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ある日の勉強会

「そろそろお勉強をしましょうか」


 ネリルがにっこり笑って朝食を終えたばかりのリンドに言った。


「お勉強ですか?」


 目をくるりと動かしたリンドがネリルの言葉を繰り返した。


「ええ。体力もついてきたし、マナーは問題ないことは分かっているのよ?でもこれから生きていく上で必要な知識をお勉強しないとね。癒しの力の使い方もおさらいしましょう。イアンにお願いしているから安心してね」


 毎日規則正しい食事を摂り、本を読んだり刺繡をしたり、ゆったりとした生活に少しの焦りを抱いていたリンドには嬉しい提案だった。

 子爵家では、繕い物も食事の下拵えも掃除も洗濯もリンドの仕事ではないと言われていたため、時間を持て余していたからだ。


「イアンは説明が上手いから分かりやすいと思うわ。うちの子達も学力は問題ないのだけど説明がね……」


 溜息を吐いたネリルにリンドは首を傾げた。


「そうなんですか?」


「……例えば、六個のリンゴを三人で平等に分ける問題を出されたら、勝負して勝者が分配すると言うのがキリアンで、その三人の立場での平等とは、と言い出すのがコンラッドね。そして教師が教えたいことは計算問題だから二個ずつ、と答えるのがイアンかしら。数字だけで計算させれば二人ともきちんと計算するのだけれど」


 それはとても面倒そうだ、とリンドの後ろに控えていたアンヌは表情には出さずにそう思っていた。

 リンドは不思議そうに考え込んでいたがネリルの明るい声に考えを中断した。


「素直な気持ちでお勉強しましょう。お勉強は好きかしら?」


「好きかは分かりませんが、間違えると間違えた問題を百回書き写さないといけなかったので教材は丸暗記していました」


「……あら、まぁ。随分と古典的な教師なのね、時間が止まっていたのかしら。それとも発掘された化石でも連れて来ていたのかしら」


 それが普通だと思っていたリンドはネリルの台詞に戸惑ったが、何も言わない方がいいと判断して黙っていた。


「身構えなくても大丈夫よ。答えがある計算は一緒に考えましょう。学者になれと言っているのではないし、間違えてもいいの。それに、答えがないものは貴女の意見を聞かせて欲しいわ」


「私の、意見……」


「好きな物でも、苦手な物でも、何でもいいわ。貴女が苦手な物も、それを好きな人がいるし、逆もあるわよね。自分と違う意見でも、貴女が何故そう思ったか、貴女の言葉で説明してくれたら嬉しいわ」


 これまでは、与えられた問いには必ず答えがあった。

 決められた答え以外に回答がある、自分の意見を出す、というのはとても難しいことのように思えた。


「違う意見でも受け入れるかどうかは自分の心に問い掛ければいいわ。最初から否定する相手もいるし、そんな人と会話する機会もきっとあるわ。そんな時、どうするか少し考えて欲しいのよ」


 ネリルの言葉はいつも難しいが、リンドはその奥にある優しさと厳しさが嬉しかった。


「ただ、イアンが何の勉強を優先するかは聞いてないのよね。きっと力の使い方だと思うけど」


 紅茶を飲み干したネリルが立ち上がると同時に扉をノックする音が響いた。


「おはようございます。リンド嬢の食事はお済ですか?」


 ネリルが自ら扉を開けると、イアンがいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべて立っていた。


「いいタイミングね。今日は何の勉強をするのかしら?」


「癒しの力の基礎をおさらいしようと思っています。実際にリンド嬢が力を使っているところを見たことがありませんので」


 ネリルは頷くとイアンの肩を軽く叩いた。


「ええ、無理をさせないようにお願いね」


 もちろんです、と答えたイアンはいつものようにリンドに微笑みかけた。


「気負わず、ゆっくり話をしながらにしましょうか」


 差し出された手にゆっくりと自分の手を重ね、リンドはイアンと共に応接室へと足を運んだのだった。


 ♦♦♦


「力の使い方を学んだことはありますか?」


 応接室で向かい合って座ったイアンはリンドに静かに問い掛けた。


「基本は、乳母に教わりました。何となく、使えるようになっていたと言いますか……」


 実は力を使う度に聞こえていた甘く優しい声があった。

 母であるジャスミンの声だったと今なら分かるが、聞こえていたのは自分だけのようで、誰にも言わなかった。


「センスがいいのですね。素晴らしいことですよ。では、ご自分の中の性質を見てみましょうか。目を閉じて、深呼吸をしてゆっくり光が灯るか見て下さい」


 言われるままに目を閉じたリンドは癒しの力がゆっくりと自分の中に巡るイメージをした。

 瞼の奥、小さく輝く灯りにふっと息を吐き出したリンドの口角が緩んだ。


「……小さな、白と青い光があります……」


「基本はできていますね。誰かの傷を治したことは?」


「何度か……火傷や切り傷を」


 サラの顔の火傷は広範囲だったが今は痕も残らずに治っている。

 リンド自身の足にあった火傷もすっかり綺麗になっている。


「では、今のイメージで力を巡らせる習慣があるといいかもしれないですね。力を巡らせるイメージが早いほど癒しの力の発動も早くなります」


 ゆっくりと目を開けたリンドは窓から射し込む光に少し目を細めた。


「……母は、自分の傷は癒せなかったのでしょうか」


 自分の傷を癒せていれば、ジャスミンは助かったのではないかとリンドの胸がざわついた。


「癒しの力は、万能ではないんですよ。珍しい力なので誤解されることもありますが、私達はほんの少しお手伝いをするだけです」


「手伝い、ですか?」


 雲が動きイアンの表情に影を作った。


「その人が持つ回復力を活性化させるだけなんです。傷口を塞ぐことはできますが、失った体を戻すことも、流れ出た血を戻すことはできません。魔力量によって治せる範囲が広いことはありますが、決して、万能ではないんです」


 イアンは緩く微笑むが、何故かリンドには彼が泣いているように見えた。

 医師として、無力感に苛まれたことがあったのかもしれない、と漠然と思ったが、恐らく間違ってはいないだろうと思えた。


「……お手伝いだけ、なんですね」


「ええ、それもほんの少しね。……そして、ジャスミン様が最期に展開した、という魔術はとても難しいのです。……魔力量が少なかったり、模様のイメージが少しでも違うと発動できません。貴女に、未来を託した強い愛情を感じますね」


 イアンが微笑み、リンドは泣き笑いのような表情を浮かべた。


「……はい、私の存在が、母の愛だと思います……私も、その魔術を覚えられるでしょうか」


「一緒に、学んでいきましょう」


 イアンの言葉に頷いたリンドは再び目を閉じ、自分の中にある力の揺らぎを感じていた。


「そう言えば、イアン様と私は癒しですが子爵家の皆もですか?」


「子爵家の皆様は癒しの力もあるんですが……殆ど身体強化ですね。筋肉を活性化していると私は分析しました」


 キリアンが重い剣を軽々と振り回していたことをリンドとアンヌは思い出していた。

 アンヌは戸惑いがちにリンドとイアンに声をかけた。


「あの、私にも魔力があるか調べられますでしょうか。元々力はある方なんですが」


「簡易的でよければ、できますよ」


 イアンは穏やかに答えて立ち上がり、アンヌをリンドの隣に座らせた。


「いい機会なのでリンド嬢に魔力があるかどうかの調べ方をお伝えしますね。では、アンヌさんは手を出して、リンド嬢はその手に手を重ねて下さい。ゆっくり、アンヌさんに力を流してみましょう」


 イアンは説明しながらリンドの手の甲の上に自分の手をかざした。


「力同士がぶつかると空気が揺らぎます。その揺らぎの大きさが魔力量で変化しますのでゆっくり流して……どうですか?」


「……ありました!」


 リンドが嬉しそうにイアンを見上げた。

 イアンも微笑み頷いた。


「リンド嬢は本当に使い方がお上手ですね。初めてだと中々難しいんですが……。アンヌさんは、身体強化が得意な性質ですね。恐らく無意識に使っていたと思いますが、訓練次第でもっと自由に使えるようになりますよ」


「ありがとうございます。何となく予想はしておりましたが……」


 人並み以上に力があることに気付いたのは母の手伝いをしていた五歳の時だった。

 胡桃の殻を割るように言われ、父親に教えられた通りに素手で割っていたら大変驚かれた。

 母親は胡桃割りの使い方を教えてくれたが、その時初めてアンヌは自分の力が父親と同じ位あると知ったのだった。


「アンヌも一緒にお勉強できるの?イアン様、アンヌも一緒でいいですよね?必要ですよね?」


 必死にアンヌと一緒の訓練を提案するリンドにイアンは声を出して笑った。


「ええ、アンヌさんはリンド嬢をお守りする役目もありますから、一緒に訓練出来るようにネリル様にお伝えしておきます」


 嬉しそうにアンヌの手を取るリンドは、繋いだ手を揺らしていた。


「では、よろしくお願いいたします。リンド様のお役に立てるように、精一杯覚えます」


 イアンは二人の様子に目を細め、ゆっくりと頷いた。


「では、今日はここまでにしましょう。いつもと違う使い方ですから、少しお疲れになったと思いますので」


 言われたリンドはいつもより体が温かく、少し眠気があることに気が付いた。


「少し、眠いかもしれません」


「ゆっくり休んでくださいね。自然な反応ですからご安心ください」


 柔らかい声にリンドはほっと息を吐き出した。

 アンヌが立ち上がり、リンドの背に手を添えてリンドが立ち上がるのを手伝った。


「少しお部屋で休みましょう」


「ええ、ではイアン様、すみませんが失礼します……今日はありがとうございました」


 眠気と戦いながら、リンドは名残惜しそうにイアンに礼を述べた。


「お疲れ様でした、ゆっくりお休みください」


 はい、と頷いたリンドはふらふらと部屋を出た。

 アンヌに甘えるようにアンヌの腕に身を預け、リンドはポツリと呟いた。


「魔力って、温かいのね……」


 アンヌは力を入れすぎないようにしながら、リンドを支えた。


「リンド様のお力は、特に温かい気がします」


 リンドは頬を緩めると、アンヌの耳元で囁いた。


「アンヌの魔力も温かったわ。アンヌと同じ、安心できる温かさだわ」


 夢と現を彷徨うような声音は、紛れもないリンドの本音だった。


「……光栄です。リンド様、眠かったら抱き上げてお部屋までお連れしますよ」


「ううん、いいの。一緒に歩いて。それでね、ベッドに入ったら、眠るまで手を繋いでいてね」


 いつもより少し幼い口調で、リンドはゆっくりと言葉を紡いだ。


「眠る迄、お傍におりますよ」


「ありがとう、アンヌ」


 リンドの部屋まで、もう少しの距離を二人並んでゆっくりと歩いていた。


化石は勿論あの人です。

教科書通りの勉強はできるタイプのリンドさんです。

アンヌ父はアンヌとアンヌ兄が出来るので他の子供たちも全員胡桃の殻は素手で割れると思っていました。

アンヌ姉と弟妹はできません。

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― 新着の感想 ―
 リンゴを例えに出しての教え方の違いに、それぞれの個性を感じますね。  身体への迫害だけでなく教え方まで幼少期は反応に詰まりそうなものだったようですが、アンヌを交えて力の使い方を素直に習うリンドの描写…
リンドちゃんが甘えてる、何か嬉しい(*´艸)  アンヌさんへのお願いにホロリとしました。
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