泥水
そこが泥水であっても、美しさを見つけたい…
私は昔から綺麗なものを集めるのが好きでした。
綺麗な色のビー玉、綺麗だと思った詩の詩集…
私は美しく、綺麗なものを眺めるのが好きだったのです。その理由は分かりませんが、世界を美しくみせるとか、この世の美しいものを見つけたいだとか、そんな綺麗な理由ではないのは確かでした。
では、美しくないものは嫌いなのかと言われると、そうでもないのです。美しいものをより美しくみせるのは、美しくないものがあるからで、私もその一つでした。では、私はどんな美しいものをより美しくみせているのか。
それは、ある少女でした。その少女は白い肌をもち、髪はサラサラとしていて、体は細く華奢で、まるで外国人のようなきれいな顔立ちでありました。
その少女は、私に会うたびに近寄ってきて、
「豆ちゃん(私は身長が小さく、ちびっこだったので、豆ちゃん、と呼ばれていました)一緒に遊ぼう!」
と、話しかけてくれるのです。
そのころ、私は自分自身への自信のなさから、人は裏で私の悪口を言っているのではないかと、人間不信に陥っていたので、私のことを信用して、どんな私も知っている、そして受け入れてくれる彼女に惹かれました。確か、彼女の名はハルナ…いや、ハル子といいました。(いつもハルちゃん、ハルちゃん、と呼んでいたので、ちゃんとした名を忘れていました)
ハルちゃんこそ、この世で一番美しいと思っていたほどでした。
しかし、ハルちゃんと出会って2年経った時でした。ハルちゃんも人間なので、友達はできます。他の友達と過ごしているからかは分かりませんが、少しづつ、ハルちゃんと話す機会が少なくなっていきました。ハルちゃんを完全に信用しきっていた私は、それが耐えられず、私はハルちゃんとだんだん距離を置くようになりました。
そこで、私はハルちゃんのことを美しくないと思いました。
その後、少しの間寝込んでいたのですが(正確には、ふて寝のほうが正しいでしょう)起きたとき、気づきました。
私が美しいと思っているのは、私の思い通りで、私の型に当てはまったものを美しいと思っているだけなのだと。
では、美の定義は?私の美は、間違っているのか?その疑問が、頭の中でぐるぐると回り続けました。
今思うと、ハルちゃんは私が作り出しただけで、実在しなかったのかもしれないのです。ハルちゃんと距離を置いてから、ハルちゃんと全く会わなくなり、同じ小学校、同じクラスなのに、そんなことがありえるはずないのでした。
また、ハルちゃんの美しさから、ハルちゃんの美しくないところもみて、私は泥水だと思いました。
あの、雨上がりのあとにできる汚れていて美しさのかけらのない泥水に浸かっている私は、悲しみ、絶望、疑い、同時にそんな負の感情にも浸かっていたのでした。
しかし、私はある日、そんな泥水の中でビー玉を見つけるのです。
ビー玉の泥をはらってやると、綺麗で美しく、光り輝いたビー玉になりました。
泥水でビー玉を見つけ、しばらくはその美しさに浸っておりました。
しかし私は、しばらくすると、ビー玉の周りの泥に再び目にして、ビー玉の美しさに目もくれず、また泥水に浸かるのです…
きっと、これは人生の中で避けられないものだと、思いました。
あるいは、ビー玉さえ見つけられない日が来るのかもしれない。
そのときは諦めて、泥に反射した光にでも目を向けます。
きっと泥水自体を美しく思える日はこないでしょうから。
でも、私はまだビー玉を見つけることができているので、当分は大丈夫でしょう。
生涯は泥の中。それでもまだ、美しさを、私は諦めきれないのでした。
あとがき
ハルちゃんは、私が距離を置いてからまもなく、転校したそうです。
転校の原因はいじめでした。自分と話したら、その子もいじめられると思って、誰とも話さないようにしていたそうです。
ハルちゃんがその後どうなったかは分かりません。
ただ私は、自分のことで精一杯です。




