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第四章 守護の契約 2

 ニセモノの色がホンモノになったのは確かだが、あれが恋だったのかどうかは解らない。結果的に最後まで貴美子を傷つけたまま、自分の衝動の所為で彼女との生活は終わりを告げた。

 彼女は加乃達と入れ替わったあとも、辰巳のいない時間を見計らってマンションを訪ねては何かと守谷姉妹の世話もしてくれていた。姐御肌な気質が、世間知らずの守谷姉妹を放っておけなかったらしい。

 久我貴美子とは、そういう女だった。


 彼女と最後に会ってから、十年。関わりを断つことで二度と彼女を利用すまいと思っていたのに。

「お姉さんがお人好し過ぎるから利用したくなるんだっつうの。素直に憎んでくれればよかったのに」

 古いカードケースから取り出した名刺を眺め、貴美子に責任転嫁する。そんな形のほかに自分を行動させる手段が見い出せなかった。

 貴美子の職場へ電話をし、受けつけた社員へ適当な苗字と貴美子に取り次いで欲しい旨を告げる。保留後ほどなくして、懐かしいメゾソプラノの声が辰巳の耳に鋭く響いた。

『はい、久我ですが』

 一度だけ深呼吸する。

「やあ、貴美子嬢。元気にやってるみたいだね」

 一瞬の間のあと、耳をつんざくような怒涛の毒舌が辰巳の鼓膜に襲い掛かった。

『こ、の、バカ男! やあ、じゃないわよっ。何年行方知れずにしてるのよ! 黙って消えて連絡先も解らないし、高木さんはだんまりだし。この私を散々煩わせておいて今更どのツラ下げて図々しく電話なんかして来てるのよっ』

 あまりの彼女らしさに意図せず苦笑が漏れる。何ひとつ変わらない。受話器を遠く離してその怒声を聞きながら、そんな貴美子の対応に不思議なほど気楽にさせられた。

「その図々しいツラを拝みに、ちょっと信州まで来てみないか?」

 オフレコ話なので今回は克也に会わせられないけど、と申し添えると

『まったく、相変わらず我が道のみを行くヤツね。どこよ、すぐ出るわ』

 という即決の答えが返って来た。ありがたい反面、想定外の早さに辰巳の方が面食らう。

「い、今? 仕事の方は大丈夫なのか?」

『ごちゃごちゃと面倒くさい男ね。来て欲しいの、欲しくないの、どっちかはっきりしなさいよ』

「……松本駅前の大通りを少し入ったところに『Canon』ってサ店の看板が立ってるんで、その二階に店があるから、そこでお待ちしてます」

『了解、素直でよろしい。おねだりする時はそうやって素直に頭を下げるものよ』

 貴美子はそう言って鼻で笑うと、一方的に電話を切った。緊張の糸が切れ、腹と口許に手をあてがう。

「まったく……敵わないな」

 辰巳はいつも、自分以上に割り切りの早い彼女の即決力に救われて来た。

 彼女なら、きっと翠を守ってくれる。それは克也を守ることにも繋がっていく。

 充分過ぎるほど、長い時間彼女を縛りつけて来た。すべてを話すことできっと、今度こそ彼女を解放してやれる。

「よくウィスキーを落としてたっけ」

 高木に対する想いと近い感覚が、辰巳の中にこぽりと枠。辰巳は新たな戦友を迎え入れる為に、彼女が昔から好きだったアイリッシュコーヒーと自慢のチーズケーキの用意に取り掛かった。




 辰巳は買い出しから帰った克也に

「裏の依頼が入ったから」

 と仔細を話せない適当な話をでっちあげ、渋る彼女を半ば強引に帰らせた。それから小一時間ほど過ぎた閉店間際、丁度アイリッシュが入ったところで、入り口のドアベルがからんと鳴った。

「いらっしゃい」

 そちらを見なくてもすぐにそれが彼女だと解る。昔と同じ薔薇の香りが辰巳の鼻をくすぐった。

「辰巳……あんたの店、ってことだったの」

 呼ばれた声に顔を上げれば、途端に懐かしさがこみ上げる。ゆるいウェイブの掛かった髪が醸し出す豪華さも、それに見合うだけの凛と背筋を伸ばした女王のような堂々とした佇まいも、歳月を忘れさせるほどそのままだった。

「よく一目で判ったね」

 不似合いな伊達眼鏡に、一見して染めたと判る不自然な黒髪、無精ひげ面をした今の自分は、つくづく彼女と対照的だ。投げ掛けた言葉に自嘲が混じる。それを彼女がどう受け止めたのかは知らないが。

「判らないはずがないでしょ。ちっとも変わってないもの」

 彼女は変わらぬ挑発的な笑みを零して辰巳にそう言い返して来た。


 ことん、とアイリッシュコーヒーをカウンターへ置く。

「お姉さんはアイリッシュが好きだったよね」

 貴美子は隣へ置いたチーズケーキを指差しながら

「甘くないケーキも嫌いじゃないわ」

 と艶のある唇の両端をわずかに上げた。

「で? 用もなくあんたがアタシを呼ぶとは思ってないわ」

 貴美子はこちらが自意識過剰だったかと苦笑してしまうほど、社交辞令もそこそこに辰巳を本題へと促した。

「高木からは、どこまで聞いてる?」

 問い返しながら一本を咥える。釣られるように彼女も口にしたそれに、ライターの火を差し出した。

「七年前のあの事件、被害者が加乃ちゃんだったってことと、克也とあんたが海藤に追われて身を隠したこと、アタシに黙っていたのは海藤がアタシをまたタゲらないよう接触を避けたから、ってこと、程度かしら」

 水臭いわよ、と苦笑を浮かべる彼女は、目で仔細の説明を求めていた。

「長い話になりそうだな」

 辰巳はキッチンを出て表のプレートを『クローズ』に裏返し、マイカップを手に彼女の隣へ腰掛けた。

「アタシのあんたへの文句よりは短いはずよ」

 そう諭す彼女の言葉は穏やかな声で、辰巳の言葉を待つ覚悟も含んでいた。甘えを赦すその声音が、却って辰巳の罪悪感を刺激した。

「貴美子しか、信頼出来る堅気がいないんだ。俺と高木は、恐らく二人を守れないから」

 呟いた言葉は他人の発した声のようにか細く、弱い。

「二人? 克也は判るとして、もう一人は誰?」

「来栖翠。克也に初めて出来た……心友、かな。まだあいつは自分が男だと言い張っているから、初恋の相手と言えばいいのかな」

 眉をひそめて訝る貴美子の視線を間近に見ると、つい視線を逸らしてしまう。加乃を通じて、彼女が守谷姉妹をどう思っていたか知っている。

 ――あんた達はアタシにとって、初めて出来た妹のようなものよ。アタシにも家族がいないから。

 それを話してくれた時の、はにかんだ笑みを浮かべた加乃を思い出す。その思い出と貴美子の思いが、辰巳に彼女から目を逸らさせていた。

 隣で静かにコーヒーをすする音がする。かちゃんとソーサーにカップの置かれる音が聞こえたかと思うと

「何から話したらいいのか分からないなら、アタシと別れた十年前から話しなさい」

 と核心を突いて来た。

「十年前……」

「そう、麻薬と銃の密売事件。あの時何があったの。あれがなければ、あんた達はこんなところまで逃げてなんかいなかった」

 彼女の焦れた想いが言の葉に乗る。今更ためらうことなど許されないのに。ようやく口にする覚悟を決めたその瞬間、深い溜息が先に出た。

「加乃を殺したのはね――俺」

 彼女へその一言を告げるのに、つけたばかりの煙草の灰が無駄に燃え尽きるまでの時間を要した。がしゃん、と隣から派手な音がした。伏せた顔をずらして窺うと、ケーキ皿の上にフォークが落ち、カウンターに置かれた彼女の拳が震えていた。

「……海藤周一郎に嵌められたの?」

 問うというより、確認の声。それも小刻みに震えている。

「BINGO」

 辰巳の答えとともに、カップが派手な音を立てて床へ叩きつけられた。

「あ、の……クソ親父っ」

 歯車が、動く。その一つに貴美子を組み込ませたことを、彼女の激昂から嫌というほど感じ取る。彼女が姿勢を変えてこちらにまっすぐ面した気配を感じながら、辰巳は顔を伏せたままこれまでのすべてを彼女に語った。




「――だから、翠ちゃんを独りにしたら兄貴から助け出した意味がなくなる。あの子に何かあれば、克也が自分の所為だと思い込んでまた壊れてしまう。だから、貴美子にあの子を頼みたい」

 いつしか彼女と向き合い――というよりも、しゃくり上げて泣く彼女を抱き支えながら、むしろ辰巳の方があやす恰好で穏やかに話していた。

「あんた……死ぬ気なの? 加乃ちゃんと克也だけがあんたのすべてだっていうの?」

 そんな貴美子を見るのは初めてだった。彼女を貶めた時でさえも、決して涙など見せない勝気な女だったはずなのに。

「それだけじゃないさ。害虫駆除は専門業者に任せないと、下手にいじったら余計に被害が大きくなる」

 敢えて軽い口調でそう返す。自分の為に流す涙など、もうこの世にひとつもあってはならなかった。だから、早く貴美子を泣き止ませたかった。

「俺が海藤周一郎っていう害虫に一番詳しい専門家。そう思わないか?」

 万感の思いをこめて、抱きしめる。巻き込むことへの懺悔と、彼女の想いに応えられない謝罪と、最期の逢瀬になるかも知れない今しか伝えられない、ありったけの感謝をこめて。

「今すぐって訳じゃないから、泣くなよ。貴美子」

 辰巳の願いが届いたのか、彼女が腕の中で小さくもがいた。

「ずるいわよ。そんな計画を聞かされて、アタシが断る訳がないのを解っていて話したんでしょう」

「……ごめん」

 そっと腕の力を緩めると、彼女は静かに身を剥がした。

「解った。あんたに拾ってもらった命だから。必ずこの恩に報いるわ」

 力強い声が、辰巳に安堵と罪悪感を運んだ。

「克也も翠ちゃんとやらも、あんたの心配の種は、全部丸ごとアタシに任せなさい」

 再び顔を上げた彼女には、見慣れた不敵な笑みが宿っていた。頬を濡らす涙を拭おうと伸ばした手を、軽くぱしんと払い除けて自分で拭う。そんなところも、かつてと変わらぬ貴美子らしい強さだった。

 払われた辰巳の右手が、行き場を失くして拳を作る。最後まで、彼女には頭が上がらなかった。

「それにしても高い利子ね。ことが済んだら必ずあんた自身にぼったくり分を返してもらうから。生き延びなさいよ」

 ジョークのオブラートに包んだ貴美子の言葉に、答えることが出来なかった。

「俺に代わって、ふたりを頼む」

 巧く表情を隠せなくて、深々と頭を下げてごまかした。




 ――計画。

 克也にだけは、決して知られてはならないもの。その日以降その計画は、多少の狂いを伴いながら、高木と貴美子と辰巳の三人だけが共有し、秘密裏のもとに進められていった。

 貴美子は守護を。高木は根回しを。そして辰巳はただひたすらに、トラップを張り巡らせ続ける。辰巳は複雑な想いで『スイッチ』が押されるその日を待つことになった。だが、その待ち時間が予想外に長くなるのを、この日はまだ知らなかった。

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