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願いを書き出して

リンドとアンヌは約束をしなかった―約束は、嫌いだと。

『では、やりたいことをカードに書きましょう』


そうアンヌが言ったのは、リンドが約束をしたがらなかったからだった。


アンヌが歪ながらも字を書けるようになった頃、リンドはアンヌに色々質問するようになっていた。

ベナの来る頻度が減り、二人並んで食事の支度をする時間がリンドの細やかな楽しみだった。


そんな楽しい時間はあっと言う間に終わってしまう。

アンヌは、リンドに「また明日」と言う度にリンドが寂しそうに微笑む表情が気にかかっていた。


その日、秋の本を読んだのだとリンドはアンヌに嬉しそうに報告していた。

左手で人参を掴み、右手にペティナイフを持ったままアンヌに問いかけた。


「それでね、栗という食べ物があるって書いてあったの。それで作るマロングラッセはとても美味しいのですって。アンヌは食べたことがある?」


「リンド様、ナイフを持っている時は他所見をしないで下さい、怪我をします。……残念ながら、マロングラッセを食べたことはありません」


砂糖をふんだんに使い、手間暇をかけて作られるマロングラッセは庶民の口には入らない。

先日料理長が作っているところを見掛けたが、それをアンヌが持ち出せることはないだろう。

父や兄姉が当然のように口にする物が、リンドの口には入らない。

それがアンヌを不快な気持ちにさせているが、リンドは純粋にマロングラッセに対する興味しか抱いていなかった。


アンヌに注意されて素直に視線を人参に戻したリンドは残念そうにしている。


「飴よりも甘いのかしら」


「……今は無理ですが、いつか作って差し上げます。栗を剥くのは私にはとても難しいので上手く剥けないと思いますけれど」


アンヌの隣に立つリンドの頭は、アンヌの目線より大分低い位置にある。

リボンでもない、撚り合わせただけの綿の布で髪を束ねたリンドは頭の位置を更に低くして小さく呟いた。


「……約束はいらないの。約束するとね、いなくなってしまうから」


ああ、「また明日」も約束なのか、とアンヌは理解した。


今まで、何回約束をしては台無しにされてきたのか。


「サラはね、甘いお菓子を持ってきてくれるって言ったの。その通りにケーキをつけてくれたけど、取り上げられてしまったの。……それから、いなくなっちゃったから。他の人も、何か約束をするといなくなって……。アンヌは、いなくならないで。だから、約束はしないで、お願いだから」


唇を噛み締め、ぼたぼた涙を零し、込み上げる嗚咽を押し殺すように俯く姿が痛々しい。


「では、やりたいことをカードに書きましょう」


「……え?」


ナイフを置いたアンヌはリンドの右手からペティナイフをとって自分のナイフの隣に置くと、目線をリンドに合わせる為に膝をついた。


「私も、マロングラッセを食べてみたいです。味見は作った者の義務なので、作る時は味見をしないといけません。作ったら、リンド様に差し上げたいです。これは約束ではなく、私個人の願い事です。願い事は、書いて仕舞っておきましょう」


「……約束じゃない?」


「違います。内緒の願い事です」


アンヌはリンドの目を覗き込んだ。


「……あぁ、そんなに擦ると赤くなりますよ。リンド様の瞳は、夜空に星が光る色ですね。その瞳と同じ色の夜空を一緒に見上げましょう。星が近い春も夏も、空が遠い秋も冬も。夜中にこっそり見上げるとワクワクしませんか?」


床下の収納から陶器の瓶を出したアンヌは蓋を開けて中身がないことを確認した。

そして、お仕着せの隠しからカードを数枚取り出して、歪な文字でカードに何かを書き始める。


『マロングラセーを作る、食べる』

『夜の空見る』

『刺繍する』

『飴は食べる』

『一緒にいる』


五枚のカードを書いたアンヌは、書き終えたカードを重ねた。


「やはり、文字は難しいですね。合っているのかもわかりません」


珍しく苦笑いをしたアンヌがカードを一枚ずつリンドに見せる。


「マロングラッセを作ります、食べて下さい」


「……うん。綴り、ちょっと違うみたい」


「リンド様が分かっていれば問題ないです」


一枚、瓶に落とす。


「夜空を見ましょう。リンド様の瞳と同じ色です。深い青に煌めく金が流れる色です」


「……アンヌの瞳は、優しい夜の色だから、私の夜空と一緒に見られるわね」


少し頬を染めたアンヌがそのカードを更に瓶に落とす。


「刺繍、苦手ですが花の一輪は刺せるようにします」


「私、繕い物は得意よ」


充分です、と刺繍のカードを瓶に落とす。


「また、飴を持ち込みます」


「アンヌがくれる飴は優しい味がするの。でも、無理はしないで」


お任せください、と一枚落とす。


「一緒にいます」


「……っ絶対よ……?嘘じゃない?何処にも、行かない?」


要領はいいんですよ、と丁寧に一番上にカードを置いた。

蓋を閉めて床下の収納に瓶を仕舞う。


「願いを書きました。これは約束ではありません。瓶が一杯になるように、願い事を増やしましょう」


リンドはその場に蹲り声を殺して泣いた。

嬉しさと、切なさが入り混じる涙はリンド自身も説明できない感情だった。


「……沢山、書くわ。毎日、おはようもおやすみも言いたいの。……っ本当はね、夜は、嫌いなの。でも、夜は、アンヌの色だもの、夜空は、私の、色だもの。もう、大丈夫よ……」


震える肩を抱き寄せる事も出来ない立場をもどかしく思う。

肩を抱き寄せる代わりにカードを差し出す。


「沢山書いて下さい。願いが叶ったら、別の瓶に移しましょう。叶った願いが減ったら、また増やしましょう」


うんうんと頷きながら、リンドは震える指でカードを受け取った。


「約束って、言えるようになるまで待って」


「時間は、ありますよ」


何も無かった心の奥、小さな小さな篝火が灯った夜だった。


いつかこの収納に気付いたら、侯爵家の彼等は何を思うのか。

リンドの目はラピスラズリのイメージです。

ラピスラズリを表す言葉に夜空がつくのがあったんです。濃い瑠璃の中に金の煌めきなんてリンドにピッタリとハイテンションになりました。

ちょっとした裏話は活動報告にて。


そして、味見は特権ではなく義務です。

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― 新着の感想 ―
 細やかなお菓子堪能や淡い希望を絆ごと台無しにされ、良心故に離れる際に何をされたのかも察しては傷つき、寂しさごとに心の枷に……約束絡みの悲哀の積み重ねと重傷ぶりがコチラにまで、形を変えてのしかかりそう…
このエピソードは泣ける(T-T)切なさといじらしさが刺さりました。 ささやかな優しや喜びでさえも見つかれば奪われてしまう環境で、 幼いながらに奪われまいと色々な感情に蓋をしていたリンドが哀しい。 アン…
そう、味見は義務です……
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