が口の中に広がっていく。拉致事件と発砲事件、麻薬取引事件の関連性がまったく見えなかった。




 高木は一旦現場から撤退し、警視庁にほど近い所轄へ少年の身柄を預ける為に立ち寄った。

(参ったな)

 焦れる気持ちと、そんな気持ちを抱いてしまう自分への自己嫌悪で苦虫を噛み潰した。その理由の一つは、少年が高木から離れることを強く拒んだこと。もう一つは、彼が固く口を閉ざし、ただ『姉さん』と呟くだけで何も話さないこと。これでは捜査に戻れない。

 やることはまだたくさんある。押収すべき麻薬が行方不明のままだ。赤木の消息も情報が一向に入って来ない。そしてノーマークにしていた海藤辰巳の行方も解らない。“色好きのぼんぼん”と揶揄されている男が、子連れの女を自分の色にしているとは考えにくい。守谷加乃の愛人説はガセネタで、本当は何らかの事情で拉致監禁されていた可能性も考えられる。海藤父子の間に何があったのかはまだ不明だが、彼女が三つの事件のキーパーソンだったことは確かだろう。

『海藤辰巳の令状は、別件で取れるだろう。この子の身元引受人になれそうな人物のデータはまだか』

 総務の職員にそう問い質すと、奇妙な答えが返って来た。

『それが、データをソートしても出て来ないんです。守谷加乃はヒットしたんですが』

『無戸籍、ということか?』

『ですかね。守谷加乃の親族も洗ってみたのですが、随分前に死亡してます』

 元々海藤組のシマで娼婦をしていた女のようだ。胡散臭い身の上に不思議はないが。

『では、ほかのルートを当たって、どうにかこの子の身元引受人を割り出してくれ。私は現場に戻る』

 事件に思考をシフトし、職員にそれだけ告げると、高木は海藤辰巳の令状を取る段取りの為に踵を返した。

『ん?』

 不意にスーツの裾を引かれ、次の一歩を阻まれた。振り返って見下ろせば、少年が怯えた目をして見上げている。懇願するようなその表情は、ほんの一瞬だけ高木に鉄の仮面を外させた。

『……私の中に、父でも見たのか?』

 膝を折る高木に驚きの視線が集中するのを全身で感じる。一度は伏せた高木の顔が、苦笑でゆがんだ。驚かれても無理はない。妻を亡くし、海藤組壊滅に執念を燃やして来たあの頃から、影で『冷徹で心がない』と言われているらしい自分なのだから。

 皮肉な微笑が、少年の瞳を見つめ返す頃には退いていた。

『安心したまえ。ここは日本で一番安全な場所だ。もう誰も君を連れ去りに来させやしない』

 そう諭す高木の顔に、数年振りの自然な笑みが宿っていた。


 ようやく裾から手を離した少年と、応接室のソファで眠るまでつき合う覚悟を決めた。それから幾分か時間が過ぎた頃、婦警が扉をノックした。

『失礼します。高木警視、守谷姉弟の保護者と名乗る人物が受付に来ているんですが』

 そう知らせる彼女の困惑の理由を、小さな声で問い質す。

『不審なのか』

『保護者としては随分若いんです。どうしましょうか』

 高木が婦警の言葉に答えるよりも早く、少年が行動で答えを示した。

『君っ』

 二人の間をすり抜けて、勢いよく応接室を飛び出していく。どうやら疑う必要はないらしい。

『やれやれ。やっと本業に戻れるな』

 彼の対応を婦警に任せ、高木はのんびりとした歩調で応接室をあとにした。

 窓口に佇む男を視界の隅に捉えながら通り過ぎる。堪えるような泣き方しか出来ないでいた少年は、男の懐奥深くで声を上げて泣いていた。男は彼の身の丈に合わせ、膝を折って少年を大きな全身で包んでいる。最悪の結末になってしまったが、少年が身寄りのない孤児ではなかったことが、ほんの少しだけ高木を安心させた。

『克也……加乃を守れなくて、ごめん』

 憔悴し切っているが、穏やかなバリトンの声。恐らく窓口で守谷加乃の死亡を聞いたのだろう。

(この声……どこかで聞いた覚えがある)

 高木は男に視線を向け直し、初めてその姿をまともに見た。

 こんな若造と会ったことなどないはずだ。明らかに高級品と判るダークブラウンのコートを着てはいるが、それ以外は特に変わった様子もない、一般人だ。自分の記憶の引き出しに一般の知り合いは皆無に等しい。

 だがどうも引っ掛かる。その声の所為だけではなく。二十六歳の自分よりももっと若く見えるが、ゆうに一九〇センチはあろう長身が、妙に既視感を抱かせた。

『君はこの子の身内のようだな』

 高木は彼の情報を得ようと、自分から声を掛けてみた。

『心痛のところ申し訳ないが、守谷加乃の遺体確認と、少し事情を訊きたいのだが』

 目立ち始めた無精ひげと悲嘆でくすんだ彼の面が、少年から自分の方へとゆっくり上がっていった。伏目がちの仕草から気弱な印象を抱いた男が、ゆるりと高木の前で立ち上がる。彼は肩に乗せていた少年の頭を自分の腹へ守るように押し込んだ。

「!」

 高木の背筋に、寒い電流が走った。柔らかな口調に騙された。憔悴の影に潜むこの男の本質は、地味で気弱な一般人とは掛け離れているに違いない。

『高木徹、警視?』

 殺気を帯びた彼の鋭い双眸の周辺は、薄紅に淡く染められていた。若いながらも一般人とは異なる気を放つ。それは高木が最も嗅ぎ慣れた、それでいて最も唾棄する人間だけが放つ匂い。

 堅気とは思えぬそのオーラ、類稀な長身、身にまとう高級な衣類と既視感を抱かせる立ち居振る舞いにその面差し――海藤、周一郎。

『まさか……君が』

 かすかに漏れた高木の声は、その男の柔らかな声で掻き消された。

『克也。ここの婦警さんは、怖がらなくても大丈夫。ちょっとだけ、書類の手続きを済ませて来るまで待ってて』

 そう言って子供を見つめる瞳はどこまでも穏やかで、今口にし掛けた言葉を翻したくなるほどだ。子供の額へまじないのようなキスをすると、少年は素直に彼から離れ、婦警の手を握りしめた。

 二人でそれを見届けると、男が一歩踏み出した。こめかみに伝った嫌な汗が、一層高木を不快にさせる。心の中で激しい否定と強い確信がせめぎ合う。海藤周一郎であってそうでない者。高木の脳裏にただひとつの名が点滅していた。

 男は見下ろす形で高木の前に佇むと、その耳許へ端的に用件を囁いた。

『守谷加乃を殺ったのは俺です。親父に嵌められました。あいつを狩ろうとしているあなたと取引がしたい』

 近づいた彼のまとうコートの内から漂って来るのは、鮮血を連想させる鉄くささと硝煙の匂い。間近に見た彼の瞳の周りが薄紅なのは、泣き過ぎて腫れたからではないとようやく覚った。自らの涙で流し切れないまま皮膚に留まったそれは、守谷加乃の返り血による紅だった。

 再び直視して来る視線を受けて、ほかへ聞こえぬように呟いた。

『君が“海藤辰巳”だったのか』

 正体不明の隠し玉。色好きのぼんぼん、海藤周一郎の再来と呼ばれる男が、こんな若造だとは夢にも思っていなかった。将来有望、頭脳明晰と言われた自分に黒星をつける唯一の男。白星を取り返しては確実にまた取り戻しに来る、海藤組で周一郎の次に目障りだった男。――だが。

 彼の憔悴が演技ではないことは一目瞭然だった。彼の憎悪の瞳は、自分ではない誰かを見つめている。少年を抱きしめた時の所作から、凶器の所持も見受けられなかった。つまり、逮捕のリスクを度外視して、少年の為に丸腰で赴いたことになる。

 高木は目を閉じ、己の勘に問う。彼を信じるべきか、否か。

『――話を、聞こう』

 あの少年の、彼を慕う心を信じたい。この男の中に感じた、少年に対する人としての心を信じてみたい。そして何より高木の中に、信じることに対して何の根拠もない自信があった。

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